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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
139/201

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 丘の上からは、戦場の様子が一望できる。

 最前線は上から見ても激戦区であった。

「あ。翡翠だ……楽しそうだなぁ」

 今回、本陣でお留守番役の総大将は、従妹で副官の親友の姿を見つけ、羨ましそうに呟く。

 まさに雑兵たちを蹴散らし、相手の総大将を引っ張り出した娘は、久々に好敵手を見つけたようで伸びやかに振舞っている。

 勿論、彼女のことだから狙いは忘れていないだろうが、熾闇の目には楽しそうに映る。

「……上将」

 隣に立つ利南黄が、渋い表情で上司を窘める。

「だってなぁ……体格的にかなり不利だろ? そういうヤツを相手にすると、異様に燃えるんだよなぁ、翡翠は」

 穏やかな人柄に騙されやすいが、綜翡翠という女性は、自分の理想とする姿を実行するために努力を惜しまない完璧主義者であり、それゆえに想像を絶するほどの負けん気の強さ、勝気さを持っている。

 滅多なことでそれは表面に出ることはないが、それがふとした瞬間に現れる。

 今が、その時なのだ。

 ここからでは遠すぎて表情を見ることはできないが、今翡翠が覇気に満ちた笑みを浮かべて韓将軍と相対していることくらい、熾闇には想像できる。

「なぁ、利将軍。翡翠が剣を抜くと思うか?」

 ふと疑問に思った熾闇は、傍に立つ男に問いかける。

「抜かれることはないかと……」

「韓将軍とやらの力量、楽しみだな」

「御意」

 これまで、良い兵を他国から引き抜いたことは何度でもある。

 だが、翡翠自身が欲し、わざわざ出迎えに行った者は初めてだ。

 槍を手にする翡翠は強い。

 まるで流れるような技の繰り出しは、第一級の芸術品を見るかのごとく鮮やかで艶やかだ。

 美しくも恐ろしい死の舞は魂を惹きつけ、そうして視線を釘付けにしてしまう。

 その翡翠の手から槍を取り上げ、剣を手にさせるのは至難の業だろう。

 将としてだけではなく、兵として、どこまで使える人間なのか、この戦が教えてくれると、熾闇は従妹の姿を見つめた。




 従兄の予見通り、綜家の末姫は難敵相手に感歎の笑みを浮かべて立ち向かっていた。

 始めは多少、戸惑っていた様子だが、翡翠の実力を読み取った後は遠慮なく真っ向から攻め立ててくる聯音に、彼女はとても満足していた。

 見た目に惑わされず、己のすべての感覚で読み取ったものを真とし、冷静に判断するその能力は、熾闇の傍に必要なものだ。

 特に、中からではなく、外から見ることのできる者は貴重だ。

 生まれながらの颱の人間ではない聯音なら、冷徹なまでに客観的に物事を判断できるだろう。

 万が一のときに熾闇を止めることのできる人間になってくれる。

 先の戦の折に、ふたりの熾闇ではなく、傍に控える翡翠を討つように命じた聯音なら、万が一、翡翠が熾闇の許を離れたときに、彼を支えてくれる存在になってくれるだろう。

 だからこそ、搦め手で彼を陥れる形で颱に招くのではなく、彼自身の判断で熾闇の許へ仕官してくるように仕向けなければならないのだ。

 そのために、全力で彼を叩き潰さなくてはならない。

 翡翠に、そうして彼女が仕える熾闇に興味を持ってもらうために。


 ひゅんと甲高い音を立てて空を切り裂く槍の穂先を何とか躱した韓聯音は、その突きの鋭さに顔を顰める。

 相手にはまだまだ余裕があり、今のも本気の突きではない。

 立て続けに素晴らしい速度で突き入れながら、聯音が避けることを予測して遊んでいるのだ。

 しかも、反撃しようにも、この槍がまた曲者で、やけにしなるのだ。

 翡翠の力を倍増し、そうして相手の力を半減する槍のしなりに先程から嬉しくないことに苦戦している。

 負ける戦をしないと言った翡翠の言葉に虚偽はないと、今ならはっきりと頷ける。

 前回の戦のときに、偶然にも颱の総大将を討ち取ったという報が陣内に届けられたが、その後は何も知らせがなかった。

 否、その場にいた者、誰一人還ってこなかったのだ。

 それは、この目の前にいる娘がすべて討ち取ってしまったのだと、かろうじて遠くで目にした者が、命からがら逃げ帰り、そう告げたのだ。

 華の様に美しい闘神か、鬼人のようであったと、恐怖に震えながら報告した男はその場で剣を折り、退役した後、誰の説得を受けても首を横に振り続け、平和な余生を過ごそうと家に籠もってしまった。

 とても信じられない話だったが、それが嘘偽りではなかったと今ならわかる。

 絶世のという言葉を関しても恥じない美貌のたおやかな娘は、槍を手に花弁のように風に舞いながら敵である聯音を翻弄している。

 流麗な軌跡を描き輝く穂先。

 女性であるがゆえに当然のことながらあるはずの体格的な不利をすべて利点へと変じ、それどころか余裕さえ感じさせる。

 そういえばと、ふいに彼は思い出す。

 西の羌を滅ぼした際、かの国最後の女帝を一騎打ちの末に討ち取ったと聞いたことがある。

 その時、まだ十四歳の少女が、成人を迎えた女性相手に挑み、そんなことができるわけがないと、誰かが彼女の補佐について介助したのだろうと思っていたが、偽りではなかったのかもしれない。

