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白虎の宝玉  作者: 西都涼
邂逅の章
120/201

120

 若い夫婦が仕事の合間に寛いでいるところに神兵が押し入り、夫である若者を取り押さえた。

 夫を取り返そうともがく妻の目の前で、彼は無残にも八つに裂かれ、新居は血の海となった。

 機織姫の絶叫は、人界にいる彼女の友の耳にも届き、彼らが駆けつけた時にはすでに冷たい肉塊となった若者と、床に倒れ伏した機織姫の姿しかなかった。

 それだけで何が起こったのか察した彼らは、若者を元通りの姿へと戻し、丁重に葬った。

 まさか、父が娘の幸せを奪うとは、露ほどに思ってもいなかったのだ。

 天命を放り出し、ただひたすら嘆き悲しむ機織姫を慰めようと、彼女に近しい者達は心を砕いたが、その間に世界は混乱へと転じた。

 涙も枯れ果て、ようやく起き上がった機織姫の顔はすっかり変わってしまっていた。

 晴れやかな笑みは消えうせ、暗い眼差しと表情で機織の前に座り、織り成す錦は、以前とはまったく異なる様相であった。

 地上には恨みと憎しみが蔓延り、戦乱が絶えなくなった。

 四神族の長たちが、どんなに言葉をかけても彼女は応じず、ただ争いを起こし続けた。

 護るべきものを持つ彼らは、長い間天界にいることは叶わず、やるべきことを話し合い、そうしてそれぞれの報土へと戻っていった。


 さらに百年が過ぎたある日のこと、天界へふらりと白虎が現れた。

「よお。久しいな、黎春」

 一時もわき目を振らず、機を織り続ける天帝の娘に、白い髪の男は陽気に声を掛けた。

「少しばかり世間話をしようと思ってな。珊華を覚えているか?」

 もとより言葉が返って来ることはないと承知している男は、無視されても気後れすることなく陽気な態度で話を続ける。

 無表情のまま機を織りつづけていた機織姫の手が初めて止まる。

「珊華……懐かしい名前だわ。えぇ、覚えていてよ。あの人の妹だわ。赤い頬の愛らしい娘だった」

 暗い眼差しに光が灯る。

 懐かしげに細められた目に涙が浮かぶ。

 枯れ果てたと思っていた涙の向こうに愛しい日々が思い出される。

「その珊華の子孫がな、俺の国の王の側室に上がった。名を珊華という。珊華にあやかってつけられたらしい。本人に良く似ていて、気立ての良い娘でな、つい先頃、子を産んだ。男の子だ。名を洒燈という。まだ告げてはおらぬが次の王になるだろう」

「洒燈……洒、燈……あぁ!」

 ぽとりと手の甲に雫が落ちる。

「あなた……我夫!!」

 肩を震わせ、機織姫は声を殺して咽び泣く。

 しばらくの間、白虎は黙って彼女から目を逸らした。

 押し殺していた感情が噴出し、涙となって表に流れ出す。

 機織姫にとってそれは大切なことであった。

「珊華は、どうしていたの? 幸せになったかしら?」

「知りたいか?」

「えぇ。私の大切な義妹よ」

「言葉で話すより、見るが早かろう。洒燈の妹から今の珊華まで」

 時を封じた水晶を無造作に差し出した白虎の手から、その水晶を受け取った機織姫は、それを覗き込み、認めたくない事実を突きつけられることになった。

 洒燈が死亡した直後より、人界は不穏な空気に包まれた。

 天候不順が起こり、それにより農作物に被害が出て飢饉となり飢え死にする者が大勢出た。

 野盗が村や町を襲い、争いが起こった。

 数少ない農産物を狙い、国が戦を起こし、血で血を洗う毎日となった。

 珊華が住む村にも野盗が押し入り、命からがら抜け出した彼女は山の中で暮らすようになった。

 そんな時、兄夫婦の友人たちが彼女を訪ね、兄の死を知らせ、形見を届けてくれたのだ。

 この乱れた世の原因が兄の死によるものだと知らされた娘は、残された義姉のために毎朝、毎夕、祈りを捧げるようになった。

 少しでも彼女の悲しみが和らぐようにと、年老いた母の面倒を見ながら、毎日の糧を得るために必死で働きながら、義姉のために祈り続けたのだ。

 そうして年頃になった娘は、結婚し、幾人かの子を生んだ。

 ささやかではあるが人としての幸せを掴んだと思えた頃、彼女は夫を失った。

 野盗に切り殺されたのだ。

 悪いことは続くもので、その年、流行り病が国を襲い、彼女は母親と子供の半分を失った。

 苦労して、苦労して、子供を育て、彼らが一人前になったと同時に、珊華は長年の過労により短すぎる生涯を閉じた。

 珊華の子供たちは更に苛酷な環境の中で生きていかなければならなくなった。

 更にその孫達も、細い手足で懸命に働き、真面目に生きた。

 それでも彼女の血統が途絶えなかったのは、四神族の長達の加護があったからだ。

 己の民ではない娘の血族を、彼らが陰ながら力を与え、支えていた。

 その事実を知らないまでも、不可思議な力に護られていることだけはわかった彼女の子孫は、その力に感謝しながらも上手に利用し、武将として名を上げた。

 そうしてその娘が、和平のために颱へと嫁いだのだ。

「……私のせいなの……? こんなに世界が傾いてしまったのは、私のせいなのね。今更許してとは言えないわ、ごめんなさい。珊華!」

 愛しい夫の家族に、過酷な生き方を強いてしまったのは、他ならぬ自分自身のせいだと今初めて理解した機織姫は、唇を噛み締め、苦悩した。

「私が弱かったばかりに、あなたを苦しめてしまったのね……洒燈が亡くなって悲しい想いをしたのは、何も私ひとりではなかったというのに、あなたは私のために祈ってくれていたの」

