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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
130/201

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「翡翠! 迎えに来たぞ」

 砂利を踏み鳴らして近寄った熾闇は、よく通る声で乳兄弟に声をかける。

「熾闇様」

 ふりかえった黒髪の娘が、ふわりと微笑む。

 最近、柔らか味を帯びてきた美貌に相応しい優しげな極上の笑み。

 幼い白虎族がもたらした笑いを堪えようとしていたせいだが、その笑みの見事さに男達は一瞬声を失う。

 一番最初に立ち直ったのは、その笑顔を見慣れていた熾闇であった。

「そちらの客人は、時と風の一族の方か?」

「はい。次代様だとお伺いいたしました」

「次代……白虎殿の御子か!?」

 翡翠の言葉に、一瞬考え込んだ若者は、すぐに答えに思い当たり、驚いたように声を上げる。

「独身だと言ってたのは偽りだったのか!? 否、神族は偽りを口にすることはできないと仰っていたが……」

『如何にも、神族は偽りを口にすることは矜持にかけてせぬぞ。ゆえに、我は長殿の仔ではないわ!』

 むくりと起き上がった仔虎は、ムッとしたように、だが威張りくさった態度で堂々と言い切る。

「では、血縁者なのだろうか? 神族のことは、あまり知らぬゆえ、失礼があったらお許し願いたい」

 丁寧な口調とは言えないが、それでも充分に相手を尊重する気配がそこかしこにあるため、白虎族の若君も気を悪くしなかったようだ。

 ぱたりと尻尾を振り、じっと熾闇を眺めた小さな虎は、鷹揚に頷いてみせる。

『我が一族は、皆、血縁者だ。それゆえ、汝の問い掛けは正しいとは言えるが、正鵠ではない。長は、一族の中で一番力と心が強い者が務める掟だ。我は、今現在、長殿には敵わぬが、次いで力が強い。それゆえに次代の役を担っている。まぁ、四神族は、滅多なことで他の一族の血を入れぬのだ。身の内に宿る力の強さに耐えられる器が必要であるから、仕方がないといえば、そうなのだがな……』

 見た目とは異なり、大人びた口調で答えていた次代長は、不意に何かに気付いたように周りの人間達を見回した後、翡翠を振り返る。

『これはどうしたことか、碧玉の娘! 王が二人いることはまだ良いとしても、王候補が三人に、影までいたとは何事ぞ!?』

「次代様」

 がうっと唸るように声高に問いかける仔白虎に対して、翡翠は宥めるように首を横に振る。

『しかも、我が姉の血を引く者までおるぞ!!』

「次代様、どうぞお静まりくださいませ」

「翡翠! 次代殿が仰っていることの意味を説明してくれ」

 ただならぬことを言われたと察知した熾闇が、眉間に皺を寄せ、従妹を問いただす。

「いえ、わたくしにも意味がよく……」

 曖昧に語尾を濁し、眉根を寄せる翡翠の表情には、嘘を言っているようには見えない。

 次代王になる資質を持つ者が二人という意味なら、熾闇にもわかる。

 生粋の王族直系である熾闇と、臣下の位にいるが間違うことなく王族直系の血を持つ翡翠。

 あるいは、熾闇と傍系だが王族譜に名の載る嵐泰。

 王候補が三人という意味がわからない。

 犀蒼瑛と笙成明には王族の血は流れていない。

 遡って持っていたとしても、すでに血は薄れ、意味を成さない。

 王が一人で、王候補三人なら、何とか頷くことができる。

 この場合、影の意味が理解できないが、辻褄は何とか合うだろう。

 だが、王が二人で候補者が三人となると、残る一人が影となり、数字は合うが意味がわからなくなる。

 どちらにしろ、王が二人の意味が解けなければ、候補者がいる意味も謎にしかならないのは事実だ。

『汝、名は何と言う? 我が姉の直系の子孫よ。姉上は息災にしておるのか?』

 矢継ぎ早に幼さを残す虎が問いかけた視線の先には、嵐泰の姿があった。

「嵐泰……傍流筋のおぬしが王族に名を連ねる理由は、それだったのか……」

 初めて明かされた事実に、蒼瑛が驚いたように問いかける。

 親友の言葉に彼の視線を避けるように視線を落とした嵐泰が、小さく頷く。

「随分薄まったとはいえ、神族の血を持つ者が市井に下るわけにもいかぬ。それ以前に、神族の血に耐えうる器は、王族しかなかったからだ。それゆえ、我が家は、定期的に王族の血を持つ者と婚姻を重ねている」

