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Undivided  作者:
第二章:人魔交錯
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間章:悪漢色を好む(シュトリ編)

 強引に頤を掴み上げ、唇を貪った。柔らかな感触を思うさま楽しんだ後、舌で歯を抉じ開け、口内を蹂躙する。

「はぁっ……」

 唇を離すと同時、唾液が淫靡な線を描き、欲情を乗せた声が耳元をくすぐった。その頬は朱に染まり、瞳は快楽に潤んでいる。

 俺は獣のように喉を鳴らすと、その細い首筋に舌を這わせた。耳を食むと同時、左手をむき出しの太ももに這わせ、右手は胸元のボタンを――。

「――ちょっと」

 淫らな空気を壊したのは、棘を隠そうともしない声だった。

「朝っぱらから盛らないでくれる?」

 声の主である銀髪の美女、イザベラはペン先でコツコツと机を叩きながら、不機嫌極まりない表情で苦言を呈した。

「っんだよ! 邪魔すんなイザベラ!」

 俺の膝に乗る美少女――シュトリが、今度は怒りで顔を赤くして罵声を上げる。これが彼女の手下達なら、震え上がって許しを請うだろうが、イザベラもこの程度で脅えるような軟な神経の持ち主ではなかった。

「アンタらこそ仕事の邪魔なのよ! 何も執務室ここでやんなくてもいいでしょうが!」

 机を叩きながら吠える彼女の言葉は、もっともだと言わざる得ない。ここは〈百鬼夜行〉の屋敷、その執務室である。寝室ならともかく、仕事をしている人間の隣で情事に及ぶのは、文句を言われても仕方が無いことだろう。

「はぁ? 知るかよこの――ひゃっ!?」

 なおも噛み付こうとするシュトリの胸を揉みしだいて黙らせ、俺は仏頂面のイザベラへと視線を向けた。

「な、なによ」

 不穏な視線を向けられたイザベラの表情が引きつる。机越しで見えはしないが、既に何度も味わった身体だ。その成熟した身体はすぐに思い描く事ができた。

「ふむ――」

 俺は小さく頷き、問いかける。

「――混ざるか?」

「混ざるか!」

 怒声と共に投げつけられるペンを、首を傾けるだけで回避する。ペンは背後の壁に当たり、床へと落ちた。

「……」

 これを反抗と見たのか、傍に控えていたエレンが無言で身構える。その忠犬ぶりに口の端を緩めながら、俺は手を振ることで不要の意を伝えた。

「と・に・か・く! やるなら外でやんなさい!」

「……いや、外は駄目だろう」

 イザベラの言葉に、これまで黙っていたカイムが嘆息と共に突っ込んだ。その頬が僅かに赤いのは、俺とシュトリの情事に当てられたからか。

「外か……」

 その単語に俺はしばし黙考し、そして良い事を思いついた。

「よし、シュトリ。出かけるぞ」

「――え?」

 シュトリは虚を疲れたような顔をして、何故かもじもじと、恥らうように下を向いた。

「あのさー、ソラト。その、やっぱ流石に、外は恥ずかしいかなーって……」

「阿呆」

 馬鹿なことを言い出すシュトリに俺は鼻を鳴らし、押しのけるように膝から下した。

「デートだよ、デート。いいからさっさと支度しろ」


 屋敷の玄関で待つシュトリの心は、期待と不安で揺れ動いていた。

 実のところ――彼女がソラトとふたりきりで出かけた事は殆ど無い。ソラトは出かけるときは独りか、手下を大勢引き連れて歩く。少なくとも、カイムを含めた三人だった。

 しかし今回はふたりきり。しかも、ソラト自身が「デート」と公言している。

 つまり――。

「カイムに差をつけるチャンス……」

 このときシュトリは――たまたま通りがかったブラン曰く――獲物を狙う肉食獣の顔をしていた。

(何処に行けば喜ぶかな……いや、ソラトはもう行くところを決めてるのかな?)

