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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
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 私塾の帰りと思しき若者たちが三人、楽しげな表情で市を覘いている。

 双子のようにそっくりな雰囲気を持ちながら対照的な黒と白金の髪の若者二人と、その少し後からついてくるいくつか年上の若者に、街を行きかう人々は感歎の眼差しを向ける。

 元々、顔立ちの整った者が多い颱であるが、これほど際立った美貌の持ち主はあまり多くない。

 これが女性ならばさぞかし目の保養になると思いつつも、男でも充分に人目を惹きつけていることに皆気付く。

 そんなことに気付いた様子もなく、年若の二人は興味深そうに露店を眺め、そうして年長の若者を振り返って笑顔で話しかける。

 年相応な無邪気な笑顔を向けられた年上の若者は、爽やかな笑顔を返しながらも年長の落ち着きではしゃぐ彼らを窘めているようだ。

「藍殿、あれは采の菓子では?」

「そのようですよ、碧殿。皆様への土産にいたしましょうか?」

「それはよい考えですね」

 互いの偽名を呼びながら、嬉しそうに頷き合うのは翡翠と青藍である。

「成明殿! 成明殿は甘いものは大丈夫でしたね?」

「えぇ。前をきちんと向いてください。いくら治安がいいからといっても、スリがいないわけではないのですよ。もう少し行くと、人が込み合いますからね、ぶつからないように気をつけてください」

「はい。承知しました」

 声を揃え、にっこりと笑いあう双子のような若者に、成明も思わず笑みを溢す。

 まさか、この年相応の若者が、誰もが知り、憧れる綜家の末姫だとは思わないだろう。

 誰が見ても少年のような若者が、女性だとは気付きもしない。

 翡翠のお忍び癖は、とりあえず知ってはいたが、ここまで完璧に振舞えるのだとは、成明も思わなかったのだ。

 服装までは誰でも考えられるが、まさか声まで少年のように聞こえるから不思議だ。

 育ちの良さは、どうしようもないため、そこを生かして私塾に通う貴族の子弟を装うとは、成明も考えつかなかった。

 木の葉を隠すなら森の中とは言わないが、ここまで目立つのを利用して、別の思い込みとすり換えるとは誰も思いつかないだろう。

 上機嫌で歩く娘たちを見つめ、成明は小さく微笑んだ。


 質の良い楽器しか取り扱わないことで有名な楽器屋は、大通りに面した小さな店である。

 名品だけを取り扱う店は、また、客をも選ぶ。

 店主のこだわりを理解し、そうしてその名品に相応しい人物だけを客として迎え入れるのだ。

 そんなささやかなこだわりを、人は変人だの偏屈だのといって遠巻きに見ているらしい。

 音無屋という屋号も、そんなこだわりから付けられているのだ。

 演奏者の手に渡って、初めて楽器は完成されたものになる。

 それまでは未完成なものであり、音の鳴らない楽器屋であるから、音無し屋というらしい。

「こんにちは。ご店主はおられますか?」

 間違いなく、音無屋の上客である翡翠は、穏やかに声をかける。

「うん? こりゃ、綜の……。今日は白の坊と一緒じゃないのかね?」

 お忍びのついでに立ち寄るせいか、熾闇と共に来ることが多い翡翠が別の人間を伴ってやってきたことに、店主は不思議に思ったらしい。

「えぇ。少しは仕事をしてもらわないと困りますからね」

「そりゃ、確かに困るな。お前さん方のおかげで、わしらは商売に精を出せるんだからの」

 相手が誰であるかを知っている割には、あっさりとした態度の店主は、頷きながら奥へ一旦戻り、そうして商品を手に戻ってくる。

「さて。これが注文の品だ。思った通りの物か、確かめなさるといい」

「では、失礼して」

 嬉しそうな表情で楽器を受け取った翡翠は、それを縁台に置き、そっと指先で優しく触れる。

「よいしなりですこと」

 満足そうに微笑み、指慣らしの練習曲のように奏で始めたのは、難曲中の難曲、燁の競い舞である。

 陽気で華やかな曲だけに、耳に馴染みやすく楽しげであるが、その随所には技巧が凝らされ、しかも軽やかさを追求したこの曲は次第に速くなっていくという演奏者泣かせの名曲なのだ。

