間章:ならず者のブルース(2)
大通りの雑踏をすり抜けながら、俺は懐から紙巻煙草を取り出した。刻んだ葉を紙で巻いたこの煙草は、煙管を使わなくていいという利点がある。その代わり値段も高いのだが――ギルドで卸している品なので、俺は格安で手に入れることが出来ていた。
《黒い太陽》が描かれた箱から煙草を一本、抜き出して銜える。それに火をつけるマッチの箱にも、やはり同じ紋章が印されていた。
酒、煙草、麻薬。そして武器や鎧の類まで。ギルドで生産、販売している品にはどれも《黒い太陽》が刻まれている。最近じゃあ、この紋章が『粋』だってんで、ギルドの人間でも無いのに、これ見よがしに身につけてる者も多い。旦那に言わせると『ブランド化の成功』らしいのだが、俺にはよくわからん。
俺は人の流れから外れ、横道へと入った。それだけで喧騒は遠ざかり、人気が無くなる。ほんの僅かな距離が、賑やかな大通りと薄汚れた裏路地の差を産み出してしまう。
「おい、そこのおっちゃん!」
歩く俺に声をかけてきたのは、汚い地面に座り込んだ、これまた汚い餓鬼だった。清潔さとは無縁の服装と、痩せた手足。一目で宿無し――浮浪児だと知れた。王都に限らず、デカイ街にはこういう餓鬼が沢山居る。
「おっちゃん! 何か恵んでけ!」
餓鬼は堂々と、尊大ともいえる口調でそう言った。決して人に物を乞う態度ではない。俺は驚きで思わず足を止め、口を開いた。
「……物乞いにしちゃ、斬新な文句だな。そんなんじゃ、ろくに稼げないんじゃねぇか?」
呆れた俺の呟きの、物乞いの餓鬼は鼻で笑った。
「哀れっぽく『おお、旦那さま。哀れな私にお恵みを』とか言えって? そんなのありふれた文句じゃあ、誰も立ち止まらないよ。物乞いの餓鬼なんて、珍しくないからね。何か恵んでもらおうと思ったら、何よりまずは足を止めてもらわないと」
小僧の言葉に、俺は不覚にも感心していた。確かに、小僧の言う通りなのかもしれない。物乞いは珍しくないから、誰もいちいち足を止めない。逆に言えば、珍しい物乞いになれば、足を止めてもらえるかもしれない。なにより事実として俺は足を止めて、小僧の言葉に耳を傾けてしまってる。
「と、いうわけで何か恵んでけ。金貨と言いたいところだけど、銀貨でいいよ」
当然のように開いた手を差し出す小僧に、俺は顔を顰めた。
「あのなぁ。そもそも金貨を持ってる奴が稀で、それを恵む奴は更に稀だと思うぜ」
「だから銀貨でいいって言ったろ?」
「ったく大した餓鬼だよ、お前は……ほらよ」
俺は関心半分、呆れ半分で銀貨を懐から取り出すと、それを指で弾いた。銀貨を受け止めた小僧は、きょとんとした表情を浮かべていた。
「まさか本当に寄越すとは思わなかった」
「そうかい」
ひらひらと手を振り、立ち去ろうとする俺を、小僧が引き止める。
「ああ、待ってよおっちゃん」
「何だ? 流石にもう出さねーぞ」
「違うって。流石に、ただ貰うだけじゃアレだからさ。いいこと教えてやんよ」
小僧はひょこひょこと近づいてくると、「耳を貸せ」といわんばかりに手招きする。仕方無しに、俺は身を屈めた。
「いいか、おっちゃん」
小僧は声を潜めて、囁く。
「――お人良しは、早死にするぜ?」
その言葉と共に、小僧は腰の後ろからナイフを引き抜いた。ちっぽけで、薄汚れた、しかし確かな鋭さを持った凶器が、俺の腹に目掛けて突き入れられる。
「――知ってるよ」
俺は驚く事も慌てることもなく、小僧の腕を掴んで止めた。
「まったく、いい度胸してるぜ、本当」
小僧は物乞いを装った――というか本当に物乞いなのだが――強盗だ。金を置いていく馬鹿につけこみ、獲物にする。
罠を見破られ、ナイフを止められた小僧の顔に、脅えを浮かべる。なかなか狡猾な餓鬼だが――大人と子供だ。正面から殺し合いをすれば、体格で劣る小僧に勝ち目は無いだろう。
俺は嘆息し、掴んでいた小僧の腕を放した。「失せな」と手を振ると、小僧は一歩、二歩と後ずさり――充分な距離を取ってから、身を翻し、逃げ去っていった
「何やってんだかなぁ……」
去り行く背中を眺めながら、俺は若干の疲れを滲ませて呟いた。
俺が何故、小僧を強盗だと見破ったかといえば――なんと言うことは無い、俺も昔、同じ手を使っていたというだけだ。
俺が浮浪児だったときには、あの餓鬼と同じ様な事を、あるいはもっと汚かったり、もっと惨めな事をやっていた。
生きるためなら、何でもやった。その事を恥じるつもりもないし、今更後悔しているわけでもない。ただ少しだけ苦い、旧懐にも似た感情があるだけだった。
「どっかで酒でも飲むか」
王都には、《百鬼夜行》の息がかかった酒場もある。見回りついでに一杯ひっかければ、気分転換にはなるだろう。
そんなことを考えて、ぼんやりしていたのが悪かったのか――角を曲がったところで、飛び出してきた人影とぶつかりそうになる。
人影は女の姿をしていた。俺よりいくらか年下で、癖の強い赤毛と、鋭い目付きが特徴的だった。
「邪魔だよ! さっさと退き――」
女は怒りも露わに、声を荒げ――次の瞬間、驚愕を顔に浮かべ、声を途切れさせた。
「――隊長?」
その言葉で俺はようやく、相手が誰なのか気が付いた。
「アニー、か……?」
思わぬ再会に、俺はそう呟く事しか出来なかった。




