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白虎の宝玉  作者: 西都涼
蠢動の章
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 人と半神のふたつの記憶。

 その記憶が、翡翠を苛み、消耗させた。

 ほんのわずかな時間だが、守護者の意識が前に出ると、その間の翡翠の記憶はない。

 守護者としての知識と力は、今の翡翠にはありがたいものだが、自分の意に反して身体や記憶を奪われるということは、彼女にとっての苦痛であった。

 今の熾闇は、天位に就く意味も知らぬ赤子同然の存在なのだ。

 守護者が主から意識を逸らすようなことはしないだろうが、万が一のこともある。

 油断を許すわけにはいかないのだ。

 もう一人の自分が、意識を奪ってまで何をしようとしているのか、薄々とは感じている。

 大陸中に張り巡らされた蜘蛛の糸。

 唯一の主を守るために、人界における不穏な動きをいち早く察知するための仕掛けを作っているのだ。

 四神すら凌駕する守護者の力で、大陸に繭を作り、敵を排除しようと考えているのだろう。

 逃げ出した天界人の気配もとっくに捕らえている。

 都に潜んで、翡翠の行動を見守っている。

 機会を狙っているのだ。

 今までの守護者たちがそうであったように、歴代の守護者の意識と翡翠が融合するまでの時間、この不快感と戦わなければならない。

 封印の解かれた時期が早いと、こうまで負担がくるとは想像もしていなかった。

 歴代の守護者たちは、二十代も半ば過ぎてからその封印が解けたため、ここまで不調和をきたすことがなかったのだろう。

 じわじわと体力を削ぎ落とされる不快さに耐え、彼女は安全な場所へと人目を忍び移動した。

 王宮の夏の庭は、人が多く行き交うところだが、実際は人目につかぬ場所がいくつもある。

 その最たるものが火焔樹の根元である。

 複雑な形の板根とその形、大きさゆえに、近づく者はわずかだ。

「そういえば……去年の今頃、この花枝を差し上げた方がいらっしゃいましたね」

 火焔樹の下で仰向けに倒れこんだ翡翠は、空を見上げて小さく呟く。

「珍しいと喜んでくださった……今年もお贈り申し上げましょうか」

「それはならぬな。今年は、そなたのために咲いておるのだ」

 ふと視界が翳り、黒い瞳の少年が彼女を見下ろしていた。

 白い肌に黒い髪と瞳。

 典型的な燁の民の容姿を持つ、翡翠よりもふたつ、みっつばかり年下の少年は、明るく悪戯っぽい表情で彼女の瞳を覗き込む。

 育ちのよさそうな、だが、ごく普通の少年が突然現れたことに驚きもしなかった翡翠だが、相手が誰であるか悟ったときには軽く目を瞠った。

「朱雀様!? 何ゆえ、このような場所へ……? いえ、それより、そのお姿は!? 代替わりをしたとは聞いておりませぬ」

 滑らかな身のこなしで起き上がった翡翠は、少年に問いかける。

「これ。驚くところが違うであろう、綜家の娘」

「それは失礼を。ですが、西の領に朱雀様がお越しになられるとは、何用でございましょうか」

「そなたに逢いに来た。久しいの、守護者殿」

 くすっと笑った少年は、翡翠の記憶によれば王妹の末息子、つまり、熾闇と翡翠の従兄弟にあたる燁の王子のはずだ。

 すらりとしたしなやかな身体つきの王子は、剣だこのある右手を翡翠の頬に当てる。

 ふわりと暖かな波動が彼女を包み込み、彼女の内に巣食っていた倦怠感が取り除かれた。

「ご無沙汰をしておりました、朱雀様」

 軽く頭を下げた麒麟の守護者は、自分と同じ位置にある少年の顔をまっすぐに見つめる。

 守護者が膝を折るのは、唯一、主たる麒麟だけなのだ。

 それゆえ、天界の者は、それを守護者に強要できない。

「器たる娘に無理強いをしているのではないのか、そなた? 我が領土にも娘の苦しげな声が切れ切れに届いておるぞ? 本人はそれを隠しているが、魂からの苦痛は隠し遂せるものではない。ただの記憶が主を支配しようとは、少しばかりずうずうしいのではないか? 竣が手出しを控えているからと、調子に乗るでない」

 きっぱりとした口調で告げる少年は、翡翠の頬に掌を当てたままだ。

「我が王の命を狙う輩を狩り出すために、力を振るおうとするわたくしのどこがいけないのでしょうか? その思いは、わたくしもこの娘も同じ。そうではありませんか?」

 婉然と微笑む娘に対し、少年は皮肉気な笑みを浮かべる。

「違うな。我は、そなたよりその娘のことを良く知っている。あれは守りに徹するだけだ。狩り出す真似はしない。敵であれ、味方であれ、無用な血を流すことを好まぬ娘だ。そなたは娘の意思に反しておるのだ」

