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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
13/201

13

「失敗しただと? この愚か者が!」

 耳障りな甲高い音を響かせて、素焼きの杯が粉々に崩れ散る。

 パオと呼ばれる天幕の中で床几に腰掛けていた妖艶な美女は、畏まる男に不機嫌そうな表情でじろりと睨め付けた。

「ですが、何分にも軍勢の差が……」

「妾も最初にそのことは皆に言った。だが、我が軍は草原において一騎当千の猛将揃いゆえ、怖るるに足らずと言ったは、そなたであったな? 雷莉」

 侍女が新しい杯を用意し、そこに蜂蜜酒を注ぐと、奥へと去っていく。

 それを見送った美女は、あからさまに不快な表情で告げる。

「だから言ったのだ! 相手は四神国が颱。侮るなかれとな」

 脇に控えた男が得意げに雷莉へ言葉を投げつける。

 猛将揃いの羌だが、知恵者は少ない。

 それが、彼等の致命的な欠点だった。

「誰が発言を許した、倭衛? その耳は飾りのようだな。飾りはいるまい、斬り捨ててしまえ」

 淡々とした口調で告げた女帝は、視線だけで近従に命じる。

 命を受けた近従ふたりが、倭衛の腕を掴み、パオから引きずり出す。

 姿が見えなくなってしばらくした後、何とも言い難い悲鳴が聞こえた。

 その悲鳴に、雄壮な男達も少しばかり青ざめる。

「そなたの顔も見飽きたな、雷莉。そう言えば、そなたの甥が来ておったな。どうだ? その地位を甥に譲って、そなたは後見に務めよ。そろそろそなたも楽をしても良い年になったしな、遠慮するな」

 あっさりとした口調で人事を告げた女帝は、蜂蜜酒で唇を湿らせる。

「麗梨様」

 左頬に大きな刀傷のある壮年の武将が、窘めるように女帝を呼ぶ。

「説教は聞く気はないぞ。妾が示した案にすべて従えば、今頃そなた達は楽に戦を運ぶことができたのだ。妾の言を聞かず、好き勝手にやって失敗したとしゃあしゃあとよく言えたものだな。何が誇り高き草原の民じゃ。そのような傲りがあるからこそ、颱ごときに負けるのだ。口先だけで結果を出せぬ者など、羌には要らぬ。死を以て贖えばよいのじゃ。うぬらは、妾の駒として素直に従えばよい。それ以上のことは望まぬ」

 うんざりとした様子で言葉を綴る麗梨に、反感の色が浮かぶものの、主だった反対は起こらない。

 確かにそうなのだ。

 国境付近で商隊を襲い、その荷駄を得ていた頃は、何もかもが順調であった。

 ところが、颱が軍勢を率いて国境へと来た頃から、歯車が狂ってしまったのだ。

 新帝の言葉に反発し、表面上は素直に従っているふりをして、その実、己達の思うままに軍を指揮していたが、その悉くが颱に読まれ、不本意な結果を導き出した。

 このままでは羌は負けると、女帝の許へ集まれば、冷酷な新帝は思いもよらぬ策を告げ、そこそこの結果を出した。

 そうして見せつけられたのは、厳しい軍律。

 上の者の命は、何がなんでも無条件に従えという不文律を、頭ではなく身体に覚えさせられてしまった。

 雷莉は、繻の族長である。

 羌の中でも割合大きな部族の頭をあっさりとすげ替え、しかも、羌族の狂戦士と名高い倭衛の耳を削ぎ落としてしまった冷徹な女帝・麗梨に、猛将達も声なく立ち尽くす。

 新女帝が彼等に望むものは、従順な態度と迅速な対応だと理解したからだ。

 押し黙った将達に、手短に麗梨は指示を出す。

「颱は、右翼左翼を突出させ、本隊を後退させて、我らを取り囲む陣形を取るはずだ。右翼と左翼が前に出てきたら、本隊を追うな! 右翼と左翼の横っ腹に食らいつけ! それだけで奴等は崩れる。まずは奴等の戦力を削ぐことから始めればよい」

 実に簡単な指示に、将達は困惑する。

 厄介だと思っていた颱軍の陣形が、そんな簡単なことで破れるのか、今一歩信じられないのだ。

「……まさか、この策でも負けることなどはあるまいな? 各個撃破は、基本中の基本。一対一なら決して負けぬと豪語するそなた達向きの作戦じゃ。羌族の戦士の誇り、この妾にとくと見せてみよ」

 高飛車な物言いも音楽的な声で言われれば、従わなければならぬと思わせる呪縛になる。

 面倒臭げに片手を振られ、退出を命じられた将達は、黙然とそれに従った。


 不機嫌そうな面持ちで、杯を煽った女帝は、重々しい溜息をつく。

 髪を綺麗に結い上げ、明るい笑顔を浮かべれば、この華やかな美貌がどれほど映えるだろうかと思わせるが、彼女の表情は曇ったままだ。

 先帝が帝位について後より、彼女の表情が晴れ渡ったことなど一度たりともない。

「………………ばいいのに……」

 武骨な男達が消え去ったパオの中で、麗梨は低く呟く。

「何か仰いまして? 姫様」

 戦場には不釣り合いなまでになよやかな侍女が問いかける。

「いや。すまぬな、色々と迷惑をかける」

 その声にハッと我に返った麗梨は、穏やかな笑みを唇の端に刻み、優しく告げる。

「ここは、そなた達には不似合いな場所だ。妾はひとりで大丈夫ゆえ、そなた達は国元へ戻るが良い。安心して戻れるだけの戦士をつけてやるゆえ」

「いいえ。私どもは姫様と共にあることが、幸いにございます。どうぞお傍にお置き下さいませ」

 何度も繰り返した言葉に、麗梨は小さく笑う。

「まったく強情よな。誰に似たのか……だが、いつでも申せ。そなた達は妾にとっても姉妹のような者達ばかりじゃ。安全に戻れるよう、心を尽くすゆえな」

「ありがとう存じます、姫様」

 沈んだ表情の主を引き立てようと、侍女達はことさら華やかな笑い声を立て、彼女の杯に蜂蜜酒を注ぐ。

「それはそう! 姫様は敵の総大将をご覧になられましたか?」

「まだ年若い少年のようでしたわ」

「白い具足を身に付けて、見事な馬捌きでした」

「白い具足──王族だな。では、総大将は第三王子か……熾闇殿と申されたか。大きくおなりのようだ」

 ポツリと漏らした麗梨の言葉に、侍女達は顔を見合わせ、小首を傾げる。

「姫様、あの少年をご存知なのですか?」

「昔、颱に赴いたときにお会いしたことがある。利発な御子であった。その傍に、黒髪の少年は見えなかったか? 湖のような碧の瞳をした」

「いえ。気付きませんでしたわ」

「そうか……皆、下がっておいで。しばらくひとりになって休みたい」

 感慨深げに語った麗梨は、表情を改め、彼女達に穏やかに命じる。

「はい、姫様。御用がございましたら、いつでもお呼び下さいませ」

 小さく頷いた娘達は、丁寧に一礼すると、そっと姿を消した。


「熾闇殿と翡翠殿が総大将か……ならば、舞台は整った」

 ぽつりと女帝は呟く。

「羌など、滅びてしまえ!」

 呪詛にも似た呟きは、風に散り、四散した。

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