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白虎の宝玉  作者: 西都涼
邂逅の章
122/201

122

 遠くで賑やかな笑い声が響いている。

 華やかな楽の音と、さんざめく人々の笑い声。

 幸せな光景といえるその向こうで、人型になった白虎と綜家の末姫が対峙していた。

「これが、全部だ」

「……わたくしが、麒麟の守護者……そうでしたか」

 どこか納得したかのような表情を浮かべた翡翠は、小さく何度も頷く。

「ここまで話したからには、最後まで応じるぞ。聞きたいことはないか?」

「あります。守護者の力とは、一体どのようなものでしょうか?」

「まずは、権力や武力といったことだ。人の世に産まれるのだから、政治的な力や武力に屈しては麒麟を守れぬだろう? だから、身分の高い家に生まれ、武将として名を馳せることが多い。これが人界に対してということになるな。天界に対しては、神力を振るうことになるため、人の身でも神力を扱うことができる。だがこれは、ある程度の年齢になるまで封じられている。人の身で強大な神力を振るうことは、己を削ることに近い。だからこそ、その力に振りまわされぬように記憶と力を封じてある。おまえも時期目覚めることになるだろう」

 辛そうな表情を押し隠し、静かに告げる白虎に、己の生の意味を問い掛けた娘は柔らかな笑みを浮かべる。

「お話しくださり、ありがとうございました、白虎様。峰雅従兄上様は、御自分のことをご存知だったのですね。だからあのように……わたくしは多くの方々に見守られて、大事に育てられて……とても幸福者ですね。皆様に感謝をしなくては」

「なぜ、憾まぬ!? おまえは機織姫の復讐の道具として生まれたようなものだぞ」

「それこそ、何故? と、申し上げましょう。わたくしは家族に慈しまれて育てられ、何不自由なく育ちました。だからこそ、人よりも重い責任を持たねばならぬのでしょう。あたりまえのことではございませぬか。麒麟の守護者とは、大層重い任にはございますが、熾闇様のお守りだと思えば、今までやってきたことと同じではございませぬか。復讐が良いことなのかどうかは、機織姫が決めることでございましょう。ですが、人として産まれたからには、己の心が定めるままに生きるべきではございませぬか。それが、神の御手を乱すこともありましょうが」

 柔らかな口調で告げられた言葉は、機織姫の定めし宿命を唯々諾々と受け入れたようにも聞こえるが、不穏すぎる言葉が混じっている。

 元々、守護者は麒麟を天の至高へ導く者である。

 険しく厳しい道を切り開く勇気を持つ彼らは不屈の精神をその身に受け継いでいるのだろう。

 唯一無二の主以外には決して膝を屈せぬ矜持高い彼らにとって、機織姫の織り成す運命も現天帝の権威も、軽んじるつもりはないだろうが抗えないほど重いものではないのだ。

「……おまえな。覚悟を決めて話した俺が馬鹿みたいだろう……」

 がっくりと肩を落とした白虎が、情けなさそうな表情でボヤく。

「そうか。守護者の任も、どのみち熾闇のお守りってことだよな。確かに、今と同じだな」

「そうでございましょう。おいたをなさる御方も今まで通り、天と地の両方にございますもの。何の変わりもございません」

「なんか、本当に馬鹿らしくなってきた。それで? おまえは導くつもりか?」

 溜息交じりに問い掛ける白虎に、翡翠は華のような笑みを浮かべた。

「お忘れですか、白虎様。わたくしは殿下の一の臣。主の望まぬことは致しませぬ」

「あー。そりゃつまり、天界の連中を蹴散らして追い返し、ついでにあれを王位に就けようという連中も根絶やしにするという魂胆か?」

「まぁ、ひどいお言葉ですね。ありていに言えば、その通りではございますが」

 くすくすと笑って答えた翡翠は、しっかりと肯定してしまう。

「翡翠。おまえが麒麟の守護者であろうと、おまえは俺の大切で可愛い民だ。辛くなったら俺に言え。必ず守ってみせよう。おまえが逃げ出す道のひとつやふたつ、作ることなどわけないぞ。何もかも、根底から覆して初めからやりなおすことだって、俺には可能だ。おまえが取る道が八方塞になることは決してない。俺がいるからな」

「はい」

 ぽんぽんと幼子をあやすように、翡翠の頭を撫でた白虎は笑みを浮かべる。

「今日は疲れただろう? このままちゃんと休めよ? 寝不足は武人として未熟を露呈するようなものだが、それ以前に美容の大敵だぞ。せっかく美人に生まれたのだから、減らすようなまねはするなよ」

