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あたりは薄闇に包まれていた。
狩りをするなら、陽の中よりこのくらいの闇の方が大型の獲物が掛かりやすい。
周囲に立てられた松明の幾つかに灯が点される。
普通、獣は火を恐れると考えられがちだが、それは真実ではない。
火の恐怖を認識できない彼等は、恐れることはないのだ。
ただ、見慣れぬものに警戒をしているだけなのだ。
場を盛り上げるため、中隊長以上の武将達が獣を追い立て、狩りを始めている。
良型の獲物は王子達のために残しているが、彼等もまたこの狩りを楽しんでいる。
騎馬の民である彼等にとって、平原での狩りは、己の技量を試す一番良いものなのだ。
その中で、『獅子狩人』の称号は、大変名誉なものとされている。
熾闇も翡翠も、十一才の時に『獅子狩人』の称号を得ている。
記録に残る限り、おそらく最年少の称号獲得者であると言われているが、本人達にとってはあまり感慨はない。
滅多に出逢うことのない獅子ゆえに、その称号を得る者はほんの僅かだが、その殆どが獅子に出逢うなんて運が悪いと思っていることは確実だ。
なにしろ、見た目は優美で豪奢な草原の王者だが、実際は肉質は固すぎて、煮込んだところで味はあまり良いとは言えないのだ。
食べるため以外に無駄な命を散らすことを厭う草原の狩人達にとって、そういう意味では獅子は最悪な相手であった。
そうして、最年少称号獲得者達は、その意味で最悪の運勢を誇っていた。
鍛え上げられた軍馬は、主を背に乗せ、端然と佇む。
乗り手の心境を敏感に感じ取る彼等は、自分を愛し、常に余裕ある者を好むのだ。
その点で、彼等は最高の主人だと言えるだろう。
「今のところ、見当たらないな」
実にのんびりと辺りを見回して、熾闇が告げる。
「当然でしょう。あれだけ人の気配がするのですから、警戒しているのです」
「……となると、終盤に現れると言うことだな。美味そうな鹿あたりを狙うか」
照葉樹の枝に革を巻き付けて作られた丈の短い弓を手にして、若者は前を見据える。
馬の背から弓を射掛けることを前提にしてるため、その丈は短いが、かなりの強弓である。
一方、翡翠が手にしているのは、竹で作られた丈の長い弓であった。
照葉樹の枝に比べ、しなりの強い竹は、男性より力の劣る翡翠にとっては非常に引きやすいものであった。
乗馬して使うには長すぎる弓だが、翡翠の乗馬技術を持ってすればそれほど苦にはならない。
しかも、しなりが強いため、長射に向いているのだ。
東の淙で造られた長弓は、革の代わりに色鮮やかな糸が巻かれ、見た目も工芸品のように美しかった。
「若鹿か、野生牛か、そのあたりでしょう。おや? 青牙様は兄上に華を持たせようと牡鹿を足止めしましたよ」
いくら狩りの経験がなくても、戦場に立つ武将である。
しかも、将軍職に就く若武者が、動く的を射掛けられないはずがない。
まずは兄に手柄を譲ろうと、両方の後ろ脚に射掛け、動きを止めた後、双子の兄にどこでもいいから狙いを定めて射るように告げる。
その言葉に頷いた紅牙は、緊張した面持ちで、弦を引き絞り矢を放った。
弧を描いた矢は牡鹿の首の付け根に当たり、均衡を崩した牡鹿はどうっと地に倒れた。
「第四王子、牡鹿を仕留められました!」
小姓が甲高い声を上げ、観客席に知らせる。
ほっとした様子で紅牙は弟の肩を叩き、礼を述べている。
これで彼の大役は果たされたと、そう思っているようだ。
「次は青牙様にお譲りなさいますか?」
優しげな眼差しで彼等を見つめた翡翠が、熾闇にそう問いかける。
「そうだな。青牙が何か仕留めたら、競争でもしてみるか」
「……悪いお兄様ですこと」
くすっと笑った翡翠は、周囲に視線を配る。
観客は、動かない第三王子にやきもきしているようだ。
間違いなく大物を仕留められるはずの彼がまったく動かないため、いつ動くかと固唾を呑んで待っている。
「第五王子、牝鹿を仕留められました!」
高らかに声が上がり、観客席が沸き上がる。
「さて、出番かな」
にたりと笑った第三王子は、愛馬の腹を蹴り、駆け出すと、手綱から手を離し、弓に矢を番えた。
そこから先は、第三王子の独壇場であった。
大鹿を二頭、野生馬を一頭、それぞれ急所を正確に射抜き、矢一本で仕留める。
次は水牛を射止めたが、これはさすがに一本では仕留められず、もう二本を打ち込んで息の根を止めた。
青牙も懸命に追いかけているが、熾闇ほど易々とは成果を上げることができない。
「さすがだな、兄上は」
こうまで差が出てくると悔しさも感じないらしい。
感心したように青牙は見惚れている。
紅牙に至っては、兄弟と争うつもりはさらさらないらしく、無難な兎などの小動物に狙いを変えている。
そろそろ、招待客に振る舞う分としては充分だと、そう判断した熾闇は、指笛を鳴らす。
甲高い小鳥の囀りのような指笛に、双子の王子は矢を下ろす。
「もう充分だろう、行くぞ。紅牙、青牙」
こちらへ寄ってきた双子に、熾闇はそう告げる。
悲鳴が上がったのは、ちょうどその時だった。
確かに、『獅子が!』という声が聞こえた。
「紅牙、青牙! おまえ達はここに居ろ! 蒼瑛! おぬし達はふたりを頼む。来い! 翡翠」
「御意」
幾つかの声が重なるのを確かめもせず、手綱を引いて馬首を巡らせ、愛馬の胴腹を強く蹴り込むと、それこそ矢のような速さで観客席へと向かった。




