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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
152/201

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 代々、王太子府を掌握するのは、地位に係わらず王の第一子か、または王弟の中で年長の者という慣例に従い、現在は熾闇が統括している──表向きは。

 実際はどうかと言うと、摂政の任に就いた第四王子紅牙が取り仕切っている。

 熾闇に統治能力がないというのではなく、単に王太子府に常駐していないからという単純な理由である。

 戦がなく、王宮に身を置いているときはとりあえず真面目に政務に就くようになったのは、つい最近のことであった。

 きちんと執務をこなし、本日の分は終了した王子は、ご機嫌な様子で親友の許へと向かう。

「翡翠、いるか?」

 窓の傍で手紙を読む従妹に、熾闇は立ち止まった。


 窓の外は光溢れ、木々の緑が青々と映りこむ。

 口許に穏やかな笑みを湛えた娘が、長い手紙を目で追っている。

 ありふれた光景なのに、心温まる美しい情景に映るのは何故だろうか。

 熾闇が憧れる平穏な日常とは、常にこの従妹が光の下で穏やかな笑みを湛えているところなのだ。

「……三の君様」

 視線を上げ、熾闇を見つめた翡翠がにっこりと微笑む。

「ちょうどよいところにおいでくださいました。今、火急の知らせが入ったところなのです」

「急ぎ? また戦か?」

 大事な親友の極上の笑顔につられて笑みを浮かべた熾闇だったが、瞬時に表情が引き締まる。

「えぇ。戦の話ですが、もう終わったことです」

「は?」

「先日、燕が三度、国境を越えてまいりました」

「何だと!? すぐに迎え撃たねば……終わった話と言ったな?」

 今にも身を翻し、招集をかけようと首を廻らせた第三王子は、ひっかる事を思い出し、振り返る。

「御意」

「……緑波軍が国境警備の巡回の任についていたな」

「御意」

 あくまでも素直に応じる従妹に、熾闇はしばし考え込む。

「早期発見をした緑波軍が、燕の部隊を抑え込んだということか?」

「御明察」

 にこっと笑った娘が力強く頷く様子に、若者はそれが正解ではないことに気付く。

「おまえ。燕が動くとわかっていて、緑波に指示を出していたのか?」

「はい」

 悪びれずに頷く親友に、熾闇は一気に脱力する。

「韓将軍が再び颱を襲ったのか……」

「いいえ。韓将軍は、将軍位を辞意し、退役した後、行方をくらませておいでです。今回攻め入ったのは、燕の王太子殿下率いる一軍であると。大将の首級を挙げ、燕軍は壊滅状態に陥り、敗走したとの事です」

 まさかと思い訊ねてみれば、予想外の答えが返ってくる。

「……王太子?」

「はい。熾闇様がお怪我をなさったので、今攻め入れば、王太子府軍の追撃はないと考えたのでございましょう。その結果、颱に攻め入るどころか、国境付近で首を討たれ、壊滅したとはあまりにも情けない世継ぎの君でございますね」

「……それは、おまえが悪辣すぎるからではないのか?」

 使えるものは何でも使う主義である翡翠のことだ、熾闇の軽傷も実は重傷であると喧伝し、あちらを煽りまくったのではないかと簡単に想像できる。

「人聞きの悪い。わたくし一人の責任ではございませんから」

 つんとそっぽを向いて答える娘の仕種に、熾闇は絶対に信じられるわけがないと心の中で呟く。

「元々、燕の王子ふたりは仲が悪く、それゆえに臣下はふたりの王子それぞれを立てて世継ぎ争いをしていたのです。嫡子の長男よりも庶子の次男の方が民の人気が高かったようですが、彼は無駄な争いを避けるという大義名分を背負って自ら世継ぎ争いから降り、軍部へ下った。そうして、功績をいくつか上げたようです。一方、世継ぎとなった長男は、弟の人気を快く思ってはいなかった。そこへ、韓将軍が颱の第三王子に怪我を負わせたという知らせが入り、今なら勝機があると思ったようですね」

 ちらりと熾闇に視線を送った翡翠は、極上の笑みを浮かべたままにそう告げる。

 それは、甘露のように見え、実は香辛料たっぷりの上湯のようである。

 辛辣この上ない言葉に、熾闇も苦笑する。

「それで、庶子の王子はどのような人物だ? 事実上、世継ぎとなったのだろう? やはり油断のならぬ人物か」

 無駄な争いを避けるという大義名分を掲げながら、兄を諌めもせず、無用に死なせた人物だ、油断のならない王子かも知れぬと熾闇は問いかける。

「凡愚、とまではいきませんが、凡人でしょう。燕は、間もなく滅びます。傾きかけた船に大人しく乗り続けられるような人物ではなかったのでしょう、韓将軍は。嫡子の王子を颱へ向かわせるように話を仕向けたのは、韓将軍のようですよ」

 くすっと笑った翡翠は、詳しく告げる。

 その内容に、熾闇は開いた口が塞がらなくなった。

 おそらく、その舞台を設えたのは翡翠だろう。

 熾闇の傷は、手の皮一枚切っただけなのだ。

 それをさも重傷のように思わせることができる人物と言えば、翡翠以外にいない。

 聯音がどのように動くか、また、燕の王子ふたりにどのような思惑があるか、それを推察でき、そうして自分が思い描く方向へと誘うことができる人物は、大陸にそう多くはない。

 その中で、今回利害が絡む人物は翡翠一人だ。

 それほどまでに韓聯音という人物を王太子府軍に招きたいのかと、いささか複雑な気分になるが、翡翠が誤った判断を下したことは今まで一度もない。

 手合わせした限りでは、熾闇も彼を気に入った。

 あとは、聯音がどう判断を下すか、だ。


 閑静な場所にあるはずの王太子府が俄かに騒がしくなる。

 ぱたぱたと駆け寄る足音が響き、参謀室へと取次ぎ役の少年が姿を現す。

「綜副大将! 翡翠様!」

「……何事でしょう?」

 ゆったりとした仕種で翡翠が少年に視線を流す。

「は、はい! お客様がおみえになられて……」

 ひどく焦った様子で、少年は翡翠に訴える。

 しかし、翡翠は落ち着いた様子で先を促すだけだ。

 何が起こっているのか、すべて把握しているできの悪い芝居の配役に無理やり参加させられた気分になる。

「どなたなのか、お尋ねしたのですか?」

「はい。それが……」

 言い淀んだ少年は、意を決したように真っ直ぐに顔を上げる。

「燕からお越しの韓聯音と名乗る武人のような体躯のお方です」

「! 通せ! 今すぐ、ここに」

 よもやこのときに現れると思っても見なかった熾闇は、即座に反応する。

「殿下!? 御意!」

 第三王子がこの場にいるとは思わなかったらしい少年は、驚愕の表情を浮かべ、そうして慌てて走り去る。

「御早いお着きですこと」

 どこか感心したように、翡翠がのんびりと感想を述べる。

「仕組んだおまえがそう言うか!?」

「人聞きの悪い。わたくしがお仕えしている方が、そのようなことを仰るとは、なんと情けないことでしょうか」

 あまりにもそぐわない感想に思わず突っ込んだ熾闇は、じわじわと遠回しに責められ顔を顰める。

「何とでもいえ。だが、立ち会わせてもらうぞ」

 きっぱりと言い切った若者は、近付いてくるふたつの気配に、深呼吸をして戸口をまっすぐに見つめた。

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