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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
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 一難去って何とやら。

 本陣の天幕では、総大将を前に皆が同じことを考えていた。

 西を追い払えば、次は南。

 北は王の代替わりを迎え、内政に力を向ける時期であるため、戦をするだけの国力はない。

 東は泰山を望み、同じ四神国があるために常に安泰だ。

 東と北を気にしなくてよい分、西と南の過重が増える。

 逆に言えば、北は黒獅子軍が睨みを利かせておけば動けないため、南と西にさえ注意を払えばよいということになる。

 ものは考えようとは、正しく至言である。


 彼らの座る床机の前に、大きな地図が置かれている。

 その地図の上に駒が乗せられ、現在わかっている情報が視覚で確認できるようになっている。

 白の駒が王太子府軍。

 彼らに背を向けるように西に向かっている青の駒が、今まで刃を交えていた西の騎馬の民。

 南西方向から颱に向かっているのが、新たな敵、金である。

 燕と劣らぬ歴史を持ちながら、燕とは異なり滅多に攻め込んではこない国である。

 常に内政充実に努め、国庫が充分潤っていることと、またとない機会があると見て取ったときだけ手に得物を持つ慎重な国だ。

 ゆえに、領土は小さくとも、四神国に近い生活水準を誇っている。

 わざわざ武器を手にしなくとも、交易だけで充分すぎるほど潤える金が攻め入る間隔はそれこそ五十年単位である。

 颱を攻め入るときは短期決戦を望む国が多いのだが、長期決戦を望んだとしても屋台骨が揺るがないしっかりとした国である。

 それゆえ、現在のところ負けなしの颱でも少々てこずる相手であることは否めない。

 その金が大軍を率いてやってきたという報は、彼らをうんざりさせるには充分すぎる知らせであった。


 天幕の外の喧騒とは裏腹に、その中は静まり返っている。

 難しい表情を浮かべた武将達は、地図を眺め、あるいは睨みつけてそれぞれの思考にはまっている。

「金が出てきたということは、前回から五十年近くが経ったということでしょうかねぇ……?」

 肩をすくめた犀蒼瑛が、人を喰ったような表情で嘯く。

「資料が手許にないので詳しいことは申し上げられませんが、金が前回襲撃してきたのは先々代の御世……おそらく、それくらいになるかと」

 正確な年号や月、攻め込んできたときの状況、規模や構成まで詳しく暗記しているだろうに、あえて伏せる軍師。

 前回と率いる将軍も違えば、兵の質も違う。

 ゆえに以前の記録は当てにならず、逆に要らぬ知識となってしまうだろうことを畏れて告げようとはしないのだろう。

「連動して動いているわけではないようですね?」

 笙成明が不思議そうに首を傾げて誰とも為しに問いかける。

「あぁ、そのようだ。金には、例の奇妙な軍師はいないようだ」

 利南黄が府に落ちないような表情を浮かべながらも、その質問に答える。

「……何で今頃」

 莱公丙が忌々しげにぼやく。

 それは、皆同じ意見であった。

「叩き潰せばいいだけの話だろうが! 話は簡単だろ?」

 韓聯音が呑気に告げる。

「しかし、韓将軍。我々には圧倒的に金の情報が少ないんですよ」

 青牙が困ったようにぼやけば、聯音がにやりと笑う。

「ふふん。金は何度もやりあったぜ、俺は。燕で将軍位をもらえたのは、金のおかげだしぃー?」

 ほらほら、何でも聞いてと、得意げに笑う新将軍に、軍師を除いて一同が呆気に取られる。

「って、姫さんだけが驚いてないわけ?」

 楽しそうに笑っていたものの、翡翠が静かに彼らを眺めていることに気付いた聯音は、面白くなさそうに問いかける。

「それは、存じ上げておりましたから」

 くすっと小さく笑った娘は、嫣然とした笑みを湛えて一同を流し見る。

「面白くない!」

