間章:悪魔の手札(前編)
「ボクの勝ちだね」
涼やかな声と共に、ほっそりとした指先が、卓上にカードを並べた。
晒された手札に、周囲からどよめきが上がり――正面に座っていた相手が肩を落とす。男の前に積み上げられていたチップは、今この瞬間に彼女のものとなった。
美しい女性だった。短く整えた髪に、男物の貴族服、少年のような口調――それでも彼女の性別を誤る者は居ないだろう。むしろ、その中性的な出で立ちが、逆に女としての魅力を際立たせているとすら言えた。
今宵は引き上げるのか、男装の麗人は店員にチップの換金を求めた。チップは瞬く間に袋に入った貨幣へと換えられる。
「楽しかったよ。じゃあね」
客の視線を一身に集めながら、麗人は席を立つ。動作の一つ一つが凛々しく、そして美しい。彼女が扉の向こうに消えるまで、店内の視線は麗人に釘付けになっていた。
賭場を出た麗人は、空を見上げた。銀盤の月と、無数の星が夜空に煌いている。その微かな明かりに照らされた夜道を、麗人は鼻歌雑じりに歩いていく。
まだ夜は、深い。女性が一人で――それも大金を持って歩くには不適切な時間帯だ。
それを証明するように、麗人の背後から複数の人影が近づいてきた。一目で堅気でないとわかる男たちが、肉食獣じみた視線を麗人へと注いでいる。
「……ボクに何か用?」
その問いに答えることなく、男達は麗人を取り囲んだ。揃いも揃って、口元には下卑た笑みを浮かべている。
麗人は気付かなかったが――男達は賭場の客だった。彼らは店で派手に勝っていた美人を見かけ、そして目をつけたのだ――獲物として。
「答える気はなし、かぁ」
しかし彼らは気付いていなかった。
麗人にとっては、彼らのほうが獲物だということを。
「まあいいや」
そう言って、男装の麗人は笑った。
美しく、可憐で、そして――ぞっとするような、恐ろしい笑みだった。
「丁度――喉が渇いてたんだ」
吊りあがった唇から、白い真珠のような――そして鋭く尖った歯が覗いていた。
――その路地には柄の悪い連中が集まっていた。何かを隠すように立ち並び、近づこうとする者は睨みつけ、あるいは罵声を飛ばして追い払う。人々は彼らに好奇の目を向けながらも、係わり合いになるのを恐れて通り過ぎていく。
彼らは近づく俺にガンを飛ばそうとし――俺が誰だか気付いて真っ青になった。慌てて道を空けて、頭を下げる。
「っと旦那。わざわざ足を運ばれたんですかい?」
声をかけてきたのは、知った顔だった。シュトリの手下で、ジェイクという名前だった。チンピラ達のまとめ役をしている。
ここで、複数の男の死体が見つかったのは今朝の事だ。それだけなら別に珍しくない――とは言わないが、さして興味を惹かれるような話でもない。
問題は、死んだのが《百鬼夜行》の――末端とはいえ――人間だった事である。僅か三ヶ月で王都闇黒街を侵略し、今やこの街でその名を知らぬものは居ない犯罪ギルド。そこに所属した人間が殺された、という噂は、瞬く間に王都に広がった。また闘争が始まるのではないかという不安と共に。
しかしながら――俺の関心は手下の死そのものではなかった。
「馬鹿が何人死のうが、別にどうでもいい。だが、愉快な死に方をしてるって聞いてな」
「ええ、まぁ……見ますかい?」
俺が頷くと、ジェイクは部下に場所を空けるように命じた。人垣の向こうに見えたのは、殺されたという男たちの亡骸。
「……まるでドライフルーツだな」
亡骸は――水分を全て失い、カラカラに乾燥しきっていた。死体は死体でも、さながらエジプトのミイラだ。
「こりゃ、魔法の類を使ったとしか思えませんぜ。下手人は魔法使いでさぁ」
「確かにな……」
そう答えたものの、魔法でもこんな事が可能なのか、俺には判断できなかった。
