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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
131/201

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 国境を越えようとする燕を迎え撃つため、王太子府は緊迫した雰囲気に包まれていた。

 特に人の出入りが多い参謀室の中心に、翡翠がいた。


 刻々と集められる情報を的確に判断し、即座に指示を出していく。

 緊急時だというのに落ち着いた、余裕すらある態度に、彼女に会った者全員が安堵の表情を浮かべて退出していくのだ。

 この戦、今度も勝利で終わることができるのだ、と。

「食料は、これで大丈夫でしょう。第二送分は、一旦、近隣の砦へと送りましょう。裏を読まれて、食料を焼かれてはかないませんからね」

 くすくすと笑って告げる彼女の表情に、食料調達役に任じられた兵士は瞬時に頬を染め、頷く。

「はっ! そうですね」

「そう硬くならなくとも、高麗倫殿。久方振りですね、お元気そうで何よりです」

「覚えて……おいででしたか……光栄です」

 翡翠とそう変わらない年頃の若者は、一瞬、派手にうろたえると、羞恥の色を頬に染め上げ俯き加減に呟く。

「えぇ、もちろんです。嵐泰殿のお許しが出たのですか? おめでとうございます。しかし、何故、近習としてではなく、兵士として?」

「兄上……嵐泰様をお守りすることは勿論ですが、その前に、学ぶべきことが多いと気付かされました。半人前の身ですが、大切な役を頂いたと思っています」

「一年前とは別人のようですこと。嵐泰殿も安心されたことでしょう。食糧輸送は、文字通り、わたくしたちの生命線を握っています。あなたにお任せするのが一番ですね」

 にこやかな笑みで告げた翡翠に、麗倫はしっかりと頷く。

「ご期待に沿えるよう、心してかかります。それでは、失礼いたします」

 拱手をした若者は、資料を手に参謀室を後にする。

 それと入れ替わりに、劉藍衛将軍が中に入ってきた。

「主将! 申し訳ございません、少々問題が……」

「藍衛殿? どうなさいましたか?」

 書簡に目を通していた娘は、劉将軍のただならぬ様子にわずかばかりに表情を変える。

「やんごとなき御方が、我が儘でも仰いましたか?」

「何故それを!? あ、いえ。我が儘、というわけでもございませんし……」

 一瞬、ひどく驚いた様子で目を瞠った藍衛は、すぐに曖昧に言葉を濁そうとする。

「わかりました、お会いしましょう。王太子府の入り口にいらっしゃるのですか?」

 戸惑いを隠せずにいる劉将軍にあらかたのことを察した軍師は、ひとつ頷くと、書簡を片付け立ち上がった。


 回廊を抜け、守衛兵が立つ場所まで歩いてきた翡翠は、煌びやかな軍装の娘の姿に気付く。

「翡翠従姉様!」

 翡翠の姿に気付いた娘は、明るい表情を浮かべ、従姉を迎える。

「ご足労頂きまして、真に申し訳ございません。翡翠従姉様にお願いがございます」

 柔らかな癖のある金の髪を揺らし、娘は背の高い従姉を見つめる。

「わたくしに御用でございましたら、遠慮なく後宮へお呼び付け下さればよろしいものを……一の姫様」

 ゆっくりと腰を折り、王族に対する礼を施す翡翠の前で、王の娘は失望に似た表情を浮かべる。

「確かに、王の娘という身分の前では、誰もが頭を下げるのね。ですが、私の地位はあなたよりずっと下ですわ。頭を上げてくださいませ」

「承知いたしました、菖蒲の君。その装いは、後宮娘子軍のものですね」

 屈めた腰を伸ばし、すっと立ち上がった翡翠は、優しげな眼差しで問いかける。

「はい。王の娘ではなく、武を嗜む者としてお願いに上がりました。私を女子軍の末席に加えてくださいませ」

 真剣な表情で訴える一の姫に、翡翠は首を横に振る。

「なりません」

「お願いいたします。私の腕前は、師であるあなたがご存知のはず。どうぞ、私に私の国を守る機会を与えてくださいませ」

「すでに守っていただいております。菖蒲の君、あなたは後宮娘子軍を指揮する頭ではありませんか。大将ともいえる方が己の任を果たさずに、何をなさろうというのですか?」

「王宮で、黒獅子軍や他の軍の方々に守れて、何もせずにいる娘子軍では、民を守ることはできません。王の子として生を受けたのなら、その義務を果たすべきではないのかと考えました。従姉様に師事したときから、遊びではないと自分に言い聞かせ、努力をしてまいりました。どうか、私に……」