 だからこそ、奏者の技量を暴き、そうして楽器自体の質を曝け出してしまう。

 翡翠がこの曲を選んだことに、店主は満足げな笑みを浮かべて演奏に聞き入る。

「ふむ。今はこのくらいで充分かの」

「そうですね。まだ、木が完全に乾燥していないようですね」

 耳が肥えた者にしかわからない微妙な差異に、納得し、妥協する二人に、成明は感歎の眼差しを向ける。

 彼もまた、途中から琴の音のわずかばかりこもった音に気付いたものの、それが何を意味するかまでは理解してはいなかったのだ。

「では、笛を試させてもらいます」

「うん。いや、そこの兄さんにしてもらうといい」

 今度は笛を手にした翡翠が声をかけると、店主は一度は頷いたが、思い直したように成明を示す。

「は?」

「兄さん、お前さんは笛をなさるだろ? 吹いてみなさるかいの」

「ですが……」

「そうですね。成明殿、お願いします」

 躊躇う成明に、にっこりと微笑んだ翡翠が笛を差し出す。

 細かな螺鈿細工が施された繊細で美しい横笛への誘惑に抵抗できず、成明はつい受け取ってしまう。

「楽しみですね。主将、頑張ってください」

 期待の込められた澄んだ青い瞳を向けられては、観念せざるを得ない。

 いつものように、練習曲を奏で始めた成明は、音の違いに驚かされる。

 彼が持つ名笛と比べ、非常に音が高いのだ。

 やや低めの深い音を出す彼の笛と比べ、こちらは高く澄んだ雲雀のような音である。

 純粋に音の違いに驚きながら、一曲吹き終わると、店主が手を差し出す。

 その手に素直に笛を置こうとすると、店主は首を横に振る。

「それじゃない」

「え?」

「成明殿、笛をお持ちでしょう? それをご覧になりたいのでしょう。不都合はございませんか?」

 戸惑う成明に、横から翡翠が補足の言葉をかける。

「あ。あぁ、そういうことですか。えぇ。こちらの品に比べれば、たいしたものではありませんが」

 納得のいった青年は、懐から己の愛笛を取り出すと、それを店主の掌に乗せる。

 翡翠の注文した笛は、彼女の手に渡し、笙成明は店主が何をするつもりなのか、興味津々で見守る。

「ふぅむ」

 じぃっと笛を眺めていた店主は、今度はいきなり成明の手を取り、その指先をじっくりと見比べる。

「良い笛だが、お前さんの手に合っていないようだ。吹きづらいことはなかったかの?」

「え……どうしてそれを!?」

 代々、家に伝わる名笛だが、どうしても吹きこなせない自分自身にもどかしさを感じていた成明は、言い当てられて素直に驚く。

「やはりのぅ……手入れも行き届いて、大事にされた笛だが、如何せん、この笛の役目は終わっておる。お前さんの技量は、この笛を超えたのでな、どうあってもこれ以上の音色を引き出すことはできぬのだよ。これは次の吹き手に譲ってあげるといい」

「私が、この笛を超えた……」

 呆然と、店主の手にある愛笛を見つめ、成明は呟く。

「そう、ですか……父から譲り受けたものですが、誰か、弟にでも渡すべきなのかもしれませんね」

 吹きこなせないと感じていたのは、実は笛が彼の技量に追いつけなくなったのだと教えられ、奇妙な喪失感の中、笑みを浮かべる。

「では、新しい笛をお願いできますか? これから私が目標にすべき笛を」

「確かに承りました。お前さんの技量を伸ばすような笛を作らせようかの。さてさて、こちらの笛だが、どうなさるかの」

 しっかりと頷いた店主は、話を変えるために翡翠を見上げる。

「そうですね。わたくしはこれでよいと思います。これを祝家へ届けてくださいますか?」

「え? 兄のところですか?」

 翡翠自身のものではなく、贈り物だということを知った青藍が驚いたように目を瞠る。

「えぇ。わたくしたちの姪への贈り物です」

「そういえば、わたくしも叔母なのですね。わたくしも叔母らしい事をしなくては」

 ふわりと嬉しそうに微笑んだ青藍に、翡翠も頷く。

「とんでもなく別嬪な叔母君を持つ姪の姫さんは、将来、どれだけの別嬪になるんだろうねぇ……」

 二人の娘を見比べ、店主は大仰に呟く。

「……確かに。ある意味、これほど幸運で、しかも不幸な環境はないでしょうね」

 すべてのことにおいて完璧と言われる美女二人の姪として生まれたなら、その二人の知識と技量を惜しみなく得ることができる反面、越えられない壁としてそびえる鬱屈も味わうかもしれない。

