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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
104/201

104

 王都のある颯州に王太子府軍が帰還した。

 その知らせは、すぐに伝わり、沿道には人が詰めかける。

 そんな中、総大将である第三王子熾闇は、馬上の人となり、先頭を粛々と進む。


「あー……傷がいてぇ」

 背筋を伸ばし、胸を張っての行進だが、重傷患者であることには変わりない。

 馬の震動が直接傷へと響き、壮絶な痛みに耐えるハメとなっていた。

「……だから、馬車に致しましたのに」

 昨日まで、馬車の寝台で横になっていた若者に、副将であり軍師である綜翡翠が呆れたような声音で応じる。

「こんなところで恥じ晒せるか!?」

「確かに、恥でございますけれど、自業自得で耐えなくてはならないのではございませんか」

 さらりと冷たいことを告げるのは、彼女の怒りがまだ治まっていないことを如実に物語っている。

 仕方のないことだとわかってはいるが、後悔はしていない。

 方法を失敗したとは思っているけれど、結果的に望むとおりになったのだから。

 翡翠が無事であるということが、何よりも大事なことなのだ。

「まぁ、後でぶっ倒れればいいだけの話だ。とりあえず、余計な心配を民にかけなければいい。それが俺の仕事だしな。王宮で報告したら、姿くらますから」

 平気な顔を装って、にっと笑うと、翡翠は天を仰いで何かを呟いた。

 本気で呆れられたと、その態度からわかったが、仕方ないと諦めるしかないようであった。




 王宮に到着し、颱王に戦勝報告した王太子府軍総大将は、自ら謹慎すると言い置いて、そのまま王宮から姿を消した。

 同じく、燕との戦で失態を犯したと報告した副将も、総大将が復帰するまで謹慎すると告げ、王宮を辞した後、公の場から痕跡を消した。

 王太子府軍を預かったのは、利南黄将軍であり、その補佐を嵐泰将軍が引き受け、表面上は滞りなく過ぎていった。


 総大将と副将が何処にいたかというと、王都から離れた草原であった。

 交易路から離れた人気のない草原に、遊牧民と思わしき粗末な天幕を張り、そこで怪我を癒していた。


 見渡す限り膝丈の草しかない大地。

 少しでも異変があれば、鳥や野生の動物達が教えてくれる大自然の要塞に彼等はいた。

 水汲みを終えた翡翠が天幕へと戻る。

「熾闇様、入りますよ」

 声をかけ、中へ入ると干し藁の寝台に横になった若者が、彼女の方へ顔を向け、笑顔を見せる。

「おう。悪いな、翡翠」

「悪いとは思ってないでしょう? 王宮に戻らなくてせいせいしたと顔に書いてありますよ」

 大怪我の割には表情が明るい熾闇に、翡翠がからかってみせる。

「さすが翡翠。正解だ。頼みもしない見舞客に自称看護人が大勢押し寄せてくるところを想像してみろ! ぞっとするぞ。治るものも悪化するし、別の病気まで引き起こしそうだ。本当に、逃げ出して正解だった」

