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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
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 一方、翡翠は剣には手も触れず、体術のみで浅葱に挑んでいた。

 舞の体捌きと体術の体捌きは、非常によく似通っている。

 剣を持たずとも、颱随一の舞い手である翡翠には、己の四肢が相手を殺傷するに充分な武器となる。

 一度は剣に手をかけた浅葱だが、翡翠が何も手にしてないことを知るなり自分もまた得物から手を離し、素手で応じる。

 舞うように滑らかな動きで叩き込まれる手刀を、同じく手刀で跳ね返し、足技で相手の注意を外すとすばやく獣爪で肩口を突く。

 よろけた相手にすかさず腕を絡ませ、捻り上げるとそのまま背負うようにして投げ飛ばす。

「どうしましたか? あなたはその程度の方ではないでしょう? 浅葱……いえ、真名をお呼びしましょうか」

 指先に引っ掛けた布を落とし、静かに問いかける。

 その口調だけを聞けば、戦いの最中にある者とは思えない穏やかさだ。

「……何故、得物を手にしない?」

「あなたは体術が得意でしたから……あなたの中にいる浅葱の記憶がそう言っているでしょう? わたくしに最初に体術を教えてくれたのは、浅葱でした」

 地に伏していた男はゆっくりと起き上がり、翡翠をまっすぐに見つめる。

「わたくしの執務室で毒入りの湯を用意したり、衣装の襟に針を潜ませたのはあなたですね、浅葱? 自分の存在をわざと知らせようとしていましたね」

「あれは、私では……」

 苦しげな表情で呟いた男は、後ろへとさがる。

「そう。あなた方が軽んじる人は、時として思いもよらぬ力を発揮するのですよ。死してなお、わたくしを護ろうとしてくれる浅葱たちの忠誠に、わたくしは酬いてやらねばなりません。わたくしは生き延びて、あなた方に相応の罰を科す。その罪を贖ったとき、あなた方は白虎様から別の罪状を問われることになるでしょう。悔いなさい。あなた方は、取るべき方法を間違えた」

 あっさりとした口調で説明した翡翠は、腰の帯びに吊るした剣を鞘から引き抜く。

 楓と紅葉も青藍と成明に追い詰められ、三人は背中合わせに立つ。

「あなた方の罪は、己の都合のみで女性三人を殺害したこと。利己的で短絡的かつ残忍な犯行に相応しい罰を告げましょう。異空間である時間の牢に三人の寿命の長さだけ留めます。その間、あなた方は人間と同じように年を取ります。天界と人間界を見つめ、何もできずに老いる恐怖を味わうといいでしょう」

 静かな、とても静かな声で告げる翡翠の隣で、青藍が捕縛の術を発動させる。

 三人同時にではなく、ひとりひとり個別に術をかけていく。

「そう、ですね。三人一緒の檻に入れれば、孤独を紛らわせてしまうでしょう。それでは、意味がありませんね」

 そう告げた翡翠が剣を大地に突き立てる。

「己が姿を見つめる鏡と、天界、地界、それぞれを眺める窓が必要でしょう。それだけあれば、後は何も要りませんね」

 淡々とした口調で宣言した娘は、その明言通りの檻を作り上げる。

「再見」

 たった一言、呟きにも似た小さな声で告げた麒麟の守護者は、術を完成させる。

 きんっと、澄み切った甲高い音が響いたかと思った瞬間、天界の刺客の姿はその場から消え去った。


 風を感じなかった頬が、心地良い風に撫でられる。

 柔らかく甘い風に、先程までの異空間から脱出できたのだと成明は悟る。

 翡翠と青藍、二人の娘の異能を目にしたばかりだというのに、そのことについてあまり違和感も拒絶も感じない自分に気付いていた。

 たとえ異端であろうとも、彼にとっての存在意味はまったく変わらない。

 それで充分なのだと、彼の本能が告げていた。

「青藍殿、お怪我はありませんでしたか?」

 ならば、彼が取る行動はただひとつ。

 娘たちの安否を確かめることだけである。

「えぇ、はい。まったく」

「それはよかった。翡翠殿……左手の甲、怪我をなさっていますよ」

 驚いたような表情で、がくがくとぎこちなく頷いた青藍に笑って応じた成明は、翡翠に視線を向け、途端に険しくなる。

「え……あの……」

「いつも申し上げておりますでしょう? 例え、取るに足らない怪我でも、それを悪化させてしまえば、死を招きかねない大病になる可能性があるのですよ。あなたは、もう少し慎重に行動なさらないといけませんね」

