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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
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「犀将軍が! 敵将と切り結んでおられます!!」

 兵の声に一瞬、本陣に緊張が走り抜ける。

「蒼瑛!!」

 親友が剣を向けている相手が何者かを悟った嵐泰が、己の剣の柄を握り締める。

「あの阿呆が!!」

 思わず叫んだものの、後先考えずに飛び出すような男ではない彼は、剣柄から手を離す。

 この距離では助けに行っても時間がかかるし、何よりも、敵より蒼瑛の腕のほうが上であることを見て取れた。

 親友の力量を疑う余地はない。

 ならば、信じて待つのみと、そう判断した嵐泰の傍で別の判断を下した者がいた。

「莱将軍、犀軍の撤退支援のために出てください。何が起こっても、攻め入らぬこと。いいですね?」

 穏やかな笑みを湛えた軍師の言葉に、莱公丙は即座に反応する。

「承知! 軍師殿の仰せのままに」

 戦場に出たくてうずうずしていた公丙は、にっかと笑うと、踵を返し、己の軍を率いて前線へと向かう。

「何故、撤退支援などを申されたのですか、軍師殿?」

 莱軍が駆け抜けていく中、利南黄が不思議そうに問いかける。

 そのとき、悲鳴にも似た声が突如上がった。

「犀将軍が負傷!? 何だ、あの光は!!」

 ほんの一瞬のことであった。

 閃光が走り、馬上の蒼瑛がゆっくりとした動きで落馬する。

 ありえないことだった。

 まさしく、光が生まれ、その光が消えたと同時に蒼瑛が血を吐いて身体を宙に泳がせたのだ。

「軍師殿!?」

 状況説明を求めるかのように、一斉に翡翠に視線が集まる。

「蒼瑛殿のことはご心配なさらずとも大丈夫でしょう。戻りましたら、わたくしが傷具合を確かめますゆえ。公丙殿が間もなく到着されます。何も問題となるようなことはございませぬ」

「しかし……」

 心配そうな表情で笙成明が呟く。

「あれは、幻術の類だと申し上げれば、安心してくださいますか? 幻とはいえ、それを心が真と思えば傷を負うたと感じましょう。明日からの戦、心せねばなりませぬ。皆様、よろしいでしょうか」

