間章:竜の棲む山(4)
あまりの巨体ゆえに、首だけで坑道を塞いでいる赤い魔竜――《鮮血の毒婦》(ブラッディ・ハーロット)は、黄金色の瞳で俺達を睥睨した。
『懐かしい』
重々しい、しかし何処か艶のある声が、響く。
『人の子を見るのは、久しぶりだ』
「ドラゴンがしゃべってる……」
呆然と、シュトリが呟く。先ほどの小竜と違い、こちらは知能がある――というか、意思疎通が可能な――ようだった。
もっとも――鰐のそれんにも似た竜の口は、とても人語を話すのに適した構造をしているようには見えない。おそらく何らかの手段で空気を振動させて「声」を産み出しているのだろう。流石はファンタジーとでも言うべきだろうか。
『我が閨に何用だ。また愚かにも、黄金を求めてきたか』
竜の問いかけに、俺は口の端を吊り上げた。
「黄金も好きだが――俺の目当てはアンタだよ」
『ほう。竜殺しの栄誉が望みか』
それは人で言えば、「鼻を鳴らす」という動作だったのだろうか。竜の鼻から、火の粉を孕んだ黒煙が噴出す。
『愚か、愚か、何たる愚かしさ。矮小なる人の子が、我に挑むと?』
嘲りと侮蔑、そしてそれに足る力を声に乗せ、竜が吠える。
『思い上がるな、人の子!』
咆哮はそのまま熱風となり、荒れ狂った。攻撃、ではない。竜はただ「吠えた」だけだ。だが並みの風魔法などより、よほど威力がある。ましてここは、狭い坑道だ。風は拡散することなく、その暴威を振るった。
「く……!?」
襲い繰る熱風に、俺は咄嗟に地面を蹴った。
俺はもちろん――プレイヤーであるシュトリやカイム、そして吸血鬼であるアレキサンドラは、常識外れの力を持っている。それは身体能力に留まらず、体の頑丈さといった方面でも同様だ。
だが――体重そのものは人並みなのだ。それを上回る力を加えられれば、転ぶし倒れる。俺はあえて風に逆らうことなく、むしろその勢いに乗るようにして宙を舞う。
すさまじい速度で迫る壁に、俺は《軽身功》を発動し、身を捻る。体重の殆どを失った俺の身体は、ダメージらしいダメージを受けることなく壁に「着地」した。
風の中、眼を凝らせば、シュトリとカイムは地面に己の獲物を突きたて、アレクサンドラは影に消えて風をやり過ごしていた。
『疾く失せよ。追う事はせぬ』
風が収まった後――そう言葉を残して、竜の首は闇に消えた。
「テメェ……待ちやがれ!」
完全に侮られている。頭に来た俺は、罵声と共に地面を蹴る。さして距離も行かぬうちに、開けた空間に出た。
そこは掘り出した金を運ぶ「道」ではなく、土を掘り岩を削る採掘場だった。削られた岩肌の壁、見上げるほど高い天井。彩るものの無い、無骨な謁見の間に君臨するのは――赤き竜の女王。
「大きい……伯爵級、いや、侯爵級かも」
全容を露わにした魔竜に、後から追ってきたアレキサンドラが呟いた。《鮮血の毒婦》の大きさは、先ほどの小竜など比較にもならなかった。
「……素晴らしい」
俺は歓喜に包まれていた。魂が震える。まるで恋に落ちたかのように胸が高鳴っていた。
大きい。物理的な大きさばかりでは無い。存在の質量がまるで違う。
美しい。禍々しい化物のはずなのに、まるで雄大なる景色を眺めているかのような感動すら覚える。
竜を神と見て、崇め奉る者が出てくるのも無理は無い。それだけ衝撃的な存在だった。
『失せよと、言ったはず』
偉大なる竜は、追ってきた俺を見て、鎌首をもたげる。その眼光は、心の弱いものなら恐慌をきたしかねないほど強く、鋭い。
「お断りだね」
竜の言葉を、俺は切って捨てる。
「お前は偉大だ。お前は美しい」
恐れなど無かった。あるのは偉大なものへの感動と、そして――。
「だから――俺のモノにしたくなった」
――感動を真っ黒に染めていく、どろどろとした欲望だ。
欲しい。コレが欲しい。コイツを従え、意のままにしたい。
「聞け。俺はこれから、お前を押し倒す。力ずくで組み伏せて、屈服させてやる」
くつくつと笑いながら、俺は欲望を隠すことなく、むしろ叩きつけるように竜に告げる。
「力の限り抵抗しろ。その方が興奮するからなぁ?」
『……傲慢よの』
呆れたように呟いた。呟いて――その身から暴悪なまでの殺気を撒き散らし初める。
『その傲慢さを悔やむがいい!』
次の瞬間、大きく開かれた顎から、地獄の業火が放たれた。
「アナスタシアぁ!」
俺の叱咤を受け、短剣に宿る亡霊が障壁を張り巡らせる。
「シャァァァァァ!」
火炎が収まるのももどかしく、俺はドラゴンへと突進した。蛇の威嚇音ような咆哮を溢れさせながら、ミスリルの刃を振るう。
――キィィィィァァァァァァ!!
