間章:竜の棲む山(3)
《百鬼夜行》がサーマークを出発したのは、昼近くになってからだった。
カタート山は、決して険しい山ではない。正確には、「もう」険しい山ではないと言うべきか。
何しろ、十数年前までは金山として使用されていたのだ。削り出した金を運ぶため、山道は切り開かれ、踏み崩されている。坑道への道のりは、さして困難ではない。
しかしだからといって――山への、坑道入り口への距離そのものが縮まるわけではない。結局、一行が坑道の入り口へと到着したのは、空が鮮やかな赤に染まる時分になってからだった。
「っていうか、私来る必要なくない……?」
口を広げる入り口を眺めながら、イザベラがそう呟いた。
ギルドの会計を一手に引き受ける彼女だが――直接的な戦闘能力はチンピラ以下だ。ドラゴン相手に出来ることなど何も無い。
「何を言ってるんだ、イザベラ」
彼女の肩に手を乗せ、俺は朗らかな笑みを浮かべる。
「俺がお前を、仲間はずれにするわけがないだろう?」
「貴方に麦粒ほどしか備わってない優しさを、こんなところで発揮しないでくれる?」
「『こんなところ』だから発揮するのさ」
くつくつと笑う俺に、銀髪の会計役が心底嫌そうな目を向けた。
「……つくづく性格が悪いわね。死んだら化けて出てやるから」
「ほう、死んだ後も俺の元で働いてくれるのか。殊勝な心がけだな」
「この男は……」
うんざりした声音を漏らすイザベラの肩をもう一度叩き、俺は視線を荷馬車へと移した。
「ま、心配するな。お前はここで留守番だ――『組み立て』の指揮を執れ」
俺の指示に、イザベラがぴくりと眉を上げる。
「『あれ』の? あんなもの、本当に使うの?」
「使うさ。そのためにわざわざ持ってきたんだ」
幌で隠れて見えないが――荷台と、そこに積まれているはずのものを眺めながら、俺は近くに佇んでいた男へと声をかける。
「サブナク、お前もここで待機だ。『デカイの』の準備をしておけ」
「……分かった」
魔法使いは小さく呟き、その顔を隠すかのように帽子の庇を下す。カイムの話では、むしろ陽気な男だったはずだが――俺の前では死者のように陰気だ。
嫌われたものだな、と俺は口の端を吊り上げた。
俺達は互いを利用し、利用される関係だ。奴は《百鬼夜行》のために働き、俺は《百鬼夜行》を使って現実への帰還の方法を探る。しかしサブナクは俺を警戒している。つまり、己を利用するだけ利用して、使い潰す気なのでは無いかと。
実のところ――俺はサブナクを利用する気はあっても、騙す気も使い潰す気も無い。現実への帰還の方法、すなわち俺達の世界と、この世界の関係を探る事は、俺の望みでもあるからだ。そして強力なプレイヤーであり、有能な魔法使いであるサブナクを、使い捨てにするのはあまりにもったいない。
贅沢を言えば、エレンやシュトリのように、己の意思で《百鬼夜行》に参加してもらいたいものだが――まあ、いい。とりあえず今は、指示に従うだけで充分だ。
「エレン、『棺』を出せ。シュトリ、カイム、お前達は俺と来い」
二人の護衛を引き連れ、俺は暗い口を広げる坑道へと歩を進めた。
「さて、じゃあ――坑道見学ツアーと行きますか」
「ソラト」
探索を始めてしばらくして――カイムが口を開いた。
「なんだ」
「暗くて前が見えないのだけど」
廃棄されて久しい坑道は、当然ながら明かりなどない。奥に進めば進むほど、闇は深くなっていく。
そしてPvP、それも闘技場での戦闘に特化しているカイムは、闇を見通す《暗視》や明かりを生み出す魔法を習得していないのだ。このままでは戦闘は愚か、まともに歩くのにも支障が出る。
「アタシも見えない……」
シュトリの呟きに、俺は肩をすくめる。
「俺は《暗視》があるから困らない」
