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白虎の宝玉  作者: 西都涼
風光の章
118/201

118

「どーゆーことなのか、説明してもらおうか! 白虎殿!?」

 右大臣邸の離れにある翡翠の庵で、白い獣の神に噛み付く若者がひとり。

 神をも畏れぬと言いたい所だが、実際、王族である者たちには、神は畏れ敬うものではなく、見守るものであるため、神という存在を前にしたときに恐怖心は殆どない。

「説明、とは?」

 仔狼が、鬣を逆立ててキャンキャンと吠え立てたところで、白虎は面白そうに眺めるだけである。

「白虎殿の血を飲ませただと!? 耐えられたって、耐えられなかったら、翡翠は死ぬと言うことなのか!? そんな危険な目に翡翠を晒したのか!? 大体、人間である翡翠を眷属に迎えるなんて馬鹿なこと、よくも言い出せたものだな!!」

「あれか……冗談だ」

「……なっ!!」

 くつくつと楽しげに笑った白銀の髪の青年の言葉に、第三王子は勢い余ってすっ転ぶ。

「あ……」

 眺めていた者たちの目には、別の光景が浮かび上がる。

 吼えかけられた白虎が、面白がって前脚の爪に仔狼を引っ掛けて転がして遊んでいる姿だ。

 思いっきり楽しんでいる姿に、虎と言えど、やはり猫科の動物だけあっていたぶるのが好きだなぁと、妙に感心してしまう。

「ほら、昔、おまえたちが怪我したときに舐めて治してやったことがあっただろう? 俺の血はその程度の効力しかないぞ。飲んだら死ぬような劇薬じゃない。大体、俺が翡翠をそんな危険な目に合わすとでも思ったか?」

「いや、それは……」

 長身の男は、王子の頭をわしゃわしゃと掻き混ぜ、告げる。

「それにな、完全な眷属じゃない。翡翠はあくまで人間だ。半神半人というより、九割方人間で、一割が俺の眷属ということだから、方便に近いな。まぁ、それで煩わしい結婚騒動からは抜けられると思ったから、言ってみた。効果はあったようだぞ? 良かったな、翡翠。男がおまえを妻にと言うのではなく、おまえが自分の伴侶を選ぶことができるわけだ。神の眷属であれば、血脈は関係なくなるぞ。季籐でも偲芳でも望むほうを夫にできる」

「兄上を……?」

 それまで黙って成り行きを観ていた翡翠が、ふと呟いて、それから何やら考え込むような表情を見せる。

「ちょっと待て! 翡翠! 今、何考えた!?」

「まさかとは思いますが、軍師殿! それはちょっとまずいのでは……いえ。将軍も中納言殿も大変立派な御方ですが、やはり世間体と言いますか……」

 慌てた熾闇と犀蒼瑛が翡翠に詰め寄る。

「えぇ、そうですね。ですが、季籐兄上への嫌がらせに使えるかと思ったものですから……」

 豪胆で茶目っ気に溢れた兄に、日ごろから振り回され気味の末っ子は、報復措置に使えると悪戯心を覗かせたが、熾闇と蒼瑛のふたりに反対され、残念そうに断念する。

「捨て身の報復措置ですよ、それは……」

「危険すぎる……絶対に、やめたほうがいい。それだけは! 季籐従兄上は正面から受けて立つような性格をなさっておられるぞ」

 呆れ返り、脱力したように肩を落とす蒼瑛の隣で、熾闇は懸命に訴える。

「嵐泰殿。つかぬ事をお伺いいたしますが、綜季籐将軍と軍師殿は仲睦まじい御兄妹のようにお見受けいたしましたが、真は違うのでしょうか?」

 後ろで控えていた笙成明が、こっそりと嵐泰に尋ねる。

「いや。見た目通り、仲睦まじい御兄妹だ。その、些か兄君達の愛情表現が行過ぎるところがあるが」

「それで、嫌がらせですか……」

 くすりと小さく青藍が笑う。

「そこ! 軍師殿をお止めしないか!」

 この分では本気で嫌がらせをやりかねないと、蒼瑛が後ろで平和そうに語り合っている青年たちに応援要請をする。

「ですが、蒼瑛殿。黒獅子軍の総大将殿と中納言殿のどちらも軍師殿に相応しい御方と存じ上げますが? むしろ同腹の御兄妹であることのほうが残念なくらいお似合いかと……」

