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白虎の宝玉  作者: 西都涼
邂逅の章
119/201

119

 それは、天界史上、最悪な出来事であった。



 天界と人界の運命を布に織り込む機織姫は、天帝の娘から選ばれるのが慣例であった。

 そうして、その機織姫を母に持つ天帝も多い。

 つまり、機織姫の夫となる男が次期天帝と目され、または次代の天帝の父親となるのだ。

 歴代の天帝にも様々な人格の者たちがいた。

 豪放磊落を絵に描いたような者、静謐精緻さを好む者、芸術を愛し、人であっても技芸に秀でた者であれば迷わず天仙に召し上げる者。

 さしずめ、今代は猜疑心の塊のような者であった。


 先代が帝位を退いた後、慣例であれば四神族と長老たちの合議で決まるはずである次代を、他の候補者である兄弟を退け、排して勝ち残ったという男である。

 天帝としての神力は、それほど秀でたものはない。

 それゆえに、力で彼を凌ぐ四神を封じるために、人界の四国を彼らの領土と報じたのだ。

 一族の長を封じられた四神族は、反旗を翻すことも許されず、ただ時期を待つことを選ばざるを得なかった。

 天界最古参の一族でもある四神族の長達が、天帝の命に素直に従ったのは、何も天帝の威光を恐れてのことではない。

 彼らが天帝よりも遥かに長命な一族であるからである。

 四神の中でも若輩者だといわれる白虎や朱雀でも、すでに三代の天帝に仕えているのだ。

 今代が死するか代替わりをするまでの時間というのは、人にとっては悠久とも言える時間であるが、彼らにとってはほんの一時のことでしかない。

 つまり、我侭な子供に付き合ってやる程度の感覚なのだ。

 天王族の長老たちは、合議に基づかない選定は違法だと主張し、今代を排し、新しい天帝を定めようと声高に叫んでいるが、四神族の長達は静観することを選んだ。

 すぐに代替わりする天帝を世を乱しても替える必要はないと判断したのだが、正直に言えば天界を護る武神将でもある四神族のクセして『面倒臭かった』のだ。

 その判断が正しかったというのは、すぐに明らかとなった。

 今代を排すべきだと声高に主張していた長老たちが、不審な死を遂げたり、法規に反した行為をしたと捕らえられ、粛清されたのだ。

 さすがに表立って反対を一切しなかった四神族の長達を天帝は捕らえることはできなかったが、それでも彼らの力に脅威を抱いた最高権力者は、これまでの彼らを労うという形で人界に封じることに成功したのだ。

 成功したと思っているのは天帝や周囲の者たちだけで、当の本人たちは新しい遊びを楽しんでいるという感覚でいる。

 何しろ、人というのは短命で神力を持たなくても、時には神をも凌ぐ力を発揮することができるのだ。

 驚きと愛しさで、彼らは千年の時をただ見守るという形で過ごしてきた。


 四神族の長を人界に封じ込めることに成功した天帝は、次に機織姫を交代させた。

 元々、次代の機織姫の候補者のひとりとして目されていた彼女は、先代と滞りなく引継ぎを済ませて代替わりをした。

 四神族の長達とも交流が深く、明るく陽気な娘は、事の外、人間を愛していた。

 それゆえ、彼女が紡ぐ未来は平穏だが明るく活発なものになるだろうと天界人の誰もが思っていた。

 実際、その予測通りに最初の百年は人々は努力さえすれば望みはすべて叶うのだと固く信じられるほど、希望に満ちた優しい世界へと発展していったのだ。

 機織姫は人々の感謝の声が聞こえるたびに微笑み、そうして色鮮やかな糸を差し込み、さらに美しい錦絵を織り出していく。

 天帝選出では異議を唱えた長老たちも、機織姫の仕事振りにはいたく満足し、よく人界へと降りては人々に天界の知識や技術を与えた。

 時折、機織姫自身もこっそりと天界から抜け出し、四神国の友人の許へと遊びに行き、交流を深め、人界の景色を楽しんだ。


 そんな時のことだった。


 何時ものように人界へと降り立った機織姫は、春先の見事な新緑に目を細め、この景色を彼女の織布に映し込めないかと考えながら山道を歩いていたときにひとりの若者とであったのだ。

