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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
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 動き出した燕軍を前に、娘達は不敵な笑みを浮かべている。

「思った以上にできますね、あの総大将殿は」

 朗らかとも言えるほど明るい声で、青藍が翡翠に告げる。

「そうですね。これほどまでの逸材を燕が隠し持っていたとは……今まで気付かずにいたことが返す返すも残念です」

「これまで不遇されていたのでしょう。それでも芽を出す環境を手に入れた強運、素晴らしい」

 頷きあったふたりはようやく追いついてきた小姓に弓と矢筒を手渡し、本陣へ戻るように命じると、小姓が運んできた槍を手にする。

「問題は、どうやって手に入れるか、ですね」

「えぇ。そのためにも、韓聯音という人間を知らなければ」

 追いついてきた自軍と合流したふたりは、晴れやかに笑いあう。

「弓、弩隊、前へ! 槍隊、構え!」

 陣形を整えた笙成明が、声高らかに命じる。

「放て!」

 ひゅんと空気を切り裂く甲高い音と共に、矢が雨か流星のごとく敵陣へと降り注ぐ。

 追い風がそれを助け、矢を遠くへと運ぶ。

 血飛沫が煙のように舞い上がり、辺りを赤く染め上げる。

 人馬の悲鳴、大地を揺るがすような轟音が響き渡る。

 前列の殆どが矢に倒れ、大地を赤に染め上げる中、矢雨をかいくぐり、前進する兵達が距離を縮めてくる。

「射方止め! 槍隊、前へ!」

 弓騎兵が中央から二手に分かれて後ろへと移動する中、その後ろから槍を手にした騎兵達が前進した。

「敵の動きに惑わされるな! 深追いする必要はない。己に恥じぬ戦いをすればよい」

 血気逸る新兵達を宥めるように、老練な古参たちを鼓舞するように、成明が声をかける。

 才気溢れる犀蒼瑛のような智将ではないが、確実に段取りを踏んでいく彼は若いながら古参たちの信頼も厚い。

 突っ走りやすい新兵達の手綱捌きは見事ゆえ、危険度の高い先鋒、前衛を安心して任せられるのだ。

 そうして、最近では本陣から滅多に動かない翡翠が先鋒に居る。

 今回の戦、何があろうとも磐石であると、兵達の士気も高い。

「颱の兵士達よ。今日、あなた方の武勲は生きて我らが舞を伝えることです。颱の二玉の名を己が家族に知らしむるとよいでしょう」

 凛とした口調で、悪戯っぽい笑みで、翡翠が告げる。

「我らが刃に散った燕の武人達の誉れを称えてやるといい。我が名は祝青藍! もう一玉は颱の至宝、綜翡翠!」

 晴れやかに青藍が宣言すると、あちらこちらから賛同の声とも鬨の声とも言える喊声が大地を轟かせる。

「全軍突撃!」

 二人の娘に呼応するように、成明が命令を下す。

 人馬一体となった大津波が燕へ向かって走り出した。


 此度の戦の策として、翡翠が提示したのは戦略としては基本中の基本とも言えるものであった。

 極端な奇策を厭いている韓将軍相手に、颱に降るように声をかけるならば、目に見えるような奇策は避けたほうがよいというのが彼女の出した結論であった。

 その中で、一見基本的な戦略に見えるような陽動を行い、彼の意識を反らしていくべきだろうと提案したのだ。

 燕の軍師を神技とも言える見事な技量で眉間を狙って射たのも、今から行う名乗りを上げての立会いも、明日以降に行う戦術もすべては韓将軍を絡め取るための手札のひとつ。

 こちらの手の内が読めるようで、読めない戦略で、彼の興味を引いていこうというのが狙いだ。

 その第一段階が終わり、第二段階へと移行する。

 無益な殺生を行わず、無理な戦闘をしない。

 日和見的な理念のように見えて、何よりも貪欲な颱の防衛戦を味わせる恰好の機会であった。


 最前線で槍を振るい、燕の兵士達をまるで子供をいなすかのように傍に寄せ付けず奮迅する若い女武将二人に、燕は戸惑いを隠せずにいた。

 お仕着せではなく、その瞳の色に合わせて作られた煌びやかな鎧は女性らしい華やかさを添えてはいるが、男性の中にあって華奢とも思えるしなやかな体躯や秀麗過ぎる美貌に反して、恐ろしく強い。