 せめて事前に知らせてもらえていれば、少しは予定も立てられたのだが。

 ソラト、気まぐれだからなぁ、と胸中でぼやく彼女の服装は、いつもの改造乗馬服ではなく白いブラウスにロングスカート。普段とは大分違う。彼女なりの、目一杯のおしゃれであった。

 そして。

「――仕度は終わったのか」

「……わお」

 階段を下りてくるソラトに、シュトリは思わず感嘆の声を漏らした。ソラトも、いつもの外套姿ではなかった。赤いシャツに黒のベストを合わせ、同色のタイを巻いてる。下は白のスラックスだ。

 何より、腰に〈呪剣アナスタシア〉を下げていない。もちろん何処かにナイフくらいは忍ばせているだろうが……あの亡霊すらも、今は傍に居ない事になる。

 このチャンスを逃してなるものか――決意を新たにするシュトリのこと本郷アリサちゃん16歳、彼氏いない暦16年だった。

「いくぞ」

「ど、何処にいくか決まってるの?」

 さっさと玄関を出るソラトの後を追いながら、シュトリは訊ねる。

「いいや」

 やはりというか、ソラトは完全にノープランのようであった。そもそも、女の子を楽しませようと気を使うタイプには見えない。むしろ相手が自分を楽しませるべきだと考えてるに違いない。

 しかし。

(難しいなあ……こっちにはゲーセンもカラオケもないし)

 中世ヨーロッパ風のファンタジー世界で、娯楽施設なんてそうそう存在しない。代表的な娯楽といえば賭博や社交館などでのパーティーだろうが、前者は賭場の下締めであるソラトが今更楽しめるとは思わないし、後者はデートで行く場所ではない。

 幸いなことに、ここは王都だ。通りには露天が並び、商人達が声も枯れよとばかりに客引きをしている。当ても無く歩くだけでもウィンドウショッピングにはなる。

 だがシュトリの乏しい知識では、男性にとって女性の買い物に付き合うのは苦行でしかないはずだ。しかも相手は俺様、何様、ソラト様である。下手をすれば「飽きた」といって帰りかねない。

 どうしたものかと悩んでいると、通りの向こうから陽気な音楽が聞こえてきた。視線を向ければ、多くの人が集まっている。

「よう、なんの集まりだ?」

 興味を惹かれたらしいソラトが、野次馬のひとり、髭面の男に尋ねる。

「おお、いい音色だろ? 流れの楽団が来てるんだよ」

 男は身なりのいい少年に声をかけられたことに驚いたようだが、直ぐに答えてくれた。彼が指し示した先では数人の男女が、ギターやバグパイプ――正確には逸れに似た何か――を抱えて演奏していた。周囲にはもともとは近くの露天のものだろう、テーブルと椅子が並べられ、人々はやっぱり露天のものだろう酒や料理を持ち寄っている。そしてその中心、演奏者たちの前には、開けた空間が造られ――そこで男女が音楽に合わせ、思い思いに踊っていた。即席のダンス会場、というわけだ。

 これを見て、シュトリは内心で喝采を上げた。アピールのチャンスである。

「ね、ね、混ざっていこうよ」

「……ふん。まあ良かろう」

 腕にしがみつき、甘えるようにおねだりする。ソラトも、小さく頷いた。

「やった!」

 歓声を上げたシュトリは踊りの輪の中に飛び込むと、音楽に合わせてステップを踏み、身を翻す。

 日本むこうではダンスゲームも嗜んでいたシュトリである。動きそのものは単純だが、その容姿と堂々とした態度が見栄えを良くしていた。

 思わず手を止め足を止め、天使の舞を見つめる人々。やがて彼らは声援を発し、口笛を吹き鳴らした。人々の称賛に、シュトリは気を良くする。

 さて肝心のソラトの反応は、と視線を向けると――。

(げ、不機嫌)

 少女の視界に映るのは、愛しい彼の仏頂面だった。どうもお気に召さなかったらしい。

 せっかく良いところを見せようと思ったのに……と落ち込むシュトリ。踊るのをやめてしまった彼女に、周囲の怪訝そうな視線が集中する。

 周囲の視線を奪うように、ソラトがゆっくりとシュトリの方へと近づいてくる。何を言われるのかと脅える彼女の眼前で、彼はおもむろに――後ろに仰け反った。

「――へ?」

 唖然とするシュトリを置き去りに、ソラトは地面に手を付き、逆立ちするように両足を跳ね上げる。そして逆さまのまま回転し、同時に開いた足を振り回す。腕の力だけで跳ね起き、豪快な蹴りと共に宙を舞う。

 ブレイクダンスにも似た、アクロバッティックなその動きは――。

「――カポエイラ?」

 何でも以前聞いた話では、ソラトはNESの前には格闘系のVRゲームに熱中していたらしい。特に足技を好む彼のことだ。カポエイラを習得していても可笑しくはない。

 激しくも流麗な美技に、観衆はまず驚愕し、次に喝采を送る。瞬く間に場の支配者となったソラトは、跳躍と回転の合間に、どこか挑戦的な視線をシュトリへと向ける。

 どうもシュトリの舞は、ソラトに妙な対抗心を抱かせてしまったらしい。

 負けず嫌いで目立ちたがり屋な想い人に、シュトリは思わず深々と嘆息した。


 思うさま踊りを楽しんでいたソラトだが――その後、直ぐに機嫌が悪化した。手が汚れたのである。カポエイラでは地面に手を付くので当然だ。手だけでなく、服の袖や裾にも汚れが付いてしまっている。