「姫は考え違いをなさっておられます」

 懸命に言い募る一の姫に対し、穏やかに翡翠は告げた。

「娘子軍が何もしていないなどと、何故、そう仰せになられます? 娘子軍が守るのは、国の要。国王陛下、その人にございます。陛下の公私に渡って、必ずお傍に控えることができるのは、後宮にお住まいの妃殿下と姫君のみでございましょう。後宮娘子軍が陛下をお守りし、黒獅子軍が王都を守るからこそ、わたくし達は背後を気にせず、安心して敵と正面から向かい合うことができるのです。直接的に関与していないからといって、民を守っていないということにはならないのですよ」

 諭すような口調ではなく、単に事実を述べているだけという翡翠の言葉に、菖蒲の君と呼ばれる姫の瞳が揺れる。

「……しかし……」

「一の姫様が女子軍に仕官なされたら、何方が娘子軍を指揮なさるのでしょう? 指揮に混乱が生じ、陛下の御身にもしものことがございましたら、そのときはいかがなさいましょう?」

 言い淀む娘に対して、碧軍師は冷静に指摘する。

「陛下には確かに王子が大勢いらっしゃる。姫君も。王族の系譜に名を連ねておられる方も少なくはございません。ですが、世継ぎの君は未だ不在でございます。王が不在の国は、国として成り立ちませぬ。混乱に乗じ、周辺諸国が一気に攻め込むことでしょう。今、ひとえに颱が安定しているのは、王が壮健でいらっしゃるということの一点のみです。世継ぎの君がいらっしゃれば、磐石と言っても差し支えないでしょうが、現在の颱は陛下お一人が支えているようなもの。その陛下をお守りするのは、娘子軍の方々でございましょう? これでも何もしていないと仰るのですか?」

「口幅ったいことを申し上げてもよろしいでしょうか、姫君?」

 それまで翡翠の後ろに控え、口を挟まず沈黙を守っていた藍衛が、初めて横から割り込む。

「劉将軍……」

「武人には、手柄の立て方というものがございます。武勲を挙げ、華々しい功績を称えられるというのは、誰もが憧れるものでございましょう。ですが、それは愚というものでございます。真の誉れは、功績を挙げぬことにございます。先陣で功を挙げる仲間を後ろで支える者こそ、真に称えられるべき者と申せます。畏れながら、姫は武勲を挙げることが民を守ることだとお思いになられていらっしゃるのではございませんか? 時には構えて動かぬことこそ、第一かと」

「構えて動かぬ……綜季籐将軍のように?」

「御意」

「動かぬからこそ、安泰だと民に思わせるほど、私たちは強いと思われておりませぬ」

「いえ。動かぬからこそ、陛下が安泰であると、民は安心いたします。女子軍、王太子府軍は、末端部だということを民は知っております。勝てばよし、負けても、要となる礎は、決して倒れぬことを知っております」