 茶化して告げた白髪の青年は、そのまま空に姿を消す。

「……神力と記憶の封印……白虎様。本当に正直にお話しくださいましたね」

 ぽつりと呟いた翡翠は、視線を中庭へと向ける。

「今回は、あなた様の血が鍵となっていてようですね」

 杯に落とされた白虎の血が、守護者としての記憶と力の封印を解くきっかけになった。

 そのせいで、儀式中の記憶がいささかあやふやになっている。

 後でうまくかわさなければならないことが出てくるかもしれないが、その前に、彼女はしなければならないことがあった。

 視界に透き通った扉のようなものが映る。

 ゆらゆらと揺れるそれは、次元回廊と呼ばれるものだと、彼女の中の記憶が告げる。

 白虎が姿を消したように見えるのは、この次元回廊に入り、目的地へと瞬時に移動するからだ。

 今、行きたい場所がある。

 逢いたい人がいると、ふらりと翡翠は足を踏み出した。

 ゆらりと歪むようにして開いた扉の中へ足を踏み入れる。

 柔らかな水の中へ飛び込むような感触の後、彼女の姿は右大臣邸の庵から消え去った。



 抜け道を通って東宮にある自室へと戻った熾闇は、何事もなかったかのように湯浴みをし、身支度を整えた後、牀榻へと向かった。

 彼の最近の楽しみである牀榻の中での読書をするためである。

 時々、いや、ほぼ毎回、書物を読んでいるうちに眠り込んで、巻物などを傷めてしまうので、翡翠にお小言を喰らってしまうのだが、これがなかなか止められないのだ。

 幼い頃は、身体を動かすことが大好きで、勉学など面白くないと思っていたが、意外に最近、学ぶことが面白いと感じられるようになってきた。

 これが、大人になるということなのかと、彼自身、感慨深げに思っているが、書物から得る知識の使い方などを考えるとこれが結構楽しい。

 子供の頃から当然のようにそれを行っていた幼馴染が、本当にすごいと素直に思える。

 彼女の博識ぶりは、それこそ多岐に渡っていて、しかもきちんと理解しているから素晴らしいのだ。

 己の知識をひけらかすことなく、実にさり気なく口添えする形で相手の意見に厚みを持たせてくれるそつのなさは、どれほど研鑚して得られるものなのか、見当もつかない。

 あまりにも彼女が便利なので、つい甘えてしまうが、人の上に立つ者は己の判断を瞬時に下さなければならないのだ。

 その時に、誤った判断をしないようにと、熾闇はひそかに己自身の力で学ぶことを選んだ。

「さて。今日は何を読もうかな?」

 鼻歌交じりに上機嫌で牀榻へと向かっていた熾闇は、人の気配を感じてふと足を止めた。

 悪意も殺気も何もない、むしろ肌に馴染んだ心地良い気配は、彼の大切な従妹のもの。

「翡翠か?」

 紗を下ろした牀榻の前にぼんやり浮かぶ人影に、熾闇は柔らかな笑みを浮かべた。


「どうした、翡翠? 今日は疲れただろう? わざわざ王宮に戻らなくても、屋敷でゆっくり休めばよかったのに」

 大好きな親友にまた逢えた嬉しさから、満面の笑みで声を掛けた熾闇だったが、すぐに彼女の異変の気付く。

「翡翠?」

「申し訳ございません。何故だか急にお顔を拝したくなりまして……」

 力ない笑みを浮かべる翡翠に、若者は従妹がとても疲れていることを察した。

「そうか。今日は、本当に色々あって疲れたんだな。俺にできることなら、何でも言え。おまえのためなら、何でもしてやるぞ」

 偽りなき本心を口にし、手を差し伸べると、翡翠がその手に自分の手を預ける。

 そっと乗せられた白い手を軽く握り、自分の方へと引き寄せた熾闇は、つられて歩み寄った従妹をそっと抱きしめる。

 労りを込めた優しい抱擁に、翡翠が身体の力を抜いたことを感じ取り、若者は笑みを深くする。

「随分と短くなったものだな。あれほど長くて美しい髪をここまで遠慮なく切ってしまうとは、白虎殿も勿体無いことをする」

 するりと指通りの良い髪を撫でた第三王子は、その感触に不満げに顔を顰めた。

「髪はまた伸びます。それに、あれほど長いと重いですし、手入れも大変なのですよ。短くなって、本当に楽になりました。あの髪は、約束通り、熾闇様と成明殿の鎧の飾り紐に差し上げますから」

