番外編:悪魔の生まれた日(後編)
それから幾度目かの戦闘を終わらせた後、更なる獲物を求めて駆け出した俺の前で、唐突に木々が途切れた。同時、視界に《CAUTION!!》の文字が浮かび上がる。
「あん?」
俺が顔を顰めると同時、木々の陰から複数の人影が現れた。
「ひゃっはっはっ!」
「へっへっへっ!」
「けっけっけ!」
耳障りな笑い声と共に――覆面で顔を隠し、武器を握った男達が姿を現した。その数、三人。
「俺達はバルザーク盗賊団!」
「この道を通りたかったら、通行料を支払ってもらおうか!」
「金目のものを全部置いていけ!」
その言葉で、彼らが衛兵の話していた山賊なのだと理解した。どうも俺は知らぬ間に、奥の山道まで踏み込んでしまったようである。
NESでは盗賊や兵士などの『人間』も敵ユニットとして存在する。イベントで出現する敵であるが故に《索敵》にも引っかからなかったのだろう。
「何だぁ? おとなしく払わないってのかぁ?」
「だったら、ぶっ殺して身包み剥いでやらぁ」
「ひゃっはは、死ねぇ!」
まだ何も言っていないのに、盗賊達が襲い掛かってくる。所詮はプログラムに沿って動くだけの人形なので、このあたりは融通が利かない。
俺は短剣を握り直す。初心者にとって、相手が複数というだけでかなり危険だ。だからそこのイベントであり、衛兵の警告なのだろう。
だが、俺はこの状況に心を躍らせていた。
相手は所詮、命の無いデータの塊に過ぎない。それでも、人の形をしたものを切り刻む事が出来るという暗い期待が、俺の胸中で鎌首をもたげる。
だが――迫り来る盗賊達に、俺は背を向けて駆け出した。当然、盗賊達は追ってくるが、敏捷性を上げたおかげで追いつかれる事は無さそうだ。
しかしこれはイベント戦闘なので、設定された戦闘エリアから出る事は出来ない。今も俺の視界の隅に、戦闘エリアの端が近づいていることを示す警告が浮かんでいる。
もちろん、俺の目的は逃走では無い。
俺は疾走の勢いのまま、正面に立つ木を駆け上がり――その幹を蹴って背面へと跳躍した。空中で身を捻り、追いかけてきた盗賊の首目掛けて短剣を叩き込む。
――パルクールと呼ばれるスポーツがある。周囲の環境を利用し走る、跳ぶ、登るなどの動作を駆使して、どんな地形でも自由自在に走り回るというスポーツだ。
俺がプレイしたVRGには、そのパルクールを楽しめるタイトルも存在した。おかげで俺は「身体能力」はともかく「身体操作」においてはプロのパルクール選手並みのレベルを誇るのである。
急所への一撃に、盗賊の頭上に表示されたライフバーが大きく減る。衝撃で倒れた盗賊に
追撃を入れることなく、俺は再び駆け出した。
流石に、三人を同時に相手するのは厳しい。だが、敏捷性においては俺のほうが上回っている。だから離脱と攻撃を繰り返すことで、連中のライフを削っていくつもりだった。
モンスターは一部の例外を除いて、自ら逃走する事は無い。飛び道具も所持していない盗賊達は、ただひたすらに俺を追い、そして一撃を加えられてはまた追うということを、馬鹿のように繰り返した。
幾度となく短剣を、あるいは拳や蹴りを叩き込み――ついに盗賊の一人がポリゴンの欠片となって砕け散った。続けて、もう一人も。
「そろそろ決めるか」
最後に残った一人を前に、俺は逃走を止めた。イベントだけあって、敵の耐久力は中々のものだったが、動きそのものはゴブリンに毛が生えたようなものだった。つまり、一対一なら恐れる相手ではない。
突っ込んでくる盗賊を、俺は短剣を構えて迎え撃つ。振り下ろされた斧を半身になって避けると、すれ違いざまに攻撃スキル《二連突》を発動させた。
青白い燐光を纏った短剣が、盗賊の腹へと叩き込まれる。頭上のライフバーが真っ白になり、盗賊はその身体を爆散させた。
視界に《congratulation!》の文字が表示され、イベントの終了を告げる。俺は小さく嘆息を零すと、戦闘結果の画面を確認する。
見れば、《盗賊のマスク》というアイテムを獲得していた。とりあえずオブジェクト化してみる。
《盗賊のマスク》は、マスクというか、黒い布袋に穴を開けただけの代物だった。盗賊が身につけていたものである。
大したボーナスもつかないが――無いよりはマシだろう。
盗賊を片付けた俺は、森へと戻った。山には森よりも強力なモンスターが出現する。入る前に、もう少しPCを強化しておきたい。
再び《索敵》スキルを頼りに、獲物を探す。
と――俺はそう遠くない位置で、二つの光点が隣接している事に気が付いた。俺は視線を鋭くすると、慎重に二つの光点へと近づいた。
しばらく歩くと、木々の間からゴブリンと、長剣を構えた男の姿が見えた――プレイヤーだ。
だが、その戦いぶりは、剣を振り回しているというより剣に振り回されていると言った方がいい有様で――武器に不慣れなのが見て取れる。
VRGであるがゆえに、戦闘ではプレイヤーの技量、つまりプレイヤースキルがモノを言う。そして常識的に考えて、何の心得も無い素人が、長剣だの槍だので武装しても、マトモに操れるわけが無い。だからこそ俺は扱いづらい長物ではなく、扱い易い短剣を選択したのだ。
あれなら――殺せるんじゃないか?