「ボクも《暗視》があるから困らない」
俺の言葉に続けたのは、短く整えた髪に、男物の貴族服を纏った麗人。エレンが馬車から運び出した『棺』の中身――吸血鬼アレキサンドラである。
夜行性で日光を嫌う彼女は、移動中の殆どを棺桶の中で過ごしていた。夜にはまだ早く、空にはまだ日が残っているのだが――光が届かない坑道では関係ない。
「私たちは困るんだよ……何か明かりは無いのかい?」
「とりあえず、飲め」
そう言って俺が取り出したのは、ポットに入った、灰色の怪しい液体。《調合》スキルで産み出した《梟眼の秘薬》(きょうがんのひやく)である。これを飲めば一定時間だけだが、《暗視》と同じ効果を得る事ができる。
「明かりより便利だぞ。何しろ、敵からはこっちの姿が見えないんだからな」
ポットを受け取った二人は、蓋を外して口を付ける。秘薬を嚥下した後、効果を確かめるように、眼を瞬かせた。
「ねー、ソラト」
空の容器をしげしげと眺めながら、シュトリが口を開く。
「何だ、シュトリ」
「これ、カ○ピスの味がするんだけど」
「何だと!?」
彼女の手からポットを引ったくり、僅かに残った液体を舐める。若干の違和感があるが――確かに某白い乳酸菌飲料に良く似た味がした。
まさしく驚愕の事実だった。俺自身は《暗視》があるため、飲む機会が無かったので気が付かなかったのである。
「帰ったら量産だ。ゴドフリーに言って、材料を買い占めさせよう」
「……好きなんだね。カル○ス」
「前々から思ってたけど、君はいささか甘いものを摂取しすぎじゃないか? 甘党も過ぎると、身体に毒だよ」
カイムの言葉に、俺は思わず足を止める。
「……駄目か?」
「あ、うん。駄目じゃない。駄目じゃないから、そんな途方にくれた顔をしないでくれ」
そんな馬鹿な会話をしながら、俺達は坑道の奥へと進んでいった。事前に坑道内の地図を用意して有るので、迷う事も無い。たまにモンスターが湧いて出たが、苦も無く蹴散らしていく。
それなりの時間が過ぎた頃――道の先、闇の奥から、グルルル、と低い音が響いた。
ふむ、と俺はうなずき。
「そろそろ晩飯にするか?」
「……お腹が鳴る音じゃないと思うな」
「ソラト、ここはボケるところじゃない」
呆れ顔のシュトリとカイムに、俺は鼻を鳴らした。
「戦闘中にボケたら危ないだろうが」
「……いや、まあ、そうなんだけど」
何かを諦めた顔で、カイムが被りを振る。
「とりあえず、先に進もうよ」
アレクサンドラに促され、俺達は音のするほう、坑道の奥へと歩を進めた。
そこでは――鋭い爪と牙、一対の翼をそなえ、赤い鱗に覆われた怪物が、ぐるぐると喉を鳴らしていた。
ドラゴンである。
「おお!」
お目当ての相手を見つけ、俺は目を輝かせる。
しかし。
「これが《鮮血の毒婦》?」
「……なんか小さくない?」
カイム、シュトリが怪訝そうに呟いた。
馬にも勝るその身体は、決して小さくは無いのだが――《NES》には城のごとき大きさを誇るモンスターも存在した。仰々しい異名を与えられ、恐れられる魔獣としてはいさささか物足りない。
「多分、男爵級だね」
鎌首をもたげ、こちらを睨むドラゴンを眺めながら、アレキサンドラが推測する。
ドラゴンなど、一部のモンスターはその強さで等級が定められている。すなわち男爵級、子爵級、伯爵級、侯爵級、公爵級――そして王族級。あくまで目安ではあるが、等級が高いドラゴンほど、その身体も大きくなる。
ちなみに、ヴァンパイアにも同じ等級が設定されており、アレクサンドラは子爵級だ。下から二番目の階級だが、それでも高ランクプレイヤーと同等以上の戦闘力を誇っている。
逆に言えば、その程度。最下級の男爵級となれば、NPCの騎士団でも――決してたやすい相手ではないが――対抗出来なくは無いはずだ。