 何のとりえもない、誠実で実直だが平凡な男だと、その若者を知る者たちは言うであろう。

 家も平民であり、顔立ちもごく普通、特に秀でたところはまったくないが、心映えが良く信頼に値する男だと誰もが思うその男は、山道をひとりで歩く娘に不思議そうに、けれど心配そうに尋ねたのだ。

 何故ひとりで歩いているのか、と。

 肉食の獣がいないとは限らないため、用心に越した事はない。

 連れがいるのなら、その連れが来るのを待つか自分が呼んでこようと申し出た親切な若者は、彼女が初めて身近に接したごく普通の人間であった。

 その好ましい性格の若者に、彼女は恋したのだ。


 種族の違いこそあれ、女性は感情のままに生きる傾向がある。

 生まれて初めての甘い恋に、機織姫はその幸せに酔い、その想いを機に込めた。

 彼女の織り成す綾目は色鮮やかに輝き、そうして艶やかさを増して世界を安定させた。

 天仙界の人々は、その幸福で微笑ましい恋を好意的に受け止め、少しばかりお節介に相手の若者の想いを確かめた。

 優しげで明るい不思議な娘を好ましく思っていると答えた彼は、彼女の身なりの良さから身分違いの恋ゆえに叶うことはなくても、彼女さえ幸せならばそれで良いと言葉少なに語ったのである。

 この時代、神族や仙人と人族との婚姻は、禁忌ではなかった。

 寿命の違いは仕方のないことだが、昇仙し仙人になれば、不老不死を会得して死による永遠の別離から逃れることはできる。

 人として生きるか、愛する者と共に生きるか、人は選ぶことができるのだ。

 彼の人柄を好ましく思った天仙達の骨折りにより、機織姫と若者の華燭の儀が執り行われた。

 若者は天界に住むことを許されたが、仙人になることは拒み、人として生きることを選んだ。

 彼の意志を尊重した機織姫は、残念に思いながらもそのことを承知した。

 一瞬にも似た時間でも、心から愛する者と共に暮らすことのできる幸せを彼女は何よりも大切なものと思い、今まで以上に熱心に機を織った。

 すべての世界がこれ以上ないほどに幸福に包まれた良い時代であったのだ。


 猜疑心が強いとは言え、天帝も愛娘の婚姻は素直に喜んだ。

 相手が人間であったことには少なからず驚いたが、その若者が人の一生を選んだときには、それこそ安堵したのだ。

 昇仙した者が天帝になった例はない。

 だが、機織姫の夫であれば、仙界の影響が天界にないとは言えない。

 生まれながらの神族とは違い、仙界の住人は己の力と知識で不老不死を得る。

 そのため、自分自身に対しての自負心や誇り高さは並ではない。

 時には鼻持ちならない態度を取られることがあるため、彼は仙人が好きではなかったのだ。

 だからこそ、若者が人間であり続けることを選んだときには、心底安心したのだ。

 しかしながら、そこで永久に安心し続けられるほど天帝は鷹揚な男ではなかった。

 次の懸念が持ち上がったせいだ。

 天帝位に就いて僅か数百年。

 人間の一生からすれば非常に長い時間だが、彼らにとっては僅か数日が経ったような感覚である。

 その短時間で次代天帝候補の父親が立ったのだ。

 安心できるわけがない。

 近いうちに若者と機織姫に子が生まれることだろう。

 生まれた子供が男子であれば、その子が次の天帝の最有力候補である。

 血の粛清で長老たちを大人しくさせたが、またぞろ何か言い出すに違いないのだ。

 否、産まれる前に何らかの動きを見せ、彼を帝位から引きずり落とすかもしれない。

 それは許しがたいことである。

 天帝は彼であるというのに、彼の命に従わず、自分達の良いように頭を挿げ替えようとするのだから。

 そのような暴挙を許すわけにはいかないのである。

 挿げ替える頭がなければ、彼らはそのような行動に出ることはないだろう。

 機織姫の子が産まれなければ良いのだ。

 しかし、機織姫がいなければ、世の中は混乱してしまう。

 彼自身の帝位も危ない。

 夫がいなければ、子は産まれない。

 機織姫とあろう者が短命な人を夫に迎えるのがいけないのだ。

 人は神仙と違い、呆気なく死んでしまうのだから。

 くつりと低く笑った天帝は、その考えを実行に移したのだ。

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