亡霊の哀哭と共に、ミスリルの刃が震える。微細かつ高速の振動によって、切れ味を上昇させた刃は、鋼鉄にも勝るドラゴンの鱗を容赦なく切り裂いた。
「ふっ――!!」
続けて――滑るように近づいた戦乙女が、手にしたグレイブ――いや、薙刀を振るった。名工がダマスカス鋼――現実世界のソレではなく、あくまで《NES》に登場する金属――を使い、彼女のために鍛え上げた一品である。切れ味は《呪剣アナスタシア》にも劣らない。
「っらぁ! 死ねよ!」
新たな鮮血が舞う中、シュトリが手にした大剣を振り上げる。少女の身の丈にも勝る大剣は《暴君ガルガドル》。かつて王都の闇に君臨していた獣王、ベガ・ベルンガの愛剣だ。切れ味などない、鉄の塊のような剣だが――その重量をシュトリの腕力で振るえば、鋭さなど必要ない。何もかもを砕いて潰す一撃となる。
しかし。
『温い……』
三人のプレイヤーによる連続攻撃を受けても、ドラゴンの声に苦痛の色は無かった。
『その程度の攻撃で、この我が倒せるとでも思うたか!』
魔竜が咆哮を上げる。びりびりと坑道全体が振動した。
俺達の攻撃が、ダメージを与えていないのでは無い。
純粋に、敵の耐久力が――ライフの量が膨大なのだ。
侯爵級はレイド――複数パーティーによる討伐が推奨されるレベルのモンスターだ。そのタフネスは尋常ではない。
それに対して、こちらはアレキサンドラを入れても四人。フルパーティーにすら届かぬ人数である。絶対的に火力が足りてないのだ。
俺は舌打ちすると、人ならざる僕に命令を下す。
「アレキサンドラ、奴の動きを止めろ!」
「了解だよ――《シャドウ・ヴァインド》」
翼を伸ばし、宙を舞う吸血鬼。その影が伸び、分かれ、竜の足元から這い上がり――その巨体を拘束する。
「退くぞ!」
「急いで! 長くは持たないよ!」
ドラゴンが動きを止めたのを見て、俺は撤退を命じる。自身も身を翻し、通ってきた道を引き返す。
『この期に及んで、尻尾を巻いて逃げるか!』
背中に投げつけられたドラゴンの声に、俺はにやぁ、と嘲りに満ちた笑みを返す。
「巻く尻尾が付いてるのは、お前のほうだろ、爬虫類」
『貴様……』
俺の挑発に、ドラゴンはあっさりと憤った。プライドが高いというよりも、侮辱される事そのものに慣れていないのだろう――何しろドラゴンだ。恐れ敬う者は居ても、神経を逆なでしたがる者はそう居ない。
影の拘束を引き剥がし、《鮮血の毒婦》が突進する。ドラゴンの巨体では、坑道は狭くて入れない。だから先ほどそうしていたように――ドラゴンは坑道に顔だけ突っ込んで、火炎のブレスを吐いた。
「アナスタシアぁ!」
しかし火炎は、やはり魔力の障壁で阻まれる。アナスタシアのおかげで、この手の遠距離、範囲攻撃は怖くない。
まったく良い武器を手に入れたものだ。《NES》でもっと高性能な武器を振るっていた俺からすれば、剣としては「まあそれなり」程度でしかない。しかし《ダークエルフの亡霊》の存在が、それを補って余りある。何しろ、高ランクの魔法使いが常にサポートしているようなものなのだ。
「追って来いよ、トカゲちゃん! テメェがただの変温動物じゃないってんなら、この俺を殺してみろ! ハハハハハハハハ!」
更なる挑発を置き去りに、俺は出口目掛けて駆け出した。
「外に、出る気、かい!?」
併走するカイムが問いかける。流石の彼女も、全力疾走しながら話すのは苦しいようで、声が切れ切れになっている。
「向こうは、飛べるんだ! こっちが、不利に、なるよ!」
「おいおい、生き埋めになりたいのか?」
敏捷性に特化している俺は、彼女と同じ速度で走っても、まだ余裕がある。もっとも、持久力はそれほどでもないので、長くは持たないのだが。
