第九話:ならず者の商い
厳格かつ苛烈な性格で知られるバスカヴィル伯爵の膝元だけあって、アルクスの統治は行き届いている。街を定期的に警吏が巡回して目を光らせているし、もし犯罪の知らせが届けば詰め所にいる兵士達が飛んでくる。
しかしそれはアルクスを覆う二枚の壁の内側──『内区』での話である。一枚目と二枚目の壁の間、『外区』は城壁での審査が厳しくないこともあり、あまり柄の良く無い者達もうろついている。
特にここ最近は、貧困が原因でバスカヴィル領全体の治安が悪化しており、また治安維持を担う兵士達も、バスカヴィル領南部で発生した農民達の反乱によって軽犯罪の取り締まりまで手が回らなくなっている。必然的にアルクス外区では犯罪の発生率は急速に上昇していた。
「ぐっ! がっ!」
「もう、もう勘弁してぐだざい……」
その外区の裏路地に、鈍い打撃音と共にうめき声、あるいは哀願の声が響いていた。ならず者然とした男達が、同じように柄の悪い者達を囲み、押さえつけ、暴行を加えているのである。この界隈では珍しいことではなく──特にここ数日は毎日のように行われている。
「そこらへんでいいぞ」
殴られている男達が完全に反抗心を失ったのを確認し、俺は暴行を止めるように命じた。
暴行を加えていたのは、ジェイク、ブランを初めとした《首吊り兎》に出入りしていたチンピラどもだ。今や彼らも俺の手下である。
そして殴られ、地面に押し付けられているのは、《赤い虎》などという大層な名前を名乗っているギルドのメンバーだ。ギルドと言ってもその数は精々十数名ほどで、要するに単なるチンピラの集まりである
この世界におけるギルドとは、《NES》を初めとしたMMOGでお馴染みである「特定メンバーの集まり」であり──要するに、結成には適当に人数を集めてギルドを名乗るだけだでいい。それこそ子供がごっこ遊びの延長でギルドを結成することすらできる。
そのため、あちらこちらで少数ギルドの乱立することになり、当然ながらそういった弱小ギルドは組織力など無いに等しい。
その一方で──国家を股にかけるような傭兵ギルドや商人ギルドも確かに存在する。それらのギルドは信頼も実績も大違いで、なかには自前の通貨まで発行しているギルドもある。
「さて、さて、さて。《赤い虎》の諸君」
歌うように抑揚をつけて、俺は彼らの『説得』を開始する。
「今日君達に会いに来たのは他でもない。君達に俺の手下になってほしいからなんだ。もちろん拒否権は無い。君達はただ馬鹿みたいに俺を敬い、信じ、従えば良い。簡単だろ?」
散々痛めつけられた《赤い虎》の男達は、俺の言葉に反発する事は無かった。だがその瞳に浮かぶのは、怒りと憎しみだ。いきなり痛めつけられたのだから当然の感情ではある。
ならばそれを、恐怖で上塗りしよう。
「──シュトリ」
「うん」
俺に名前を呼ばれた少女は、心得たように進み出た。
彼女の装いは大きく変わっている。紺のライディングジャケットに白いキュロット、脛まで覆うブーツと言う乗馬服スタイル──というか乗馬服そのもの──なのだが、キュロットは足の付け根の位置でカットされ、綺麗な太ももを大胆に晒していた。ジャケットの下に着ているシャツも、胸元のボタンが外されており、豊かな膨らみを覗かせている。
素材の良さもあいまって、見るものを惹きつけずにはおかない魅力があるのだが、腰に下げられた長剣と、顔に浮かぶ不敵な笑みが、彼女が綺麗なだけの人形で無いことを示していた。
「じゃ、バイバイ」
シュトリは軽い別れの言葉と共に、腰に下げた長剣を引き抜き、一閃させた。
《赤い虎》のリーダーであった男の首が地面に転がり、噴水のように噴出した血が路地裏を汚す。残ったごろつき達は悲鳴をあげ、手下たちは少女の剣腕に感嘆の声を上げた。
シュトリが手下に加わってから、彼女には事あるごとに誰かを殺すことを命じている。
ゲームではない本当の殺人に、初めは彼女も躊躇を示したが──しかし《首吊り兎》では本気で俺を殺しにかかっているのである。そこまで殺人に抵抗があったようでも無く、今ではすっかり慣れて、PK時代と同じ残虐さを窺わせるようにすらなった。
「以上、俺に逆らったらどうなるかの実例でした」
