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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
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 身動きひとつ取れず、思考まで固まってしまったかのような若者だが、その内面は物凄い勢いで葛藤していた。

(……なんで、翡翠の顔が……想う御方って、違うよな。まだ、誰も好きになってなんか……そりゃ、翡翠は特別だけど)

 ぐるぐると見事に迷路に嵌ってしまい、見つからぬ出口を彷徨う若者は、以前にも同じような想いを抱いたことを思い出す。

(あの時は、翡翠に触ることができなくて、かなり長い間笑われたっけ……今は大丈夫だけど。でも、何で俺は苦手だと思ってた楼閣に足繁く通ってたんだろう? 春琳の琵琶の音か……琵琶なら、翡翠の方がやっぱり上手い。春琳の瞳の色は、翡翠の色とよく似ているんだよな。あぁ、だからか……)

 ひとつの答えをようやく導き出し、熾闇は納得する。

(翡翠と同じ瞳で、あんな風に見て欲しかったんだ……身代わりのつもりじゃないけれど、寄せられる感情が気持ち良かった)

 対等な親友である綜碧の視線と、自分を慕ってくれる春琳の視線、そのどちらも欲しかったのだ。

 綜翡翠というたったひとりの人間から。

 彼女自身は決して与えてくれない。

 お忍びで男になり、綜碧と名乗るときだけ、綜紫苑を親友でただの従兄として扱ってくれる。

 だから、熾闇はお忍びが大好きだった。

 それと同時に、慕わしげな視線で見つめられたかった。

 自分だけが、彼女を守れる男になりたかった。

 いつもなら、そこまで答えが行き着く前に、あわあわと慌てふためき感情に蓋をしてしまう熾闇だったが、今回はすとんと落ちてきた想いを素直に受け入れる。

 そうして、彼はもうひとつ気付く。

 翡翠が宝玉の帯止めを春琳に贈ったのは、彼女の想いを知っていたからこそ。

 彼女が慕わしく思う男が、実はこの国の王子であり、彼を傀儡にしようと望む他国から琵琶太夫を守るためにいつも身につけられる護符となるものを選んだのだということを。

 熾闇の想いがどこにあったとしても、この楼閣に足を運んだ事実はすぐにわかること。

 春琳を守ることで、熾闇を守ろうとした従妹のそつのなさに少しばかり口惜しくなる。

 従妹を護りたくとも、自分の方が護られている。

 どうしようもなく歯痒いが、追いつけない。

 それが、熾闇にはとても口惜しかった。


 身動きひとつせずに考え込んでしまっている熾闇を眺め、聯音は軽く視線を彷徨わせる。

 慣れないのは見てわかるが、これではどのような回答を出したところで華姫は納得すまい。

 おとなしやかに見えて、芯がしっかりした娘であることは、先程のことからしても明らかだ。

 この分では、二度と通わないと言い出しかねない純情な主に、どう事後処理をしたものかと頭を悩ませていたところ、当の主が派手に顔を上げた。


 何かが琴線に触れたと、若者は身動きする。

 新米武官の紫苑から、歴戦の武将の熾闇へと表情が一変する。

 酒を口にしていたはずなのに、酔いを感じさせない無駄のない動きで立ち上がった熾闇は、窓を開け放つ。

「紫苑様、如何なさいましたか?」

 突然のことに、女達が不思議そうに声をかける。

「……烽火だ。色は、緑……緑波軍からの知らせだ! 城に戻るぞ、韓将軍」

 常人にはとても判別しづらい距離の灯火台からの烽火を見て取った武将は、即座に部下に命じる。

「御意」

 素直に応じた聯音もすでに武人の顔だ。

「女将! 慌しくて申し訳ない。見ての通りの急用だ。おそらく戦になるゆえ、しばらくはこちらに足を運べそうにもない。無事に戻れたら、また通わせて貰っても良いか?」

 懐から包みを取り出し、女将の手に乗せながら若者は問いかける。

「えぇ、いつなりとも。御武運をお祈り申し上げておりますよ、紫苑様」

「すまぬ」

 短く謝罪した熾闇は、こちらをじっと見つめている可憐な琵琶太夫に視線を向ける。

「……春琳」

 低く名を呟けば、少女はびくりと肩を揺らす。

「今宵はそなたの願いを聞き届けるわけにはいかなくなった。無事に戻れたとき、改めてそなたの願いに答えよう」

 可憐な少女の瞳に、見る間に涙が盛り上がってくる。

「また、そなたの琵琶を聴かせてくれ」

「は、はい。紫苑様のご武運とご健勝を毎日、白虎様にお祈り申し上げます。ずっと、いつまでも、お待ちしております」

「うん。ありがとう。また来る」

 泣き顔を見せまいと、必死に涙を堪え、そして慎ましやかに床に手をつき頭を下げる太夫に、熾闇は笑顔を零した。

 素直に愛しいと思える少女。

 だがそれは、腹違いの妹達に向ける感情とまったく同じものであることを、熾闇は悟ってしまった。

 恋ではなく、肉親への愛に近いもの。

 きっと、誰にも彼女達が望む愛を与えることができないと、房を後にしながら熾闇は自己嫌悪に陥る。

 生涯、妻は得ない。

 幼い子供の頃、兄が王になると信じていたとき、何もわからずにそう公言していた。

 同じ言葉を、今も言える。

 だが、意味合いはまったく異なる。

 翡翠を得られなければ、誰も要らない。

 しかし、翡翠には自由に生きて欲しい。

 自分に囚われず、想うままに、望むままに遠くまで駆け抜けて欲しい。

 今まで失うことが怖くて、自分に縛り付けることばかりを考えていた。

 翡翠のためには、自分から手を放さなくてはいけないのだ。

 そうしないと、いつまででも翡翠は従兄のために傍にいて、自分を犠牲にし続けるだろう。

 だから、翡翠が安心して旅立てるように強く大きな男にならなければならないのだと、そのためには、己の宿命に抗い続けても構わないと、自分自身に誓う。

「……坊ちゃん」

 周囲に気を遣ってか、聯音がそう呼びかけてくる。

 綜家分家筋の御曹司という肩書きのまま、華街を後にした熾闇は、聯音に視線を向ける。

「何か、妙な気配が、付かず離れず追って来てるんだけど?」

「あぁ、大丈夫。翡翠の配下だ。護衛に残したんだろう。どうやら、ここを離れる前に、緑波軍の知らせの内容を把握したようだな。この分だと、俺たちの出番のようだ。韓将軍の手腕、余すことなく見せてもらおうか」

 若狼にも例えられる若者は、獰猛な笑みを忍ばせ、そう告げる。

「とにかく城に戻りさえすれば、翡翠が手はずを整えているはずだ。後は、文官の会議とやらが終わって翡翠が戻ってくるのを待てばいい。おぬしはな」

「へ? 坊ちゃんは?」

「城へは戻る。情報収集をして、現状把握をするだけだ。翡翠ばかりに負担をかけるわけにもいくまい」

 あっさりとした笑顔で答える熾闇に、聯音は少しばかり驚いたような表情を浮かべた後、満足そうに頷く。

「上の人間が戦況をしっかり把握して、下に伝えてくれる戦ほど楽なものはないからな。今回、楽しませてもらうぜ」

「働いてもらうぞ」

 顔を見合わせ、にやりと笑った主従は、城を目指し歩き出した。

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