《NES》において、魔法で死体は作れない。火炎魔法を撃ち込もうが、風の刃で切り刻もうが、ダメージエフェクトが散るだけで傷が残るわけではない。魔法でPCを殺しても、ポリゴンの欠片になって消えるだけだ。魔法でどんな死体が作れるかなんて、解るはずも無いのである。
とはいえ、刃物や鈍器で作れる死体でも無い。魔法が使用された可能性が高い事は否定できなかった。
「とりあえず、昨夜このあたりで、怪しい奴が居なかったか聞き込みさせていやす」
「ふん……まあ、今出来るのはそれぐらいか」
しかし、成果はあまり期待はできそうにない。
何しろ――この街で「怪しい奴」というのは、さして珍しい存在では無いからだ。
「相手が何処の誰で、何が目的かはわからんが――そんな事は関係ない」
外套を翻し、無残な亡骸に背を向けながら、俺は口を開いた。
「見つけ出して、殺せ」
その日の夜、俺が屋敷を出たのは――犯人を探すためでもなんでもなく、ギルドが経営する賭場に向かうためだった。
何でも最近、やたら大勝ちしている客が居るらしく、その顔を拝んでやろうと思ったのである。それに、もしイカサマをしているなら締め上げねばならない。不正が横行しては経営に関わる。
俺の賭場は「基本的に」健全な遊び場を目指している。何しろ賭けの胴元は、イカサマなんかしなくても儲かるのだ。
もっとも――従業員には、俺の指示一つでイカサマを行なえるよう教育してある。狙った相手を大敗させ、借金地獄に突き落とせるように、だ。
そうやって俺は眼をつけた貴族や商人を破産させ、財産を奪い取り、本人や家族を奴隷にした。
金、地位、領地、そして人間。欲しいものは全て奪い取る――俺にとって、賭場はそのための罠なのだ。
店に入ると、俺は適当な従業員を捕まえた。まだ若い店員は俺の顔を見ると顔を強張らせ、背筋を伸ばした。
「例の客は?」
「……来ています。今は、ポーカーの台に」
店員の答えに俺は頷き、店の奥へと足を向けた。
俺の賭場では、向こうの世界の遊びを幾つも採用していて、ポーカーもその一つだった。
テーブルは既に人垣に覆われていて、目当ての客の姿は窺えない。俺は人々の間をするりと抜け、最前列へと顔を出す。
台を囲むのは、身なりの良い中年の男と――男物の衣服を身につけた女。事前に特徴を聞いていたので、後者が目当ての客だと直ぐに知れた。
「ボクの勝ち」
勝負は丁度、ショー・ダウンを迎えたところだった。
女がカードを並べた。役は、クイーンのワンペア。
「ほう……」
それを見て、俺は感嘆の声を上げた。というのも、女がベットしていたチップの数が、かなりのものだったからである。
女の役はワンペア。結果的に勝ちはしたが、決して強い役ではない。その手札に、これだけの額を賭けたのだ。かなりの勝負度胸である。
これはあくまで俺個人の美学だが――ポーカーは「如何にして弱い役で勝つか」が問われるゲームだ。強い役が揃ったときに勝つのは当たり前。だが、それでは単に運が良かっただけである。手札が弱いときにこそ、どう賭けるか、どれだけ賭けるか、それとも降りるのか――戦略というものが生まれるのだ。
あるいは――それこそイカサマをしていて、己の勝ちを確信していたのか。
「さて、店員さん。そろそろ帰るから、チップを換金してもらえるかな?」
これでゲームを終わらせるつもりなのか、麗人が店員に声をかける。
なんにせよ、このまま見送る手は無い。
だから俺は、口を開いた。
「いや――その前に、俺と遊んでもらおうか」
人垣から進み出た俺に、視線が注がれる。ざわめきが生まれ、俺が歩を進めるごとに大きくなる。
「君は?」
「俺の事はソラトと呼べ」
傲慢に名乗る俺に、麗人はまるで小さな子供を相手にするように微笑んだ。
「ソラト君、ね。ねぇ、ソラト君。悪いんだけど、ボクはもう帰るんだ。また来るから、その時にまた遊ぼう?」
あやすような口調に、俺は皮肉げに口の端を吊り上げた。
