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戦局は、前日以上に一方的な展開になりつつあった。
状況を見つめ、指揮を取る白の総大将の許へ黒衣の武将が馬を寄せる。
「……上将」
「おう、嵐泰か。おぬしもひと暴れしてくればよかろうものを……」
声をかけられ、気安く応じた熾闇は、彼の表情に気付き、苦笑を浮かべた。
「気になるのなら、戻ってもいいぞ。蒼瑛と翡翠のことが気に掛かっているのだろう?」
「……いえ」
充分気に掛かっている様子だが、寡黙な武将は首を横に振る。
「あの奇妙な気配を持つ軍師がおりませぬゆえ、そちらが気にかかっております」
同じ王族、しかも年長だが、傍系だと言って他人行儀な態度を取る男は、その男らしい精悍な顔立ちとは裏腹にかなりの苦労性であるようだ。
「あの、神族の男か? 捨て置け」
「しかし……」
「いないというのなら、翡翠が手を打ったのだろう」
この戦況、そして昨夜の翡翠の様子から推察した熾闇は、どこか宥めるように嵐泰に告げる。
「軍師殿が?」
「翡翠は言わぬ。だが、あれならそうするだろう。俺が前に出ると言ったからな」
その言葉に、嵐泰は『まさか』とは言わなかった。
策として、刺客を放つことは充分ありえる。
しかも相手が神族で幻術を使うとなれば、総大将を守るためには不意をつくしかない。
「……飛び梅を使われたのですね」
「翡翠のか? しかし、あれは情報収集が……」
驚いたように目を瞠る熾闇に、嵐泰は唇をかんだ。
あれほど仲の良い従兄妹同士であるというのに、すべてを話しているわけではないと今更ながらに気付いてしまった。
「……ご存知、なかったのですか。飛び梅は、只人ではない。私もかつて飛び梅になることを望んだ身なのですから」
「なに?」
嵐泰の言葉に熾闇は顔色を変える。
「あれは、純粋な人ではないということか!?」
「御意。一族、と、表向きはなっておりますが、実際は特殊な血を引く者たちの集まりと言った方が正しいでしょう。天界の血を引く者たち、それが飛び梅の正体です」
「天界の血を引く者なら、天界の者を討てる、ということか……」
真実とは異なる、だがある意味正しい指摘に、熾闇も唸る。
「今、ここで考える話題ではないな。手を打ったといっても、刺客を放ったと決まったわけでもない。それは、後でだ」
「御意。それと、今ひとつ。最近の敵の動向についてですが、軍師の座に納まった神族が煽り、戦を起こしております。そうして、軍師……翡翠殿を狙っておられる」
「……それはっ!」
嵐泰の指摘に熾闇はぎくりと表情を強張らせる。
「それも今でなくとも……」
「いえ。これは今でなくてはならぬこと。軍師殿に聞かれてはまずい」
「なにゆえ?」
周囲を見渡し、的確に指示を与えながら、声を潜めて総大将は黒衣の将軍に問いかける。
「神族の真の狙いが軍師殿ではないかもしれないゆえに」
「………………」
微妙に顔を顰めた熾闇は、視線のみで先を促す。
「軍師殿がいなくなればどうなるのかと考えてみたとき、自ずと見えてくることもあります。軍師殿がお守りしているのは、上将、あなたです」
熾闇と同じ闇を映す瞳を彼に向けた嵐泰が静かに告げる。
「天界には、天界なりの決まりごとがあるようです。この身の内に流れる血が教えてくれることがあります。そのひとつに、人を殺めることが禁忌とされておりますが、特に王統に列なる者への直接的な関与は禁じられております。それゆえに殿下を狙うことはできず、さらに婉曲的な方法を取るにも軍師殿がいる限り、それは適いますまい。ならば、軍師殿を排した後、殿下への攻撃に転じた方が得策かと……白虎様が軍師殿へ血を分け与え、神籍をお与えになられたのは、そういう意味が含められていたのではないでしょうか。もちろん、これは私個人の想像でしかありませぬが」