「……謹慎すると逃げ出すとでは、大きな違いがございますが? あなたの中では同義語だったのですか?」

「深く考えるな。せっかく王宮からも、戦場からも離れたんだ。少しはのんびりしてろよ。俺も大人しく寝てるからさ」

 その言葉通り、草原に来たときから模範的な病人になった若者は、寝台の中で大人しく横になっている。

 決して無茶をせず、だが、無事な筋力が衰えぬように最低限の運動も行っているのだ。

 これでは、翡翠もお小言の出しようがない。

「夕食用の狩りに行こうかと思いますが、何が食べたいですか?」

 矢筒を肩に背負い、弓に手をかけながら、翡翠が問いかける。

「兎! 兎肉を乳で煮込んだヤツ! あれなら野菜もたっぷり入ってるし、おまえが作るのは特別美味いし」

「はいはい。褒めたって、材料がなければ作れませんよ」

「乾し肉は嫌だからな」

「わたくしの腕前をお疑いですか?」

「材料がなければって言ったから……余分に作れよ。二、三日続けて食べても良いくらいに、好物なんだから。おかわりがあるとなお良し!」

「……本当に重傷の怪我人なんでしょうか?」

 食べることに関しては、健常者並の食欲を見せる熾闇に、安心しながらも疑問を覚えた娘が訝しげに呟く。

「すぐに戻ります」

 そう言い置いて、翡翠は天幕を出た。


 獣は傷を負うと、仲間との関わりを絶ち、誰もいない場所で傷を癒そうとする。

 安全に、確実に、傷が癒えるまでじっと大人しく時を過ごすのだ。

 周囲がどれほどまでに危険な環境かを知る賢い獣だからこそ、隙だらけの己を外界に晒すことはできないのだ。

 その点では、熾闇も獣と同じだ。

 傷など負っていない振りを通し、謹慎と託けて安全な場所へと身を隠した。

 謹慎中ともなれば、人を寄せ付けない理由ができる。

 空の私室を人に晒すことなく、ひそやかに王都を抜け出し、草原へとやって来た。

 辺りは膝丈の草ばかり。

 身を隠すものなど無いところに、遊牧民の天幕。

 一見、己を晒しているように見えて、巧妙に人から距離を置いている。

 そうして傷付いた己を晒すのは、唯一信頼している翡翠のみ。

 己の半身でなければ、一緒に天幕で寝起きなどしない。

 のんびりとしているように見えて、実は気を張り詰めているのだ。

 それでも、王宮の私室よりは遙かにマシである。

 翡翠が近くにいるときだけは、完全にくつろぐことができるのだから。

 それゆえ、翡翠は少年の姿に身をやつし、遊牧の民と同じ暮らしを営みながら、周囲を警戒し、偵察しているのだ。


 狩りは、天幕が見える範囲内で行っている。

 風下から風上に向かってゆっくりと気配を殺して歩み寄る。

 馬は、村を装うように建てた天幕のひとつに隠してある。

 狩り如きで馬に乗るような真似はしない。

 水汲みは、遊牧の民から買い入れた牛を使うのだ。

 ふたりの馬は、ひと目で軍馬と知れる上質なものだ。

 どんな危険も犯せない。

 空を見上げ、大きな鳥──猛禽類──がいないかを探す。

 もしいれば、近くに小動物はいるが、じっとして動かないはずだ。

 狙いやすいが、その分、見つけにくくなる。

 肉食動物は、得物の僅かな気配を察知し、狩るのだから。

 見上げた空には、小鳥しかいなかった。

 草原に潜む肉食動物の気配もない。

 この地は大型肉食動物がいないため、比較的、草食動物がおっとりとしていて狩りがしやすい。

 草原小型山犬や、死肉喰らいなど、自分の身体より大きな獲物を狙わない小型肉食動物ばかりのため、羊や山羊を飼っていても安全なのだ。

「………………いた」

 獲物を見つけた翡翠は、静かに移動を開始する。

 風下から狙ったとしても、この強さでは矢が届かない。

 兎が気付かないように風下から外れて近付かなければならないのだ。

 ある程度まで近付いた娘は、矢筒から矢を抜き取り、弓に番えると、弓弦を静かに、ゆっくりと引き絞る。

 きりきりと弓がしなり、弦が張り詰める。

 そうして彼女は、矢を放った。


 放たれた矢は風を切り、野兎の喉を突き通す。

 悲鳴も何もなかった。

 感慨無く獲物に歩み寄ると、矢を引き抜いた翡翠は、腰に差した小刀で野兎の毛皮を手早く剥ぎ取る。

 これほど見事に野兎の皮を剥ぎ取る貴族の娘などいないだろう。

 この皮と、前に剥ぎ取った皮とで熾闇の沓でも作ろうと考えながら、娘はほぼ無意識の動作で兎肉を解体始める。

 手早く血抜きをしないと、肉に臭みがでてしまう。

 そうなると、せっかくの料理が台無しになる。

「何でも食べるのは良いことなんですが、味覚が狂われるのは好ましくありませんからね」

 結局のところ、少しでも美味しい物を食べさせようと、心尽くしをしてしまうのだ。

「蒼瑛殿に、甘やかしていると言われそうですね」

 自覚があるだけ、始末が悪いと、苦笑しながら翡翠は生肉を芭蕉葉にくるみ、天幕へと戻っていった。

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