番外編:ミルバネシア城の惨劇(前編)
【イベント:《死霊術師の花嫁》開始まで 00:09:42】
城門をくぐると同時、視界の隅にカウントダウンが表示された。イベントの開始まで、あと十四分。
《死霊術師の花嫁》は、いわゆるモンスター侵攻系のイベントだ。舞台となるのは、ワールドマップの北、テイダイという小さな国。この国には美しい姫がいて、その姫を攫いに死霊術師と配下であるモンスター達が攻めてくる。これを撃退し、死霊術師の魔の手から姫を守れ――というのが大雑把な筋書きだ。
プレイヤーは王に雇われた傭兵、という設定で防衛線に参加する。モンスターを撃退し、姫を守り抜けば勝利。逆に姫を攫われると敗北だ。参加条件は特に無く、開始時刻に会場であるテイダイの王城、ミルバネシア城内にいればいい。俺もイベントに参加するため、王城マップに到着したところだった。
カウントダウンから視線を外し、俺は周囲を見渡した。城内はカウントがゼロになるのを、今か今かと待つプレイヤーで埋め尽くされている。
集まったプレイヤーの誰もが、俺をNPKだと――《ソラト》だとは気が付かない。
NPKは高額の賞金をかけられるが故に、多くのプレイヤーに狙われる宿命にある。しかし手配書に載るのは名前のみで、その姿が公開されるわけではない。NESでは頭上にキャラクターネームが表示されたりはしないので、外見だけでは相手がNPKだとは特定できないのだ。
NESの公式掲示板では、プレイヤーによるスクリーン・ショットが上げられたりもしているが、その画像に映るのは、赤い外套に身を包んだ幽鬼のごとき姿。俺はPKするときに、常に装備で顔を隠している。金の巻き毛と青い瞳の、御伽噺の王子様じみたPCと、不吉で不気味な幽鬼を結びつけて考えるのは、容易なことではない。
「おおい、兄ちゃん!」
呼びかけられた声に振り向くと、そこには彫りの深い顔立ちをした、海外ロックバンドのボーカルみたいな外見の男性プレイヤーが居た。
「兄ちゃん、ソロか? 俺らとパーティー組まない?」
男の後ろには、パーティーメンバーらしき男女が並んでいた。俺が視線を向けると、それぞれ笑顔を浮かべたり、手をふったりしてくる。
「ボーナス狙いなんだけど、一人急用でインできなくなっちまってさ。枠がひとつ余ってんのよ。兄ちゃん、前衛だろ? 手を貸してくんねぇかな」
この手のイベントでは、貢献度に応じてボーナスが送られる。敵を倒したり、味方を回復することによってポイントが加算され、ポイントに応じてアイテムなんかがもらえるわけだ。
ボーナスはパーティーとソロの二種類があり、パーティーはメンバー全員の貢献度の合計がパーティーの貢献度になる。当然、パーティーを組むなら満員のほうがいい。
逆に、ソロに拘るメリットは特に無い。ソロとパーティーは別計算だからだ。とりあえずパーティーを組んでおけば、ソロとパーティー、両方のボーナスがもらえるのである。
しかし――俺は表情には出さないまま、内心で舌打ちをした。
俺は人とパーティーを組むわけには行かない。パーティーの申請画面にも承認画面にも名前が表示されるし、パーティープレイではメンバーの名前やライフ、状態を確認できるのだ。必然的に、俺がNPKだとばれてしまうのである。
俺が時間ギリギリになってから会場に来たのは、こういった他のプレイヤーとの接触を、可能な限り避けるためだった。なんとかこの場を、PCネームを知られる事無く乗り越えなければならない。
「ごめんね。先約があるんだ」
そう言って、俺は城内を指し示してみせる。中に連れがいる、というサインだ。もちろん、連れなどいないのだが、パーティーを断るにはこれが一番いい。
「そっか、なら仕方ねぇな」
男は肩をすくめると、あっさり引き下がった――『じゃあ、とりあえずフレンド登録だけでもしねぇ?』とか言い出さなくて本当に良かった。
「じゃあな。お互い、今日はイベントを楽しもうぜ!」
「うん。また何処かで」
手を振りながら去っていく男女に俺も微笑を返し、手を振り返す。
彼らの姿が見えなくなってから――俺は歩みを再開した。城内へと歩を進める毎に、俺の顔から微笑が剥がれ落ちていく。
――イベントを楽しもう、か。
その言葉には賛成だ。だが、俺と他のプレイヤーでは、楽しみ方が違う。
俺の楽しみは、もちろんPKだ。イベントを目当てに集まったプレイヤー達の背中に刃を突き立てるために、俺は参加するのである。
【イベント:《死霊術師の花嫁》開始まで 00:02:44】
城内に入った俺は、人目の無い場所を求めて移動した。柱の影、廊下の曲がり角、階段の踊場……どれだけ人が居ても、死角というものは必ず存在する。
柱の陰に隠れた俺はウィンドウを開き、装備を変更する。事前に登録しておいたセット装備を選択。身につけていた白銀の鎧が消えうせ――血のように禍々しい、赤黒い外套が出現する。手は黒革のグローブに、足は鋲の打たれた黒革のブーツに覆われた。そして美しい装飾の施されたハルバードが、禍々しい形状の短剣へと代わる。
御伽噺に出てくる王子様は消え、代わりに現れたのは赤い幽鬼――NESで最凶最悪と恐れられるNPKの姿だった。
【イベント:《死霊術師の花嫁》開始まで 00:00:00】
俺が全ての準備を整えた直後――カウントがゼロになった。空が赤く染まり、非戦闘エリアだった王城が戦闘エリアへと切り替わる。
――さあ、イベントを楽しもう。
俺は短剣を引き抜くと、最初の獲物を求めて柱の影から飛び出した。