「決して倒れぬ……」

「御意。妃殿下、並びに姫君方が、一命を賭して常に陛下をお守りになっている。この事実を、民は常日頃より存じております」

 藍衛の言葉の是非を確かめるように、一の姫は翡翠に視線を向ける。

 綜家の末姫は、その視線をまっすぐに受け止め、そうして静かに頷いてみせる。

「目に見えないと思っていても、他の者にとってはあからさまにわかることがございます。そうして、陛下もそのことをよくご存知でいらっしゃいます」

「当たり前のことだと……」

「いいえ。常に感謝をしていらっしゃいます。ただ、それを口にすることができないお立場ゆえ、態度で表すために政をなさっておられるのです」

 二人の武将の言葉を噛み締め、瞳を揺らす王の娘は、俯いた。

「翡翠! 劉将軍も、こんなところでどうした?」

 砂利を踏みしめる音共に明るい無邪気な声がかけられる。

「三の君様……」

「三の兄上」

「ん? 瑠璃か? 珍しいな、お前がこんなところに出向くとは」

 闇色の瞳の若者は、後宮に住まう妹の姿に軽く目を瞠る。

「そうか。おまえが娘子軍の総指揮を執っていたのだな。陛下のお守りは大変だろう? あの方は隙あらば前線に出ようとなさるから、おまえ達が王宮で重石となり、周辺に気を配って警護をしてくれていて、非常に助かる」

 にっこりと優しげな笑みを浮かべた三番目の王子は、同じ年の妹の頭を撫でる。

「私たちは兄上のお役に立っていますか……?」

「ああ。娘子軍が陛下をお守りしてくれているからこそ、俺達も多少の無茶ができる。瑠璃の手柄だ」

 よくわからないが、縋るような瞳を向ける異母妹とその後ろから妙な迫力で頷く藍衛に、熾闇は妹を褒めてみる。

 安心したような、それでいて嬉しそうな妹の様子に、なんとなく間違った対応はしていないのだろうと思った若者は、従妹の副官にこれでいいのかと視線で問いかける。

 よくやったとばかりに頷く藍衛に、少しどころか大いにほっとした王子は、最初の疑問に戻る。

「翡翠に用だったのか? 邪魔をしたか?」

「いえ。三の兄上にお会いできてよかった……翡翠従姉様。突然の我が儘、さぞ、ご気分を害されたことでしょう。申し訳ございませんでした。従姉様の仰る通りです。私は、私に与えられたお役目を立派に果たしたいと思います」

「ええ、それがよろしいでしょう。このように大切なお役目を果たすことができるのは、菖蒲の君しかいらっしゃいませんから。わたくしへの謝罪など、なさらなくて結構ですよ。それは、我が儘などではなく、誰もが一度は疑問に思うことなのですから」

「一度は……?」

「えぇ。自分が、誰かの役に立つ人間なのか……そう考えることが、己の責任というものに対して、初めて向かい合う疑問だと聞きます。その疑問を胸にしたとき、人は一人前になったと言えるのだとか……」

 従姉の言葉に、一の姫は考え込む。

「従姉様方は、その疑問と向き合いましたの?」

 口にした問い掛けに、彼らは言葉で語らなかった。

 ただ微笑んだだけ。

 言葉にせずとも、雄弁な答えであった。

 その疑問を前に、逃げずに立ち向かっているからこそ、兄や従姉は華やかな戦績を上げているのだろう。

 後ろに守らなければならない存在がいるからこそ、倒れることができない苛烈な戦いを耐えねばならないその精神力に思い当たり、心から感歎する。

「私、自分の持ち場に戻りますわ。皆様が後ろを気にせず前だけに専念できますよう、力を尽くします」

「そうか。では、おまえの一番の手柄を見せてもらうぞ」

 大らかに笑って妹に鷹揚に頷く兄に、一の姫は頷き返す。

「三の兄上、たまには後宮に顔をお見せください。十二の下の妹達が、兄上に構って欲しくてうずうずしておりますわ」

「い、いや……俺は……そう! 俺は成人したから、後宮に足を踏み入れることはもうできぬのだ。妹達には悪いが、諦めてくれ。東宮にもだ。あそこは男ばかりで、妹達の目には恐ろしく映るだろう。戦ばかりで構ってやれぬ兄ですまぬな」

 一瞬うろたえた熾闇だったが、すぐに尤もらしい言い訳を思いつき、誤魔化してしまう。

「それは、残念ですわ。お騒がせをいたしました。失礼いたします」

 残念そうな笑みを浮かべた娘は、三人に会釈をすると踵を返し、後宮へと去っていった。

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