返り血で汚れた顔に、褒めてくれといわんばかりの笑みを浮かべるシュトリに微笑を向けてやってから、俺は男達に向かって口を開いた。
「でも安心して良い。俺は俺に逆らうものに容赦はしないが、従うものには報いる男だ。俺についてくれば面白おかしい日々を約束しよう。このまま湿気たチンピラでいるか、俺の下で刺激的な日々を送るか――どっちがいいか良く考えるんだな。まあ、答えがどっちでも、俺には従ってもらうんだが」
立てぬほどに打ちのめされ、その上首魁を失った彼らは完全に屈服していた。順番にひれ伏し、服従の誓いを口にする。
これでアルクスに居るならず者はあらかた俺の支配下に納まった。合流した《鬼蜘蛛》の盗賊たちと合わせれば、その数は百を超える。
「これで『シノギ』も手を広げられるね」
返り血を拭ったシュトリが俺の腕に抱きつき、豊満な胸を押し当てて来る。不安の裏返しか、はたまた未知の世界が吊橋効果を生み出したのか、彼女は俺に対して過剰にスキンシップを求めるようになった。
俺はまだシュトリを抱いてない。今更奥手を気取るつもりは無いが、男女の仲とは複雑かつ不安定なものだ。迂闊に手を出し、高い戦闘能力を持つ彼女を失うような失態は犯したくない。慎重になるのも仕方が無いというものである。
彼女の言う『シノギ』とは、集めた手下を使って始めた活動のことだ。アルクスの店舗に部下を派遣し、用心棒代の名目で金銭を要求する。いわゆる「ショバ代」である。
当然ながらどの店も相手にしない。だが断った店には、商品を壊したり、店の前にたむろして客を追い払ったりと嫌がらせを行う。店が警吏を呼んでも、彼らがやってるのはしみったれた嫌がらせである。壊した商品を弁償するなり、罰金を払うなりすればそれ以上の処罰は出来ない。出来ても精々、数日の間牢屋に入れておくくらいである。
そして、警吏を呼んだ店には、深夜に店に火をつけるなど、本格的な「報復」を行う。
こうなれば店は大人しく金を払うしかない。他の店も報復の恐ろしさを知り、唯々諾々と従うようになった。コツは要求する額を「我慢できる程度」に抑えることである。こちらとしても店がつぶれたら金が取れないので、広く浅くやるのが正解だ。
……俺が行っているのは、まさしくヤクザの『シノギ』そのものだ。騎士団による討伐や護衛の傭兵というリスクを抱える盗賊よりはるかに安全で、長期的に見た収入も大きい。
法整備が進んだ日本ですら、ヤクザは駆逐できてない。中世レベルの司法で対処出来るはずもなく──俺は静かに勢力を伸ばしつつあった。
「次はどうするの?」
「ショバ代を元手に賭場を開くぞ。この街では賭博は禁止されてない。そのくせ賭場は無いってんだから、開かない理由が見つからないな」
この世界には大々的な賭場、カジノというものは存在しない。少なくとも、このアルクスには無かったし、どこかで見た、聞いたという人間も居なかった。
フランスで初めてカジノが出来たのが1700年代だったハズだから、特に不自然なことではない。かといって賭け事が行なわれないわけではなく──むしろ酒場などで日常的に行なわれている。この世界の賭け事は賭場で見ず知らずの誰かと勝負するものではなく、仲間内で楽しむものなのだ。
原因は恐らく取り立ての難しさだろう。身分証明が無いのが一般的なので、遠くに行って名前を変えるだけで追跡は困難になる。つまり、夜逃げがしやすい。だから顔見知りと小銭を賭ける程度が一般的になるわけだ。
逆に言えば、夜逃げさえ防げれば賭場は金のなる木だ。これが貴族になると、誰かの屋敷に集まって大金をかけた賭博を行うこともあるらしいが、額が違うだけで本質的には差が無い。
「『宝くじ』もかなり儲けたからね。やっぱりどこの世界でも賭け事って儲かるんだね」
シュトリの言葉に、俺は皮肉げに口の端を吊り上げた。
「いや、賭けは儲からない。本当に儲けるのは、賭けする奴じゃなくて、賭けをさせる奴なのさ」
博打なんて馬鹿のやることだ。少しでも賢い奴は博打はやらない。もう少し賢い奴は勝てる博打だけをやる。そして、もっと賢い奴は博打をする馬鹿から金を巻き上げる方法を考える。