「そうだな、黎春。心の痛みはそいつしか感じ取れない。その痛さに負けるか、耐えるかは、本人次第だ。珊華はいつも耐え続けることを選んだ。おまえは痛みに負けた。それだけの違いだ。今更嘆いても仕方がないだろう? おまえの紡ぐ運命は、常に未来のものであって、過去を直すことはできないしな」

 あっさりとした口調で告げる白虎に、機織姫は小さく頷く。

「すべての世界を乱した罪を償わなければいけないわね。少しずつでも三界を良い方向へ導かなければいけないわ。元に戻してから、初めて私の犯した罪を償わなければいけないということはわかっていてよ。でもね、竣。私はどうしても父を許すことはできないわ。珊華が私を許したように、私は父を許せない。いいえ。憎んでいてよ。機織の誓約で天帝の運命に関与できないということが疎ましいと思うほどに、父を呪わしく思っていてよ」

「別に良いんじゃねぇの? それはおまえの感情だ。機織姫の誓約は、確かに護らなければならないことだろう。だがな、直接天帝の運命に関与できないということは、間接的には関与できるってぇ意味にも取れる。天帝の周辺に何か起こり、結果、直截的に天帝に何らかの影響が出たとしても、誓約には触れないってことだろ? それをやれとは言わないが、できると思えば、少しは気が楽になるんじゃないのか」

 このとき、この言葉を口にしたことを後で悔やむことになるが、それでも言わなくてはならない言葉であった。

「えぇ、そうね。そういう方法もあるのね。ありがとう、竣。あの子の血を護ってくれて」

「言い出したのは朱雀だ。礼ならあいつに言いな。それと、もうひとつ。あいつは人として死んだ。確かに泰山に昇り、冥府に渡った。つまりな、輪廻の理に戻った。あいつの魂は、再び人として生れ落ちるだろう。さすがに天帝もそこまでは気付かなかったからな。おまえなら、あいつの魂がどこに宿るか、わかるだろう?」

「竣! えぇ、ええ!! そうよ、なんてこと! 私、何故、気付かなかったのかしら……洒燈が私のことを忘れてしまってもかまわないわ。どんな形でも生まれ変わるなら、これほど嬉しいことはなくてよ。今度こそ、幸せになってもらなわなくては……例え私を愛さなくても、私は彼を愛していてよ。彼の血と魂を受け継ぐ者を私はこの命が尽きるまで、愛し、見守っていてよ。そして、私の友に心からの感謝を捧げるわ」

「……やっと、正気に戻ったか」

 涙を零しながらも、晴れやかな笑みを浮かべた機織姫に、白虎は頷いてみせる。

「正気かどうかはわからないわ。夢から覚めたような気分ではあるけれど……絶望しか知らなかった私に、希望の光がやっと見えたの。竣、私は今後一切、あなたたちの未来を織り込まないわ。だから、自由に生きて。どうしても私の織り成す綾布が必要になったときには、遠慮なく言って頂戴ね。望むままに織り込んであげてよ」

「恐ろしい発言だな。気をつけろよ? 誰に聞かれているかわからないんだからな」

 冗談めかして言う白虎に、機織姫はくすくすと笑う。

「竣……いえ、白虎族の長が編み上げた時の結界を敗れる者は、どこにもいなくてよ。私の織る糸を縺れさせることができるのは、あなた以外にいないのだから。そうね。あなたには私の助け手は必要ないのね」

「さぁな。その時になってみないとわからん」

「私があなたの助けになれればいいのだけれど……珊華の子孫たちをお願いね。あの子達が暮らす世界を平和にしてあげなければ……」

 機に手をかけ、優しげな笑みを浮かべる。

 辛い夢から覚めた黎春は、そっと愛しげに縦糸に指を添わせる。

 糸を組替え、手慣れた様子で機を織り始める。

 暗く澱んだ布が、徐々に柔らかい色合いに変わっていく。

 濁りはあちこちに残るものの、必ずいつか澄み渡るだろうと予感させる模様を織り込んでいる。

「……竣。私、いつか必ず、父に復讐するわ。洒燈が生まれ変わり、平和に暮らしていることを確かめたら」

 立ち去ろうとする白虎の背に、機織姫は振り返りもせずに告げる。

「そうか」

 そう簡単に、心の傷は癒えない。

 たった一人と心に決めた愛しい相手を失ってしまったのだから。

 人とは違い、神仙には忘却の恩恵はない。

 その姿、存在が滅するまで、すべての記憶を持ち続けるのだ。

 いつかその傷が癒えることを願いながら、白虎は静かに立ち去った。

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