間章:悪魔の手札(中編)
「――ソラト!」
賭場に入るなり、目ざとく俺を見つけた麗人が立ち上がった。まだゲームの途中だったようだが、カードもチップも放り出して、こっちに近づいてくる。
「やあやあ、久しぶりだね。会えて嬉しいよ」
「昨日も会っただろうが、アレクサンドラ」
「それだけ君に会えるのが楽しみという事だよ」
人の頭を撫で繰り回してくる麗人の手を払いつつ、俺は顔を顰める。
「いいからゲームの続きをしろ。他の客とディーラーが困ってる」
「もう、つれないな……すぐ終わらせるから、また一杯やろうよ」
言って、彼女は賭場の四隅に設けられたカウンターを指差した。
この店では賭けだけでなく、酒や女を楽しめるようになっている。賭場というのは勝てば気が大きくなるし、負ければ自棄になる。つまり、財布の紐が緩むのだ。またアルコールで気が大きくなった、あるいは娼婦におだてられた客が無謀な賭け方する――という効果も見込んでいる。
「しかし、犯罪ギルドの親玉と酒を飲みたがるとはね。奇特な女だ」
「ふふ。君は悪い奴だけど嫌な奴じゃないからね。だから会えたら嬉しいし、お酒にも誘うさ」
「普通、悪い奴は嫌な奴だと思うがな」
彼女の言葉に、俺は肩をすくめた。
「分かった。付き合おう」
「やった。じゃあ、少し待っててね」
小さく手を振りながら、麗人はテーブルへと戻っていく。その背中を見送りながら、俺は小さく嘆息した。
――アレクサンドラと出会ってから、数日が過ぎていた。
彼女は毎晩のように賭場に顔を出し、俺を見れば酒に誘った。随分享楽的な人生だと呆れないでもないが、毎回彼女の誘いに応じるあたり、俺も同類といえば同類だった。
アレクサンドラのゲームが終わるまでの間――俺はこの賭場を任せている部下を呼びつけた。例の事件に関する報告を受けるためだ。
「また、か」
「はい」
ここ数日で、死者の数は倍に増えていた。愉快な死体の噂は王都を駆け巡り、今一番ホットな話題となっている。
未だに犯人の正体はつかめず――しかし、わかった事がいくつかある。
まず、犯人は別に《百鬼夜行》を狙っているわけでは無いらしい。増えた死体の大半は、俺のギルドとまったく無関係な人間だった。
次に――どうも犯人はこの賭場に出入りしている可能性が高いようだ。というのも、初めに殺されたギルドの構成員を含めて、犠牲者は全員がこの賭場の客か従業員なのである。犯行現場も、この近辺だった。
俺に報告を続けながら、支配人は脂汗を浮かべていた。殺しは店の外で行なわれているので、別に彼が責任を感じる必要は無いのだが、やはり自分の店が事件に関わっているとなると落ち着かないらしい。
「――なんの話をしているんだい?」
支配人に幾つかの指示をあたえていると――何時の間にか、ゲームを終えたらしいアレクサンドラが傍に立っていた。
「別に。お前が気にする話しじゃないさ」
俺は手を振って支配人を下がらせると、用意されていた杯に酒を注いだ。アレクサンドラは俺の隣に腰掛けると、早速杯に手を伸ばす。
「うーん。良い夜だ。ゲームは楽しいし、お酒は美味しいし、こうして語らう相手が居る。最高だね」
「俺としては美人と語らうなら、寝台の上がいいんだがね」
「ふふ、考えておいてあげる」
俺の放った直球を、アレクサンドラはあっさりと受け流す。
中性的だが整った顔と、すらりとした長身は、俺の食指を動かすには充分で――奥手とは無縁な俺は初日から露骨なアプローチをしているのだが、生憎と実を結ぶ様子は無い。
強引にでも彼女を手に入れることを考えなくも無かったが、それも無粋な気がして実行には移さなかった。世の中には強引に手に入れるほうが楽しめる女と、それではつまらない女が居る。欲望をぶつける相手に不自由しているわけでも無いし、過程を楽しむのもまた一興である。
「で――さっきのは、このお近くで殺された人の話?」
「……気にするなと言ったはずだぜ?」
人の事情に首を突っ込んでくる輩は好きではない。俺はじろり、と冷たい視線を向けた。
