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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
163/201

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 一足先に城に辿り着いた翡翠は、綜碧の装いを解き、いつもの彼女へと戻っていた。

 綜碧のときに内側から滲み出る守護者の気配も、今はない。

 艶やかな黒髪を指先で梳き、文官として会議に出席しようと戸口に向かったとき、窓の桟に梅枝が置かれているのに気付いた。

 淙の故事に因んで、彼女を慕い仕える影達が主との連絡に梅が枝に結び文をつけて知らせを伝えているのだ。

 新しい頭である魁は、若いながら非常に有能で、翡翠が細かく命じずとも彼女の欲するところを察し、完璧に要件を満たしてくれる。

 彼らの一番の任務は、各国の動向を事細かに調べ、分析して、主へ伝えることである。

 今回も、その知らせを運んできたのだろうと、文を手に取り目を落とした娘は、軽く顔を顰めた。

 現在、西の地は、羌が滅びた後、群雄割拠となり小国が小競り合いを起こしている。

 己の利権を追い求める彼らが、西を征し、颱へ目を向けるのはまだ数年先のことだと誰もが予想していた。

 だが、その争いを横目にし、先に颱へ仕掛けようとする国が出てくるということを考えた者は、僅か数名しかいなかった。

 かつて羌の騎馬軍団は西の地では最強を誇っていた。

 部族長である女帝を失い、散り散りになった小部族の生き残り達がそれぞれに国を作り、今に至っている。

 予想が付いていれば押さえ込める相手だが、不意を突かれれば怖ろしい相手に違いない。

 それゆえ、羌の女帝が昇仙し、飛天となって再び西の地に戻るまで、何としてでも西の安寧を護るつもりであった。

 それが破られた。

 理由は以前の燕と同じ。

 素性の知れぬ他国の者がやって来て、長の傍近くに仕え、颱との戦を囁いたのだ。

 騎馬での戦いには引けを取らぬ、互角以上に戦ってみせると、己の力を信じる彼らは、その男の甘言に乗ってしまったらしい。

 西の安寧と、主の平穏を乱す輩は決して許さぬと、酷薄な表情を浮かべた娘は、結び文を懐に納め、部屋付の小姓に武将達の召集を告げ、今度こそ部屋を出た。




 太政官左大弁、従四位上──それが翡翠の官位である。

 執政官としてはそれこそ出世街道をまっすぐに走っているといっても過言ではない。

 同じ年の官僚達は、やっと五位に上がったところだろう。

 しかも、翡翠は秋の叙目では三位に上がることが決まっている。

 将軍位としては異例の三位を授けられている。

 年齢からして異例ということであって、彼女の実力が不足しているという意味ではまったくない。

 今まで、一兵卒として、また軍師としても、彼女の実力は過不足なく発揮されている。

 政治の面ではどうか。

 誰もがそう思うところだが、彼女が提出した報告書の内容においては、まったく非の打ち所がなかったと、太政大臣が感歎の溜息を吐いてそう述べた。

 これが男であったなら、官僚として最高位まで最年少で昇りつめることが容易であっただろうと、誰もが口を揃えて告げる。

 女であれば、駄目なのかといえば、そうではない。

 望みさえすれば、上に立つことができる。

 男の場合は、望まなくとも押し付けられる。

 ただそれだけの違いである。

 実際、翡翠は己の官位にあまり執着は見せてはいない。

 己に与えられた権限をしっかりと把握し、その中で己の仕事をきちんとやり遂げるだけである。

 それは型に嵌った形式的な仕事ではなく、何を必要としているのか、何を為せばいいのかを調べての仕事なのだ。

 それゆえに、武官としての任務をこなす彼女が、文官の会議に出席できなくとも、皆、何も言わない。

 己がすべきことを為せばよいという、颱独特の考え方に基づいて、彼女が自分のすべきことを為していると知っているからだ。


 政治を司る官僚たちの会議には、右大臣である父は勿論、中納言の次兄も出席する。

 己の席次を確認し、席に着いた翡翠は、後から来た人物に軽く肩を叩かれた。

「……中納言様」

 柔らかく微笑む青年が、偲芳であると気付いた翡翠は、立ち上がり兄に礼を施す。

「堅苦しい真似を兄妹でするものではありませんよ、翡翠」

「公式の場でございますゆえ」

「父上以上に頑固ですね」

 くすっと笑った偲芳は、妹の顔を覗き込む。

「その顔は、何かありましたね?」

「おわかりになりますか」

「もちろん。そなたの兄ですからね」

 すっかり短くなった翡翠の髪に指をくぐらせた青年は、真顔で頷く。

「また、嵐が起こるのですか?」

「はい。おそらく、ひとつではございますまい。いくつもの波濤が押し寄せ、颱を呑み込もうとするでしょう」

 もう間もなく、父達にも知らせは届くはずだと知っている翡翠は、素直に答える。

「ですが、わたくしはそれを望みません。すべての波を切り裂き、砕き、必ず守り通します」

「そなたが決めたのなら、それはそうなることでしょう。だが、翡翠。忘れてはなりません。そなたひとりが矢面に立つ必要はどこにもないのです。そなたは、綜家のひとり。一族皆、そなたを護ろうと力を尽くすことでしょう。兄の力を使いなさい。政と武、そのどちらも我が綜家にはあるのです。つまり、そなたの手に、常に委ねられているのですよ」

「……兄上、それは……!?」

 次兄が匂わせた言葉の内容を正確に読み取った娘は、驚いたように目を瞠る。

「季籐兄上も私も、そなたには甘いということです」

 にっこりと極上の笑みを浮かべた偲芳は、妹を軽く抱き締めると、すぐに離れ、己の席へと向かった。


 既定通りの会議の後、左大弁は、西域の不穏な情勢を伝え、緑波軍への応援を提案した。

 その直後、緑波軍より西の国境を付近に向かってくる騎馬影の報告が火急の知らせで届いた。

 風雲急を告げるその動きに、不穏な臭いを感じ取った彼らは、即座に増援の命を報じ、他の国境警備にも喚起を促すことで一致する。

 今年五度目の戦が始まろうとしていた。

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