 公平に、第三者的視点から、成明が答えると残念そうな表情で青藍も頷く。

「誠に。あれほど秀でた殿方は滅多におりませんもの。もちろん、蒼瑛殿や嵐泰殿と並ばれたときの妙もさることながら、やはり御血筋なのでしょう。完成された絵の如き眼福を覚えます」

「……え? そういう問題なのか?」

 青藍の言葉に、きょとんとした熾闇が、隣に立つ蒼瑛に問い掛ける。

「いえ……女性は感情、感覚の生き物ですから、道理がすべての男には理解できないものなんですよ」

 逆らうなと言外に匂わせる青年に、第三王子はこくこくと頷く。

「本題からそれているように思われるが、いかがか?」

 ぼそりと嵐泰が指摘する。

「あ、そうだった! あまり無茶をしないで欲しい、白虎殿。翡翠なら、俺よりもしっかりしているから大丈夫だ。手助けが必要なら、きっと翡翠が自分から言うだろう」

 きっぱりとした口調で告げる熾闇に白虎は屈託のない笑みを浮かべる。

「小僧が一人前のことを言うようになったなぁ。いや、人の世の時間が経つのは早いものだ」

 ぐりぐりと熾闇の頭を撫で、いささか乱暴な愛情表現を示す。

「いたたたた……痛いってば!」

「皆様方、本日はありがとうございました。無事、儀式も滞りなく終えることができました。ぜひ、宴のほうへも足をお運びくださいませ」

 穏やかな笑みを浮かべた翡翠が、集まった青年たちにそう促す。

「あ。そうだな。俺も王宮に戻らないと。藍昂殿にお目溢ししてもらったからおまえの式を見せてもらえたけど、本来ならば招待されるはずのない人間だからな、俺は。おまえたちはゆっくりしていけよ。じゃあな」

 ふと自分の立場を思い出した若者は、笑顔を見せて鮮やかに姿を消す。

 あまりにも慣れた様子に、成明が額を押さえた。

「あれほどの警備の中で、いつの間にかいらっしゃっておられましたし……こちらに通われることに慣れていらっしゃいますね。それよりも、厳重な警備に引っかからないとは、我々の警備に穴があるとしか思えないのですが」

「いえ、それは……王宮からは非常に近いですし、色々とありますので」

 仄かに何やら匂わせた娘は、警備に穴はないと断言し、彼らを宴へと案内する。

「では、わたくしは藍衛将軍と引継ぎを致します」

 現在、警備にあたっている藍衛と代わると告げた青藍が、翡翠に一礼する。

「よろしくお願いいたします。後から藍衛殿にはわたくしもお話がありますと伝えていただけますか?」

「承知」

 ひとつ頷いた青藍は、青年たちを促して翡翠の庵を後にする。

「それじゃ、俺もそろそろ……」

「お待ちください、白虎様」

 本性に戻り、引き上げようとする白虎神に、翡翠が声をかける。

「お伺いしたいことがございます。是非にお残りくださいませ」

 尊敬すべき神に向かって、にっこりと氷点下並の冷たい笑みを浮かべた娘は、有無を言わさず白い虎を手招いた。


 賑やかな楽の音が風に乗って離れまで聞こえてくる。

 楽しげな人々の笑い声。

 束の間の平和を楽しむ人々の声に耳を傾けた翡翠の頬に笑みが浮かぶ。

「話、とは?」

 獣の本性に立ち戻っていた白虎神は、再び人の身に変化すると娘の前に立つ。

 長身の鍛え上げられた体躯は、見る者を威圧するほど威厳に満ちたものであるが、将軍職の位にある娘は動じた様子を見せない。

「翡翠?」

「白虎様にお話していただきたいことがございます」

 笑みを浮かべてまま、翡翠は畏れることなく白い神を見上げる。

「わたくしと、三の君様に関することを。何ゆえ干渉なされました? そして、何ゆえ、天界が人界へ介入してくるのでございましょう」

 穏やかな、春の海の如き穏やかで静かな面に騙されそうになるが、その笑みの下には絶対零度の冷徹で鋭利な切っ先が隠されている。

 油断すればあっさりと斬り付けられ、そうして斬られたことに気づかずにいた後、出血多量で瀕死の状態に陥って初めて斬られたことに思い当たるのだ。

「すべてお話しくださいませ。何故、わたくしが颱だと言われるのか。天界の者が我が君のお命を狙おうとするのか、何卒、お聞かせくださいませ」

 凛然とした眼差しに、迷いはない。

「天界が、熾闇を!? いつだ! いつ、何者が手出しをした!?」

 逆に、翡翠の言葉に白虎が動揺を見せる。

「誰が約定を違えた!! 言え、翡翠! 我が領土を侵した者の名を! 天界へ取って返し、目にもの見せてくれようぞ。我が護りし地を、我の許しなく訪れ、我が民人を害そうとは……例え誰であろうと、決して許さぬ」