それはともかく――。
「これなら家で飼えそうだな」
「飼うって、ドラゴンをかい?」
俺の呟きに、カイムが顔を顰めた。
「幾らなんでも無茶だ。諦めてくれ」
「やだ。飼う」
「駄目だってば……」
「飼うったら飼う!」
諫めるカイムと、あくまで自分の欲望を主張する俺。
「……なんか、捨て猫を拾ってきた子供とその母親みたい」
呆れ顔で呟くシュトリを無視して、俺はドラゴンと直接交渉へと移った。
「なあお前、俺のペットにならないか? 三食オヤツと昼寝付きで」
声をかけられたドラゴンは首をかしげ、そして。
「キシャアアアアアアアアアア!」
咆哮と共に、炎の息吹が放たれた。視界の全てが業火で埋め尽くされる。
「ソラト!」
炎を浴びせられた俺に、シュトリが声を上げる。
しかし。
「……所詮トカゲか」
火炎を吹き散らしながら、俺は鼻を鳴らす。髪にも服にも、焦げ目一つ付いていない。
振り向かずとも分かる。俺の背後に、銀髪と褐色の肌を持った、美しくもおぞましい悪霊が浮かび上がっている事を。
《ダークエルフの亡霊》アナスタシア。ミスリルの短剣に宿る悪霊が、魔力の障壁で炎の吐息を防いだのだ。
「もういいや――死ねよ」
吐き捨て、俺はミスリルの短剣を引き抜いた。
「泣き叫べ、アナスタシア」
耳を劈くような絶叫が響き、不可視の衝撃波がドラゴンを打ち据える。
「《シャドウ・ランス》」
動きを止めたドラゴンに、美しき吸血鬼が追撃を放つ。闇色の槍がドラゴンの鱗を貫き、胴体を貫いた。
同時、二つの影が飛び出す。
「《月光閃》!」
カイムが燐光を纏ったグレイブを振るい。
「《剛力砕破》!」
シュトリが大技を叩きつける。
轟音を立て、倒れ伏せたドラゴンに――俺は悠然と歩み寄る。
「逝け」
振り上げたミスリルの刃から、燐光が舞い踊る。スキル《首狩り》による斬撃が、赤竜の首を切り裂いた。断末魔の声を上げることもなく、ドラゴンの瞳から命の光が消える。
「ふん、興ざめだ」
「大した事、無かったね」
ドラゴンは《NES》でも強力な部類のモンスターだが――男爵級は充分なステータスと装備があればソロでも狩れる。まして此処に居るのはプレイヤーの中でも上位に位置する三人と、それに匹敵する力を持った吸血鬼だ。相手にならない。
せっかくのドラゴンも、こうも歯ごたえがないのではつまらない。不完全燃焼の苛立ちから、俺は舌打ちを零す。
まあいい。これで金鉱山は再開され、《百鬼夜行》の財政を潤すことになる。帰りのついでに、近くの領地で略奪でもすれば、少しは気も晴れるだろう。
撤収を指示しようと、三人を振り返った、その時。
『――臭う、臭うぞ』
声が、響いた。
ずるり、ずるりと何かが這いずる音がする。何かが近づいてくる音がする。
『温かな血の臭い、甘美なる死の臭い』
重く、低く、しかし何処か官能的ですらある声を響かせ、「それ」は姿を現した。
赤い鱗。捻れた角。黄金色の瞳は、瞳孔が縦に裂けている。火の粉の混じった吐息を漏らす口には、槍の切っ先の如く鋭い牙が並んでいた。
ドラゴン――それも先ほどの小竜など比べ物にならない大物だ。あまりの巨体ゆえに、坑道に体が入っていない。おそらく開けた場所から、首だけを坑道に突っ込んでいるのであろう。
巨竜は鋭い歯の並んだ顎を開き、小竜の亡骸へと喰らいついた。おぞましい音を立てて、小竜の死骸が粉砕され、飲み下される。
『美味である』
そう――鉱山に住み着いたドラゴンが一匹とは限らない。
「ははっ……」
その恐ろしくも美しい姿に、俺は思わず感嘆の声を漏らした。先ほどの雑魚とは比べ物にならない。これぞ神話に謳われる獣。魔物達の覇者。
カタート山に棲む魔竜――《鮮血の毒婦》が、その姿を現していた。




