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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
172/201

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 晴天の下、血腥い宴が繰り広げられている。

 昨日と同じく、否、それ以上に一方的な展開で戦いは進んでいた。


「……いやぁ……何か、こう、生き生きしてません? 水を得た魚とか、餌を前にした獣とか」

 本陣から前線を眺めていた美丈夫が呆れたように呟く。

 どこか羨ましそうな響きは、本陣詰めを命じられたからであろう。

 誰もが振り返りそうな完璧に整った美貌の青年の隣で、黒髪の美姫がわずかばかりの溜息をつく。

「いや、わかっておりますよ。おとなしくしておりますってば、軍師殿」

 その溜息の意味を読み取った犀蒼瑛は、引き攣りながら笑みを浮かべる。

「いいえ、良いのですよ。落馬のせいで背中に痛みがあろうとも、戦陣を走ることを望む。正しく武人の鑑ですね」

「……そのお言葉、非常に耳に痛いですよ、軍師殿。もしかしなくても怒ってらっしゃる?」

 同じく本陣を任された翡翠の表情を窺いながら問う蒼瑛だが、いつもながらも歯切れの良さはない。

 思った以上に、落馬の衝撃が尾を引いているのだ。

 騎馬の民である彼が、敵の幻術に騙されて重傷を負ったと思い込み、そのまま落馬など、彼の高すぎる矜持を引き裂くには充分である。

 背骨を折ったりという怪我はなかったが、打ち身で時折表情を引き攣らせている。

 翡翠は、そんな彼を診るためと、彼女自身、蒼瑛の手当てと幻術打開のために奔走していた疲れを取るために本陣を守るように大将である熾闇に命じられたのだ。

 その熾闇といえば、先程から前線で指揮を取っている。

 蒼瑛曰く、とても愉しそうに、である。

「そういえば、昨日と動きが違いますね」

 小高い丘から見下ろしながら、青年は不思議そうに首を傾げる。

「あぁ、あの男がいない。どこに行ったのでしょうか?」

 奇妙な術を使う神族らしき男の姿がいないことに気付いた蒼瑛は、あたりを見渡す。

「逃げたのだろうというのがもっぱらの噂のようです」

 あっさりとした口調で答える翡翠に、蒼瑛は軽く肩をすくめる。

「すでに情報を得てらっしゃる? もっぱらの噂というと、真実は違うと仰るのですか?」

 ふと、彼女の言葉に違和感を覚え、彼は重ねて問う。

「逃げ出す必要はないと思いますが? あなたを討ち果たしたわけですから」

「確かに……不本意ですが、それは事実です。潔く事実を認め、報復措置をしてやろうと思っていたのですが、残念です」

 実に口惜しそうに、表情豊かに告げた後、青年は真っ直ぐに翡翠を見詰めた。

「案外、そのことに気付いて逃げ出したのかもしれませんね」

 くすりと笑った娘が、そう答える。

 本心からの言葉ではないことは一目瞭然だ。

 彼女から決して情報を得ることがことができないと踏んだ蒼瑛は、軽く肩をすくめると、戦局を見つめた。




 馬の背に跨り、剣を片手に戦場を駆け抜ける瞬間は、例えようもない高揚感を覚える。

 いつまでも、ずっとこのままでいたいと願うほど、風と一体となる瞬間は心地良い。

 そして、それとは別に、この目の前の敵をどうしても叩き潰さねばならないと、彼は感じていた。

 信頼できる友であり、部下でもある犀蒼瑛を傷つけたこともあるが、何より翡翠の心を傷つけた罪は重い。

 表面上はいつもどおり変わらないが、熾闇は気付いていた。

 あの聡明で穏やかな性格の従妹は、人ならぬ力を持っており、それを使うたびに心が傷ついているということに。

 颱の民の翡翠への絶対的な信頼は揺ぎ無いものである。

 例え彼女が人にはない力を振るったところで、彼女が『綜翡翠』であるからという理由だけですべてが受け入れられる。

 神への信仰にも似た盲愛的な信頼を翡翠は信じられないでいるのだ。

 例え、翡翠が何者であったとしても、誰も、何も構わないと思っているのだが、本人はそうではないらしい。

 だからこそ、彼女はその力を使うことを極端に厭い、滅多なことがない限り振るおうとはしない。

 その『滅多』なことが昨日起こり、蒼瑛を救うために力を振るった翡翠は本人は自覚していないだろうが、とても悲しそうであった。

 熾闇では理解しがたいほど、翡翠は複雑にできている。

 しかしながら彼でもはっきりと理解できたことがあるのだ。

 それは昔から、翡翠が人とは違うことを極端に厭っているということだ。