いくら広いといっても、壁も天井もあるような空間で、あんな怪獣と戦いたいとは思わない。確かに飛行可能なモンスター相手に、屋外へ場所を移すのは危険だが……崩落のリスクを考えれば、外を選ぶべきだ。
「それに――切り札は外に用意してあるしな」
「でも、追ってくるかな」
俺の呟きに、アレキサンドラが疑問を呈する。羽を広げて――それも純粋な筋力ではなく、魔力だかなんだかで――飛ぶ彼女は、息切れとは無縁のようだった。
「あの図体じゃ、この道を通って僕らを追うのは無理だ。となると、別のルートで外に出ないといけない。私達が何処から出るか、向こうは分からないんじゃない? そこまでして、僕らを追ってくるかな?」
「ここは奴の巣だぜ? 何処の坑道が山の何処に出るかくらい把握してるさ。それに、上から探せば直ぐに見つかるだろうよ」
答えながら、俺はにんまりと笑った。
「追ってこなかったら、また戻ってからかってやる――なあ、次はなんて挑発するのがいいと思う?」
疾走とポーションによる強引な回復によって、俺たちは行きよりもはるかに短い時間で出口へとたどり着いた。
「来るぞ! 準備は出来てんだろうな!?」
「はいはい、いつでもいらっしゃい!」
出口から飛び出すなりそう叫んだ俺に、イザベラが叫び返す。彼女の背後に並ぶのは無数の篝火と、据え置き式の大型弩砲――バリスタである。
バリスタは本来なら城壁の上に設置する兵器で、決して野戦で使うものではない。しかし俺は分解した最新式のバリスタ――現実世界の知識で改造したもの――を馬車で運ばせており、ドラゴンを探している間、イザベラの指揮で組み立て、設置を行なわせていた。
俺の手下は、一部の例外を除いてただのチンピラだ。ドラゴン相手には、とてもじゃないが戦力にならない。
だから俺はバリスタを用意した。これならチンピラ達でも、ドラゴンにダメージを与えられる。だがバリスタを坑道に持ち込むのは難しい。だから相手を外におびき出す。
「さあ、来い……人間様の恐ろしさを教えてやろう」
並んだバリスタを眺めながら、俺は口の端を吊り上げた。あのドラゴンは人を矮小と侮っているようだが、今日限りで考えを改めさせてやる。
俺の呟きに応えるかのように――巨大な影が、月を隠した。
「構え!」
エレンが兵士達に号令をかける。山の闇は深いが、星空に浮かぶドラゴンの巨体は、大して狙わずとも命中させられるだろう。
地上で何が行なわれているのか察したのか、ドラゴンが急降下しながらブレスを放つ。火炎が闇を蹂躙し、まるで昼間のように明るくなった。
「させないよ――《ダーク・ゲート》!」
闇が、広がった。アレクサンドラの魔法によって生み出された闇の扉が火炎を飲み込み、消えていく。
そして。
「ふふ、返すよ?」
再度現れた闇の扉から、消えたはずの火炎が噴出し、ドラゴンへと襲い掛かった。
虚を突かれたか、それとも己の火炎は流石に堪えたのか――《鮮血の毒婦》がその動きを止める。
「放てぇ!」
その隙を逃さず、バリスタから矢―というよりも、鋼鉄の杭――が放たれた。
ドラゴンの鱗は、鋼にも勝る。バリスタから放たれる鋼鉄の矢すら、ドラゴンには刺さらなかったかもしれない。
しかし――バリスタから発射された矢は、命中した瞬間、爆裂した。
バリスタに装填されているのは、俺が調合スキルで産み出した爆薬を内蔵した特製の矢だ。そもそも刺さる事など期待していない。爆弾の破壊力は、火薬の量だけでなく、その速度と質量にも左右される。バリスタを使用したのは、大型、つまり大質量の矢を、高速で発射するためだ。
『ぐおおおおおおおおおおお!?』
ドラゴンが始めて、明らかな苦痛の上げた。バリスタの威力と高レベルの爆薬は、ドラゴンの防御力を貫いてダメージを与えている。
そして、切り札はバリスタだけではない。
