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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
165/201

165

 世界とは、単純なようでいて複雑でもあり、だが実際にはやはり単純なものかもしれないと、颱の第三王子は草原を眺め、そう思った。

 ほんの数日前、乳兄弟でもあり従妹でもある娘への想いを自覚して以来、彼の知る世界は変わってしまった。

 自分の視界に従妹が映るか映らないか、ただそれだけで輝きが違ってしまうのだ。

 現在、彼の視界には軍師たる従妹が様々な情報を受け取り、そして瞬時にそれらを判断して指揮を取る姿が映っている。

 いつもの、見慣れた光景。

 だが、風に黒髪が揺れ、光を弾き、虹色に輝く様を眺めるだけで、心穏やかになれる。

 やや低めの、しっとりとした声が例えようもない柔らかな響きを含みながらもてきぱきと指示を与える。

 彼の視線に気付いたのか、ふと振り返った翡翠が熾闇と視線を合わせ、にこりと微笑む。

 そこでもう少しおとなしくしていてくださいと、その視線が雄弁に語っている。

 いつも通りの仕種である。

 しかしそれだけでも、心浮き立つ。


「……生きてる、んだなぁ……」

 その笑顔の感想は、意外すぎる呟きであった。

「誰が、生きておられるのですか?」

 不思議そうに背後から声がかけられる。

 まるで宮廷内にいるかのように身支度だけは常にこざっぱりと整えている美丈夫が、困惑したような表情を作って問いかけている。

「あー……翡翠?」

 思わず呟いたものの、何を思って呟いたのか、まったく理解していなかった熾闇も困ったような表情で答える。

「縁起でもないことを。あんなに躍動感溢れた美しい死体があってたまるものですか。彼の方の美を愛でるのなら、納得もいたしますが、生を安堵するのだけはやめてください。生とは寿ぎ慶ぶもので、決して安堵するものではありません。そんなことをするのは、じじいで充分です」

 さり気に無礼千万なことをさらりと告げた犀蒼瑛は、真顔で主を窘める。

「そーだよなぁ。何で、俺、あんなに嬉しかったんだろう? 違って良かったって思ったんだよなぁ」

 自分の内に隠された記憶と想いを知らずにいる若者は、己の違和感について首を傾げている。

「……昨日、嫌な夢を見たとか?」

 普段の彼を知る蒼瑛は、とりあえず聞いてみる。

 誰がどう見ても爆睡するような人間に見える熾闇が、嫌な夢など覚えているはずもないだろうと無意識に思ってしまうから不思議である。

「夢? 夢は見ないな。よほどのことがない限り、戦場ではすぐに起きられるようにしているからな」

「まったく、その通りですな」

 実に真面目に答えてくる王子に、青年は半分呆れながら頷く。

「それより、気になることがあるんだが……」

 闇色の瞳に真摯な光を浮かべて告げる若者に、蒼瑛は首を傾げて応じる。

「以前から、確かにそういった傾向はあったが、最近特に翡翠を狙う輩が増えていると思わないか? 以前は、どちらかというと翡翠を手に入れようという感じだったが、今は、翡翠の存在を消してしまおうという感じが強い。翡翠はその理由を知っているようだが、誰にも話そうとはしないし」

