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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
135/201

135

 草原に向かい合う颱軍と燕軍。

 丘陵地で高みから南を見下ろすところに颱軍の本陣があり、燕は颱軍を見上げる形になる。

 戦では、天の利、地の利、人の利が勝利を導き出す重要な要素だ。

 天の利は、これから夏に向かっていくため、互いに利がある。

 地の利に関しては、燕が圧倒的に不利になる。

 それを見越して颱が先にその場所へ陣を敷いたのだ。

 あとは人ということになる。

「……燕の様子はいかがでしょうか? 劉将軍」

 女子軍を統率する副将の劉藍衛が王太子府軍に従軍し、颱が誇る美女軍団を指揮している。

 その藍衛に女子軍総帥たる綜翡翠が問いかけた。

「は。韓将軍とは、なかなかの人物のようですね。血気盛んな燕の大軍を見事に治めておられる……まぁ、前回の戦の折り、あれだけ遊軍に横腹に穴を開けられ、引き裂かれた軍を一度は立て直して主将を狙うよう指揮を執られた方だ、そのぐらいは造作はないのでしょうが、完璧では、ない、と」

「件の軍師は、どうですか?」

「……さて。正直言って、不気味な存在です。この布陣に対して、将軍に文句を言ったとの情報が入っておりますが……」

「韓将軍に退けられた、と?」

「おそらく。余所者だからではなく、その軍師という人間性を信用していない、とも見受けられます」

「そうでしょうね」

「は?」

 くすりと笑った翡翠が、劉将軍の言葉に頷くと、一同は驚いたように彼女を見つめる。

「こちらをご覧ください。件の軍師が提示した布陣がこれです」

 地図の上の駒を大きく三軍に分け、そうして左右軍と本隊の距離をさらに広げる。

 一般的な布陣ではあるが、あまりにも左右との距離が開きすぎており、これでは連携が取れぬと将軍達は顔を顰めたが、その表情が駒の形を認識すると驚愕に取って代わる。

 左右が歩兵、本隊が騎兵なのだ。

 普通、相手を取り囲むように左右に機動性を持たせるため、騎兵を配置し、本隊に弩兵、弓兵、長槍兵などの歩兵を置くのが常套である。

 本隊からの長距離攻撃で時間を稼ぎ、その間に移動をした右翼左翼の分隊が横から相手の側面を攻撃する。

 前進するにしろ、後退するにしろ、大軍ともなれば移動に対し縦長の陣形を取らざるを得ないため、相手に弱い面を長時間晒す羽目となる。

 陣厚が薄ければ、簡単に背後を取られてしまう。

 つまり、この形態であれば、勝利する確立が上がると、機動力を重視する軍にとっては常套手段であった。

 だがしかし、左右が歩兵で、本隊が騎兵となれば、読みが別になる。

 左右は相手の陣を崩すための単なる捨て駒となり、本隊は機動力を生かして目的を果たすための刺客となる。

 この陣の目的は、戦ではなく、相手の陣にいる誰かを殺すための大掛かりな仕掛けだということなのだ。

 狙う相手は、敵軍の頭たる総大将の第三王子熾闇か、副将兼軍師の綜翡翠のどちらかだろう。

 一見、奇策のようであるが、その実、首を取ることが狙いの布陣だということに気付けば、当然却下すべき案に違いない。

 燕は国益のために、颱の領土が欲しいのであって、颱の王族の首に興味はないのだ。

「この陣は……」

 ひと目で目的を看破した嵐泰と利南黄が嫌そうに顔を顰める。

「実に無粋な陣形ですな。華やかさに欠け、殺伐としすぎている……そうまでして狙いたい相手とは、何方でしょうね」

 同じく陣形を読み切った犀蒼瑛が、呆れたように呟き、肩をすくめる。

「もちろん、わたくしでしょう。馬鹿げた噂が出回っているようですから」

 何でもないようにくすりと笑った翡翠が、蒼瑛に答える。

「馬鹿げた……あぁ、あれですか? あなたが次代の王妃となり、王を選ぶという……確かに、王を選ぶ者がいなくなれば、玉座は空になる。国は乱れ、付け入る隙がいくらでも……なんて、他の国では考えられますが、白虎様がいらっしゃる颱ではありえない話ですよねぇ。王族方は、王位に執着しない方ばかりで、争いが起きることはほぼ有り得ない。まぁ、軍師殿が身罷られては、確かに国家的損失というものでしょうけれど……絶世の美女といっても、やがては年を取るのですし……」

