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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
17/201

17

 草原を吹き荒れる大津波は、剣戟の嵐へと変わっていた。

 陽光を鈍く弾く鋼が煌めき、赤い飛沫が飛び散れば、そこへ新たな血の海が築き上げられる。

「左へ散開しろっ!」

「喰らいつけっ!!」

 互いの展開に追いつこうと、将達が即座に命令を伝える。

 その中で、剣を振るう白い甲冑が一際眩く輝いた。

「どうしたっ! それでも草原一の屈強な羌の兵士達か!! その程度の実力で、我が颱を脅かそうとは片腹痛いわっ! おとなしく、羊でも追いかけているがよかろう」

 血に濡れた剣を掲げ、闇色の瞳の少年が、彼等を挑発するが如くに、羌の兵士の実力を一笑にふす。

「我が名は、熾闇! 颱国王第三子にして、王太子軍統率! 我が首を挙げようという者がおるなら、名乗るがよいっ!」

 そう高らかに名乗りを上げる熾闇に、羌の兵士達が殺到する。

 それを尽く打ち伏せながら、少年は苛立たしげに舌を打つ。

「ええいっ! 雑魚どもめが!! おまえ達を相手にしている暇なぞないわっ! 俺の首は高いのだぞっ!」

 自分を餌に、羌の女帝を釣り上げようとしていた少年は、望まぬ展開に苛立つ。

 この期に及んでまだ出てこようとはしない彼女に、訝しみを覚える。

 名だたる将達は、次々と颱の将達に討ち取られているというのに、まだ出てこないのだ。

 怯懦ではないはずだ。

 これだけの戦をしかけるほどの者が、この期に及んで怯えるわけがない。

 そうして、これだけの用兵を行えるはずがないのだ。

「……まだ、何かあるのか……まだ」

 剣を振るい、周囲に死体の山と血の海を作りながら、熾闇は小さく呟く。

 純白の鎧は、血飛沫で染め上げられ、真紅の鎧と化している。

 まだ身体も出来上がらぬ少年とは思えないその力量に、恐れをなす兵士も出てくる。

 物心ついて間もなくより、戦場に出ていた彼だからこそ、これだけの技量と度胸を持ち合わせているのだ。

 それを知る者は、意外に少ない。

 もう二つほど、山と海を作り上げた熾闇は、ようやく望みのモノが到着したのを知った。


 陽に照り映える紅玉の鎧。

 一目で女性とわかる豊かな弧を描くその将兵は、毅然と彼に顔を向けた。

 圧倒されるような覇気を持つ美女。

 野生の雌虎のような猛々しさを持ち合わせるその女性は、熾闇の記憶を刺激した。

「……おまえ……?」

「我が名は麗梨! 羌の大族長にして、帝! 颱国第三王子熾闇殿、その首、頂戴仕る」

 さして高くもない声が、朗々と響き渡る。

 待ち望んだ相手に、熾闇の顔に笑みが浮かぶ。

「よかろう……」

「その栄誉、わたくしが頂戴いたします!」

 二人の間に長槍が刺さり、熾闇の前に馬影が飛び出る。

 白緑の甲冑姿の翡翠が、己が投げた槍に手をかけ、引き抜くと、麗梨に向かって笑みを向ける。

「我が名は、綜翡翠! 綜家が末子、総大将熾闇の従兄妹にして乳兄弟。王太子軍軍師にして副大将! 羌が女帝殿、我が相手ではご不満か?」

 銀鈴の様な澄んだ声が朗々と名乗りを上げる。

「下がれ、翡翠! 俺の獲物だ!」

「なりませぬ!」

 怪我をしている少女に、少年は退かせようと命じるが、ピシリと鞭打つような厳しい声に逆に言葉を失う。

「敵総大将と言えど、相手は女性。女性に怪我を負わせたとあっては、我が君の誉れが地に落ちまする。ここは、翡翠にお任せを」

 痛いところを突かれた少年は、唇を噛み締めた。

「……ごきげんよう、お姉様。颱王宮の噴水でお逢いした以来ですね」

 馬を操り、そして麗梨の正面に立った軍師は、穏やかに話しかける。

「翡翠殿……やはり、あの時の御子か。妾を覚えておいでか?」

「はい」

「白虎神は息災であられるか? あぁ、神にそのようなことを尋ねては、不敬だな」

「白虎様におわしましては、何事もお変わりなくお過ごしにございます」

 目を細め、懐かしそうに問いかけた女帝は、剣を引き抜く。

「そなたにお相手願おうか。妾は、強いぞ?」

 ニヤリと太く笑う美女に、翡翠は小さく頷く。

「お相手、仕ります」

 左手に握った手綱を放し、両手に槍を構えた少女は、軽く馬の腹を蹴った。




 かつて、一度だけ相見えた神獣が告げた。

『人が地に根付き、栄をもたらすは女性の存在ゆえ。その女性を質にし、一時の平和を望むやり方は好まぬ。我が守護する国は決して外を望まぬゆえ、そなたを質にするは誤り。そなたは己が生国にて、国を栄えさせるが良かろう』

