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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
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 本来であれば両手で握るはずの重量の剣の柄を軽々と片手で扱うふたりは、互いに構える。

 静寂な空間が、否が応でも緊張感を高めてくれる。

 ゆったりとした呼吸を繰り返し、互いの呼吸を読みあう。

 全神経が澄み渡り、視覚が広がる。

 離れた距離に立つ相手の心音まで聞こえてきそうだ。

 わざわざ相手の力量を測らずとも、静かに渦巻く闘気だけでわかる。


 とても、強い、と。


 滅多に廻り逢わない相手に、自然と口許が笑みを刻む。

 この相手と勝負とつけるとすれば、一瞬か、それとも永遠か。

 逼迫した力量であればあるほど、その勝敗は厳しい。

 引き分けで終わらなければならないという考えは、すでにふたりの中から消えている。


 ざりっと草を踏み躙るように僅かに右足を横に引く聯音。

 腰を落とし、掲げていた剣を肩に背負うように乗せる熾闇。


 じりじりと右へにじり寄る聯音に対し、熾闇は視線で追うだけでまったく動こうとはしない。

 と、その時。

 若者が左足を後ろへ引く。

 それが合図であったかのように、男が動いた。

 一直線に相手に向かってくる偉丈夫。

 その体格ゆえに愚鈍と思われがちだが、恐ろしく速い。

 だが、速さでは熾闇も負けてはいない。

 同じく低い姿勢のまま前へ駆け出し、聯音の懐へと潜り込む。

「……っく!」

 懐に飛び込まれては長い剣を活かしきれず、力任せに振り下ろす。

「遅い!」

 肩に背負っていた幅広の大剣を跳ね上げて受け止めると、それを押し返し、そのまま水平に凪ぐ。

「させるかっ!」

 殆ど本能的に後ろへと飛び去った聯音が、剣を立ててそれを受け堪える。

 両手で柄を握り締め、幅広の剣を受け止めながら、その長身を活かして逆に脚払いをかける。

 それを予期していたように、第三王子は軽く飛んで避けながら、再び剣を肩に置く。

 距離を置いたところで再び剣を構えた熾闇は、そこから両手で柄を握り、剣を無造作に振る。

 無造作な大振りからは想像出来ないような澄んだ音が響き渡る。

 硝子同士がぶつかり合うような、まさに硝子細工の風鈴のような美しい響きであった。

「……かまいたちか!?」

 その音の正体に気付いた聯音は、同じように長剣を斜めに振り下ろす。

 ちょうどふたりの中間地点で草が千々に引き裂かれ、風に舞う。

 熾闇が作り出したかまいたちを、同じく聯音が剣圧で作り出したかまいたちで相殺したのだ。


 お互いにそこまでは予想していたらしく、楽しげな笑みを浮かべて相手を見つめる。

 余興はここまで。

 これからが本番だと言いたげな笑みを湛え、ふたりは剣の柄を握りなおす。


 総大将同士の戦いは、他の兵士達の戦意を奪うに充分すぎるほど激しいものであった。

 たった一振りでいくつもの命を断てるほどの威力を持つ剣戟が何合も続く。

 その度に火花が散り、近くの草が風に舞い散る。

 おそらく、この戦いを仲裁できる者はいないだろうと思わせるほど、それは壮絶な色合いを見せていた。

 しかし。

 見ることができる者達には、わかっていた。

 彼らがまだ本気を出していないということを。

 小手調べの段階は終わってはいたが、その力を十全に出しきるには至ってはいない。

「そろそろ本気を出してもらおうか!」

 そう叫び、放った聯音の剣戟が避け損ねた熾闇の手の甲を傷つけた。

 赤い線が走り、じわりと滲み出す。

「………………」

 滲む血に視線を落とした熾闇が薄く笑った。

「……おまえ……?」

 がらりと変わった気配に、聯音が訝しげに眉をひそめる。

「…………」

 剣先を下ろし、構えを解いた熾闇の姿はとても無防備に見える。

 だがしかし、おそろしいほどの覇気が彼を取り巻いていた。