 どきっぱりと宣言した男は、がしがしと乱暴に髪を掻き乱す。

「……ってぇことは、やっぱり金の情報、持ってんじゃねぇかよ?」

「えぇ。そろそろ、その時期かと思いましたので、数年前より情報を集めてはおりました」

 にこやかに笑って答える抜け目ない軍師に、殆どの将たちが天を仰ぐ。

 よく考えてみればわかることだ。

 用意周到なほどに緻密に情報を集め、相手の動きをすべて読む翡翠が、金の情報を持っていないはずがない。

「まさか……まさかとは思うが、俺を颱に呼び寄せたのも、この戦のためとか言わねぇよな?」

 思わず穿った見方をしてしまうのも無理はないだろう。

「ご想像にお任せいたしましょう」

 皆まで言わずに曖昧にぼかした娘が金を示す赤い駒を動かしていく。

 弩兵、弓兵、長槍兵、歩兵、戦車、騎兵。

 総勢十万を越える大軍である。

「あぁ、こりゃあ……確かに、そうだ。うん。これが、金の得意な配置だ」

 黙したまま駒を動かすその手に、聯音が顎に手をやり、納得したように何度も頷きながら告げる。

「まずは弓で様子を探りながら、弓の先につけた油袋を敵陣の中に落とし、次に火をつけた弩を陣に放つ。それでも生き延びて前に出てきた兵を長槍兵が串刺しにし、討ち漏らした兵を歩兵が始末する。まぁ、あの丈の高い草原じゃ、まず戦車は使えねぇ。なら、得意の火攻めでくるだろうな」

「火攻めとはまた、美しくない」

 不満げに顔を顰めた蒼瑛がぼそりと呟く。

 戦に美しいも美しくないもないだろうにと、誰もが思ったが、相手が蒼瑛であれば何が返ってくるのかわからないため、突っ込む者はいない。

「韓将軍の仰る通り、金はこの陣形よりの火攻めを得意としております。今回もその手を使おうと思っているところでしょう。ですが、その策は実は使えませぬ。何故だかおわかりになりますか?」

 穏やかな笑顔を浮かべた軍師が、一同に問いかける。

「北と違い、そこに湿地はないと記憶しておりますが……」

 怪訝そうな表情で蒼瑛が応じる。

「ですが、この草丈。人が潜んでもわからぬほど育つ草丈であれば、その土の下にどれだけ豊かな水脈があろうかと……秋から冬であれば、その草を燃え伝うこともあるでしょうが、今の季節では、すぐに消えることは確かです」

 笙成明がすぐさま答え、皆が納得したような表情になる。

「だが、そのための油袋なのだろう?」

 肝心なところを忘れていると、嵐泰が指摘する。

「大地に油が滲みこめば、火は燃え広がる。金とて、そのくらいのことを承知して策を練っているのだろう」

「……あ。確かに……」

 その指摘に、青牙が顔を顰める。

 それでは何が理由なのだろうかと、上座に視線をやれば、じいっと地図を眺めていた総大将が突然、にやりと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

「わかった! ふたつ、だな。翡翠?」

 得意げな表情で、片腕を見やり、地図へと向かうと白の駒を摘み上げる。

「ひとつは、これだ。俺たちはすべて騎兵だ! 金の用兵は対歩兵用のものだ」

「その通りにございます」

 あっさりと頷く軍師に、将たちは思わず額を押さえる。

 うっかりしていたというにはお粗末過ぎる。

「歩兵が動く速度と、騎兵の速度では開きがありすぎる。矢を射掛けたとしても、弩が狙う場所は油袋があるとはいえないだろう。もっと近距離になって、弩自体が使えなくなる距離まで移動している可能性が高い。そして、ふたつめが風向き、だな?」

 うきうきと楽しげに笑いながら、地図の上をとんとんと指先で叩く。

「この季節の風向きは、西から南へと向いている。金にとっては逆風だ。自陣に近付く敵の数を減らそうと炎の幕を張るためには、相当な距離が必要だ。風に押された弓勢では、どうしても飛距離が伸びない。逆風で火を使えば、自滅する」

「風ねぇ……確かに、風向きは俺にはわからなかったぜ。だけどよ、それでも金は十万を超える大軍だ。全員騎兵とはいえ、半分にも満たない俺たちが対峙して、数に任せた戦をされちゃあ、いくらなんでも手も足もでねぇんじゃねぇのかよ?」