 熾闇の胸に頬を預けた翡翠が、小さく笑いながら答える。

「いいのか?」

「あれほど勿体無いと騒いだ方が今更何を仰いますのやら。構いませんよ。ですが、紐に編み上げるまで、少しお待ちくださいね。すぐに切れてはお守りになりませんから」

「急がなくていいぞ。だが、嬉しい。成明も喜ぶだろう」

 疲れていた様子の翡翠が笑ったことに気を良くした若者は、髪を撫でていた手を止め、その腕を彼女の肩に回す。

「熾闇様」

「ん?」

「もし。もし、天界が、熾闇様を王に迎え入れたいと申し出がありましたら、いかがなさいます?」

 従兄の胸の中で目を閉じた娘は、仮定の話として問い掛ける。

「そりゃ、速攻で断るな」

「何故でしょう? 神になれば、不老不死となり、望むことができますが」

「俺にはやることがあるからな。一生掛かっても成し遂げられないかもしれない、大切な願いだ。その願いを叶えないうちに天界などに行けるか」

 きっぱりとした答えを告げた若者は、何故そのようなことを従妹が聞くのか、不思議に思う。

 だが、あえてその疑問を口にはしない。

「不老不死になれば、その願いを叶えられるのではないのでしょうか」

「それじゃ、意味がない。神の介入など、人界には不必要なことだ。神が見守ってくれている、ただそれだけで、人は安らぐことができる。それで充分だ。神を頼ることを覚えたら、人はすべての責任を神に押し付けて、やりたい放題するだろうしな。だから、見守る程度で充分だ。うちの白虎殿を見てみろ。本当に眺めてるだけだぞ。時々姿を消すのは、廓に入り浸っているせいだと聞いて、納得したけどな……っと、何の話だっけ?」

 とんでもない方向に話が反れたことに気付いた熾闇は、慌てて話を元に戻そうとする。

「いえ。もう充分にございます。もうしばらくこうしていてもよろしいですか?」

「あ。あぁ、うん」

 優しげな口調で問い掛けてくる従妹に、王子は素直に頷いた。

「ありがとうございます」

 律儀に礼を述べた娘は、そっと手を彼の背に回して軽く服を掴む。

 こんな風に甘えてくる従妹は珍しく、以前に比べ小さく感じる彼女を大切に大切に、暖めるように抱きしめた熾闇は、爽やかだが甘く優しい香に笑みを浮かべる。

 ふたりでいて、こんなに穏やかで静かな時間を過ごせるのは、本当に久し振りのことだ。

 ずっとこんな風に過ごせれば良いのにと思った熾闇の視界に牀榻が映る。

 以前、眠ろうと思って牀榻に掛けられた紗を捲ったら、あられもない格好のどこぞの姫君が抱き付いてきて困ったことがあったと、何の脈絡もないことを思い出す。

 不愉快な記憶を思い出した瞬間、熾闇は腕の中の感触にどきりとする。

(まずい。何か、すごくマズイ気がする。何がマズイのか、よくわからないところが、非常にまずいぞ)

 何故だか妙に緊張し始め、心臓がバクバクしだす。

 平常心に戻らないと駄目だと思いながらも、そう簡単にはしゃぎだした心臓を抑えることができず、彼は意味もなく慌てふためく。

「……熾闇様? どうかなさいましたか? 心の鼓動が早いように思われますが」

 怪訝そうに見上げられ、その澄んだ宝玉の瞳と目があった瞬間、魅入られてしまう。

「あ……えっと、久し振りで、何か緊張した」

 真っ白になった頭の中とは裏腹に、勝手に口が言葉を紡ぐ。

 その途端、翡翠がくすくすと軽やかな笑い声を響かせて熾闇から離れる。

 それを何故だか残念に思いながら、若者は従妹の姿を見つめている。

 熾闇から離れた翡翠は、彼の前で膝をついて頭を垂れる。

 臣下の礼を尽くす彼女に、王子は驚いて言葉を見失う。

「天上天下、唯一の我が主よ。我、守護者にして第一の臣なり。守護者の名において、我、汝に永遠の忠誠をここに誓う」

「翡翠!?」

 思わず名を呼ぶ熾闇の前で、翡翠はふわりと立ち上がる。

「あなたが望む限り、お傍にいると誓いましょう」

「何を……言っている? おまえ……」

「お休みなさいませ。また、明日」

 慈しむような優しげな笑みを浮かべた翡翠は、その言葉を言い終えるとふっと姿を消した。

「翡翠!? 夢、か……」

 鮮やかな消失に、若者は呆然と立ち尽くす。

 最初から誰もいなかったような空虚な部屋に、甘い香りだけが漂った。

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