 涼やかな声が凛として響く。

 その言葉に男たちは表情を引き締めた。

「承知!」

「それで。何か、策はあるのか? 翡翠」

 のんびりと、この場の緊張感にそぐわないほどのんびりとした口調で、熾闇が問いかける。

「ございます。明日までに、手を打ちましょう。幻術の類は、場と術者、このふたつが揃わねば効力を発揮いたしませぬゆえ」

「うん、任せた。向こうの奴等は、蒼瑛を討ったと浮かれておるだろうな」

 あっさりと頷いた若者は、世間話でもするかのように呑気な口調を保ちながら何気なく話す。

「好機を得たな。明日は存分に皆に働いてもらおう」

 にやりと笑った熾闇の表情は、獰猛な虎そのものであった。

 幻術などの騙し業を卑怯と捉える彼は、どうやら猛烈に怒っているらしい。

「徹底的に潰してやる」

 直情型に見える熾闇だが、本気で怒ったときはそれを通り越して冷静になるらしい。

 逆上している間はまだましだが、ここまで冷静に怒っていると宥めの言葉も諌めの言葉も無駄なものになる。

 余計なことをしでかした相手を気の毒にすら思いながら、聯音はこれからどう出るのか興味深げに王子を眺める。

 弟王子達も滅多に怒らぬ兄の様子におろおろとしている。

 その中で動いたのは、やはり翡翠であった。

 熾闇の背中をぽんっと軽く叩き、驚いた第三王子が従妹の顔を見ると、彼女は何も言わずににこりと微笑む。

 ただそれだけであった。

 一瞬、惚けたように従妹の顔を眺めた王子が瞬きを繰り返したあと、いつも通りの呑気な気配を取り戻す。

「では、わたくしは蒼瑛殿の傷具合を診てまいります」

「あ、うん」

 艶やかな黒髪をまるで外套のように翻し、歩き去る軍師を見送った熾闇は、武将達の方へ視線を向ける。

「俺たちも引き上げるぞ。蒼瑛の傷の具合を聞いてから、明日からの策を練りなおそう」

 先程の獰猛さの欠片もない呑気な表情で告げた第三王子は、何事もなかったかのように本陣の天幕へと歩き出した。




 思わぬ重傷を負った犀蒼瑛は、彼の天幕へと運び込まれ、従者達が慌しく医師の手配に追われていた。

 そこへ現れた綜翡翠の姿に、年若い従者達は今にも泣き出しそうな表情で彼女を見つめる。

「碧軍師……いえ、綜将軍! 主将は……」

「えぇ、わかっております。傷はわたくしが診ましょう。あなた方は湯と衣装の用意をなさいませ。何の心配もいりません。落ち着いて、でも、急いでなさい」

「は、はい!」

 美姫の極上の笑みに見送られ、従者達は急いで言われた仕事に取り掛かる。

 それを見送った翡翠は、天幕の奥へと足を運んだ。


 寝台の上、浅い呼吸を繰り返す美丈夫は、人の気配に目を開ける。

 腹部は真っ赤に染め上がり、無残に衣装は裂けている。

 それでも苦悶の声ひとつ上げず、表情すら歪めぬのは生来の矜持の高さゆえか。

「蒼瑛殿」

 やや低めのしっとりとした声が彼の名を呼ぶ。

「……これは……軍師殿にあらせられますか……申し訳ない。下手を打ちました」

 掠れた声が自嘲する。

「女性の目には些か無残に映りましょう……どうか、あちらへ……」

 己の無様な姿を見せたくないと、青年は首を横に振り、拒否する。

「軍師としてではなく、医師としてまいりました。その傷、消して差し上げましょう」

 そう告げた翡翠は、遠慮なく彼の枕許へと添う。

 袷に手をかけ、そっと袍をめくれば、その手を押さえるように蒼瑛の手が触れる。

「このような場面でもなければ、素直に嬉しいと申し上げられたのですが……無念です」

「冗談が言えるようでしたら、大丈夫ですね」

「えぇ。痛みで気絶しそうですが……敵の軍師、人ではありませんでした……」

 その言葉を聞きに来たのだろうと察した男は、何とか呼吸を整え言葉を紡ぐ。

「あれが神族と言うのなら……神とは、一体何なのでしょう……ただの長命種としか……思えない……」

「えぇ、そうですね。滅多に死することのない特殊能力を持つ、人とあまり変わらぬ種族なのでしょう。絶対的な存在ではないのかもしれません」

「あれは……あなたを狙って……います……あなたを消し、そして……その向こうの、何かを……得ようとしている……」

「蒼瑛殿、大丈夫です。静かになさってくださいませ」

 そっと蒼瑛の唇に指を当てた翡翠が、彼の言葉を封じる。

「だが、私の命は……」

「散らせませぬ。わたくしが来ましたゆえ……目を閉じて、ゆっくりと大きく深呼吸してくださいませ」

 穏やかに微笑み告げる翡翠の言葉に、蒼瑛は苦笑する。

「美姫のお言葉は絶対ですね……素直に信じたくなります」

「えぇ。信じてくださいませ。これは、幻術の類、解呪いたしますゆえ、目を閉じてくださいませ」

「……わかりました……」

 言われるままに目を閉じた蒼瑛が、ゆったりと呼吸を繰り返す。

「そのまま、楽にしていてください」

 一言声をかけた翡翠は、傷口の上に手をかざす。

 幻術の類だと皆には言ったが、これは現実の傷である。

 神力でつけた傷は、神力で癒すことができる。

 否、次代天帝となる麒麟を護りきる力を持つ麒麟の守護者は、天帝以上の神力を持ち、主にそれは防御で発揮される。

 すなわち、癒すということにかけては、守護者以上の力を持つ者はいないのである。

 その能力を遺憾なく発揮するため、敢えて幻術をかけられたのだと偽りを口にしたのだ。

 傷口に触れるか触れないかの場所で、なぞるように手を動かす。

 ただそれだけで、始めから何も無かったかのように傷が癒える。

 しかし、癒さなかった怪我もある。

「もう宜しいですよ、蒼瑛殿」

 優しさに満ちた声で青年の名を呼んだ翡翠は、視線が合うなり済まなそうな表情になる。

「幻術を解きましたが、落馬した怪我は……」

「実際に落ちたのですからね、痛みは取れないでしょう」

 苦笑した蒼瑛は、それでも晴れやかな表情を浮かべる。

「本気で泰山に昇るかと思いましたから、それに比べれば遥かにマシです。落馬したとは、情けない話ですが」

 背中の痛みに僅かに顔を顰めたものの、上体を起こし、傷口を眺めて目を丸くする。

「傷が無い。まぁ、幻なら、それも当たり前でしょうが……服は見事に破れてますね、血も着いている」

「それは、身体が幻を事実だと思い込んでしまったせいです。解呪したので、傷は消え、傷が無いゆえに血も流れぬと身体が理解したのです」

「……となれば、最悪、失血死がありえたと?」

「はい」

 実にあっさりと頷いた翡翠に、蒼瑛は何とも言えぬ表情を浮かべる。

「従者に湯と着替えを用意させております。血が足らぬのは事実ですから、しばらくは安静になさいませ。羹でも運ばせましょう」

「しかし、殿下に報告をなさねばならぬでしょう」

「休んでからで結構です。熾闇様は蒼瑛殿の元気なご様子に安堵なさいましょう」

 そっと肩に触れ、寝台に横になるように促す翡翠に、蒼瑛は問いかけるような視線を向ける。

「あなたは、姫君? 幻術を解くのは非常に難しいと聞いたことがあります。あなたも疲れたのでしょう? 無理をしては……」

「まるで嵐泰殿のようなことを仰いますね。さすがはご親友」

 くすっと笑った娘は、可愛らしく小首を傾げる。

「ありがとうございます、蒼瑛殿。ですが、大丈夫なのですよ。わたくしは疲れてはおりませぬ。わたくしも天界の血を持っておりますから」

「白虎様の……」

「はい。こういうときはありがたいものですね、天界の血というものは。もちろん、無茶をする気は毛頭ございませんが」

 便利なものだと嘯いた翡翠は、従者の声に振り返る。

「お入りなさい。蒼瑛殿のご仕度を任せましたよ。では、わたくしはこれで」

 蒼瑛に頷いた娘は、従者と入れ替わるように彼の天幕から立ち去った。

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