 戦場では全身を返り血で染めて高笑いするような男だが、遊んでいるときに汚れるのは我慢できないらしい。見るからに不機嫌そうになったソラトは、「なんかもう帰ろうかな」的な空気を醸し出している。

 これはまずい。非常にまずい。慌てて打開策を探すシュトリの目に、ひとつの屋台が留まった。

「あ、ほらほらソラト。なんかおいしそうなの売ってるよ」

 屋台で売られているのは糖蜜パイだった。ソラトはかなりの甘党である。機嫌を取るにはうってつけだろう。ついでに手を拭くための、濡らした手拭いでも借りてこよう。

「買ってくるからちょっと待っててね」

「ん」

 誰かの酒を勝手に飲み始めたソラトを残し、屋台へと向かう。少しばかり人が並んでいるが、そう時間がかかるわけでもないだろう。

「いい踊りだったぜ!」

「もう一回見せてくれよ!」

 列に並ぶ間、彼女の踊りを見ていた人々に声をかけられる。日本むこうでは孤独に過ごし、こちらでは〈百鬼夜行〉の大幹部として恐れられるばかりだったシュトリにとって、人々から好意と称賛を贈られるのは、なかなか新鮮な――そして悪くない感覚だった。

 シュトリは良い気になって、思わず笑顔で手なんぞ振ってしまう。

「お嬢ちゃん! 次は俺の上で踊ってくれよ!」

「腰を使ってな! ガハハ!」

 しかし投げかけられた言葉で、少女の瞳が絶対零度に凍る。見ればあまり柄の良くなさそうな男達が酒盃を片手に、酒と色に濁った視線を送ってきていた。

「――死にてぇのか?」

 シュトリはその容姿から、露骨な欲望を向けられる事が多い。そして直情型の性格である彼女はその不快感を受け流すことが出来なかった。

 手下のチンピラなら震え上がるだろう眼光を受けても、酒で頭の回転――あるいは生存本能――が鈍くなっているらしい男達は、自分達が地獄の縁に足をかけていることに気が付かない。

「んだよ、愛想わりぃな」

「いいから、こっち来て酌をしてくれよぉ」

 へらへらと笑う男達に、唯でさえ気が短いシュトリは、あっさりと激昂した。

「テメェら……ぶっ殺すぞコラァ!」

 折角のデートに水をさしたのだ。断じて許せはしない。今は武器を持っていないが、こんな連中、素手でも充分ぶちのめせる。

「あんだ、この餓鬼」

「へへ、ちょっと思い知らせてやったほうがいいな」

 露骨な殺気をむけられた男達は、流石に不快に感じたらしく、剣呑な様子で席を立つ。

「ちょっとやめなよ、子供相手に……」

「うるせぇ! 邪魔すんな!」

 止めに入った野次馬を怒鳴り散らし、男達はシュトリへと近づいてくる。

 返り討ちにしてやろうとシュトリが拳を握った、その瞬間。

「――触るな」

 小さな、しかし決して聞き逃されないだろう言葉と共に、男の一人が吹き飛んだ。

「それは俺の女だ」

 男に飛び蹴りを叩き込んだ黒髪の少年が、華麗に地面へと降り立った。全てを見下し睥睨するその姿は、傲慢にして尊大。誰もがその圧倒的な存在感に飲まれ、息を呑む。

「さて、テメェら……俺の女にちょっかいを出したんだ。覚悟はいいよなぁ?」

 それはそれは楽しそうに、少年は笑う。血と暴力を好む悪魔の瞳は既に、哀れな犠牲者おもちゃしか映していないようだった。

(え、ええ――?)

 こんな連中は怖くないが、シュトリも乙女である。庇われれば嬉しいし、それが惚れた男となれば胸が高鳴るというもの。

 しかし――ノリノリで男達へ暴行を加えるソラトは、誰がどう見ても暴れたいだけだった。

(……まさか、これでデート終わりとかないよね?)

 ――その後、自分そっちのけの乱闘が終わるまで、シュトリはふてくされながら糖蜜パイを自棄食いした。

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