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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
134/201

134

 見渡す限り一面、緑の海が広がっている。

 緑波軍の名前は、この草原の草が風に吹かれ、波のように見えることからつけられたのだ。

 草原の民の魂の拠り所でもあるそこに立つとき、人は何を思うのだろうか。


 軍旗を翻し、騎馬の一団が南西に向かって走り抜ける。

 大将旗は陽を弾く純白に銀で草原を駆け抜ける狼の縫い取りが施されている。

 白は王族を表し、狼の意匠は第三王子熾闇の御標だ。

 軍旗の地も白を使い、六つ星が金糸と朱で縫い取り、染められている。

 第三王子が率いる王太子府軍だと、遠目にもはっきりとわかる。

 最速を尊ぶ王太子府軍の移動で、軍旗を掲げること自体が珍しい。

 強い風の影響を受けやすい旗や流しを掲げては、移動する速度がどうしても鈍ってしまうため、また、どの軍が動いているのかを隠すためにも颱国軍は、移動中に軍旗を挙げることはあまりないのだ。

 その滅多にないことを敢えてするには、やはり理由がある。

 敵の目を彼らに向けるためである。

 草原に他国の間諜が暗躍する中、時として正確な情報が相手を撹乱する場合もある。

 そうして、たった二日という異例の短さで大敗した燕が、是非とも一矢報いたい相手――冷静でいられない相手が出撃してきたら必ず一直線に向かってくるだろうことは、目に見えている。

 韓聯音将軍とて、己の兵士を抑えきれまいと踏んでのことであった。

 そう告げたのは、翡翠ではなく熾闇である。

 今回は、先の戦よりも人数を増やしていると女子軍からの報告があった。

 前回では燕軍の半分を指揮していた韓聯音が、倍以上の軍を指揮するに当たって、その支配力がどれほどのものなのか、試してみようという思惑があったからだ。

 どういう術を使ったのか、通常の行程の半分の日数で、王太子府軍は目的地へと到着した。


 天幕を張り、本陣を設営する。

 数日間の行軍で、新人達も天幕設置に慣れてきたとは言え、やはり手つきは覚束ない。

 初陣を迎えた第十一王子以下三名も、王族であるにもかかわらず、浮かれ半分で楽しげに天幕を張っている。

 その様子を遠めに眺めた翡翠は、彼らの無邪気さにくすりと微笑んだ。

「お、やってるな……って、下手だなぁ」

 設営にかかわることのない総大将が、従妹の見ているものに気付き、率直過ぎる感想を口にする。

「……お願いですから、上将閣下、それをご本人方に直接お伝えになりませんよう」

「何でだ?」

 不思議そうに首を傾げて問いかけてくる辺り、弟達より性質が悪い。

「尊敬する方にそのようなことを言われては、立ち直れないほどに落ち込むではありませんか」

「……そうか? たかが天幕を張るのが下手だと言われたくらいで、落ち込むか? 別に寝てる間に天幕が倒れたところで、死にはしないだろう」

「……死にます!」

 きっぱりと言い切った副将は、背後から聞こえてきた爽やかな笑い声に後ろを振り返る。

「犀蒼瑛殿」

「失礼、軍師殿。立ち聞きをするつもりは毛頭なかったのですが、聞こえてしまったもので……次は、お手本を見せてやると言って、彼らの天幕を張ってやるのではないでしょうね? 御大将」

 くつくつと笑いを堪えるつもりもない美丈夫が肩を揺らしながら問いかける。

「何でわかった!?」

「ぶくくっ……!!」

 驚いたように声を上げた第三王子に、予想通りの反応だったのか、それとも盲点を突かれたのか、蒼瑛は噴出してしまう。

「軍師殿のご苦労が偲ばれる一言ですな」

「お察しいただき、実にありがたいことですね」

 目尻に溜まった涙を指先で拭いながら告げた蒼瑛に対し、肩を落としながら翡翠が応じる。

「何だよ、ふたりとも」

 熾闇は据わった眼差しで、美丈夫と美姫を見比べる。

 見目麗しい男女は、笑みの余韻を残した表情で王子を見つめ返す。

「何か、ご不満な点でもございましたでしょうか?」

 柔らかな声音で問いかける乳兄弟に、熾闇は溜息を吐いた。

「怒る気が失せた。顔がいいヤツは得だな。笑顔を見るだけで、まっいいかって気になる」

「それは……そうですね。偲芳兄上の笑顔を見ると、何を言われても怒る気はしませんもの。逆に季籐兄上の笑顔を見ると、何故か挑まれているような気がして、闘志が湧きますけれど」