 ふわりと白い髪を逆立てて、押し殺した声で唸るように告げる白虎神の瞳に純粋な怒りが浮かぶ。

 守護神としての誇りを傷つけられた武神将は、闘気を身に纏う。

 風が渦巻く中、翡翠は恐れもせずに臨戦状態の神の腕に手を伸ばす。

「落ち着いてくださいませ。件の神仙は、捕らえております。我ら人を侮っていたようで、たいそう口惜しげな様子にて獄に滞在なされておられます」

「獄?」

「えぇ。青藍殿の仙術は見事でございますよ。神仙であろうとも、わたくしの侍女を殺めたは罪。同等の罪科を償ってもらわねばなりませぬ。その者たちは、未遂とはいえ、我が君の命を狙い、我が民をも巻き添えにしようとしました。忌々しき事態にございます。天界の思惑が奈辺にあるのか、ぜひともお伺いしとうございます」

 翡翠の言葉に白虎の表情が引き締まる。

 だが、次の瞬間、見事な体躯の美丈夫は、盛大に噴出して大爆笑を披露した。

「人を侮るからだ、馬鹿め! さぞかし煮え湯を飲まされただろうな! でかした、翡翠。祝の娘に褒美をやらねばならぬな。天帝が俺に人界と天界の西を領土として封じたからには、何人たりとも神仙は俺の了解なしに領土には入れぬし、勝手をすることもできぬ。もし、そうしたならば、俺の意志で罰を与えることができる。そいつらは、おまえに一時やろう。その罪の償いが終われば、俺が絞めてやろうよ」

 さすが本性は猛獣だと思わせる太い笑みを浮かべた白虎は、愛し子に視線を向ける。

「今年、十八になるか……早いものだな。あれから十八年が経ったか。話すときが来なければ良いと思っていたが話さねばなるまい。騙し通すには、おまえは賢すぎた。ただ、このことがおまえを傷つけなければよいが……」

 人と理を異にする風と時間を司る神は、ほろ苦い笑みを浮かべる。

「例え傷付こうとも、傷は必ずいつかは癒えます。救いは常に傍にあり、わたくしたちに手を差し伸べています。どんな事実でもあるがままに受け止めましょう。知らなければならないことなのですから」

 きっぱりとした表情で答える娘に、白虎は頷く。

「強いな、おまえは。自分の弱さも強さも、ありのままに受け入れることができる。傷付いても、再び立ち上がることができる。それが本当の強さだな。己の能力が力のすべてになる神とは大違いだ。おまえなら、受け止めてくれるだろうな、機織姫の罪を」

 人の宿命を見事な綾布に織り成す運命の紡ぎ手である機織姫の罪と、さらりと断じた白虎の言葉に、翡翠は驚いた様子を見せず、ただ静かに守護神獣を見つめる。

 すべてを受け入れると決めた者のみが持ちうる老成にも似た穏やかさで、相手の言葉を待ち続ける。

 急かすことなく、ゆったりとした雰囲気を保つ娘に後押しされ、白虎は娘たちが生まれるよりも遥か昔の出来事を思い出し、目を伏せ、息を吐く。

「事の起こりは、おまえたちがよく知る夏の祭りの真相からだ。天帝の娘御、機織姫の恋の話は知っているだろう? 一年に一度、夏の日の一夜限り、愛しい夫と逢瀬ができるという話だ」

「存じ上げております。人の男が試練を乗り越え、機織姫の夫となったが、最後の試練で瓜から大河が流れ出で、天つ川になり、ふたりを分け隔ててしまった。なにやら腑に落ちない話にございました」

「それはそうだろう。あれは作り話なのだから。これから話すのは、悲劇でも喜劇でもない、ただ遥か昔に実際に起こったことだ」

 そう前置きをした白虎は、青みがかった銀の瞳を彷徨わせると、ゆっくりと昔話を始めたのであった。

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