間章:呪われた刃(後編)
ダークエルフ。言わずと知れたファンタジーの定番種族であるエルフ――その敵対勢力として定義された種族で、闇や悪の象徴として描かれる事もある。エルフ共々いつか見てみたい――そして手に入れたいと思っていた。しかしまさか生きたダークエルフより先に、《亡霊》に遭遇するとは思わなかったが。
《ダークエルフの亡霊》は《NES》に存在したアンデットモンスターだ。設定としては、非業の死を遂げたダークエルフが、その憎悪と魔力によって死霊と化した存在である。
……死霊が存在するという事は、この世界にはいわゆる霊魂、魂が存在するということになるのだろうか。それとも、「ダークエルフの死」という条件で出現する、ただのモンスターに過ぎないのか。
非常に興味深い問題だが――今は他に考えるべき事がある。
ゴーストを初めとした、亡霊系のモンスターには、いわゆる物理攻撃は効果がない。《ダークエルフの亡霊》もその例に漏れず――つまり、俺の攻撃の殆どが通じ無いのである。物理攻撃で亡霊系モンスターを仕留めるなら銀か、それこそミスリルで出来た武器を装備するしかない。しかも始末に悪い事に、《ダークエルフの亡霊》は生前のステータスを反映してか、魔法防御力も高いのである。
「人を呼んでも……無駄か」
シュトリもカイムも俺と同じく物理攻撃特化の殴り屋だし、《百鬼夜行》新たな戦力である魔法使い、サブナクは現在この屋敷に居ない。故郷への帰還を望むあの男は、暇さえあればあちこちをさ迷い、手掛かりを探しているのである。
――キィィィィァァァァァァ!!
亡霊の絶叫と共に、再び衝撃波が放たれる。
床を蹴って飛び、不可視の攻撃を回避する。だが攻撃を避けたにもかかわらず、脳髄を抉られるような激痛が走った。
生者への憎悪が込められたダークエルフの叫びは、物理的な衝撃波だけでなく、聞いたものへの精神的なダメージを発生させる。それは「音」そのものであり、回避も防御も難しい。
そして。
――キィィィィァァァァァァ!!
三度の絶叫。今度は衝撃波ではなく――黒い焔が現れ、荒れ狂った。
《ダーク・フレア》。闇と炎、二つの属性を備えた強力な攻撃魔法である。《ダークエルフの亡霊》は、生前に習得していたスキルも使用可能なのだ。そしてダークエルフは魔法、特に攻撃魔法と呪術の類に高い適性を持つ――つまり《ダークエルフの亡霊》は物理攻撃が利かない魔法使いという、非常に稀有かつ厄介な存在なのである。しかもモンスターの特権なのか、詠唱も無ければトリガー・ワードも必要としない。始末に負えないとはこのことだ。
漆黒の炎にあぶられ、寝台を初めとした家具が――女奴隷の死体が消し炭と化していく。このままでは俺も同じ運命を辿るだろう。
「ちっ!」
舌打ち一つを置き去りに、俺は窓を蹴破り、外へと躍り出た。長靴が芝生を音も無く踏みにじり、地面へと降り立つ。
「ソラト様!」
騒ぎを聞きつけたのか、屋敷からエレンが姿を現した。背後には弩を構えた部下を率いている。
彼女は宙に浮かぶ亡霊に、一瞬驚愕を浮かべたものの――即座に決断を下した。
「構え! 撃て!」
号令と共に、彼らが手にした弩から矢が放たれる。無数の矢はダークエルフを貫き――その事如くが、すり抜けて夜の闇に消えた。
「下がってろ! 邪魔になるだけだ!」
動揺にどよめく部下たちを怒鳴りつけ、下がらせる。彼らは亡霊相手に戦力にならない。参戦させても無駄に駒を減らすだけだ。
とはいえ、俺も打つ手が無い。俺の攻撃は物理攻撃が大半で、属性攻撃が出来るスキルも、殆ど習得していないのだ。
《NES》であれば、さして苦労する相手ではなかった。属性攻撃が出来る武器なんて、腐るほど所持していたからだ。
だが、この世界で属性効果のついた武器――マジックアイテムの類は貴重品だ。
俺が今、所持しているのは――。
「ソラト!」
振り返れば、屋敷の二階、窓から黄金の髪の少女――シュトリが顔をのぞかせている。
「これ!」
彼女が掲げるのは、美しい白銀ハルバード――《紫電の斧槍》。
かつてのバスカヴィル伯爵が振るい、そして俺が奪い取ったマジックアイテムである。
「でかした、シュトリ!」
彼女が窓からハルバードを投げるのと、俺が跳躍するのは同時だった。闇を切り裂く白銀の光が、導かれるように俺の手中へと収まった。
「吠えろ! 《紫電の斧槍》!」
咆哮と共に、雷撃が迸る。《紫電の斧槍》はアイテムとして使用する事で、雷属性の魔法攻撃を放つ事ができる。
――ァァァァァァ!!
