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白虎の宝玉  作者: 西都涼
芽吹の章
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 戦場では、一瞬の油断が命取りになる。

 それは、初陣を果たしてからこちら、常に経験してきたことである。

 周囲に気を張り巡らせ、死角ができないように注意する。

 敵と味方の位置を常に確認し、勢力を把握する。

 何度も死地を潜り抜けた歴戦の戦士だからこそ、無意識に行う作業である。

 乱戦になり、敵味方入り乱れて戦う状況になった今、熾闇は常に翡翠の位置を確認していた。

 いつでも無条件に己の命を預けられる唯一の相手の位置を把握することは、習性に近い癖であった。

 どんな得物でも難なく使いこなせる翡翠だが、近くに熾闇がいる場合、相手の間合いに入ることを嫌って間合いが範囲が広い槍を選ぶことが多い。

 翡翠の間合いに迂闊に入らぬように警戒し、遠巻きになるということは、熾闇からも遠離るということになる。

 主に付き従い、護ることを至上とする娘が、大切な王子を危険に晒さないため、常にこういった気配りをすることを熾闇は口惜しく思う。

 護りたいという気持ちは、どちらも同じはずなのに、熾闇は絶対に翡翠には敵わないのだ。

 まるで馬上で舞うように、しなる槍を巧みに操り、敵兵を薙ぎ払っていく美貌の軍師の技量に、燕軍も驚きを禁じ得ないようである。

 決して相手の間合いに入らぬように、近付く相手を打ち据え、追い払う。

 それでも聞かぬようであれば、武器を持てぬように利き手を傷付けていく。

 常に冷静であるからこそ、できることだ。

 無駄な命は奪わないと甘いことを言っていることは承知の上だが、それは的確な状況判断ができており、なおかつ己と相手の力量を把握できているからこそできることなのだ。

「さすがだよなぁ……あれで俺と同じ年ってゆーか、俺より遅く生まれてるとは思いたくないよな」

 戦場で感情を乱すことのない従姉妹の戦いぶりに、熾闇はただ感心するばかりである。

「技量じゃ、劣るとは思わないんだけどなぁ……」

 剣を振るいながら、自分と従姉妹の差について考えてみる。

 はっきりしていることは、視野の差だろう。

 感情に左右されないから、常に広い視野で見ることができる。

 その結果、戦いに余裕が出るのだ。

 感情の制御が苦手な熾闇にとって、その差は大きい。

 だからこそ、翡翠が熾闇を前線に立たせようとしないのだということも、わかりたくないのだが理解している。

 気分屋のように見える犀蒼瑛だが、彼は一度戦場に立てば、決して己の感情を乱さない。

 だから、ここぞというときに翡翠が信頼を寄せるのだ。

「それが、大人になれって意味、なんだろうけどな」

 はふっと溜息を吐きながらぼやいた熾闇の視界に何かが映った。

 普通であれば気にも止めないことかもしれないが、何故か引っかかったのだ。

 投擲用の槍を構える敵兵士がいた。

 距離はかなり離れているが、投擲用ともなれば間合いは関係ない。

 その敵兵が狙っているのは、熾闇ではなく、翡翠であった。

 肩の上で構えた槍をゆっくりと後ろへ引き、背中の筋力まで利用して体重を上手く乗せて振りかぶる。

 しなるように前へと振り下ろされた腕から槍が放たれる。

 以前に似たような光景があったと、記憶の奥から警鐘が鳴る。

「……翡翠っ!!」

 手綱を引き絞り、馬を竿断ちさせると方向転換させ、槍と翡翠の間に駆け込んでいく。

 熾闇の声に反射的に振り返った娘は、投擲された槍に気付くとはね除けようと槍を構え、飛び込んでくる影に得物を振れぬと判断し、近くの敵兵を咄嗟に切り伏せる。

「熾闇……上将!」

 視界に赤い液体が飛び散る。

「……失敗、したな。ごめん……」

 にっと従姉妹に向かって笑いながら謝罪した総大将は、左手から手綱が外れる。

 右手は剣を握り締めたままだ。

 上体を支えきれず、ぐらりと傾ぐと、手綱を掴んでいない翡翠が両手を差し延べ、彼を自分の馬へと移し替える。

 左手で熾闇の背を支え、右手で槍を構え直した翡翠は、今度こそ容赦しなかった。

 間合いに攻め入ろうとする敵兵を片端から切り伏せ、永遠の眠りにつかせていく。

「莱将軍! 莱将軍! こちらへ」

 手を休めずに、敵を力でねじ伏せながら、翡翠は近くにいるはずの将軍の名を呼ぶ。

「軍師殿!」

 名を呼ばれ、馳せ参じた莱公丙は、半身を朱に染めながらも快活な表情を浮かべていたが、彼女の腕の中のものを認めると、さすがに顔色を失った。

「上将!」

「莱将軍、命です。一軍率いて直ちに本陣へ引き返しなさい。決してわたくしが戻るまで、容態を誰にも知られてはなりませぬ。あなたと、医師のみ、殿下のお側に控えること。それ以外は許してはなりませぬ。よろしいですね」

 熾闇を公丙に預け、自分の外套を外して王子に掛けた翡翠が、小声で命じる。

 その顔を莱公丙は真っ直ぐに見つめた。

 いつも通りの冷静な表情。

 焦りも驚愕も感じ取れぬ落ち着いた様子に、青年は小さく頷いた。

「行って下さい」

「御意」

 短く返した公丙は、熾闇の身体を翡翠の外套に隠し、己の率いる兵を引き連れ、戦線を離脱し、本陣へと向かった。


 戦況は、颱が優勢で動いている。

 燕に颱の総大将が討ち取られたという知らせはまだ届いていない。

 届く前に、翡翠が周囲の兵をすべて切り捨てたため、しばらくの間、時間が稼げるはずだ。

 陽が沈むまで、今日の戦が終わるまで、この知らせを燕に伝えさせるわけにはいかない。

 従兄弟の安否よりも、戦況の推移を気にする己の冷徹さに苦笑しながら、翡翠は安定した指揮を取り続ける。

 そうして、右翼軍内で起こった異変を誰にも気付かせることなく、その日の戦を無事に終了させたのであった。

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