 その言葉で、羌と颱の違いを知った。

 守護神獣の存在ゆえに大国たる颱と、風に吹かれ気の向くままにその日暮らしをする羌の、その絶対的な違い。

 あまりにも美しい白い獣に心を奪われた少女は、傷心のままに帰途へついた。


 その日より、どれだけの時が流れたのだろうか。

 目の前にいる若武者は、その白き神が最も愛する子供。

 麗梨が憧れ続けた存在である。

 すべてを終わりにし、この命を果てさせるに最も相応しい舞台と相手が揃った。


 満足げな笑みを浮かべ、半月刀を振り下ろせば、相手もさるもの、難なくそれを受け止め、弾き返す。

 騎馬の民羌族の戦士が舌を巻くほど、見事な乗馬術である。

 脚だけで馬を巧みに操り、槍を繰り出す。

 熟練したその腕前は、彼女が見た目通りの子供ではないことを示している。

 おそらくは、何度も死線をかいくぐり、そうして生き延び、勝利してきたのだろう。

 年上ゆえに、自分が力や技で勝っていても、それ以上に圧倒的なモノが相手にはあると、麗梨は思った。

 己の信念の下に命を懸け、そうしてその目的を果たそうとする者だけが得られる運を確かに彼女は持っていた。

 自分が信じるもののために戦っている翡翠は、地に生きる生物として羨ましいほどに美しい。それは、彼女が心を奪われた白虎神に通じる美しさだ。

 それに比べ、自分や羌族の男達、この手で殺した先帝は、己の欲にまみれ、醜い。

 とても見苦しい生き物だ。

 羌のために害となるような生き物ならば、この美しい獣達の餌になりたいと、麗梨は純粋に思い、そうして剣を振るう。

 今まで奪ってきた財は、すべて羌の女達の下へと送った。

 忠臣と言われる者達は、不興を理由に彼女達の許へ帰した。

 彼等さえいれば、国として成り立たずとも、羌の血は永久に続くだろう。

 きっと、颱の者達は、ここに果てる賊を追い払いさえすれば、それ以上は攻めては来ないはずだ。

 彼等が奥地で細々と暮らしていけば、血が絶えることはない。

 望みはすべて叶うのだ。

 笑顔を浮かべ、麗梨は剣を交えながら、その最後の時が来るのをひたすらに待った。


 ぶつかり合うのは、剣と槍。

 だが、それ以上の気迫でもって、二人の戦いはその場を制していた。

 小競り合いはまだ続いているが、それも颱の圧倒的有利で終結を向かえている。

 どこか楽しげな笑みを浮かべる羌女帝麗梨と、厳しい表情の颱王太子軍副将翡翠。

 力では圧倒的に麗梨の方が有利だが、技の見事さでは翡翠の方が上のように見える。

 相手の力を上手く受け流し、そうしてそれを返して攻撃する軍師に、颱国軍の兵士達も驚嘆の視線を向けていた。

 戦場に立ちながらも、軍師として全軍の動きを見つめるために、前線で剣を振るうことが少ない少女のその技の見事さに、同じ戦士として尊敬の念を素直に抱く。

「……翡翠……」

 だが、常にその傍らで戦ってきた少年だけは、彼女の傷を心配し、つらそうな眼差しを向けている。

 少しでも異変があれば、自分が出るつもりで、剣の柄を握り締め、勝敗の行方を追っている。

「熾闇殿」

 その肩を軽く叩く者がいた。

「……蒼瑛」

 後衛にいたはずの犀蒼瑛が、呑気な表情で彼の傍にいたのだ。

 一瞬、何事かと熾闇が思ったのも無理はない。

「おまえ、後衛は……?」

「仕事がないので、お散歩です。控えの者が優秀でねぇ、私がおらずとも、立派に凌げるのですよ。それで、見物に」

 にっこりと笑みを浮かべて言う男に、熾闇の表情が歪む。

 怒鳴りたいのだが、この男がそう判断したのなら、後衛は確かに大丈夫なのだから、怒鳴ったところで損するだけだということを、理解しているせいもある。

「おまえ、な……」

「羌の美女を後学のために拝見しに参りました。あちらが、そうですか……なるほど。これはすごい美女ですな。さしずめ雌虎と言うべきか……私の軍師殿が迫力の点ではいささか不利でござるな」

 うんうんと何やら頷きながら呟く蒼瑛に、熾闇はがっくりと肩を落とす。

「誰が……」

 一体、誰が誰の軍師なのか、しかも、何の話をしているのかと、少年は頭を抱える。

「軍師殿は大丈夫でござるよ。あの方は、殿下の御為に剣を握られておられるのでしょう? ならば、信じなさい。それもあの方の策なのだと」

「策? だが、その策も怪我をしていれば、役に立つまい!」

 悲鳴にも似た声で熾闇が叫ぶと、蒼瑛は艶やかに笑った。

「ご覧なさい。軍師殿の勝ちです」

 そう言って、指差すその先では、馬から落ちる麗梨の姿があった。

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