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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
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 戦の喧騒から取り残されたような空間で、二騎の武将は静かに対峙していた。


 どういう術なのかはわからないが、燕の兵士も颱の兵士も立ち入ることが許されない場所が突如として平原に現れたのだ。

 颱の兵士達は今更怪異に驚きなど見せないが、燕の兵士達は取り乱し、空間を破って主将を取り戻そうと慌てふためく。

 そこへ邪魔は許さぬとばかりに黒衣と碧衣の武将が彼らをその場から退ける。


「……見事だな。得手は槍か?」

 翡翠に目をやった聯音は、誰とはなしに問いかける。

「いや、剣だ。だが、槍でも鎌でも棍でも、すべて名人級だ。弓に至っては、神技ともいえるな」

 従妹自慢を得意とする若者は、敵将の問い掛けに生真面目に応じる。

「ほう。危うく騙されるところだったな。確かに、うちの軍師を殺ったあの一矢は、神業としか言えぬわ」

 感心したように笑う男に、熾闇も笑みを浮かべる。

「翡翠に不可能はない。天賦の才だからだけではなく、人知れず、想像を絶するような努力を続けているからだ。驕ることなく、ただ万事控えめに、だが、確固たる意志を持って前を見続けている」

「それは殿下にも言えることかな?」

「いや。俺は、翡翠に楽をさせてもらっているな。完璧に見える翡翠が仕えるに値する人間を装うだけだ。それで大切なものが護れるなら、道化にでも何でもなってやる。差しあたっては、おぬしと一騎打ちをして引き分けるのが俺の仕事だ」

 にたりと笑みの種類を変え、第三王子は剣を構える。

「……つまり、こっちの情報は筒抜けってわけか」

 呆れたようにボヤく聯音に、熾闇はあえて答えない。

「まぁ、話が早い。茶番に付き合ってもらうぜ、殿下!」

 肩をすくめた男は、次の瞬間、にやりと笑い、そうして愛馬の腹を蹴り、突進してきた。


 がぎっと金属が咬み合う音と共に眩いばかりの火花が散る。

 聯音の体躯に見合った長い剣と、熾闇の幅と厚みのある大剣がお互いの力を探るようにせめぎ合う。

(……なんてぇ常識外れな剣だ……)