 そう考えると、俄然、目の前の美女に興味が湧く。

「ひとつ、尋ねたい」

 かわされることを承知して打ち込み、聯音は問いかける。

「何でしょう?」

 柔らかな手首の返しで彼の剣を受け流した娘が、穏やかに応じる。

「戦場に立ったのは何時頃からだ?」

「そうですね。かれこれ、十年以上前のことなので正確にはわかりかねます」

 正直に答えるとは思っていなかった男は、この答えに驚く。

「十年以上前!? 幼子ではないか!」

「王家に連なる家に生まれた者の定めに幼いも何もございません。己の役目を果たすために必要なことならば、従いましょう」

 あっさりとした口調で告げた内容に、顔を顰めたくなってしまう。

「それが子供の言うことか!?」

「生き残るために必要ならば、いくらでも大人になりましょう。わたくしたちには、それしか方法がなかった!」

 逆に鋭く切り返し、抑えた口調で告げる娘の様子に、それが真実なのだと悟らざるを得ない。

 四神国の西を護る大国の高貴な血筋であるはずなのに、生き延びるために戦場で育つしかなかったという過酷な運命とは、一体何であろうかと考えたくなってしまう。

 それでも生き残ったのは、運の良さなのか、それとも彼らの努力なのだろうか。

「主を、己の命よりも大切な半身を護るためなら、この国を護るためなら、汚濁にまみれようとも躊躇いなどいたしませぬ。この身が業火に焼かれようとも、必ず生き残り、見届けてみせましょう」

 誰よりも誇り高き娘の言葉に、そしてその言葉に、呑み込まれてしまいそうになる。

 凛と響く声には、それだけの気迫が込められていた。


 気付けば、彼らの傍には誰もいない。

 あまりの気迫、そして激しい剣戟に恐れをなしたのか、遠巻きに眺めている。

「……俺に、何を望んでいる?」

 ふと気付けば、そう問いかけていた。

 常に軍師に徹している娘が前線に出るとき、それは自分自身を駒として何らかの結果を得ることができるときだろう。

 本当の意味で負けることが許されない道を歩み続けている彼女には、勝負に負けても望む結果が得られればそれは勝ちとなるのだろう。

 だから、負ける戦をしないのだ。

 この一騎打ちで、彼女が望むものといえば、敵将である韓聯音に関することだろう。

 首が欲しいのであれば、わざわざ一騎打ちなど望むまい。

 それ以外の何か、その何かを望んでいる。

 聯音はそう考えたのだ。

「あなたの主は、あなたの誠に足る人物ですか?」

 問い掛けに対して返ってきたのは、意外すぎる問い掛けであった。

「どういう、意味だ?」

「言葉通りです。あなたが自分自身をかけるに相応しい相手ですか?」

「……武官として、その質問には意味がないな」

 剣を振るい、動揺しそうになった自分の心までもを断ち切る。

「韓聯音殿、あなた自身に問いかけています」

「では、その問い、あんた自身に尋ねようか?」

 冷静そのものの翡翠が小憎らしく、つい意地悪心で問い返した聯音は、すぐさま後悔した。

 白皙の美貌に晴れやかな笑みが浮かんだからだ。

「主の願いが、わたくしの願い。これ以上、望むべくない方を戴いておりますよ」

 その表情は、女性特有の恋情ではないことは明白だ。

 浮ついたところのない、ただ高みを目指すことを知る者の眼差しを持っている。

 共に理想を追い求める相手がいることが、彼女の強さの源なのだと言えるのかもしれない。

「証を見せろ! 見せることができるはずだろう?」

 引き込まれているという自覚はあった。

 智、武のどちらを取っても、類稀な才を持つ娘が誇らしげに語る相手を羨ましく思える。

 将軍職に就くにはかなり若い聯音だったが、それでもここまで昇り詰めるには様々な苦労があった。

 その最たるものが主と仰ぐべき人間であった。

 心を込めて仕えたいと思うような相手は、今まで一度も廻り逢えてはいない。

 上司のためを思って動けば、必ず疎まれる。

 運良く周囲に認められ、奏上されて官位を上げることはできたが、主はいなかった。

 だからこそ、己の命以上に大切だと言い切れるような主人を持つ者が羨ましい。

「もちろん、よろしいですよ。ですが、今日はこれまで……」

 にっこりと笑みを浮かべた翡翠が、急に槍を収めた。

「な、に……」

 驚いて目を瞠る聯音はようやく空が曇っていることに気付く。

 見れば、颱の兵はすでに撤退をしている。

 翡翠との戦いに執着し、自軍を率い、指揮することを忘れていた自分の失態に思い当たる。

 轟く雷鳴。

 それと同時に、大粒の雨が降り始める。

 草原特有の通り雨だが、今日はもう戦闘にならないことは明白だ。

 だからこそ、颱はそれを知り、撤退をしたのだろう。

 引き際の見事さを称えねばならない。

 雨の中、馬上の美女が優雅に微笑む。

 軍装をしていると思わなければ、いつまででも眺めていたい光景だ。

「颱においでなさい。燕はあなたには小さすぎる」

 ざあっと音を立てて降り続ける雨の中、小さな呟きが耳を打つ。

「……ッ!?」

 はっと我に返ったときには、もう娘はそこにはいなかった。


「俺が、颱に……」


 呆然と馬の背に座り続けていた聯音は、ようやく撤退指示を出す。

 まだ戦は始まったばかりだというのに、惨敗した気分が拭えなかった。

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