無様なプレイヤーの戦いを見て、俺の胸中で殺意が目覚める。しばらくはPCの強化に専念するつもりだったが……あの程度相手なら、余裕で勝てそうだ。
俺の装備は、未だに初期装備――つまり他のプレイヤーと変わらない。そして俺には《盗賊のマスク》がある。これで顔を隠せば、誰にキルされたかなんて判別はつかない。
俺の脳裏で「殺せそう」が「殺そう」に変わった。盗賊のマスクを装備すると、背後から静かに近づいていく。《隠密》スキルなんて持ってないが、向こうも《索敵》スキルを持ってないようで、俺に気付く様子は無い。
「やった!」
ようやくゴブリンを倒し、プレイヤーが喜色を浮かべる。
「おめでとさん」
「え?」
――その背中に、俺は短剣を突き入れた。
「がっ……」
プレイヤーの口から、驚愕と苦痛の声が零れる。NESにおいては、PCがいくらダメージを受けても、プレイヤーが感じるのは鈍い痺れ程度でしかない。
だが、人には想像力というものがある。
人は時に、他者が傷つく様をみて、自分も痛いかのように感じることがある。脳は目で見た――今回の場合、脳に電気信号が直接送られているのだが――映像から、その結果を想像してしまう。例えそれが、「痛み」であっても。
他人の姿ですらそうなのだから、これが「自分が傷つく映像」であれば、精神的なショックは免れない。PCボディを傷つけられたプレイヤーの脳は、自ら「痛み」を――《幻痛》(ファントムペイン)を産み出してしまうのだ。
短剣を引き抜き、相手の膝裏を踏みつける。うつ伏せに倒れたプレイヤーの背にのしかかると、膝で背を、左手で頭を押さえつける。
「な、なんなんだよお前!」
ようやく自分が襲われている事に気が付いたプレイヤーが、喚いてもがく。その目には混乱と――そして恐怖が映し出されていた。
「なんだよ! なんでこんなことするんだよ!」
「――だってリアルじゃ出来ないだろ?」
現実では満たせぬ欲望を、虚構で満たす。ゲーマーなら誰でもやってることだ。それが殺人だからといって文句を言われる筋合いは無い。だって、システムがPK(殺人)を肯定しているのだから。
「死ね」
恐怖に歪んだ顔めがけて、俺は逆手に握った短剣を振り下ろした。赤いダメージエフェクトと共に、プレイヤーが悲鳴を上げる。
「死ね」
もがくプレイヤーに――俺は再度、短剣を振り下ろす。
「死ね」
振り下ろす。
「死ね」
振り下ろす。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ねシねシネシネしネシネシねしネシネ――」
何度も何度も何度も何度も――振り下ろす。
やがてプレイヤーはそのライフをゼロにし、ポリゴンの欠片となって砕け散った。
もちろん、死んだわけではない。ささやかなデスペナルティと共に、タウンで復活するだろう。
だが――俺はプレイヤーの脅えた顔を、苦痛の叫びを、そして最後の瞬間、絶望に染まった瞳を反芻した。
この世界は、虚構だ。電子データで造り上げられた、偽りの夢に過ぎない。
だが――その虚構を通して感じる、プレイヤーの感情だけは本物だ。
そして俺にキルされたとき、あのプレイヤーが感じたのは、まさしく死の恐怖だったに違いない。
「あは……」
俺の唇が、狂気で歪む。
「あは、あは、あははははははははは、あはははははははははは!」
ぞくぞくした。射精にも勝る快感に、俺は身を震わせる。
恐怖と絶望――それこそが俺の快楽だった。誰かを傷つけ、誰かを踏みにじる。リアルでは叶わなかった俺の望みが、この世界では叶う。この世界で俺は、許されざる欲望を満たす事が出来る。
「く、くく。さあ、次だ。早く、早くしないと……」
NESは今日がサービスの初日だ。つまり誰もが初心者で、PCスペックに差が無く、ソロが多い。
だから今の内に――沢山殺そう。