「そういえば、確かにそのような感じを受けますね。燕との戦では、あからさまに軍師殿を狙っておいででした。まぁ、返り討ちというよりも先手必勝で……はて? 妙ですな」

 確かにおかしいと、頷いていた蒼瑛が眉を寄せる。

「今になって言うのもおかしな話ですが、何故、軍師殿はあのような策を取られたのでしょうか? あれは、まさに鏑矢……何に向けての宣戦布告だったのでしょうか」

「俺に聞くな。翡翠は俺には決して話さぬ。ただ……燕の軍師、人ではなかった。おそらくは、神族だ」

「神族!?」

「別に不思議は無かろう。天界の血を持つ者は、意外と多いぞ」

 驚く蒼瑛に、熾闇はあっさりとした口調で答える。

「上将、何故、相手が天界の血を持つということがおわかりになるのですか?」

 至極最もな質問を蒼瑛は口にする。

「匂いが違う。ただそれだけだとしか、言いようがない。嵐泰にも、多分、わかるだろう」

「……それも、王族の血というヤツですか」

 納得したのかしなかったのか、ぼそりと呟いた蒼瑛は、主を見やる。

「さぁな」

 曖昧に答えた第三王子は、従妹に視線を向けたままだ。

 それゆえ、蒼瑛はその言葉の意味を問い詰めることなく、そうして熾闇も自分自身の中にある違和感に気付きもしなかった。




 背中がむず痒くなるほど、真っ直ぐで熱心な視線を感じる。

 それが、唯一無二の絶対な主からのものであると気付いた翡翠は、かすかに苦笑した。

 何を感じ取ったのかはわからないが、じっとこちらの様子をつぶさに窺っている。

「何かあったのでしょうか? 軍師殿、上将がこちらを見ておられるようですが……」

 視線に気付いた笙成明が、不思議そうに問いかけてくる。

「何もないから、見てるんだと思うがね、俺は」

 楽しげに笑った韓聯音がからかうように、だがきっぱりと宣言する。

「おそらく、な。まぁ、蒼瑛が隣にいるので心配することはないと思うが……ろくでもないことを言い出しかねんな、あの男は」

 年上の親友を酷評する嵐泰が、渋い表情で告げる。

「大丈夫ですよ、嵐泰殿。蒼瑛殿の茶目っ気は、ある種の気分転換のようなもの。本当に注意すべき時ではありませんもの、愉しませて差し上げなければ」

 くすりと笑った翡翠は、気苦労の多い心配性の青年にそう答える。

「それに、殿下はこちらを見ているのではなく、ただ眺めているだけのようです。今日は天気が好いとか、景色が綺麗だとか、平和だなぁなどと考えておられるのでしょう。このまま暇を持て余しだすと、早く戦になればいい、または今回は出番があるといいなど、少々物騒なことを考え始められるのでしょうね」

 一切、背後の熾闇を見ることなく、娘は主を切り捨てる。

 普段の第三王子を知る武将たちは、まさしくその通りだと苦笑を浮かべる。

「本当に軍師殿は、上将のことをよくご存知ですね。生まれたときからの付き合いとなれば、お互いの姿を見ずとも、そこまで悟れるものでしょうか」

 成明が少しばかり羨ましげに言う。

「さぁ……生まれたときから傍にいたとしても、やはり自分自身ではなく、別の人間なのですから、わからないことの方が多いかと思います。ただ、三の君様は、あの通り、誰が見てもわかりやすい素直な性質の方ですから……」

「確かに……隠し事は苦手でいらっしゃる」

 幼少の頃の熾闇を知る嵐泰は、笑いを噛み殺し、重々しく頷く。

「あれでも、随分マシにはなりましたけれどね」

「然り」

 困ったように笑う翡翠と嵐泰を見比べ、聯音が納得したように頷く。

「しっかし、あれだけ真っ正直で今までよく生きてこれたなー、あの王子は」

「颱だからこそ、でしょうね。母の家柄や生まれた順番で王位継承権が決まる他国とは異なり、我が国では神意による選定が基本ですし、何より、王家の血を持つ者に平等にその資格が与えられるのなら、後は本人の性質が問題となるのですから、人として真っ直ぐに育つよう御妃様方は常に腐心していらっしゃいます。民のために役に立つことが王族の務めなのだと、一番最初に母から教えられるのです。王家の血を持つ者は民によって生かされているのだと。国のためではなく、民のため。国の財が富むのではなく、民の心が富むように、己の心を育てなさいと、わたくしも母から教えられました」

「あぁ、あんたの御袋さんは、確か、王の妹さんだっけ?」

「はい」

「なるほどなぁ……確かに、そういう育てられ方をすれば、こういう上等な人間が育つわけだ」

 感心したようにやたらと頷く聯音は、本気でそう思ったらしい。

「わたくしは、上等な人間ではありませんよ。上等な人間というものは、己の手を血で染めることも、人の手を血で染めることも致しません」

 ゆっくりと首を左右に振って否定した翡翠が笑みを浮かべる。

 凄みすら感じさせるその笑顔に、一瞬、男たちは息を呑んだ。

「歩兵のいない騎馬の民同士の戦、動きの速さが勝負の分かれ目になります。皆様、油断なさらぬよう」

 いつもの通り、穏やかな表情になった碧軍師が言葉を切り上げる。

「軍師殿! 燕との戦のように、また、あの得体の知れぬ者が現れるのでしょうか?」

 その場を離れようと動きかけた翡翠の背に、成明が問いかける。

 足を止めた娘は、肩越しに振り返り、そうして真っ直ぐに彼を見つめた。

「さて、いかがなものでしょうか? 人の世では、人同士が戦をするのが理。人外の介入は三界の理では認められておりませぬ。それでもなお、介入するのであれば、即座に退場願うべきでしょうね」

 あの時と同じようにとは言わず、黒髪の美姫は柔らかく目を細める。

 その笑みだけで、成明は言葉を失った。

 告げたいことがあったはずなのに、それが意味を成さないものになってしまう。

「三日後が初戦となりましょう」

 囁くように告げた翡翠が踵を返し、艶やかな黒髪がその動きを追いかけるようにふわりと舞う。

 光を弾いたその残像に視線を奪われた彼らは、気付けば綜家の末姫の姿が消えていることに愕然としたのであった。

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