「余裕が出来たら高利貸しも始めるぞ。何しろこの世界に法定金利なんて無いからな。賭場で擦った馬鹿に貸し付けて、骨の髄まで搾り取るんだ」
「んふ、楽しくなってきたね」
シュトリを侍らせ、手下を引き連れて、俺は今日もアルクスの暗黒街を行く。
「貴方、命を狙われてるわよ?」
俺がその話を聞いたのは、酒場兼宿屋《首吊り兎》の一室でのことだった。
俺は《首吊り兎》の二階をほぼ貸切にして使っている。それも格安でだ。これは店主の好意──ではなく利害の一致である。
俺がこの宿で過ごす限り、必然的にならず者たちが頻繁に出入りすることになる。しかも俺が彼らを纏め上げていたおかげで、頻発していた喧嘩騒ぎがほぼ皆無になった。もともと二階は娼婦を連れ込んだり、酔っ払って動けなくなった奴が利用するためのもので、そこまで儲けが無かったこともあり、店主はタダ同然の値段で二階を明け渡してくれた。
俺は一番大きな部屋で、革張りの長椅子に身を預けていた。そして俺の隣に座り、酌をしているのは、灰色の髪と肉感的な体つきを持つ美女──武器屋の店員、イザベラである。
「坊やの火遊びに、ギルドはカンカンでね。いっそ始末してしまえって事になったらしいわ」
「ほう……」
俺達が本格的に活動を開始し、急速に部下と収入が増えるのに従い、新たな問題が浮上してきた。会計である。
俺の手下はチンピラばかりで金の勘定など出来ない。教育レベルが低いこの世界では、読み書きや計算が出来る者はそれだけで仕事に困らない。当然、そんな技能を持った奴がいつまでもチンピラを続けているはずも無い。
俺は煩わしい作業が大嫌いだし、シュトリは計算は出来るが英語が苦手で書類が読めない。よって俺は早急に字が読めて、数字に強い部下を手に入れる必要性に駆られた。
そして俺が目を付けたのがイザベラである。彼女は雇われ店員とはいえ、武器と言う高価な商品を扱う店で、取引の交渉まで任されていたのだ。能力的には問題ない。そう判断した俺は、花束を片手に勧誘に向かった。
彼女は俺が、アルクスの商人達を苦しめているならず者達の頭であると知って驚愕し、自身がその一員に加わることにかなりの躊躇を示した。
が、俺が彼女が買っていた『宝くじ』を当たりにしてやってから態度を変えた。
『宝くじ』は俺が始めた商売の一つである。シュトリとその配下を掌握して直ぐ、俺は手下に命じて外区の大通りに屋台を出させた。
屋台で売られているのは一つ銅貨五枚の「くじ」である。くじは数字の書かれた木製の板で、偽装防止のために割符になっている。そして月に一回、当たりくじが発表され、当選者には銀貨三十枚が送られる。
物価が違うので何ともいえないが、日本円に換算すると銅貨はだいたい一枚百円ほどの価値になる。それに対して銀貨は一万円ほどになるだろうか。つまり、一口五百円で当たりは三十万円。日本の年末だのドリームだのに比べればずいぶん小規模だが、全国展開できるわけではないのでこれくらいが限界だ。
これが面白いように売れた。銅貨五枚を用意するのはそう難しいことではない。それに対して、平民が一度に銀貨三十枚も手に入れられる機会などほとんど無い。彼らは夢を膨らませながら──これを日本では取らぬ狸の皮算用と言う──我先にとくじを買って行った。アルクスだけで販売しているため、まだまだ利益は薄いが、これから規模が大きくなるに従って儲けも大きくなるだろう。
当たりくじはちゃんと出した。変にごまかすより、当たりを出した方が射幸心を煽れるからだ。
しかし馬鹿正直に出してやる義理も無く、俺はイザベラの買った番号を当たりにしてやると持ちかけたのだ。
もちろん彼女は話に乗った。こうして俺は美しい会計係を手に入れたわけだが、商人である彼女は情報源としても有益だった。客から、商人仲間から、様々な噂話を俺の耳に入れてくれる。
どうやら俺の始めたシノギは商人ギルドを大層立腹させたようである。問答無用で暗殺とは穏やかではない。
「言い出した奴、賛成した奴、あと雇われたのが誰か、解るか?」
「そこまではちょっと。私は会合に出れないから、うちの店長の話を聞いただけだもの」
アルクス商人ギルドの参加条件は、この街に店を──屋台は含まない──を持ち、商売をする者である。雇われである彼女は会合に参加できないのだ。