「――命ずる(オーダー)」
詠唱を開始したのは、目深に帽子を被った魔法使い――サブナクだ。彼の足元には、複雑な魔法陣が描かれていた。更に手には普段の彼が使うものとは違う、クリスタルを削り出したような、半透明に透き通る杖が握られている。
「いと高き天に座す者よ、その力を持って雷光を束ね、今此処に裁きを下せ!」
《NES》では魔法には様々な制約が付いていた。最もオーソドックスな呪文の詠唱や、特定の動作、あるいは魔法陣や触媒の使用。
これらの制限は、《詠唱短縮》などのスキルで取り払うことも出来る。
逆に――制限を強くする事で、威力や範囲を広げる事もで可能だった。
「受けよ、神の憤激!」
呪文と共に、天が震える。描かれた魔法陣が発光し、手にした杖が――触媒が砕け散る。
「――《ディバイン・ラース》!」
次の瞬間――光が、空を引き裂いた。天から落ちた雷が、赤竜を撃ち抜く。
『―――――!?』
絶叫は、遅れてきた轟音でかき消された。魔法陣と、高価な触媒の使用によって強化された雷属性の上級魔法に――魔竜はその翼から力を失い、地響きを立てて墜落する。
「はぁぁぁぁぁぁ!!」
地に落ちた竜に、女夜叉が踊りかかる。螺旋を伴う突き《風巻》が、ドラゴンの身体を穿つ。そのまま、切り上げ技《跳ね魚》に繋ぎ、更には頭上で切っ先を翻し、横薙ぎの技《天輪》を繰り出す。
「合わせろ、シュトリ!」
「任せて、ソラト!」
俺が飛び出し、シュトリが続く。二人の掲げた刃に――闇よりなお暗い燐光が舞い踊った。燐光はやがて、嘆く亡者達を模したエフェクトへと変わり、苦痛と怨嗟の声を上げる。
NPK専用スキル《モータル・シン》。キルしたプレイヤーの数だけ攻撃力が上昇するという、まさしく悪魔のような特性を持っている。俺やシュトリがキルしたプレイヤーの数を考えれば、その威力は「凶悪」の一言に尽きる。
『グオオオオオ――!?』
まして、それを二発同時に喰らうのだ。いかなドラゴンといえども堪えられない。
更に――掲げた《呪剣アナスタシア》から、再び黒い燐光が迸る。
「死ね」
六連の突きが竜の鱗を穿ち。
「死ね」
六連の斬撃が竜の肉を切り刻む。
『――――!!』
魔竜の口から、声にならない絶叫が溢れた。もはやドラゴンは君臨者ではなく、狩られる哀れな獲物に過ぎなくなっていた。
攻撃はまだ終わらない。突き出した左手に、邪悪な燐光が収束する。産み出されたのは――膨大な力を内包する、黒色の光弾。
「死ね……!」
六連の弾丸が、放たれる。
《トライ・シックス》。『666』(トライ・シックス)という名前からも窺える通り、俺の――NPKの為にデザイン、設定されたスキルだ。
NPKには、特典として幾つかの専用スキルが設定されていた。先ほどの《モータル・シン》もその一つである。
しかし《モータル・シン》は、NPKならば誰でも使用できた。それに対して、《トライ・シックス》はを使えるのは、《NES》でも正真正銘、俺独りだけだった。合計十八回の連続攻撃。それも、全てが《モータル・シン》と同じくPK数によって威力が上昇する。
もはや「理不尽」の域に到達した攻撃に――魔竜が、もたげていた首を落す。完全に地に伏したその姿勢は、言い訳の利かない「敗者」の姿そのものだった。
『……まさか、人の子に……敗れる日が……来るとは』
響く声は、驚くほど弱々しい。どす黒い血が赤い鱗を汚し、地面へと広がっていく。
『いや……貴様は……本当に……人の子か……? 悪魔が……化けているのでは……無いか……?』
人外の怪物の問いに、俺は皮肉で口の端を吊り上げた。
「あいにく俺は人間さ。『人でなし』とは良く言われるがね」
言って、俺は懐に手を伸ばすと、小さな瓶を二つ、取り出した。
「さて、問おう――生きたいか?」