 神童、天才。

 余りある才能をその一身に受けて生まれてきたことをまるで恥じるかのように、彼女は目立つことを控えていた。

 事情などわかりもしない子供であれば、当然のことながら反駁も強かったことだろう。

 熾闇の傍にいるために、翡翠は最大限の苦労を強いられたに違いない。

 そのことに気付いたとき、翡翠に済まないことをしたと彼は思った。

 だが、それを負い目に思うことはなかった。

 なぜなら、翡翠は望まぬことを押し付けられて、おとなしくそれを受け入れるような性格をしていなかったからだ。

 それゆえにかけがえのない宝を手にした喜びを決して愚かな振る舞いで無にしてはならないと、身を引き締め、役目に務めてきた。

 小隊長から徐々に位を上げ、王太子府軍の総大将に任じられてかなり経つ。

 それは、彼がただの飾りではなく、自力で掴んだ彼自身が選んだ居場所だからだ。

 この場所で翡翠とふたり、いつまでも国のために力を尽くすことが、熾闇の望みであった。

 翡翠が自分の手を離し、他の誰かの手を取るまで、大切な親友を守り抜くと決めた第三王子の姿を見た者が、彼こそ王に相応しいと思ったところで、彼には関係ないことである。

 決めたことを貫き通す。

 そのためにはどんな努力も惜しまない。

 だからこそ、この敵は遠慮なく叩き潰すと、彼は覇気を漲らせた。


 前衛で全軍を指揮する総大将の姿に、将達は称賛の眼差しを送る。

「伝令! 右翼、左翼、共に広がるよう伝えよ。綻びが生じたように見せかけて押し潰せ」

 前日からのやり取りで、第三王子が激怒していることは知っている。

 だが、決して感情的にならず、冷静に冷徹に相手の動きを見定め、的確な指示を下している。

 あれほどの激情を内に秘めながら、それを綺麗に押し殺すことのできる意志の強さに驚かされてしまう。

 幼い頃から見てきた者たちも、毎回の如く新鮮な感動を覚えるようだ。

 当然のことながら、間近でその采配振りを目にした韓聯音は王子が纏う覇気に畏怖すら覚え、軽く目を瞠る。

 普段は何もさせてもらえないと子供のように駄々を捏ね、頬を膨らませる若者とは同一人物には見えなかった。

 一般的に、王族が大将を務める場合、お飾りの方が多い。

 だが、熾闇は違う。

 そのことは重々承知していたはずなのに、あまりにも桁外れの才覚に総毛立ちそうになる。

 彼の従妹も信じがたい技量と天賦の才を持っている。

 ふたり寄り添う時は、互いが互いの才を邪魔しないよう、実力の半分も出さずに譲歩しあっているが、それぞれひとりになったときは存分にそれを発揮する。

 しかしながらそれでも十全の力を出しているわけではない。

 兵ひとりひとりはごく普通の凡人なのだ。

 その事をよく承知しているゆえに、彼らの力を引き出せるような策を用いている。

 あくまでも彼らは指揮官なのだ。

 ただの武人となったとき、遠慮なくその力を出し尽くせるのだろう。

 そうしてその餌食となったのが自分であることを韓聯音は思い出した。

 あの時見せた総大将の不可思議な気配。

 その気配と今の覇気が異なるようでいて非常によく似ていることに気付く。

 何処までも着いて行きたいと思わせる王者の風格を漂わせつつも、どこか人とは異なる気配を纏っている。

 聯音の視線に気付いたのか、ちらりと彼を見た第三王子がにっと笑う。

 いつもの若者らしからぬ男臭い太い笑み。

「暴れてくるか? 名を知らしめすには丁度良い相手だと思うが?」

 行って、手柄を立てて来いと、匂わせる若者に、聯音は愉しげな笑みを浮かべる。

「大将が暴れるんじゃなかったのか?」

「俺はいい。潰したい相手が見つからぬのでは諦めるしかなかろう? 雑魚には興味ないが、叩き潰すことには変わりない」

「……決定事項、ね」

 奇妙な気配を放つ男しか興味ないと言い切った熾闇の怒りは相当深いらしい。

 だが、それを他で憂さ晴らしする趣味はないというのは、かなり彼が上質な人間であるとわかる。

「それじゃ、ちょいと行ってきますか」

「万全の態勢で後援してやるから、安心して行って来い」

「了解」

 背中を預けても大丈夫な相手が、行けと促してくれるのだ。

 これ程安心できることはないと、頷いた聯音は己が与えられた一軍を率いて前へ向かう。

「名を挙げたい者は、韓将軍に続け! 軍史に名を連ねる機会だぞ、遠慮はするな。敵を叩き潰せ!」

 これまた上手に味方を煽る言葉をかける総大将に促され、士気を上げた兵たちは怒涛となって敵に向かった。

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