 王族相手に不遜すぎる言葉遣いを改めようともしない新将軍は、肩をすくめて最大の問題点を告げる。

 それを聞いた途端、くすくすと翡翠が笑い出し、そうして他の将軍達も微妙な表情になる。

「あ? まだ、何か隠し玉でもあるのか?」

「そうですね……燕と対峙したとき、我が軍の騎兵の数はどのくらいでした?」

「そりゃあ、今の倍近く……え?」

 颱が抱える兵の数は、大陸でも随一である。

 そして、色を冠した名を持つ師団に分かれている。

 その中でも有名なのが色を冠していない王太子府軍と、すべての色を併せ持つ黒獅子軍である。

 だが、このふたつの軍の総数を知る者は他国ではいないのだ。

 その次に有名な緑波軍や紫影軍などは割合その数は明らかだ。

「蒼虎を呼んだのか?」

「はい、三の君様」

 熾闇の問い掛けに、翡翠がゆったりと頷く。

「蒼虎……? 人? 軍?」

 意味がわからない聯音が首を傾げる先で、軍師は種明かしを始める。

「我が軍は、すべて騎兵で構成されております。これは、発足当初からかわらぬこと。もうひとつ、やはり発足当初から代々変わらずあり続けたことがございます。我が軍は、実は四つの軍の編成で成り立っているということです。我が軍が、王太子府軍と、色を冠していないことを不思議にお思いになられたことはございませんか?」

「それは、まぁ……」

「実は、色名を持っているのですよ」

「へ?」

「わたくし達が今、指揮している本隊。この隊の名を銀虎、そうして、増員で呼び寄せた隊が蒼虎。他に茜虎と翠虎です。四隊を合わせて白虎。あまりにも畏れ多い名ですので、所属している王太子府の名をとって王太子府軍と通り名をつけているのです」

 大胆な説明に、ほんの少し嫌な予感がした聯音はおそるおそる聞いてみる。

「それって、もしかして……その神様が名付け親で、王子達が率いる軍だから自分の名前を使っちゃえとか言い出したりして?」

「よくおわかりですね。正しくその通りです」

「……何か、とてつもなくありがたみがねぇな」

 普段から聞き知る白虎神は、面白がり屋の面倒臭がりに聞こえる。

 おそらく、初代の王子達に名を贈ろうとして、凝りに凝り過ぎて疲れたから単純に自分の名前を使うように告げたのが始まりなのだと、過去の書簡から読み取れる。

 わずかばかりの苦笑と共に書かれた内容からも、当時の王族達が如何に白虎を慕っていたかが窺い知れる。

 それゆえに、本来の正式名称を伏して、通り名をいかにも正式名称のように代々使ってきたのだ。

 そう説明する翡翠にもちらりと苦笑が浮かんでいる。

「じゃあ、王太子府軍の正式な数というのは、この四倍になるわけだ」

「いえ。そういうわけでもございません。それはおいおい説明するとして、今は金の対策を練るときでございましょう」

 聯音の言葉を軽く流した軍師は、表情を改める。

「蒼虎に指示した移動経路は?」

 すかさず熾闇が問いかけた。

「王都から東に向かい、そのまま国境に沿って南下するように伝えております」

「なるほどな。俺たちが西にいるから逆方向か」

「御意」

 王都から東に白い駒が動き、そうして国境線にぶつかると、そのまま線に沿って南へと下っていく。

 それは、ちょうど金の裏側へと廻る道程だ。

「利将軍と青牙は、小隊を率いて蒼虎に合流し、そのまま指揮を取れ。翡翠は大隊を率いて金の正面から向かい受けろ。蒼瑛と嵐泰をつける。残りは俺と共に西から金の腹を食い破る」

 翡翠の手から駒を受け取り、自ら動かした総大将がそう告げる。

「承知。人数を読ませぬように派手に動いてみせましょう」

 嬉しげに極上の笑みを浮かべた蒼瑛が大きく頷く。

「……御意」

 ちらりと親友を見た嵐泰が、静かに応じる。

 何か言いたいことがあるようだが、あえてそれを言葉にしようとしない。

「翡翠?」

「我が主の御意のままに従いましょう。念のために、茜虎と橙光軍を王都から南西側へ待機させます」

 何を警戒しているのか明らかにしないまま、軍師は了承する。

「任せる。対歩兵用の布陣の場合、前方に注意を払うため、側面はがら空きだ。腹を食い破ったら、そのままの流れで正面の翡翠に合流する。奴らは、どの方向から次の攻撃が来るかわからず、混乱をするだろうし、布陣にもこまるだろうな。青牙たちは後ろから喰らいつけ」

「承知しました」

 生真面目に返事する弟王子に頷いた総大将は、軍師に視線を移す。

 熾闇の策を支持し、尚且つ細かい点について補足していく美貌の軍師は、蒼虎の指揮を取る青牙と利南黄の出立を本日、他は明日と定め、総大将の了承を得て解散を告げた。

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