「本当に馬鹿げておりますでしょう? 私が王を選ぶなどという思い上がりも甚だしい流言もさることながら、空位になるなど……」

「いえ。それ以前の問題でしょう? 前回の戦で、負傷した殿下を庇い、援軍が到達するまでの僅かな間で、周囲にいた敵兵をお一人で完璧に口封じなされた方をどうやって正面から切り崩そうなどと思えるのでしょうかねぇ。私なら、恐ろしくてそんな相手を前にしたら即座に逃げますけれどね」

「だが、敵の総大将たる韓将軍は、その軍師の案を却下されたわけですな」

 くつくつと楽しげに笑う蒼瑛も、南黄の言葉に真顔に戻る。

「単なる奇策とは取らずに、その真意を読み取った……やはり、相当な切れ者かと……」

「欲しいですね」

 続けて呟く利将軍の一言に、翡翠が告げる。

「誰もが怪しまず、受け入れてしまった異国の軍師の言葉を、惑わされず、撥ね付けるほどの意志を持つ御仁……我が陣営に欲しい人材ですね」

「珍しいな、翡翠がそこまで惚れ込むとは。その韓将軍の引き入れに関しては、おまえに任せよう。策はあるのか?」

 軽く目を瞠った熾闇が、従妹を見つめる。

「いえ。特には……正攻法で行くべきでしょうね、搦め手などを使わずに」

「ふぅん……なるほどな。おまえにそこまで言わせるとなると、是が非でも会ってみたいものだが……おまえが連れて来るまでおとなしく待っていることにしよう。布陣については、前回の軍議で決めていた通りで良いのか? 皆、気付いたことがあれば、忌憚なく言ってくれ」