 お互いが、お互いの得物に対してまったく同じ感想を抱いたことは、わからないだろう。

 実際、聯音の長身に合わせて作られた剣は驚くほど長く、熾闇の持つ剣の幅は通常の剣の二倍近くあり、その分厚みもある。

 つまり、どちらもかなりの臂力がないと、それらの剣を使いこなすことはできないというわけだ。

 面白いと純粋な歓喜の笑みを浮かべたふたりは、間を取りもう一度ぶつかり合う。

 ぎちりと聯音の長剣が不気味な音を立てる。

 力では負けるつもりはなかった聯音は、その不気味な軋みに目を瞠る。

「兜割か!?」

「……よくわかったな」

 驚いたように叫ぶ韓将軍に対し、熾闇は嬉しげに笑う。

 翡翠の長弓が淙から取り寄せた特注品ならば、熾闇の大剣は坤に頼み特別にあつらえさせたものである。

 ただの鉄ではなく、鋼玉から鍛え上げられた一品は、その一太刀で兜すら割ってみせると言われていることから『兜割』という呼称がつけられている。

 熾闇自身も滅多なことではこの剣を使うことはないが、今回は特別だと持ち出したのだ。

 引き分けると言いつつも、しっかり勝つ気でいることは確かだ。

「下手に受けると、剣が真っ二つだぞ」

「悪ガキが、そう来るか!」

 悪戯が成功したような表情で屈託なく笑う熾闇に、聯音は渋面になって怒鳴る。

「茶番だってことがバレないようにしなけりゃならないんだ。これぐらい、アリだろう?」

「あの副官にして、この上司ありだな! 常識外れは顔だけにしとけってんだ」

 他国の王族に対しての礼儀も雲の彼方へ飛び去った男は、乱暴な口調で告げる。

 だが、不快になど微塵にも思っていない表情だ。

 むしろ気に入ったように満足げな笑みが浮かんでいる。

「俺は翡翠と違って、常識の範疇だ。一緒にしないでくれ」

 精一杯の主張も、聞き流されてしまう。

 この間、手は休まることなく激しい剣戟を続けている。

「そっちこそ、常識外れに長い剣を使ってるじゃないか!」

 仕返しとばかりに、今度は若者が年上の男を詰る。

「俺の身体に合わせて作って、どこが悪い!? おまえの方こそ、細っこい見かけの割には重過ぎる剣だろうが!」

 怒鳴り返した聯音は、馬の様子に気付き、顔を顰める。

「おい! 馬を下りるぞ。俺達よりも馬の方が繊細にできてるらしい。大切な馬だ、潰したくはない」

「承知した! 翡翠、馬を頼む! 俺のと、韓将軍の分だ」

 騎馬の民である熾闇にとって、馬は家族のように大切な相棒である。

 可愛い相方を潰したくないという気持ちは充分すぎる程わかる。

 そうして何より、お互いの剣の性質を馬上では充分発揮できないことを知っての一言であった。

「御意。相変わらず、殿下は人使いが荒いこと。大層な剣まで持ち出して、これで怪我でもしたら笑って差し上げます」

 ふわりと愛馬の背から降りた熾闇の耳に届いたのは、少しばかり皮肉気で辛辣な翡翠の言葉。

 閉じられた空間の外にいたはずなのに、いつの間にか熾闇の傍に控えている。

 術者なのだから当たり前と思うべきか、それとも警戒するべきかと悩む場面だが、韓聯音はそれすらも常識外の男であった。

「何度見ても美人だなぁ」

「恐れ入ります、韓将軍。熾闇様、程々になさってくださいませ。韓将軍とわたくしの勝負、最初の一回限りでお預けの状態になっているのですから」

 聯音に丁寧に頭を下げた翡翠は、男たちの愛馬の手綱を手にし、主に向かって権利を主張する。

「あぁ、そうだった。あの賭けはまだ有効かい?」

 美人で目の保養をした聯音は、からかうように声をかける。

「賭け?」

 不思議そうな表情で首を傾げる熾闇に、聯音の悪戯心が騒ぎ出す。

「はい」

「俺が勝ったら、あんたの副官が俺の妻になるっていう賭けだ」

「ホントか、翡翠?」

 この傍目から見ても絆の確かさを感じさせる主従に風波を立たせてやろうと、そう思ってのことだった。

「御意」

 うろたえる翡翠を想像していたが、実に淡々とした表情で彼女は頷く。

「……そうか」

 驚いたような表情を浮かべていた熾闇から、一切の表情が消える。

 本気でこの王子を怒らせたと、聯音は嬉々とした。

 だが、次の瞬間、あっさりとそれは覆った。

 次に熾闇の顔に浮かび上がったのは喜色満面の笑顔。

「韓将軍と翡翠の子か……可愛いだろうな。翡翠! 男だったら、俺が育てるぞ! 白虎殿に頼んで、あらゆる知識を教授してもらって、武芸に関しては俺が師範になるからな。きっと名のある武将に育つぞ」

「……へ?」

 てっきり怒るだろうと思っていたのに、踊りださんばかりに喜びだす王子に当てが外れ、聯音は熾闇と翡翠を見比べる。

「わたくしの子の教育は、わたくしとわたくしの夫で考えます。それよりも、熾闇様がお先に御正室をお迎えくださらなければ、わたくしを熾闇様の御子の教育係に任命してくださった陛下のご期待に添えません。わたくしの楽しみを奪うおつもりですか?」

 逆に冷静に切り返す翡翠の言葉に、聯音は噂が当てにならないことを実感する。

 白虎神が愛でし子供達は、宣旨こそ受けてはおらぬが次代王とその正妃だという尤もらしい噂を信じていたが、実際はかなり違うようだ。

 しかも、この場合、翡翠の子供なら娘を望むのが男心というのだが、何故息子を望むのか、健全な男としては疑問が残る。

「韓将軍! ぜひ、颱に来るといい。来て、翡翠の夫候補に名を挙げるといいぞ」

 嬉々とした表情で唆してくる王子に、聯音は目を丸くする。

「……は? そこの別嬪さんの旦那というのは、あんたじゃないのか、王子?」

「おぬしは親友を妻と呼ぶのか?」

 意外そうな表情で逆に問われ、聯音は即座に首を横に振る。

「翡翠は俺の従妹で乳兄弟で親友だ。誰よりも幸せになって欲しいと思っているから、翡翠の夫になる男は翡翠が決めればいい」

「……で、『夫候補』? 何人くらいいるんだ?」

「さぁ? 翡翠の夫になりたい男はいくらでもいるだろうな。俺的には、犀蒼瑛とか嵐泰ならいいと思うが」

「犀将軍!? あの、顔はいいが性格の捻じ曲がっていると評判の男か。で、嵐泰殿とは?」

「ほら、そこにいるだろう。黒衣の……」

「あぁ、あの男か。俺には劣るが、いい漢だな」

「何のお話をなさっておられるのでしょうか、我が君。韓将軍」

 にこやかな笑顔で翡翠が釘を差す。

「うわっ! その呼び方は止めろって!!」

 ぎくっとした熾闇が派手にうろたえる。

「何度でも申し上げますよ、我が君?」

「俺が悪かった! おまえはもう行け! 剣圧で髪が痛むぞ」

「……御意」

 最後の最後で妙な気遣いを見せる熾闇に苦笑した翡翠が軽く一礼すると、その場からふっと彼らの愛馬と共に姿を消す。

「うわぁ……便利だな」

「あれは、隠形だ。まだ近くにいる」

 感心する聯音に、そう説明した熾闇は剣を構える。

「だが、怪我をする心配はこれでない。安心して心ゆくまで手合わせしよう」

「願ってもないことだな」

 これで本気で戦えると、笑みを浮かべた男たちは再び対峙した。

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