 ただし、それは今ではなく、遥か先のことだ。

「面白い冗談ですね。成明殿が蒼瑛殿のような冗談を仰るとは思いませんでした」

 くすくすと笑った娘たちは、店主に視線を向ける。

「それでは、よろしくお願いいたします」

「あぁ、承知した」

「では」

 軽く頭を下げ、彼らは音無屋を離れた。


 賑やかな大通りに戻った三人は、王宮への道を辿り始める。

「あぁ、せっかくですから、甘い物でも食べていきませんか? 碧殿、成明殿?」

 軽やかな足取りで前を歩いていた青藍が振り返り、ふたりに笑いかける。

「そうですね。藍殿のお勧めは何でしょうか?」

 妙にうずうずした様子の娘たちに苦笑した成明が、柔らかく尋ねる。

「清風庵の彩雅ですね、絶対!」

「えぇ、清風庵の彩雅ですね」

 街でも人気の甘味処の菓子を上げた二人は、晴れやかな表情を浮かべて顔を見合わせると、お菓子談義に花を咲かせる。

 まるで、どこにでもいるごく普通の年頃の娘のような様子に、成明は素直に驚く。

 王宮や戦場で見せる翡翠の横顔は、同じ年頃の娘たちよりも遥かに落ち着き、大人びている。

 明晰すぎる頭脳、芸術に造詣が深く、何をやらせても煌くような天賦の才を見せ、まったくの隙を見せない。

 整い過ぎた美貌は、神性を帯び、畏れと憧憬を抱かせる。

 常人ではないという思い込みから、彼女がごく普通の娘の感性を持ち合わせていることすら、誰も想像したことがなかったに違いない。

 そうして、その出自の低さからほとんど表に出てこなかったが、彼女と対を成すような色彩を持つ美貌の奇才が現れ、傍に控えるようになってから、成明の目には翡翠が年相応の娘と映るようになった。

 嵐泰が、時折、翡翠のことを子供扱いし、何かと世話を焼こうとする様を感歎の眼差しで眺めていた彼だったが、今になって、それがごく当たり前の感性だったということに気付く。

 至高の憧れの存在が、実に身近で護るべき相手だと、ようやく認識することができたのだ。

「わかりました。清風庵の彩雅ですね。私の奢りです、食べに行きましょうか」

「……え?」

 優しげに目を細めて告げる成明の言葉に、娘たちは驚いたように目を瞠る。

 端から見れば、少年たちが兄分の若者に甘えているようにしか見えないのだが。

「よろしいのですか?」

「えぇ。蒼瑛殿に詰られる覚悟はもとよりついております。その材料が、いまさらひとつふたつ増えようが、大したことではありませんから。それより、お二方が喜ばれるほうが、私としても嬉しいことです」

 穏やかに告げる若者に、ふたりは嬉しげに目を眇める。

「では、お言葉に甘えて」

「ありがとうございます、成明殿」

 素直に応じた娘たちは、年上の若者と並び、甘味処へと向かって歩き出した。


 いつもと変わらぬ賑やかな大通りを歩いていた美貌の若者は、ふと何かに気付いたように足を止めた。

「藍殿」

 それに気付きながらも、知らん顔をする若者が、先を促すように名を呼ぶ。

「しかし、碧殿」

「ここでは」

 ぽんっと肩を叩き、仲間に対するように気安い態度を取って見せた黒髪の若者は、短く答える。

「そうですね」

「ここは、某が」

 何者かにつけられていると気付いた成明が、ふたりを安全な場所へ向かわせようと促す。

「結界が張られました。動けません、上将」

 事実を端的に述べる青藍の落ち着き払った声が、こんな時は憎らしく聞こえる。

「破るには、どのくらいの時間が?」

「術者を破った方が早いですね」

 冷静すぎる声が、あっさりと答える。

「敵も三人。数も合いますね」

 のんびりと頷く声は、彼が護りたいと願う相手のもの。

 簡単には護らせてくれないところが、本当に憎らしい。

「右の小路に入って」

 何気なさを装って、翡翠が小さな声で指示する。

 私塾の学生になりきった三人は、笑顔のまま、小路へと曲がる。

「次は左に、そうしてまっすぐ向かったら、三つ目の角を右へ」

 いかにも物珍しげに周囲の店を覗き込みながら、ゆっくりとした歩調で目的地へと到着した彼らは、何気ない仕種で後ろを振り向いた。

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