 まるで忌むべきものであるかのように、苦しげな表情で告げる嵐泰に、蒼瑛は今まで親友が何故隠していたかを悟る。

 末端に近い傍流筋でありながら、直系ほどの血の濃さを持つ青年が、王族譜から抜け出したそうにしながらもその手続きができなかったのかを理解した。

 熾闇も翡翠も、この事実に驚いた様子を一切見せない。

 つまりは、王族にとって公然の秘密であったのだと、彼は気付いた。

「次代様。このようなところで、彼の方のお話をなさいますな。あの方に相応しい場所で、続きを……」

 誰に聞かれるとわからない庭よりも、秘密の保てる場所へ移動すべきだと告げる翡翠に、白虎族の次代長は頷く。

 そのとき、突然の旋風があたりを襲った。


 目を開けられないほどの突風が吹き荒れ、咄嗟に目を護るように一同が腕を上げ、目を覆い、顔を背ける。

 だが、それは一瞬のことであった。

「このクソガキ! 天界を抜け出すとはいい度胸だ!! わかっているんだろうなぁ、ああっ!?」

 小さな小さな虎の首根っこを抓み上げた白い髪の美丈夫が、同族に対し凄んでいた。

『放せ! 長とは言え、無礼であろう!! 放さぬか!』

「何が無礼だ、クソガキ。長の言いつけを守らぬ者には、お仕置きをしてやろう」

『やめっ!! 叔父上!!』

 四肢をばたばたとばたつかせて暴れていた仔虎は、ぽんと音を立てて変化する。

 七歳くらいの愛らしい少年がじたばたと空を蹴ってもがいている。

「沙!」

 白虎が少年の名を呼ぶと、次代を名乗る少年はびくりと身を竦ませた。

「天界の一族を護る役目を帯びた者が、何故、役目を放棄した? 長が戻るそのときまで、一瞬たりとも気を抜かぬという誓約を違えるほどの大事が起こったか? 行き先も告げず、誰にも知らせず、こっそり抜け出すような真似をして、許されると思うか?」

 首を掴んだままの状態で、穏やかに、静かに問いかける。

 優しげだといえる口調だが、何故か空恐ろしく感じられる。

「隙あらば、四神族を一人残らず滅しようとしている天帝から一族を護る役目を疎かにするようなうつけには、次代は任せられぬな。二百数十年生きて、まだわからぬか」

『叔父上こそわからぬではないか! 人界に下りて、一度も一族の里へ戻ってこられぬ! 姉上もそうだ!! 便りひとつ寄越さずにいるとは、あまりにもつれないではないか。寂しいと思ってはいけないのか!?』

 大きな瞳に涙を浮かべ、怒りに任せて竣を怒鳴りつける沙は、ふいっとそっぽを向く。

「当たり前だろう。伶は泰山に登った。便りなど出せようはずもない。天帝が代替わりするまで、この地が俺の封土だ。この国を見守ることが俺の大切な役目だ。天界に戻るわけなどないだろう? 寂しいなど甘えたことを言える立場か? いい年をして、己の役目も果たせぬとは、あまりにも情けなかろう」

 容赦ない言葉に、白虎族の少年はびくりと肩を揺らすが、それでも長の顔を見ようとはしない。

『姉上が、泰山に……』

「……伶は神籍を抜けた。あとは人と同じ寿命で生きることになる。老いて、孫達に囲まれて、それが幸せだと笑って逝った。伶が選んだ道を、お前が何か言う権利はないぞ」

 信じられないと目を瞠る少年に追い討ちをかけるように告げる青年は、身内の死をいたって冷静に告げる。

「白虎殿、それ以上言っては、次代殿の立つ瀬がなかろう。前を走り続ける者は、残される者の気持ちがわからぬと、俺もよく弟達に叱られた。役目だからと言っても、割り切れぬのが情なのだろう? 次代殿に落ち度があったとしても、大事に至らなければ、今回は不問にしてくれぬだろうか」

 ふたりの神族のやり取りを見ていた熾闇が、思わず口を挟む。

「それは甘い考えというものだ、熾闇。力ある者は、その力に見合った義務と責任を負う。それが天界の掟だ。己の感情で動いては、世界が破綻してしまう。頂点に立つ者は、それだけ強大な力をその身の内に抱え込まねばならん。己の心に負けてはならぬと肝に銘じなければならんのだ」

 冷めた表情で白虎神が形ばかりの正論を口にする。

「そこまでになさいませ、白虎様。三の君様のお言葉を受け入れるおつもりなのに、意地悪をなさるなんて」

 柔らかな笑みを浮かべた翡翠が、白虎の長を窘める。

「そーだ、そーだ! 俺が横槍入れるの待っていたくせに」

 言った本人である熾闇までもが気軽に言い募る。

「言われたな。反省したか、沙?」

 掴んでいた腕を引き上げ、少年と視線を合わせた白虎神が、睨みを利かせて問いかける。

 だがしかし、庇われたはずの次代長は、翡翠と熾闇を交互に見比べ、当代長の言葉など耳に入った様子もない。

『闇色の瞳とは珍しいのう。汝があの娘の主か? そうか? 碧玉の娘、これが汝の麒麟か?』

 興味津々といった表情で、二人を見比べていた少年は、満足したように笑う。

『叔父上が、なかなか天界に戻らぬも道理だ。我らにとって極上の輝きを持つ者ばかりじゃ。天界に上がるなら、我は汝を天界の主として迎え入れようぞ、人の子の王子』

「叔父上、言うな!」

 がつんと沙の頭に拳骨を落とした白虎が、大きな声で少年の言葉をさえぎる。

『痛っ!! 暴力反対! 母上に言いつけてやるぞ』

 頭を押さえ、涙目になった少年は、上目遣いに叔父を睨み上げる。

「早く帰れ」

『人界の降って、性格が悪くなったようじゃ』

「帰れ!」

『長の命じゃ、聞かねばならん。碧玉の娘、人の子の王子、神族の助けが必要になったら、我が名を呼べ。長殿は、約定により力を振るうことはできぬゆえ、我が如何ほどでも助勢しよう。他の神族も同じように名乗るかも知れぬが、我が一番じゃ。よいな?』