 つい説教がましく告げた成明は、懐の中から貝殻の入れ物に入った軟膏を取り出し、それを翡翠の左手の甲へと塗りつける。

 赤い線が滲んだその傷は、おそらくは爪で引っ掻かれた痕だろう。

 ほんの掠り傷であるはずだが、ひどく痛く感じられるのは、彼の心が痛むせいだろうか。

 思わず渋面になってしまった成明に、翡翠は戸惑うような眼差しを向ける。

「たいした傷ではないのですから、そう、お気になさいますな」

「何を仰いますか!? お輿入れ前の姫君に傷などあっては一大事でしょうに」

 無頓着すぎる娘の言葉に、頭を抱えたくなった青年は、深い溜息を吐きながら答える。

「成明殿は、傷のある娘だとお嫌なのですか?」

「いいえ。その方が、魂に偽りなくその方ご自身であれば、例え、どんな傷があろうとも、その方を愛しいと想うでしょう。ですが、女性はほんの少しの傷を醜いと恥じられる方が多いので……あ、いえ。私の母達がそうでしたから……」

 不思議そうに問いかけられた言葉の意味を素直に受け止め、青年は淡い色の瞳を和ませる。

「……成明殿と一緒にいると、自分が普通の人間だということを思い出します」

 ふわりと微笑んだ翡翠が、小さく呟く。

「え? あ、あの?」

 運良くその言葉を拾った成明は、驚いて彼女を見つめた。

「翡翠様は、成明殿がお好きなのですね」

 くすくすと悪戯っぽく笑った青藍が、からかうように朗らかな声で告げる。

 その言葉に、翡翠は少し考え込み、素直に頷く。

「そうですね。成明殿のことは、とても好きですよ」

「青藍殿! 軍師殿! 年上をからかわないでください」

 瞬間的に真っ赤になった成明は、困ったように二人の美女に訴える。

「あらあら、主将、お顔が真っ赤ですよ」

「からかうだなんて……本心からですのに」

 からかう気満々の青藍が伸びやかに笑う隣で、どこまでも真面目な翡翠が困惑したように首を傾げている。

「……はぁ……もう、いいですよ。何とでも仰ってください。それより、清風庵へ行かなくてもよろしいのですか?」

 がっくりと肩を落とし、脱力感を漂わせた若者は、力なく答えると、先程まで娘たちが力説していた甘味処の名を挙げる。

「あ! 行きます! 主将は本当にお優しい方ですね」

 成明がご馳走してくれると話していたことを思い出した青藍は、にこやかに白々しいことを口にする。

 明らかに停戦の構えに入った娘に、若者も苦笑する。

「しようのない人だ。あなた方には敵いません。蒼瑛殿にいじめられたら、庇ってくださいよ」

「えぇ、全力で庇いますとも」

「勿論です」

 本来ならば情けないと思えるような言葉を告げる成明に対し、力強く応じる娘たちに、彼は苦笑を深くする。

「では、参りましょうか」

「はい」

 実に嬉しそうに微笑んだ娘たちは、若者を案内するように先に立って歩き始めた。


 それから一刻後、三人の若者たちは、ようやく王宮に辿り着いた。

 ごく普通の女性の買い物と異なり、翡翠と青藍の興味の向く先は文具屋の紙や筆、墨などや、本屋、武具屋などと、実に良家の子息に相応しいものばかりである。

 あくまでも私塾の学生を装って、本を探す二人の姿は、どこをどう見ても今伸び盛りの若者にしか見えない。

 右大臣と、外大臣の娘には、決して見えないだろう。

 妙な輩に狙われる心配は、この姿ではありえない。

 それだけは安心だと、少しばかり気が楽になった成明は、順調に警護を勤め、王宮の門をくぐった。

「今日はありがとうございました、成明殿」

 晴れやかに、だがおっとりと翡翠が礼を言う。

「いえ。王太子府に着くまでは、そのお言葉はいただけません。上将に……あれ?」

 生真面目に返事をしていた成明は、ふと視界を過ぎった半透明なものに気付き、言葉を切る。

