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白虎の宝玉  作者: 西都涼
揺籠の章
1/201

 風が、春の薫りを運ぶ。

 鳥が美しい鳴き声を披露し、咲き誇る梅の花枝を飛び交う。

 のどかな風景であった。

 日常を忘れたくなるほど、平和で優しい光景が広がる。夢のようなひととき。


 ここは、古い歴史を持つ四神国の一つ、大陸の西に位置する、白虎を守護神とする風の国颱。その首都である颯州の王宮近くにある貴族の館。

 綜家の末子は、母屋から少し離れた所にある自分の部屋で、写本をしていた。

 ぬば玉の黒髪をゆるりと結わえ、邪魔にならぬように背中に流し、真剣な面持ちで手本を見つめるその面は、繊細にして優美。雪花石膏の肌、真っ直ぐに通った鼻筋、紅を刷いたような形良い唇、そして碧玉のような双眸。どれをとっても人を魅了する美しさだ。

 だが、一番心惹かれるのは、その雰囲気だろう。ただなよやかな花のように美しいのではなく、若竹のように芯のある凛々しさを持ち合わせている。

 颱でも王家に並ぶ古き血を持つ綜家の血を持ちながら、若者が身につけているのは簡素な官服であった。その気になれば、どれだけでもきらびやかな服を手に入れられる身分を持ちながら、敢えて質素な服を身に纏うその若者の顔立ちは、凛々しく美しいが、性別を判断しにくい。


 山里を模して造られた中庭から聞こえる鳥の声に耳を傾け、書を写す。滑らかな筆運びで書き写される文字は、伸びやかで柔らかい。

 一陣の風が、前髪を揺らす。

 ふと筆を止め、窓辺に視線を転じる。

 格子を開け放した窓辺には、咲き始めの梅が一枝、文を結びつけて置いてあった。

 筆立てに筆を置き、立ち上がった若者は、梅の花枝を手にすると結わえられた文に目を通す。

「……やはり、芽が出たか……」

「何の芽が出たのですか、翡翠?」

 文を読んでいた離れの主に、朗らかな声がかけられた。


 碧玉の瞳に因んで付けられた名は、翡翠。

 綜家の末子は、容姿秀麗にして文武に秀で、王の覚えめでたき将来有望な若者なれど、惜しむらくはその性別であった。元服し、宮廷に出仕すれば、さぞ出世することだろうと言われていたが、その名が示す通り、翡翠は娘であった。

「これは姉上。ご用がおありなら、お呼び下されば、足を運びましたものを」

 女性にしては低めの、だが美しい響きを持つ声で、彼女はすぐ上の姉に向かい、礼儀正しく応じる。

「用がなくては、大切な妹の顔を見に来てはいけない? あなたときたら、滅多に家にはいないし、居ても籠もりっきりだもの」

 艶やかに着飾りながらも、どこか少女めいて見えるのは、その無邪気な仕種だからだろうか。

 白い木蓮の花枝を、両腕に抱きかかえた姉は、拗ねたような表情で妹を見上げて言う。

「……それは、申し訳ございませんでした」

「わたくしとて、判っていてよ。あなたが三の君の乳兄弟として、かの君に仕え、戦場に赴かねばならない身だという事も。でも、少しはわたくしの相手もして頂戴。何しろあなたは、碧の軍師として貴族の娘達の憧れの的なんですもの」

 胸を張って、我が事のように自慢げに言う姉に対し、翡翠は脱力感を覚える。

 性別不詳の自分の容姿が、見る者にどのような影響をもたらすのか、多少なりとも知ってはいる。だが、実際にどうであるのかまでは、あまり知りたくはないことだ。特に、女性に人気があると聞かされ、嬉しいと思う娘が居たら教えて欲しいと常々思っている。

 脱力感に苛まれる妹を後目に、姉は強引に話を戻す。

「それで、何の芽が出たのです? あなたの手の中にある梅の花枝。それは、飛梅でしょう? わたくし、知っていてよ。あなたの間者は、東の斉国の故事に因んで、主を慕って飛んできた『飛梅』の花枝に文を結びつけているという事くらい」

 翡翠の姉、芙蓉は口許に刷いていた笑みを消し、厳しい眼差しを彼女に向けた。


 どこから聞いたのか、芙蓉の情報網は侮れないものがある。さすが我が姉と、半ば感心しながら翡翠は苦笑した。

「翡翠!」

「……父上は、何処に居られまする?」

 咎めるように声を荒げた姉に、翡翠は笑みを浮かべ、穏やかに訊ねる。

 女性ながら、武人たる道を選んでしまった彼女には、いかに姉といえども言える事と言えない事がある。

 それを悟ったのだろう。芙蓉は渋々ながら、綜家の主の居場所を告げる。

「お父様は、宮中にいらっしゃるわ。新年の大祭の準備があると仰って……火急のご用なの?」

「いいえ。そう言えば、そんな時期なのですね。私も王宮に参らねばならないでしょうね、我が君に新年のご挨拶を申し上げておりませんでした。父上が宮中なら、兄上達も出仕していることでしょうね。今気付きましたが、家に戻ってから、大兄次兄にお逢いしてないのですよ、私は」

 にっこりと微笑んで、芙蓉の問いかけをかわした翡翠は、ゆるりとした動作で、花枝を水入れに差し、隣の部屋に控えている女官達に声をかけた。

「誰かおらぬか! 楓、茜、浅荵。出仕の支度を……太子府に行く」

 その声に、衝立の向こう側から現れた女性達は、恭しく頭を下げ、再び姿を消す。

 彼女たちの背を見送った翡翠は、再び姉に視線を転じる。静かで穏やかな表情。娘だてらに剣を取り、戦場で戦う翡翠は、その功績からお転婆で気の強い、元気な娘のように思われるが、実際は、物静かで思慮深い性格であった。

「……姉上、母上に伝えて頂けないでしょうか? 我が君に新年のご挨拶を申し上げに、太子府へ出仕いたします。新年の大祭の準備について、父上と話がありますゆえ、戻るのは遅くなります、と」

 端整な顔立ちには、常に穏やかな微笑みが刻み込まれている。

 どこか超然とした雰囲気を持つ麗人が、剣を振るい、大軍を操る軍師には到底思えない。だが、優雅で静かな物腰が、かなりの曲者だと芙蓉は良く知っている。

 外見で判断しては、痛い目に遭うという見本のような娘は、姉の返答を黙って待っている。

「わかりましたわ。お気をつけて行ってらっしゃいませ」

 芙蓉は小さく頷くと、木蓮の花枝を抱えたまま、軽やかな仕種で踵を返す。

 姉の背を見送りながら、翡翠は一つ溜息をついた。

 意識は掌中の文にある。

 それは新年早々、不愉快な内容であった。颱国の南西よりにある、小国彩が、兵を募り、颱の国境を侵すべく計画を立てているというものだ。

 せっかく新年を迎えたというのに、あまりにも焦臭い状況が颱国を取り巻いている。

「……落ち着かぬものよ。何故に血を求めるか、彩よ」

 拳を握り締め、グシャリと掌中の文を潰した翡翠は、深々と溜息をつくと、ボソリと呟く。

 だが、その問いに答えてくれる者は、誰もいなかった。

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