 やれやれと溜息を吐いて見せた少年は、すぐに悪戯っ子のような表情で二人に告げると、元の白い仔虎の姿に転変する。

 そうして、二人の返事を待つまでもなく、あっさりと姿を消した。


 台風一過と表現するのがぴったりな心情で立ち尽くす神獣と人間の男達。

 女達は別の意見を持っているようである。

「本当に愛らしい方でしたね、次代様は」

「えぇ、本当に。まるで幼い頃の熾闇様を見ているようでした」

 くすくすと笑いあった娘達が、感想を述べ合う。

「殿下はあのような感じの御子だったのですか?」

「えぇ。やんちゃなところが、畏れ多いことでしょうが、そっくりです。白虎様とのやり取りも、あのような感じで……懐かしいですね」

 柔らかな、屈託のない笑みを浮かべる翡翠に対し、第三王子は苦虫を潰したような渋い表情である。

「それは……微笑ましい場面ですね」

 翡翠と熾闇を見比べた青藍が、軽く首を傾げ、小さく笑う。

 娘達が故意に話題を逸らしていることに気付いたのは、白虎一人であった。

 嵐泰に神族の血が流れているという衝撃的な事実から目を逸らせようと、当たり障りのない話題を作っているのだと、彼は悟る。

 その身が枷であることから逃れられない嵐泰が、最も逃れたい話題であるからこそ、その衝撃を忘れてしまうような話題を持ち出す娘達の優しさに、彼は満足げに笑い、乗ることを決める。

「微笑ましいかぁ? けたたましいガキじゃないか。ヤキモチ妬きのおまけつきなんだぞ。こいつのおもりもそれで苦労したんだぞ」

 さも嫌そうな表情を浮かべ、白虎は肩をすくめる。

 不思議そうに首を傾げる娘達の前で、仰々しく溜息を吐いてみせる。

「苦労、と、申されますと……?」

「一瞬でも翡翠の姿が見えなくなると、駄々をこねる、泣き喚く、挙句の果てには、時間かまわず呼びつける」

「……まぁ、大変」

 うんざりしたような表情を貼り付け、棒読みで羅列する。

 当時のことを幼すぎて記憶していない子供たちの表情は対照的である。

 その横で、青藍が意外そうな声を上げている。

「本当に大変だったぞぉ、祝の娘。まぁ、もっとすごいのもいたのは、いたけどな」

「お聞きしたいところですけれど、時間切れのようですわ。利将軍が、こちらに……」

 残念そうな声音で告げた白金の髪の娘は、視線を横に流す。

 奥から利南黄将軍がこちらに向かって走っていた。

「上将!」

「悪い知らせか、利将軍」

 有能な武将の表情になった若者が、落ち着いた様子で問いかける。

「燕が、再び国境を越えました」

 苦々しい表情で事実を告げた武将は、まっすぐに王太子府軍の主将をみつめる。

「燕が!? 今年、二度目だぞ!」

 信じがたいと言いたげに、蒼瑛が顔を顰める。

「真だ。王より命が下されました。王太子府軍、全軍にて迎え撃つようとのことです。今、各部隊長に伝令を差し向けました」

「わかった。翡翠! 頼めるか?」

 南黄の言葉に動じた様子もなく、熾闇は片腕に問いかける。

「殿下の御意のままに」

 しっかりと頷いた娘は、一同を見渡す。

「詳しい情報が入り次第、軍議を行います。それまでに、皆様は出陣のご用意を」

「了解」

 あっさりと言葉を返した男達は、熾闇に向かって一礼すると、そのまま王太子府へと向かって走り出す。

「……短い春だったな」

 もうしばらくは平和が続くだろうと思っていた若者は、残念そうに呟く。

「動乱の夏ですね。しばらくは終わらないでしょう」

 冷静に告げた翡翠が、風になびく髪を手で押さえる。


 それは、波乱への序章であることを知る者は少なかった。

 だが、確かに何かが終わり、そうして何かが始まる幕開けでもあった。


 年明けに、たった二日の攻防で壊滅状態に置かれた燕軍が、再び軍を再編し、国境に侵入するだけの力を持つなど、誰が想像できたであろうか。

 此度の戦、簡単には終わらぬだろうと予感めいたものを感じながら、王子と軍師は己が職場へと向かった。

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