間章:ならず者のブルース(1)
その日、俺が賭場を訪れたのは、遊ぶためじゃなくて仕事のためだった。
「……随分と繁盛してやがんな」
手渡された皮袋のずっしりとした重さに、俺はそう呟いた。袋の中には、硬貨がぎっしりと詰められている。ちょいと口を開いて覗き込んでみれば、そこには金貨が――それも一枚や二枚じゃねえ枚数が含まれていることが分かる。
袋の重さだけじゃない。決して狭くないはずの店内は、息苦しいぐらいの込み具合だった。客は配られた札とサイコロの目に一喜一憂し、その度に歓声や嘆息を漏らす。酒の匂いが漂い、煙草の煙が立ちこめ、そして熱気が渦巻いている。
「いえいえ、それほどでも――と謙遜したいところですが、あえて『儲かってます』と言わせていただきましょう」
俺の呟きに答えたのは、体格のいい――しかしそれを醜さではなく、恰幅の良さに見せている男だった。身なりも良く、髪や髭も綺麗に整えられている。こいつはワイズマールといって、この賭場の支配人を勤めてる。
「何しろ、ソラト様からお預かりしている店ですので――『儲かってない』なんて許されませんからねぇ。首を切られてしまいますよ。文字通りの意味で、ね」
支配人と言っても、この賭場は《百鬼夜行》――その頭であるソラトの旦那のモノだ。ワイズマールは経営を任された、唯の雇われに過ぎない。つまり、もし経営に失敗すれば、苛烈な制裁を加えられる恐れがあるってことだ。こいつはかなり胆の冷える話だぜ。何しろ、旦那は本気で「おっかない」のだ。
「……そうならないことを祈ってるぜ」
支配人が笑ってられるのは、賭場がしっかりと利益を出してるから――そして今後も出していける自信があるからだろうな。ついでに言えば、旦那は残酷だが、ケチじゃない。結果を出せば、相応に報いてくれる。
重たい皮袋を、俺はそのまま背後の手下に預けた。頬にそばかすを残した、まだ若い手下は、その重さと中身に顔を強張らせる。そりゃあ緊張もするよな。何しろ、間違いなく自分の命より高いんだから。
「確かにお納めしましたよ」
「おう、預かるぜ」
俺は集金を終えて、店を出ようとした。
その時――。
「待ってくれ……」
か細い、しかし鬼気迫る声が、聞こえた。
「あん……?」
声の主を求め、振り向いた先には、チップとカードが散らばる卓が見えた。そこに座る若い男が、ディーラーのレーキ――チップを回収するための、熊手みたいなやつだ――を掴んで押しとどめている。
「もう一回……もう一回勝負させてくれ……次こそ、次こそはツキが来るはずなんだ。だって、そうじゃないとおかしいじゃねぇか……」
どうも声は俺達に向けられたものではなく、無慈悲にチップを回収しようとするディーラーに向けられたもののようだった。どうも見る限り、男は今しがた有り金を全部摩ったようである。男は追いつめられたもの特有の、切羽詰った目をしていた。
いやな目だ、と俺は胸中で呟いた。経験上、ああいう目をした奴は大抵、次の瞬間に刃物を抜いたりするんだよな。
「お客さん」
しかし、幸いにもそんな事態にはならなかった。困惑顔のディーラーに食い下がる男の肩に、無骨な手が置かれたのである。
騒ぎを聞きつけ飛んできた強面の「従業員」達は、男の胸倉を掴んで立たせると、その横っ面を無造作に殴りつける。
悲鳴を上げることすらなく床に倒れた男に、駄目押しの蹴りが入る。そして腕を掴み、ぐったりとした男を両脇から抱えると、速やかに奥の「事務室」へと連行していく。鮮やかな手並みだった。
突然の暴力を目の当たりにして、騒然となっていた店内も――その元凶が姿を消せば、落ち着きを取り戻していく。客は己のゲームへと戻り、まるで何事も無かったかのように騒がしくも穏やかな空気が戻ってくる。
「……どうです? 少し遊んでいかれませんか?」
無人となった卓を眺めていた俺をどう誤解したのか、ワイズマールがそう声をかけてくる。
「あれ見て頷くほど、俺は馬鹿じゃねぇよ」
言って、嘆息する。別に賭け事は嫌いじゃないが――仲間内で小銭を賭ける程度に止めて置くのが常だった。どっちかっていうと、運のないほうだと思ってるんでね。
それに――。
「――あれ、仕組んでんだろ?」
俺の言葉にワイズマールは困ったように髭を撫でた。
「おっと……滅多なことを言わないでいただきたいですね。此処は健全かつ公平な、紳士の遊び場です」
それが嘘である事を、俺は知っている。
この店に限らず、《百鬼夜行》の賭場はイカサマを禁じている。客はもちろん、店側もだ。だってそうだろ? 不正の噂などが少しでも広まろうもんなら、客足はあっという間に遠のいちまう。それに、そんなことしなくても利益は出るのだ。だったらやるだけ損である。
しかし――何事にも例外はつき物だ。
イカサマをするだけの価値がある相手――有力な貴族や豪商を破滅させるために、イカサマが仕掛けられる事はある。もちろん、そこで仕掛けられるのはイカサマだけじゃあない。酒を飲ませ、女を宛がい、薬で脳みそをとろけさせた客が、無謀な博打を打ったところをイカサマで毟り取るのだ。
毟り取られた男が消えていった扉を眺めながら、俺は肩をすくめる。
「そいつは悪かった。あの男は、たまたま運が悪かっただけだ……で、あの男は何で『運が悪かった』んだ? あんまり旨みがあるようには見えないんだけどよ」
一口に賭場と言っても、狙う客層によってその装いは変わる。ここは貴族や豪商向けの店じゃない。気軽に立ち寄れる、下町の遊び場ってところだ。そんなところにやってくる客に、わざわざ毟り取るほどの財産があるとは思えない。
「ああ――あの男は近衛騎士団所属の兵士なんですよ。ソラト様から、騎士団の関係者を取り込むように言われてますからね」
国盗りを目論む――驚くべき事に、本気だ――旦那は王都に来てからこっち、王宮に出入りする人間や、近衛騎士団の騎士や兵士との間に繋がりを作ろうとしてらっしゃる。この場合の繋がりってのは、買収するなり弱みを握るなりして言う事を聞かせられる関係ってことだな。
俺は再度肩をすくめると、安月給をスった挙句、借金を盾に悪事の片棒を担がされるだろう青年に胸中で合掌した。俺の同情なんて、別に欲しかないだろうが。
よくあることだ。別に珍しい事じゃない。不幸も、悲劇も、悪事もだ。特に、俺みたいな生き方をしていると、こういうもんを見る機会には事欠かない。一々気にしてたら、身が持たない。
ワイズマールに改めて別れを告げ、今度こそ賭場を出た俺は、大きく息を吸った。新鮮な空気が、煙草と酒の匂いに慣れきった鼻孔を通り抜ける。夜の空気は、少し湿った味がした――ひょっとしたら、雨が降るかも知れない。
「お前らは先に戻んな。俺はちょいと、他を回るからよ」
「へい」
別に仕事を途中で投げ出したわけじゃない。そもそも、集金は俺の仕事じゃない。俺の役割は、手下どもが問題なく働けてるかの見回りだ。一から十まで引っ付いててやる必要なんて無い。
手下を先に返した俺は、暗くなった――それでも人の姿の絶えない、王都の街を歩き出した。吹き抜ける風が、妙に身に染みる。
――おっと、自己紹介が遅れたな。
俺の名はジェイク。しがないチンピラだ。