 自ら動くことはしないと、従妹を安心させるためか、生真面目に誓約した王子は、力強い笑みを武将達に向ける。

 若いながらも歴戦の武将達を束ねる自信と力量に溢れる笑顔に、彼らもまた落ち着いた様子で会議に臨んだ。


 軍議が滞りなく終了し、出陣は予定通り明日からということになった。

 明日から厳しい日々が始まる。

 本陣の天幕の外まで武将達を送り出した翡翠は、密やかに溜息を吐く。

 自分自身が選んだ道だが、やはり戦のない平和な日々というものに憧れる。

 戦場に出るたびに、そう認識してしまう。

 しかしながら、戦場に出ない自分というものを考えたとき、そこで思考が止まる。

 想像ができないのだ。

 詩歌を吟じ、書画を嗜み、機を織り、舞を舞う。

 ごく普通の貴族の娘の日常を自分がするのだと考えても、しっくりこないのだ。

 むしろ、兄達と同じく宮中へ出仕し、忙しく書類に埋もれる日々の方が合っているような気がする。

 どちらが幸せなのかと問われると、さらに困惑してしまう。

 自分の幸せ、とは、一体どういうものなのだろうか。

 望まず、麒麟の守護者として生れ落ち、また、王の星を身の内に宿す翡翠は、ごく普通の人生というものはすでに諦めている。

 これから先、他国、そして天界から熾闇を守り抜き、戦うことが彼女の定められた使命だということも承知している。

 疑う余地もない宿命だ。

 ただ、熾闇は何も知らないのだ。

 己が麒麟──次代天帝だということも、そして、次代颱国王だということも。

 彼の気性からして、そのどちらも拒むことだろう。

 熾闇は至高の座、己を縛るものを拒否したがる。

 無欲だからこそ、その地位が相応しいのだと、誰もが思う。

 だが、彼を唯一無二の主だと定めた翡翠は、例え彼が天帝、そして颱王だとしても、拒否し続ける限り、その意に沿って行動するつもりだ。

 熾闇の意志が、彼女にとっての絶対なのだ。

 彼の生命に係わる危機以外、逆らうつもりはない。

「翡翠、何を考えている?」

 風に身を任せていた翡翠の背後から、その唯一無二の主が声をかけてくる。

「何も……」

「そうか?」

 問い質すつもりもないようだが、納得した様子もない若者は、怪訝そうに首を捻る。

「えぇ。ただ、空が青いなと」

「ああ、確かに青いな」

 従妹の言葉通りに空を見上げ、第三王子は納得する。

「空だけ見ると、平和だな」

「そうですね」

 開戦を間近に控えた総大将とも思えぬ暢気な言葉に同意する翡翠に、熾闇は瞬きを繰り返す。

「翡翠?」

「はい」

「俺に無茶をさせたくなかったら、おまえ自身が無理をするな。前回のような真似を二度としないなどとは、言ってやらんぞ」

 まっすぐに乳兄弟を見詰め、そう告げる熾闇を、翡翠は見上げる。

「約束を違えるおつもりですか?」

「成人の議から、おまえの様子がおかしい。俺に何を隠している? 俺が信じられぬか?」

 ここ最近の従妹の様子に、そう結論付けた王子は、よい機会だからと問い質す。

 その問い掛けに、娘は笑みを浮かべてかわそうとした。

「熾闇様を信じられぬなどと、誰が申し上げましたか? ですが、隠し事はたくさんございます。少しばかりの秘密くらい、持たせていただいてもよろしいでしょう? 誰にも知られたくないことにひとつやふたつ、殿下にもございましょう」

「そういう……そういう意味じゃない! 俺自身に関することで、隠し事をするなと言っているんだ。おまえが、俺のことで苦しむな。何もかも引き受けなくてもいい。でなければ、俺は、おまえの重荷でしかない」

 しかし、妙なところで勘のいい若者は、まっすぐに真実に辿り着いてしまう。

「重荷など……苦しんでなどおりません。わたくしのことを親友だと仰ってくださったあの言葉は、熾闇様にとっての真でございましょう? それは、わたくしにとっても同じこと。守りたいものを守ることが苦しみと仰いますな」

「……本当か?」

「ええ」

「それじゃ、何故、憂う?」

 僅かな気配だけで、相手の心情まで察してしまう若者に、娘は慎重に言葉を選ぶ。

 真実を織り込ませないと、熾闇は気付いてしまう。

「わたくしの侍女……紅葉たちが、何者かに殺害されました。犯人は異国の風貌を持つ者たち」

「異国の……まさか!?」

「えぇ。三人にすり替わり、私を直接狙ってきました。成明殿や青藍に手伝っていただいて、その者たちを捕らえましたが……同じような風貌の者達が他国へ出入りしていると報告を受けましたもので」

「側近に入れ替わっても効果がないなら、国を動かして数で攻めようという魂胆か……怨恨にしては馬鹿げているな。何者だ、そいつらは!?」

「……天界の者かと存じます」

「天界!?」

 天界といえば、白虎神が本来住まう場所である。

 それまで悪しき印象を受けたことがなかったが、従妹の命を狙うとなれば話は別である。

「天界は、地界不殺生が基本的理念だろう? 何故、翡翠を狙う?」

「さて。私の存在が邪魔だと至高の方が感じていらっしゃるのでしょう。何が理由かは存じ上げませんが、わたくし個人の問題が国を巻き込む争いになるなど、わたくしの本意ではありませんゆえ……」

 まっすぐに翡翠を見つめる熾闇に力なく笑いかけた娘は、首を横に振る。

 理由は告げられない。

 そんなことを言えば、必ず問い詰めてくる熾闇の性格を知った上での偽りである。

 本意ではないという言葉が嘘ではないため、王子は簡単に騙される。

 騙されて、憤り、そうして翡翠のために動こうとするだろう。

「つまりは、第二、第三の燕が現れる……というわけか?」

「御意」

「何が理由かわからぬが、おまえの命、そう簡単に天界の者に渡すわけにはいかぬな。おまえは、颱にとって、民にとってもなくてはならぬ大切な存在だ。地の理を乱そうというのなら、受けて立とうじゃないか」

「ですが……」

「おまえが己の命を要らぬというのなら、俺が貰おう。おまえは俺のものだ。死ぬことは許さぬ! 絶対に、だ」

 義憤に燃えた若者は、きっぱりと命じる。

「降りかかる火の粉を素直に浴びるなど、性に合わない。振り払うにも限度があるだろう。大本を消したほうがいい時もある」

「熾闇様!?」

 あまりにも穏やかならぬ言葉に、さすがの翡翠も目を瞠る。

 元々、気が短い方である熾闇だが、ここまで短絡的な判断をする性格でもないはずだ。

 だが一方で、それは真理でもあった。

「冗談だ、今はまだ、な。目に余るようなら、白虎殿に問うて、天界に上り、首謀者と話をつける」

 きっぱりと宣言した若者の表情は真剣そのものである。

 本心からの言葉だと、その表情を見なくても彼の気性からわかる。

「その前にことが収束できることを祈ります」

 ありえないとわかっていても、そう願わずにはいられない娘は、小さく小さく呟いた。

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