「どうかいたしましたか、成明殿?」

「い、いえ……今、妙なものが見えたような気がしたものですから……」

 颱に生まれ育った成明であるが、怪異に慣れているとは言いがたい。

 それゆえ、自分が見たものに自信があるとは言えないのだ。

「妙なもの? あぁ、もしかして、透けて見える人型のようなものですか?」

 何でもないような口調で翡翠が問いかけ、青藍が納得したように頷く。

「そう言えば……今日はやけに見えますね」

「え!? 普通に見えるものなんですか、これは?」

 もしかして、これが普通の視界というものであって、自分がおかしいのかと一瞬疑ってしまった成明だが、相手が尋常ならざる存在であることを思い出し、自分が正常なのだと思い直す。

「普通、とは、少し違いますね。王族の血が少しでも入っていれば、見えるようですが……それでも白虎様がご機嫌麗しくいらっしゃるときや、精霊達が好む天界人の来訪など、天界の空気が濃いときであれば、よく見えますが」

 小首を傾げ、考えながら説明する翡翠の姿は、年頃の娘らしく見え、やけに愛らしい。

 成人の儀を迎えたとは言え、幼げに見えさえする。

「精霊……」

 死人の魂魄が逍遥しているわけではないと知った青年は、娘たちに気付かれないように安堵の溜息を漏らす。

 先程、天界人と相対したため、天界の領域は何とかなると知ったわけだが、死人の魂魄――つまり冥界に関しては手も足も出ないのだ。

 生者であれば屠ることができるであろうが、初めから死者であればどうしようもない。

「本日、白虎様のご機嫌がとてもよろしいのでしょうか? それとも、何方かいらっしゃったのでしょうか……軍師殿は、確か、朱雀様がお出でになられたと出掛けられる前、仰っていましたね? そのせいでしょうか」

 ふと、火焔樹の下での出来事を思い出した成明が、そう問いかける。

「それもありますが……風と火は相性が良いことは事実です。風は火を煽り、また、火は風を生ずとも言いますから。ですが、朱雀様がいらっしゃっただけで、このように風の精霊が姿を現すのはおかしいような気もしますが」

「そうですね。陰陽の理から言えば、おかしくはないとは思いますが、どちらかというと眷属の上位にあるものが近くにいるせいで浮かれている、と、そう申し上げたほうが辻褄が合うような気がいたします」

 訝しむようにしきりと首を傾げる翡翠の隣で、仙術を学んだ青藍が、慎重に言葉を選ぶ。

「風の眷属ならば、白虎様と同じく白虎族の方々や、羽のある一族の方々でしょう……まぁ?」

 足元に小さな白い毛玉を見つけ、翡翠は目を瞠る。

「あら、可愛らしい白い猫ですこと。珍しい……」

 よく手入れされた毛並みを持つやや大きめの猫に、青藍も頬を緩める。

「いや、それは……」

 白い猫を見下ろした成明はそのまま絶句する。

(どう見ても、白い仔虎だろう、それは!?)

 すりすりと額を翡翠の足に擦り付け、甘える仕種を見せるその耳は、猫よりも先が丸く、しかも大きい。

 その姿によく似た存在を成明は知っている。

 この白い猫を大きくすれば、白虎神の姿になるのだ。

『よい香りだな。気に入ったぞ』

 やんちゃな子供の声が、どこからともなく響く。

『娘! 名は何と言う? 我の妃にしてやろう』

「……まさか、とは思いますが……」

「そのまさかでしょう」

「天界の白虎族の御方ですか……」

 三人は、顔を見合わせ、そう口にする。

「最悪だ……今日は、私は厄日だったのでしょうか」

 額に手を当て、天を仰いだ成明の切実な言葉に、答えようもない娘たちはただ肩をすくめただけであった。

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