紫電に打ち据えられた亡霊が、これまでの絶叫とは違う苦痛の声を上げる。いくら魔法に高い耐性を持っているとはいえ、ダメージが皆無とはいかなかったようだ。
「はは、亡霊でも攻撃を喰らえば苦しいのか!?」
獰猛な笑みを浮かべ、俺は地面を蹴った。紫電を纏った刃で、亡霊を切りつける。雷撃が迸り、闇夜に更なる悲鳴が響いた。
このまま切り刻めば、やがて消滅するだろう。
――キィィィィィィァァァァァァァァァァァ!!
繰り返し雷撃を浴びせられた亡霊から、一際強烈な絶叫が響く。
次の瞬間、俺の視界を黒い焔が包み込んだ。《ダーク・フレア》の直撃を受けたのである。
漆黒の火炎が身体を嬲り、同時に呪いが頭蓋を掻き乱す。
「あは……」
激痛に身体と心、両面から蝕まれながら、俺は笑った。
「あははははは! この憎悪! この怨嗟! 心地よいくらいだ」
怨嗟の叫びを受け、俺が感じていたのは――ダークエルフへの親近感だった。
あらゆるものへの殺意。
あらゆるものへの否定。
ああ、この剣は俺にこそ相応しい!
「はは、そんなに憎いか! そんなに殺したいか!」
全身を炎に焼かれながら、俺は半ば無意識のうちに手を伸ばした。
「ならば俺のモノになれ! さすればその身を血で赤く染めてやる!」
伸ばした手が、ダークエルフの胸に刺さっていた短剣に触れた。亡霊だが、この剣は物質として確かに存在しているので、触れる事は可能だ。
「ダークエルフの亡霊よ! 生きとし生けるもの全てを呪うなら――この俺に従え!」
五指が、短剣の柄をしっかりと掴む。握り締めたそれを、俺は一息に引き抜いた。
絶叫が、響いた。苦痛、苦悶、悲哀、憎悪、殺意、憤怒――絶望。あらゆる負の感情を混ぜ合わせて煮詰めたような叫び。
永遠に続くかと思えた叫びは、やがて擦れて消えていく。同時に、その姿も色彩を薄れさせて行った。
亡霊は薄れつつある手を伸ばし、俺の顔に触れた。冷たい感触が頬を撫でる。
消え行く彼女の顔には――儚げな微笑が浮かんでいた気がした。
……これは後になって、ゴドフリーに聞いた話になる。
かつて、一人のダークエルフの少女が居た。比類なき美しさと魔法の才能を兼ね備えた彼女は、やがて好奇心から故郷を飛び出し、外の世界へと旅立つことになる。
彼女はいくつもの国を渡り歩き、やがては異種族というハンデをものともせず、一国の宮廷魔術師に納まった。
彼女の不幸の始まりは――その国の王子が彼女に思慕の念を抱いた事。
異種族、それもダークエルフである彼女の快く思わないものは多かった。特に類稀な魔術の才能と、宮廷魔術師の位を持つ彼女に――その国の魔法使い達は憎悪すら抱いていた。
だから彼らは――彼女が禁呪を用いて、王子を操り虜にしたのだと言いふらした。
無実を訴える彼女に、誰も耳を貸さなかった。彼女は魔女として王城を追われ、やがては騎士達の手で討ち取られることになる。
その女の名は、アナスタシア。
最後の瞬間、彼女の胸を貫き、その命を奪ったのは――美しいミスリルの短剣だったという。
「で、もうその剣は心配ないの?」
「ああ」
恐る恐る、といった様子でこちらの手元を覗き込むシュトリに、俺は手にした短剣を掲げて見せた。
すると――虚空から滲み出るように、銀髪の美女の姿が浮かび上がる。尖った耳と黒い肌。
《ダークエルフの亡霊》だ。
「げ、まだ思いっきり憑いてるじゃん!」
俺は《ダークエルフの亡霊》を退けたものの、別に倒したわけではなかったらしい。
所詮はアンデットモンスターなので、《紫電の斧槍》で切り刻み続ければ、あるいは短剣を砕くなりすれば消滅するかもしれないが――初回以降、何故か襲い掛かってくる様子も無いのでそのままにしている。
「ま、実害は無い。いや、むしろ有益だ」
何しろモンスターを――それもかなり強力な――テイムしているようなものだ。特に魔法系ステータスが弱い俺にとって、彼女の存在はかなり大きい。
「亡霊だろうが死神だろうが、俺に従うというなら使ってやるさ」
俺の言葉に、美しい亡霊は微笑むと――そっと頬に顔を寄せ、冷たい口づけを残して消えていった。
「ついに幽霊まで……」
それを見て、シュトリは肩を落とし――無言だったカイムは何か言いたげな、複雑な表情をしている。
「どうした、カイム」
「いや……」
カイムは逡巡するように言葉を濁していたが――やがてポツリと呟いた。
「確か、ダークエルフの口づけの意味は――『死の宣告』じゃ無かったかい?」
それを聞いて、俺は思わず短剣を取り落とした。