「甘い! そのようなことをしておれば、いつまで経っても麒麟を天位に就けることが叶わぬではありませぬか」

「主がそう望まぬからであろうよ。記憶の残滓に過ぎぬそなたが、なにゆえ表に固執する? 時代が変われば、人も変わろう。天位を望まぬ麒麟が居て、何故悪い? 今、天帝は健在ぞ? そなたが器の娘を苦しめるなら、我とて考えがある。そなたが意識、再生叶わぬまで焼き尽くしてくれようぞ」

 悪戯を思いついたような闊達な表情で剣呑なことを告げてくる朱雀に、麒麟の守護者は渋い表情になる。

「四神はわたくしに何をお望みか?」

「知れたこと。知識と記憶を器の娘に渡して、そなたは眠りにつくがよい。その者は、竣の、白虎が愛し子。そして、我らにとっても懐かしき友の血を持つ者。親を寄せる者の不幸を望む者がおろうか? 此度のそなたが主は、常の理から外れている。それゆえ、そなたの意識が今生の守護者の弊害となる。ゆえに、眠れ」

「……なるほど。天界の介入がいつもより品がなく多いと思うておりましたら、そういうことでしたか。なれば、わたくしが表に出ていたほうがやりやすこともございましょう。この娘、肉親を盾に取られて、それでも平常心を保てますか?」

「保てよう。誰よりも、己の役目というものを心得ている娘だ。遠くから眺めている我すら不憫に思えるほどにな」

 あっさりと答える朱雀に、守護者の意識は深い息を吐く。

「これを拒めば、東の青龍殿や北の玄武殿も出てこられるというわけでございますか。天界の品位も地に落ちたものですね」

「出てこぬよ。我の次代の器は、この者と深い縁があるゆえ、老婆心ながら足を運んだというわけだが……白虎がそなたに手出ししないのはなぜか、考えぬのか?」

「承知しましょう。此度は器の娘のしたいように。わたくしは、器の命の灯火が消える危機に晒されたとき以外は目覚めますまい。そして、四神がわたくしをお呼びになるとき以外、眠っておりましょう」

 朱雀の脅迫、もとい説得に応じた守護者の意識は、仕方なさそうに頷くと眼を閉じる。

「綜家の娘。従姉姫、我の声が聞こえるか?」

 軽々と腕一本で翡翠を支えた少年は、彼女の耳元に優しく囁きかける。

 白い肌、青味を帯びた瞼が動き、そうしてゆっくりと持ち上げられると、その下から深い湖を思わせるような翠が揺れる。

 長い時間を生き、美しいものをすべて見てきたと豪語できるような神々とて、心から美しいと思う澄んだ宝玉のような瞳であった。

「……朱雀、様……」

 痛みを堪えるように、一瞬、眉間に皺を寄せた娘は、その直後、はっとしたように身を強張らせ、従弟から離れる。

「申し訳ございません。ご無礼いたしました」

「無礼を働いた、というなれば、我のほうであろう。次の器の血縁者であるそなたに、少しばかりお節介を焼きに来たのだ。我ら四神は、そなたにつくことにした。綜翡翠、そなたが望むままに道を創るがよい。すべての可能性が、その小さき白き手にある。守護者の意識は、眠りについた。もう、そなたを悩ませることはない」

 時間を超越した者のみが持ちうる鷹揚さで、朱雀は微笑む。

「そのために、わざわざ……」

「否。竣、白虎に自慢しに来た。我が番いが生まれ育ち、じきに目覚める。此度の番いはそなたには劣るが、それは見目麗しい娘ぞ。気の強い跳ねっ返りでな、その向こう気の強さがまた愛らしいと、惚気に来てやったのだ」

 真面目な表情で告げる少年に、翡翠はたまらず吹き出した。

「そうそう。いつも心から笑っているとよいぞ。心から笑える者は、顔立ちの良し悪しを凌駕するほど美しく見えるものだ。心からの笑みは、魂を輝かせる。我ら神を酔わせるこの上ない甘美な美酒だ。そして、恋愛ほど、生ある者を輝かせるものはない。そなたも恋し、愛せよ。それが糧となり、いつかそなたを生かしてくれよう」

 悪戯を企む悪ガキの表情で語る神は、火焔樹を手折ると、翡翠の髪に差す。

「火焔樹の花は、そなたのために咲いた。そなたの願いを叶えよう。人として生きるも、神としてまっとうするも、そなたとそなたの主次第だ。望むままに生きるがよい。恋は多いほうがよいぞ。心を豊かにする」

 くすくすと朗らかに笑った朱雀は、翡翠の背後を指差す。

 何らかの異変を感じたのか、見慣れた者たちが火焔樹を目指して走ってくるのが彼女にも見えた。

「さて。我は竣をからかってくるか」

 にたりと意地の悪い笑みを浮かべた少年は、翡翠に手を振ると、空に姿を溶け込ませる。

 それを見送った娘は、久々に晴れ晴れとした笑みを浮かべてこちらへやってくる者たちに視線を向けた。

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