右手に持った小瓶を揺らしながら、俺は言葉を続ける。
「こっちは俺が調合した中でも、最高ランクのポーションだ。材料の都合で、そうそう作れないんだがね」
次に、俺は左の小瓶を揺らす。
「そしてこっちは《さ迷う屍》――死体をアンデッドに変える薬だ」
その言葉に、ドラゴンは眼を見開いた。
『貴様、何を、考えて、いる』
「始めに言ったはずだぜ――お前を組み伏せるってな」
にやにや、にやにやと、俺は邪悪に嗤う。
「お前が俺のモノになると誓うなら、このポーションをお前に使ってやる」
『人間風情に、従えというのか!?』
ドラゴンが怒声を上げた。びりびりと空気が揺れる。もはや半死半生のはずなのに、良くそんな力が残っていたものだ。いや、死力を振り絞ってしまうほどに憤ったのか。
だが、所詮は死にぞこない。俺は鼻を鳴らして嘲ると、横倒しになった竜の顔を踏みつけた。
「人間に、じゃねぇ」
黄金色の瞳を覗き込むようにしながら、俺は傲然と言い放つ。
「この俺に、従え」
魔竜が、絶句する。
――竜は傲慢な生き物だ。そして、それに足るだけの力を持った存在でもある。その竜すら見下ろし、見下し、従えようとする俺の傲慢さに、永い時間を生きただろう《鮮血の毒婦》すらも圧倒されていた。
「ま、従えないって言うなら、そのまま死ねばいいさ。そしたら俺はお前の死体に、こっちの薬を使うだけだ。アンデッドとなって俺に仕えるがいい」
アンデッドの竜――ドラゴン・ゾンビは知性こそ失われているものの、その頑強な肉体や飛行能力、ブレスは健在だ。
そして知性を失うということは、俺に逆らうことが出来なくなるわけだ。出来れば生きたまま手に入れたいが――別にどちらでも構わなかった。
「さあ、どうする?」
悪辣な問いに、ドラゴンはしばしの沈黙を挟み――答えを返した。
「ははは、はははははは!」
高揚する気分に逆らうことなく、俺は笑い声を上げた。目に映る景色が、そして自身の笑い声すらも、全てが後方へと流れて消えていく。
「いい気分だな! 空を飛ぶってのは!」
そう――俺は今、空を飛んでいるのである。
結局、《鮮血の毒婦》は、生きたまま俺に仕える事を選んだ。
ポーションを使ったとたんに襲い掛かってくる、あるいは逃げ出すかとも思ったが――もちろん、その時は容赦なく殺してアンデッド化――誇り高きドラゴンはそんな事はせず、俺に忠誠を誓った。もともとドラゴンは高い知性を持ちながら、弱肉強食の理で生きている存在だ。部下を引き連れてとはいえ、己を下した俺に一定の敬意を持ったようである。
そして、竜を従える事に成功した俺が真っ先に命じたのは――俺を乗せて空を飛ぶことだった。部下たちに王都までの移動を指示した後、自分は空路から一足速い帰還としゃれ込んだのである。
これまで俺は、飛行機以外で「空を飛ぶ」なんて経験をした事は無かったが――あんな無粋なものとは違う。己自身が風を切り、飛翔する感覚は、向こうの世界では決して味わえないものだった。
『……まさか貴様、このためだけに我に挑んだのではなかろうな?』
俺のあまりのはしゃぎっぷりに、足元から憮然とした言葉が発せられた。
「んなわけないだろう? お前には、これから色々と働いてもらうさ」
何しろ空を飛び、火炎のブレスを吐くドラゴンは、まさに規格外の存在だ。冗談抜きで、コイツだけで街の一つや二つは簡単に灰にできる。これから本格的に国取りをしようとする俺にとって、ドラゴンの使い道なんて多すぎて困るぐらいである。
俺の言葉に、竜は鼻を鳴らし……そしてふと気が付いたように付け足した。
『ところで……我が人の住処に近づいて、騒ぎにはならぬのか?』
「あ」
――どうやらその前に、新たな手下の為に住処を見繕わねばならないようだったが。、