 熾闇の感想に、ふと考え込んだ翡翠が、綜家における力関係を暴露する。

「あー! 確かに!! 季籐従兄上相手だと、なぁんかムカついて挑みたくなるよなぁ」

 その言葉を受けて、熾闇までもが同意をする。

「あの……横道に逸らした人間が言うのもなんですが、本題に入ってもよろしいでしょうか?」

 実にのんびりとした口調で、割って入った犀将軍の言葉に、総大将と副将は慌てて真顔になって頷いた。


 本陣の天幕に出入りできる者は、千騎以上の隊を率いる佐官以上の者と伝令、そして小姓などの付き人や特別に許可を貰った者のみとなっている。

 それは、出自に関係なく、徹底して規制が引かれている。

 複雑に入り組んだ構造の天幕の中でも、やはり身分ではなく地位によって入ることを許された場所とそうでない場所とが存在する。

 本陣の天幕を誰に憚ることなく自由に行き来できるのは、総大将たる熾闇と副将の翡翠のみ。

 将軍達も、さすがに熾闇の居室には入ることはできないのだ。

 色とりどりの見事な絹糸で織られた段通が胴差から架けられ、迷路の壁のように渡されている。

 段通の模様には意味があり、それを追っていくと目的地へと辿り着くようになっているのだが、そのことを知らねば迷子になってしまう造りだ。

 それらを見ることもなく、そして迷うこともなく、目的地へと辿り着いた総大将と副将、将軍は、集まり始めた他の将軍達を迎え入れた。


「お早いですね、兄上。ご苦労様です、翡翠殿、犀蒼瑛殿」

 最初に現れたのは、第五王子青牙であった。

 兄を見て、意外そうな表情で声をかけた後、従姉を見て納得したように彼女達を労う。

 それだけで彼が熾闇をどのように見ているのか、察するに余りある。

「おい、それは、どーゆー意味だ!?」

「どういうもこういうも、聞いた通りの意味ですが? 何か、違うと仰りたいのですか?」

 そんなはずはなかろうと、兄の傍で従軍してきた弟は、生真面目な表情で答える。

「だんだん紅牙に似てきやがって……可愛くねぇ」

「双子なのですから、当たり前でしょう? 段々ではなく、元から、です。殆どの方が、私と紅牙の見分けなどつきませんし。兄上と翡翠様くらいですよ、私たちをきちんと見分けられるのは」

 面白くなさそうに告げる熾闇に、苦笑を浮かべた青牙が応じる。

「普通、わかるだろ? 匂いが違うし、顔も違う……」

「……野生動物のような見分け方をしないでください」

 何故わからないのだろうと、不思議そうに言う兄に、夢も希望も砕かれた弟王子は、冷ややかに言う。

 弟達のように初陣を迎えた頃は、純粋に兄を慕っていた青牙であったが、さすがに数年間傍で見ていれば憧れも崩れていく。

 己を飾ることを知らぬ熾闇の素の振る舞いと違い、いつ見ても完璧な翡翠に憧れが移っても当たり前だろう。

 元々、紅牙も青牙も翡翠に憧れていたのだから。

「だって、そうだろう? 翡翠」

「確かに、お顔は少し違いますが、わたくしは匂いはわかりませんよ」

 少しどころかかなり呆れた様子で翡翠が答える。

「じゃあ、おまえはどこで見分けてるんだ?」

「お顔と、それから、仕種ですね。同じように剣を学ばれても、文官と武官、体捌きに違いがありますし、癖も違います」

「……よく見ていらっしゃるのですね……」

 拗ねた若者が問いかけると、王妹の娘は自分なりの判断基準を口にする。

 その言葉に、青牙が驚いたように呟く。

「見る、ということは、わたくしにとって一番大切な仕事ですもの」

 にこやかに笑って告げた軍師は、視線を流す。

 軍議の間には、いつの間にやら将軍職に就く者たちが揃っていた。

「では、始めましょうか」

 柔らかさを含んでいたはずの声が凛と響き、和やかな空気が一瞬にして引き締まる。

 卓伏に乗せられた地図を前に、斥候役を引き受けていた者が駒を配置した。

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