これが部下たちなら、小便をちびりながら泣いて謝るのだが――アレクサンドラは脅える様子もなく、そればかりか悪戯っぽく片目を閉じて見せた。
「そんなに怖い顔をしないでよ。僕はここ数日、毎日のように此処に来ているんだよ? 聞き込みをするなら、うってつけの相手じゃない?」
「……」
まあ――実のところ、別に隠すような話でもないのだ。そもそも人に聞かれて困る話なら、こんな場所で報告を受けたりはしない。彼女との酒を不味くするくらいなら、話のネタにしても構わないだろう。
俺は簡単に事のあらましを話してやった。死体が干物みたいになってる事を含めてである。
話を聞き終えた彼女は――呆れたといわんばかりに首を振った。
「やれやれ、どうして気が付かないのかな」
「何にだ?」
「それ、どう考えても吸血鬼の仕業じゃないか」
「――ああ、なるほど」
吸血鬼、ヴァンパイア、ノー・ライフ・キング……日本でも有名な、人の血を吸う化け物である。吸血鬼に襲われれば、あんな干からびた死体が出来るかもしれない。
どうして気が付かなかったかといえば――現代日本で生まれ育った俺からすれば、吸血鬼なんぞ御伽噺の住人である。ミイラ化した死体が見つかったからって、それを「吸血鬼の仕業だ」なんて考えたりはしない。
だが、ここは御伽噺の世界なのだ。吸血鬼が居てもおかしくない――というか、居る。《NES》にはモンスターとして、きっちり吸血鬼が登場するのだ。
「しかし吸血鬼、吸血鬼ねぇ……」
小さく呟きながら、俺は顔を顰めた。それを見て、アレクサンドラの瞳に何処か面白がるような光が煌いた。
「ふふ、吸血鬼に何か嫌な思い出でもあるのかな?」
「いや、何とか部下に出来ないかと思ってな」
俺とアレクサンドラの間に、しばしの沈黙が満ちた。杯を呷ると空だったので、手酌で新たな酒を注ぐ。琥珀色の液体を舐めると、舌にピリピリとした感触が残った。
「……今、なんて?」
ようやく再起動したらしいアレクサンドラが、首を傾けて訊ねてくる。
「だから、何とかその吸血鬼を部下に出来ないかなと」
何しろ吸血鬼である。ほぼ不死身の肉体を持ち、腕力は人間を遥かに超え、霧や蝙蝠に変身する能力まで備えるという。
素晴らしい。是非とも手駒に加えたい。
もちろん、NESではあくまでモンスターの一種であり、そこまで常識外れの能力を持っていたわけでは無いが――それでも強力なユニットには違いない。死んだチンピラどもより、よほど役に立つだろう。
「正気かい? 相手は吸血鬼――『血を吸う鬼』だよ?」
期待で胸を脹らませる俺に、アレクサンドラは鋭い視線を向けた。
「どうして吸血鬼が恐れられ、忌み嫌われるか分かるかい? 人を餌にするからさ。他のモンスターと違って、吸血鬼は人間だけを選んで食す。いわば人の天敵なのさ。そんな奴を仲間にするのかい、君は」
「ああ、そうだ」
アレクサンドラの言葉に、俺はにんまりと笑った。
「人を餌にする? だからどうした。人を食いものにするのは俺の趣味だ」
両腕を広げ、己の賭場を示して誇る。此処では毎夜のように、人がその欲に呑まれ、身を破滅させていく。
俺は捕食ではなく、娯楽のために人を殺す。騙し、欺き、陥れる。
吸血鬼がどれぐらいの頻度で人を襲うのかは知らないが――俺のほうがよほど「人の天敵」だった。
「……君は面白いねぇ」
アレクサンドラは、何か珍しい生き物を見るかのような目で俺を見ていた。だが不思議と否定的な色は無く――そればかりか好意に似た何かで煌いているようにすら見えた。
「――よしっ!」
唐突に、アレクサンドラは杯を置いた。
「ねえ、場所を変えて飲みなおさない?」
「俺は構わんが……なんだ、急に」
「此処は騒がしいからね。今夜は静かなところで、ゆっくりと飲みたい気分なんだ」
そう言って、男装の麗人はこちらに身を寄せた。熱い吐息が首筋を擽る。
「ここは個室もあるんだろう? 二人でゆっくり語り合おう――寝台の上で、ね」