「いいや。お前は帰れない――チップを換金しなくていいなら別だがね」
「……何だって?」
「ここは俺の店でね。チップを換金したかったら、俺と勝負してもらおうか」
もちろん、換金は客の権利だ。大勝ちした客の換金を断るなんて真似をすれば、店の信用に関わる。
しかし。
「ふふ、ずるい事を言うね」
男装の麗人は、怒り出すことも無く、むしろ面白がるように微笑んだ。
「でも、何でそんなに僕と勝負をしたがるのかな?」
「決まってる。美人と遊びたいからさ」
「ふふ、面白い子だ」
笑みを深くしながら――麗人は瞳に怜悧な光を灯した。
「ボクはアレクサンドラ。いいよ、勝負しよう」
――勝負は淡々と進んだ。
俺の賭け方は簡単だ。手札が良ければ大きく勝負し、良く無いなら降りる。ただそれだけ。
勝負を重ねるごとに、俺のチップはじわじわと削られていき、時たま大きく勝って元に戻る。その繰り返しだった。
「つまらないね」
幾度目かの勝負、配られた手札を眺めながら、アレクサンドラが呟いた。
「このゲームは奥が深い。心を読みあい、騙しあう……ふふ、嫌な遊びだね。だから面白いんだけど」
言って、麗人は頬を緩め――しかし直ぐに笑みを消した。
「でも君は、ボクを見てない。自分の手札だけを見て、それで賭け方を決めてる。それじゃあ、一人で遊んでるのと変わらない。遊び相手としては、最悪だ」
言葉の終わりと共に、麗人はチップを積み上げる。
「レイズ」
アレクサンドラは掛け金を吊り上げた。かなりの額だ。よほど手札に自信があるのだろう。
しかし。
「コール」
即座に応じ、同額のチップを押しやる俺に、麗人はぴくりと眉を上げる。
「……レイズ」
「コール」
再度のレイズに、やはり俺は迷い無く応じる。二人の間に積み上げられたチップは、換金すればちょっとした屋敷を建てられるだろう額になっていた。
「もうレイズはしないのか? なら――レイズ」
挙句の果てに、俺は自ら掛け金を吊り上げた。
「……コール。度胸試しのつもりかい?」
アレクサンドラの探るような瞳に――俺はにやりと笑って見せた。
「俺は勝てる勝負しかしない主義でね――レイズ」
俺が更にチップを積み上げると。麗人の目に逡巡が浮かぶ。
レイズした掛け金は戻らない。ここで降りれば、彼女は自分で積み上げたチップを無駄にすることになる。
だが、このまま勝負に乗れば――そして負ければ、更なる損害を被ることになる。
乗るか、反るか。
「……ドロップだ。降りるよ」
短くない時間を思考に費やして、麗人は手札を投げ出した。散らばるカードは――キングとエースのフルハウス。あの自信も納得の役だ。
「嘘をつくコツって知ってるか?」
「いいや。ボクは正直者なんだ」
「嘘をつかないことだ」
言葉と共に、俺は手札を晒した――何の役も出来ていない、手札を。
麗人が目を見開く。見物人から、どよめきが湧き上がった。
役無し(ブタ)で大勝ちする。ポーカーで最も粋な勝ち方だ。
「偽るな。謀るな。欺くな――そして、最後の最後に嘘をつけ。それが最良の騙し方だ」
しばしの間、まるで魚が空を泳いでいるのを見たかのように、ポカンとしていた麗人は――やがて腹を抱えて笑い出した。
「アハ、アハハハハハハ、アハハハ! 良い! 良い! 素敵だよ、君は!」
それまでの優雅な物腰が嘘であるかのように、麗人は机を叩き、肩を震わせて大笑いする。
「ふふ、つまらないと言った事は取り消すよ。君は、とっても刺激的な遊び相手だ。お詫びにキスしてあげるよ」
「キスだけか?」
「それより先を許すほど、ボクは安くないよ……でも君は可愛いから、考えてあげてもいいかな」
麗人はチップもそのままに立ち上がると、手で杯を傾ける仕草をした。
「ここはお酒も飲めるんだろう? どうだい、一緒に」
断る理由は無かった。