どうしたものか、と俺は思案に暮れる。おそらく暗殺者の類が来ても、俺なら撃退できるだろう。しかし万が一と言うこともあるし、いつまでも付け狙われるのは鬱陶しい。
何にせよ、もう少し情報が欲しかった。
「イザベラ」
「あら、なあに?」
「自分の店を持つ気はあるか?」
唐突に変わった話題に、イザベラの目つきが代わった。
「……出資してくれるの?」
自分の店を持ちたいというのは、商人として当然の望みである。だが彼女は能力は合っても資金が無い。だから雇われの身に甘んじていたのだろう。俺に雇われ、悪行に加担することを選んだのも、開店資金を貯めるために、銀貨三十枚の当たりくじがどうしても欲しかったからだ。
そんな彼女にとって、出資者は喉から手が出るほど欲しいに違いない。
「お前が俺に従うと誓えるなら出資してやるし、働き次第では今後、他の商売を仕切らせてやってもいい」
近頃は懐に余裕が出来てきたが、まだまだ足りない。どんどん手を広げて、更に儲けを増やすつもりだ。その為には、イザベラのように商売に明るい人間が必要である。
しかし、今の彼女はあくまで一時的に雇われているだけで、エレンのように忠実な下僕と言うわけではない。銭勘定だけならともかく、重要な取引まで任せるわけにはいかないのだ。
イザベラの目に逡巡が浮かぶ。組織の会計を預かる彼女は、その金額についても熟知している。それが僅か一ヶ月足らずで作られたものだということもだ。何より、このまま武器屋の店員を続けていては、自分の店を持つなど夢のまた夢だと言うことを、彼女は理解してしまっている。
「……具体的に何をすればいいの?」
「店はお前の好きにして言い。取引はある程度の方針は指示するが、あとはお前の裁量でやって構わない。儲ければ儲けるだけ、お前の報酬も増やしてやる」
俺の答えに、彼女は心を決めたようだった。深々と息を吐き、そして頷いた。
「わかったわ。貴方に従う」
「いいだろう」
その後、二人で出資額などの詳細をつめた。成果が出るのはまだまだ先だろうが、彼女に資金を任せることは大きな利益を生み出すだろう。
しかし、当面の目的はまったく別なことだ。
「まずは商人ギルドに参加して、さっきの話を詳しく調べな。妙な真似をされる前にこっちから動く」
店を持てばギルドに参加できる。これで商人ギルドの内部に、俺の手の者が入った。
「わかったわ……でもその前に」
「あん?」
イザベラは立ち上がると、俺の膝の上に脚を広げるようにして跨った。
「何の真似だ?」
首に手を回し、鼻が触れ合うほどに顔を近づけてくるイザベラに、俺は問うた。
「あら、ご不満?」
「俺は意図を聞いてるのさ」
はぐらかす事は許さない。機嫌を損ねたと察したイザベラは改めて答を返した。
「貴方に逆らうつもりは無いし、可能な限り期待には答えるつもり。でも、商売は水物よ。絶対はありえない。そしてもしも失敗したとき、貴方にどんな目に合わされるかと思うと怖いのよ──だから、保険が欲しい」
「保険?」
「私が失敗したとき、貴方の愛人も兼任してたら──殺すのが惜しくなるかも知れないじゃない?」
彼女の意図を理解した俺は、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「果たしてそうかな? 愛人だろうが、失敗には容赦しないかも知れないぜ?」
「そうね。でも、せめて挽回の機会くらいは与えてくれるんじゃない? だから、直ぐに捨てるには惜しいと思ってもらえるように、今から努力しておくの……っん」
イザベラは台詞の最後に、唇を添えた。丹念に舌を使った長く深い口付け後、彼女は自らの服のボタンを外していく。
「初めてだから優しくしてね」
確かイザベラの年齢は二十三だったハズだ。なのに、まったく男性経験が無いと彼女は言う。
俺の疑問を察したのか、イザベラはやや不貞腐れたように言う。
「一つきりの商品だから、出来るだけ高く売ろうしてたんだけど……どうも売り時を逃したみたいなのよね」
その後、腹を抱えて大笑いした俺と、笑われてヘソを曲げてしまったイザベラが事を始めるのには、多少の時間が必要だった。