 決して剣の間合いに飛び込めぬほどに隙がない。

 女性が剣を持つことがない燕国では、あまりにも異質すぎる存在だ。

 相手がうら若き女性であること、そうして非常に強いということが、彼らに躊躇いを生ませた。

「我が名は、綜翡翠! 王太子府軍副将にして軍師! 女子軍総大将を務めるもの。我の首を欲する者は、名乗り出よ!」

 女性にしてはやや低めの凛と響く声が、鬨の声を制して高らかに名乗る。

「我が名は、祝青藍! 王太子府軍将軍笙成明が副将にして、女子軍が将! 名を挙げたい者は前へ出よ!」

 その隣で同じように青藍が名乗りを上げる。

 綜家と祝家の娘、対照的な色彩を持ちながら相似性を感じさせる美貌の持ち主達に、兵士達は戸惑い、うろたえる。

 家柄も武の技量も格が違いすぎると、娘達を取り囲んでいた輪がじりじりと下がっていく。

 平の兵士ではなく、将軍格の者が相手をすべきだと、上司の姿を探すものまで出てくる。

「どうした、燕の者よ? それではいつまで経っても我らが大地を得ることはできぬぞ!」

 大きすぎることもない声が、敵兵を煽る。

「そいつは困るな」

 人を喰ったような声がのんびりと響いた。

「韓将軍!」

「……総大将」

 燕からはまるで救世主が現れたかのような期待に満ちた視線が大剣を持った漢に注がれる。

 鹿毛の馬に乗った堂々とした体躯の偉丈夫が笑みを浮かべて姿を見せる。

「こんな別嬪さんに傷ひとつでも付けたら、それこそ漢の風上にも置けねぇとどやされそうだぜ」

 近くで見ても、目の覚めるような美女ふたりの姿に呆れたように嘆息した将軍は、にやりと太い笑みを刻んだ。

「ま、俺は別に領土が増えなくても構わないんだがな。お偉いさんはそうはいかねぇ。負けるなら負けるなりの理由が一応欲しいんだけどな」

「お望みならば、いくらでも差し上げましょう」

 にっこりと極上の笑みを浮かべて翡翠が応じる。

 この場に第三王子がいたならば、地団太踏んで口惜しがっただろうなとふたりのやり取りを眺めながら青藍は思う。

 その漢──韓将軍の全身に漲る覇気は、相当なものである。

 その力量はかなりのものだろう。

 絶対にこの勝負を熾闇なら望むはずである。

「そう……だな。俺が勝ったら、別嬪さんふたりは俺の女になる、俺が負けたら潔く兵を引いて、俺があんたの男になるっていうのはどうだ?」

「噂に違わず面白い方ですね、韓将軍? えぇ、よろしいですよ。構いません」

 くすくすと笑いながらあっさりと答えた翡翠に、聯音は呆気に取られた。

「いや。ここ、突っ込みどころなんだけど……ってゆーか、俺より面白いんじゃねぇのかい、別嬪さん? 俺に勝つつもりかよ」

「わたくし、負ける戦はしない主義ですから」

 にっこりと笑みを浮かべて答える翡翠の言葉に、聯音はさらに驚く。

「へぇ……面白い。常勝軍の軍師の言葉か、それは」

 必ず勝つのではなく、負けないのだと言う娘の信条に興味を覚えた聯音は、身幅の厚い大剣を構える。

「燕国軍が総大将、韓聯音! その身、貰い受ける」

 首ではなく、『身』を貰うと宣言した漢は、常勝軍の強運を担う娘を見据えた。


 空気が凍りつくかのような冷たい闘気。

 堂々とした体躯の偉丈夫の間合いに入れば、即凍ってしまいそうなほど、彼が放つ気は強く大きかった。

 対峙する娘は、その凍えそうな闘気を涼しげに受け、ゆったりと寛いだ様子で流している。

 韓聯音の覇気に気付いていないわけでも、怯えているわけでもない。

 まるで柳の枝のごとく、その気の流れをのらりくらりと受け流しているのだ。


(なるほど、なかなか……)

 集中力を高めながらも、注意深く相対する颱の副将軍を見つめていた漢は、感心したように呟く。

 相手の実力を計りづらく思いながらも、それでも地位以上に経験を積んでいるのだということだけは読み取れる。

 彼自身、己の才覚のみでこの地位まで上り詰めた漢だ、何よりも実力を重んじる。

 だからこそ、相手の力量を読み取ることが、戦場で生き残る術であった。

 ところが、今、目の前にいる相手は、その力量を読ませてはくれない。

 それこそが彼女の持つ力が生半可なものではないと、本能が教えてくれる。

 今まで彼女の戦う様子を遠目からでも眺めてきた。

 すべて、三合と槍を合わせることなく呆気なく討ち果たしていた。

 相手に間合いに入られる前に、あっさりと打ち崩すその腕前は大したものである。

 しかも、まだ、本気を出していないと知れる。

 先ほどの弓の神技といい、この槍といい、かなりの腕だが、それだけではないだろう。

 まだ彼女は剣を手にしていない。

 噂では、綜家の末姫の腕前は、どんな得物でも難なく使いこなし、しかも鬼神が恐れるほどと評されているが、さらに上手は剣の腕前。それは、まるで舞うが如しと言われている。

 翡翠に剣を使わせねば、認められたとは言えないだろう。

「さて。どう、攻略すべきか……」

 低く呟く聯音に、翡翠がにっこりと笑いかける。

 今から死闘を繰り広げようとする相手に笑いかけるなど、大した度胸だとしか言いようがない。

「どうなさいましたか? 時間がなくなってしまいますよ」

 相手を煽るための言葉ではなく、本当にそう思っているのだと思えるような無邪気な言葉。

 戦場にいるということが不思議なくらい、純粋無垢な眼差しに聯音は戸惑う。

「それとも、私から参りましょうか?」

 その言葉と同時に翡翠が動く。

「え……おわっ!?」

 がつんと凄まじい衝撃が剣に伝わり、至近距離で宝玉のような瞳がこちらを射抜く。

 魔封じの瞳のその束縛力に聯音が驚いたときには、すでに翡翠は彼の間合いから遠くはなれたところにいた。

「……は」

 女性にしては長身だが、すらりとしていて華奢にすら見える肢体には、それほど力があるとは思えなかった。

 だがしかし、今受けた衝撃は、うっかり気を抜けば馬から落ちる程度には強い。

 否、強すぎる。

 つまり、相手の非力さと耐力のなさを見越して持久戦──という手は、当然のことながら使えない。

 使ったら最後、翡翠の思惑に嵌り、自滅するだけなのだと、今の一撃で悟る。

「副大将でありながら、軍師……か。兵としても一流なら、部下もついてくるな」

 ただの飾りではない、最高の戦士が、自分との戦いを望んでいる。

 それは、聯音にとって、実に喜ばしいことであった。

「じゃ、本気で行くか」

 剣を構えた漢は、左手で手綱を握り、玲瓏たる美貌の娘に討ちかかった。

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