第八話:同胞の少女
俺は酒場《首吊り兎》の二階にある一室で、長椅子に腰掛けていた。隣には先程まで死闘を繰り広げていた相手である少女、シュトリが座っている。
ごろつき達は下で大人しくしている。彼らが直ぐに屈服しなかったのは、俺に匹敵する存在が既に彼らを支配していたからである。しかし支配者たるシュトリが戦闘を放棄したため、彼らもまた、抗うことをやめていた。
「落ち着いたか?」
少女の背中を摩りながら、尋ねる。
「……ゴメン。見っとも無いとこ見せたね」
目を真っ赤にしたシュトリが、鼻をすすりながら呟いた。彼女の顔についた傷は、既に彼女の手下が持ってきたポーションで治癒している。薬品効果が直ぐに出るのも、この世界の特徴の一つだ。早いうちに材料を手に入れて《調合》スキルを試したい。
「いいさ。それより、事情を聞かせてくれ」
「うん……」
それからシュトリが語ったことは、俺の予測通りと言えば予測通りだった。つまり、彼女も《NES》をプレイ中に何故かこの世界に迷い込んだのである。違いと言えば、俺が気がついたら森の中に居たのに対して、彼女はこのアルクスの裏路地だったそうだ。
途方にくれていたシュトリを、ごろつき達が見つけ、人買いに売り払おうと――あるいは犯そうと――襲い掛かった。
当然シュトリは抵抗し、その過程で自分の力に――ゲームのキャラクターと同じ能力が身についてることに気がついた。その力はならず者を叩きのめすには十分すぎるもので、彼女は命乞いする彼らを許す代わり、この世界で生きていくための手下として働かせることにしたのである。
だが、突然未知の世界に放り出された挙句、いきなり襲われた彼女はすっかり脅えていた。手下に案内させた宿に引きこもり、一晩中泣いていたのだという。
そう語る彼女は、よく見れば頬がやつれ、髪も色艶を失っている。
無理も無い。俺は胸中で呟いた。彼女は平和な日本で暮らしていた、ただの少女なのである。いくら強い力を手に入れたと言っても、精神まで強靭になるわけではない。初日から人を殺して大喜びしていた俺のほうが異常なのだ。
「良かった。ソラトに会えて」
そう言って彼女は微笑んだ。涙で汚れた顔はそれでも──いや、だからこそ息を呑むような美しさがある。
《NES》におけるシュトリは凶暴と残忍を絵に書いたようなPKで、PCもその所業に相応しい外見をしていたのだが、今の彼女は天使のような、と形容しても文句の出ない美少女ぶりだった――驚くことに、これが彼女の本当の姿なのである。ハーフなのだそうだ。彼女の外見が日本人然としていれば、もっと早く彼女がプレイヤーだと気が付けたかもしれない。
……他のプレイヤーがこの世界に来ていることを、俺はまったく考えていなかった。
心のどこかで、俺はこの世界が自分の為に用意された玩具箱のように認識をしていた。己を特別な、選ばれた存在のように感じていた。
軽率だった、と俺は内心で舌打ちした。プレイヤーとの接触は、細心の注意を払うべきだ。プレイヤーを殺すという行為には心惹かれるが、プレイヤーはこの世界本来の人間と比べて高い戦闘力を持っている可能性が大きい。俺を脅かす力を持つ存在である以上、警戒はしておかねばなるまい──今後のことを考えるならば、戦うのではなく味方に引き込めるように動くべきでもある。
今回の戦闘が収まったのは、相手が知り合いであるシュトリだったから。
つまり――全て幸運に過ぎない。
吐き気がする。今の状況が幸運でしかないという事実に。そんなもの、いつまでも続くはずが無い。もっと慎重でなければいけなかった。ミスをすれば、それが死に直結する。ここはそういう世界だ。
「ねぇ、ソラト。私達、これからどうすればいいんだろ?」
無言になった俺に、シュトリが不安そうに訊ねてくる。もう涙は止まったようだが、彼女は俺の傍から離れようとはしなかった。
──私達、ね。
何時の間にか連帯感を持たれてしまっている。まあそれも仕方あるまい。いきなり見知らぬ世界に、たった一人で放り出された不安と恐怖は如何ほどのものか。そこに、もとの世界の人間――それもネット越しとはいえ知り合いに出会えば、縋りつきたくもなるだろう。
《NES》において、彼女のPCはかなり高いステータスを備えていた。その上、彼女はPKだ。他人を意図的に傷つけてきた人間であり、だからこそ俺が行う悪行にも抵抗が少ないはずだ。初めは戸惑うだろうが──なに、直ぐに慣れる。
これ以上無い人材だ。是非とも手下にほしい。どんな手を使ってでも、俺は彼女を手に入れるべきだった。
だからこそ、俺は彼女を突き放した。
「好きにすれば?」
俺のそっけない言葉に、シュトリの顔に動揺が浮かぶ。
「別に魔王を倒すために召喚されたってわけじゃないんだ。何かやらなきゃならない事があるわけじゃない。好きにすればいい」
「そ、ソラトはどうするの?」
「決まってる。好きにするのさ」
親に見捨てられた幼児のような顔で尋ねてくるシュトリに、俺はシニカルな笑みを浮かべた。
「この世界なら、向こうじゃ出来なかった遊びが出来る。いったいどんな理屈で俺がここに来たのかは知らんが――せっかくだから楽しませてもらおうじゃないか」
そしてこの世界を楽しむために、是非ともシュトリを手に入れたい。俺の従順な僕にしたい。だからこそ、一度は彼女を絶望に叩き落す必要があった。
既に精神的な限界を迎えていたシュトリにとって、俺は唯一の慰めであり、救いだ。
何があっても、彼女はそれを手放すわけにはいかない。
「とはいえ、今はまだ足りないものが多すぎる。生きるには金が必要だし、情報も手に入れないとな。そのためにもまず、頭数を増やさないと」
追い詰められたシュトリは、俺が示した希望にあっさりと食いついた。
「じゃ、じゃあさ。アタシにも手伝わせてよ。アタシの強さはソラトも良く知ってるだろ? 絶対役に立つよ。ね?」
――ああ、そう言ってくれると思っていた。
シュトリは自ら進んで俺の下僕となる道を選んだ。それが俺に誘導された道であるとも知らずに。
人を支配するには、一度徹底的に追い詰めてから、慈悲深く救いを与えてやるのが一番いい。そうすれば勝手に感謝して、何だってしてくれるようになる。
俺はシュトリの肩に手を回し、彼女を抱き寄せた。突然のことにシュトリは身を強張らせたが、やがて力を抜き、おずおずと手を俺の背に回した。頭を優しく撫でながら、その耳に甘い毒を囁く。
「ちゃんと俺の言うことを聞くんだぞ?」
「……うん!」
満面の笑みを浮べた少女に、俺も微笑を返す。
彼女の利用価値を思うと、頬が緩むことを抑えられなかった。