 別人としか思えないほどの覇気と闘気が渦を巻き、周囲の空気を染め上げていく。

 目に見えないはずのそれが、圧力を増し、息苦しさを感じさせる。

「……よくやった。我の血を流すとは、褒めてやろう」

 まるで別人のような響きを持つ声が言葉を紡ぐ。

 その声音に、聯音は圧倒された。

 尊大な態度がこれほど似合う若者だとは到底思えなかった。

 それなのに、今、この瞬間、違和感などまったく感じない。

 まさしく『王』なのだと、感じずにはいられない存在に変わっていた。

「だが、二度はない」

 ゆったりとした仕種でもう一度剣を構えなおす王子の姿は隙だらけに見える。

 だが、手出しなどできないほどの迫力が彼を縛り付ける。

 と、そのときであった。

「なりませぬ!」

 凛とした声が熾闇を遮った。

 いつの間に現れたのか、綜家の末姫が聯音を庇うように背を向け立っていた。

「どけ」

「どきませぬ。己の刃を折られて、何といたします。大君?」

 息苦しさを感じさせるほどの圧迫感を与える相手に、翡翠は何も感じないかのようにごく自然に振舞う。

「今、約定を違えるような真似をなさいますな」

「……そう、だったな。気が削がれた。引き上げるぞ」

 面白くなさそうにふいっと顔を背けた若者が、剣を鞘に収めると指笛で愛馬を呼び寄せ、その背に飛び乗る。

「韓将軍。再び攻め入るか、それとも我が許へ降るか、おぬしの望むままにすればよい」

 それだけ言い置くと、もう興味はないとばかりに本陣の方角へ駆け出していく。

「あれが、第三王子か……」

「あれも我が君です」

 呆然と呟く聯音に、翡翠が微妙な言い回しで答える。

「無事の帰国をお祈り申し上げます、韓将軍。では」

 優雅な仕種で一礼した娘もまた馬上の人となり、駆け去っていく。

 その場に残ったのは、聯音ただひとりであった。

「あれが、王子、だと……?」

 あの一瞬に見せた表情、気迫は、とても王子などという可愛らしいものではない。

「あれが、『王の器』か……」

 背筋にぞくりと這い上がる奇妙な悪寒。

 聯音が今まで見た王族の中で誰よりも王らしく見える王子。

 否、あれはただの王ではない。

 まさしく王の中の王たる者だ。

 あの王子を王に戴いた颱は他国の干渉を完全に排除できるほどの強国になるだろう。

 大陸全土を統べることのできる器だと感じられる。

「………………ッ!!」

 ぐっと拳を握り締め、去っていく王子の背を睨む。

「隊列をまとめろ!!」

 そのままの姿勢で、燕の総大将は号令をかける。

「引き上げる!」

 すでにその命令は予め伝えられていたこともあり、混乱なく隊列を組み直し粛々と退却し始める。

 その様子を見守った聯音は、愛馬の背に飛び乗る。

「ん?」

 鞍の上に小さな布袋が置かれていた。

「あの軍師か」

 こんなことができたのは、綜翡翠しかいない。

 彼女が小細工を仕掛けてくるとも思えず、聯音は袋を開けた。

 ふわりと爽やかで心地良い香りが漂う。

「香袋か? 何だ、これは」

 小さな香袋と美しい細工の薬入れがふたつ。

 ひとつには軟膏が、もうひとつには丸薬が納められている。

「傷薬と、これは……毒消しか!」

 独特な香りで丸薬が毒消しだと悟った聯音は、高価な薬の意味に気付き、顔を顰める。

 香袋は、丸薬の匂いを消すためだけではなく、他の意味もありそうだ。

『御身を大切になさいませ』

 流麗な文字が料紙に書き付けられている。

「……やられた。そこまでバレていたとは」

 これから命を狙われる──しかも、同胞によって──聯音を気遣ってのささやかな忠告に、苦笑するほかない。

「だが、けじめはつけねぇとな」

 自分に課せられた責務を果たさなければ、戦で死んでいった兵士達に顔向けができない。

 しかし、それらを果たせば、あとは自由だ。

 ある決意を胸に、聯音は部下達を率いて母国へと帰還の途についた。

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