黒衣の武将は、彼の一族の中でも先祖返りと言われるほど白虎神に近い記憶を持っているらしいと言われている。
決して、何も口にしない神々の記憶をあえてここで告げた意図は、はっきりしている。
熾闇と翡翠を守るため、である。
「おぬしがそう結論した理由は何だ?」
憶測だけで物を言うような嵐泰ではない。
何か、彼が疑問に思うようなことが、以前起こっていたのだろう。
そう考えた若者は、理由を尋ねる。
「成明が……成明の挙動に些か奇妙なものがありまして、少しばかり絞めてみました」
右翼を指揮している笙成明にちらりと視線を向けて、嵐泰が静かな口調を崩さずに答える。
その口調と内容が一致していないことに、熾闇は思わず天を仰ぐ。
「それは……成明は恐ろしかったことだろうな」
「なんの。我らに気取られるような未熟者に、情けをかけることはありませぬよ」
あっさりとした物言いが余計に空恐ろしい想像を掻き立てる。
「最近、軍師殿が我らではなく、成明を重用しておりましたので、些か不審に思いました」
「それは、青藍殿を成明の副官に据えたからではないのか?」
「それもありましょう。しかし、それでも少しばかり不自然ではございませぬか?」
「む……そういわれれば、確かに……」
左翼の利南黄に敵の背後に回りこむよう合図を送り、熾闇は顔を顰めて頷く。
戦局は、終盤へと差し掛かっていた。
「しかし、元から翡翠は成明を気に入ってはいたぞ」
ふたつほど年上で、名門の出の成明は、熾闇と翡翠の世話役に陰ながら任じられていた。
表立っては利南黄がふたりを指導する立場を取り、身の回りのことを成明が手助けする形で今までふたりに従ってきたのだ。
そうして、笙家の跡取り息子は、翡翠の夫候補の中でも上位につけている。
もちろん嵐泰や犀蒼瑛もそうなのだが。
そのことを思い出した熾闇は、ちくりと胸を痛める。
「以前、城下で神族に襲われたことがあると、申しておりました。青藍殿と三人で城下へ降りたときのこと。軍師殿も青藍殿も、予め襲われることを知っていた節があるとも言っておりました。それが神族であるとは、青藍殿は思わなかったようですが」
「襲われた!?」
「軍師殿付の侍女だったそうです」
「言われて見れば、最近、姿を見ない者がいるな」
翡翠が傍に置く侍女達の殆どが女子軍のものである。
それゆえ、任務に就いていれば姿を見せないことも不思議ではないと思っていたが、思い返してみれば不自然すぎる点がある。
「成明に問い質してみるか……」
「もう、無理でしょう。これ以上、成明が話せることはないと思います」
溜息交じりで告げる嵐泰に、彼がどれだけ成明を締め上げたかが想像できる。
「……無茶したな」
「申し訳ございませぬ。一切、弁明いたしませぬ」
「気の毒としか言いようがないな。翡翠が悪いのだろうに」
巻き込まれたのは成明の方であったはずなのに、翡翠に直接聞いても結果が得られないと判断した嵐泰に、どれだけ圧力をかけられたのか、本心から同情した熾闇はそう呟く。
「一連が同じ黒幕に繋がっているとしたら、これからもまた性懲りもなく同じ事が続くと見てもいいな」
「御意」
「……神族とは、もしかして、ものすごく頭が悪いのか? 同じ事を繰り返して失敗し続けるなんて」
黒幕が誰であるのかを考えもせず、今までのことを思い返した若者は、苦笑をして結論付ける。
「些か、公主の記憶から見てもそのようだと……」
同じく苦笑を浮かべた嵐泰も小さく頷いて同意する。
「それが真実なら、あまりありがたくないものだな」
本来なら尊敬すべき畏怖の対象を、あっさりと扱き下ろした王族ふたりは、現実の戦を収拾すべく、意識を切り替えたのである。