第六十一話:《老子》モルダー
麗らかな午後の日差しの中――俺は王都の外れを歩いていた。石畳に被われた中心部と違い、ここにはむき出しの地面と風に揺れる草が残っている。
風の音に混じり、笑い声が響いてくる。目を眇めれば、駆け回る子供たちの姿と、木造の、やや大きめの建物――孤児院が見えた。
そして、駆け回る子供達から少し離れた場所に、丸太を加工して作られた長椅子と、そこに腰掛ける老人の姿が見えた。老人の前にはまだ幼い少女が居て、何事か老人と話しているようである。
「よう、爺さん」
目当ての人物を見つけ、そちらへと歩み寄りながら――俺は軽く手を振って声をかける。
俺の声に、老人は顔を上げると――驚愕に目を見開いた。
「うわぁ……」
驚いていたのは、老人だけではなかった。老人と共に居た少女が俺を見上げ、感嘆の声を上げる。
「お兄ちゃんの髪、黒くてとっても綺麗。ねぇ、触ってもいい?」
「はは、ありがとよ。だが、触るのは勘弁してくれ」
「えー」
俺の断りに、少女は唇を尖らせた。俺は苦笑し、懐から皮袋を取り出す。
「拗ねるなよ……ほら、お兄さんが飴玉をあげよう」
皮袋の中身は、砂糖を煮詰め、固めた菓子だ。飴玉というよりは、金平糖に近い。
「わぁ、いいの?」
差し出された菓子に、少女は一転して目を輝かせた。砂糖菓子は高級品だ。孤児であろう少女には、口に出来る機会など滅多に無いだろう。
「ああ。沢山あるから、皆と分けてきな」
布袋ごと、飴玉を少女に渡しす。ちなみに俺が菓子を持ち歩いているのは、別に子供を懐柔するためではなく、自分で食べるためである。
「独り占めすんなよー」
「しないもん!」
布袋を抱え、元気良く走り出す少女を、俺は手を振って見送った。
「……何用だ」
少女が充分に離れてから――老人が口を開いた。その言葉に、俺は口の端を吊り上げた。
「俺に用があるのはアンタの方だろう? なあ、暗殺ギルド《バグウェルの短剣と外套》の首領《老師》モルダー」
俺が返した皮肉に、老人は――モルダーは顔を顰めた。苦虫を山盛り噛み潰したかのようだ。
無理もあるまい。この数週間、俺を殺そうと暗殺者を送り続け、ことごとく失敗していたのだから。その相手が菓子を片手に会いに来たら、こんな顔にもなるだろう。
「……どうしてここが解った?」
暗殺ギルドの首魁が、その住まいを明かすわけも無い。この孤児院も《短剣と外套》とは何の係わり合いも無かった。
「いや、普通にアンタの部下の……マルスだっけ? そいつに聞いた」
「馬鹿な……」
「おっと、あんまり責めてやるなよ? 彼は口が堅かった。だから拷問したんだよ。爪と指の間に針を刺すんだがね。彼はそれに耐えたんだ。耐えたんだが――家族を攫って同じ目にあわせるぞって言ったら、真っ青になってね。全部話してくれたよ」
何でも爪と指の間に針を刺すのは究極の拷問らしい。アメリカか何処かの連続殺人鬼で、自分の全身に針を刺した筋金入りのマゾヒストが居たそうだが、そのマゾ野郎ですら爪と指の間に針を刺すのは止めたらしい――痛すぎて。
それに耐えたんだからマルス君はむしろ讃えられるべきだと思う。そして、その彼が家族を自分と同じ目に合わせたくないと願った事も、責めるべきではない。
まあ――結局全部話してもらった後、ご家族にはきっちり同じ目に遭ってもらい、最後には全員まとめて殺してしまったのだが。
「待て……お前はそもそも、どうやってマルスが私の部下だと知った」
老人の問いに――俺はにやりと笑った。
「マルス君の部下に聞いた。マルス君の部下については、その更に部下に聞いた」
にやにや、にやにやと、悪意の笑みを浮かべながら、俺は続ける。
「俺が今日来たのはさ、あんたのギルドが――《バグウェルの短剣と外套》が、もう俺のモノになったってことを教えに来たのさ」
困惑と狼狽を浮かべる老人に、俺は肩をすくめて解説を始める。
「順番に説明しようか。まず俺は、送り込まれてきた刺客を撃退した。そしてわざと逃がして、その上役を締め上げた」
ガーントという男が知っていたのは――サリハという女暗殺者を含めた彼の部下への連絡方法。そして、彼の上司への連絡方法。
逆に言えば――聞き出せたのはそれだけだった。
「驚いた事に、おまえのギルドは縦のつながりだけで、横のつながりが殆ど無い。縦のつながりも、直属の上司と、直属の部下だけだ」
《短剣と外套》の構造は、言わばねずみ講に近い。下に行くにつれ、ねずみ算式に増えていくが、自分の上の上、下の下とは何のつながりも無い。それ故秘匿性が高く、同時に秘密が漏れたときの隠蔽がしやすい。一人を切り捨てれば、その下が全部切り捨てられる構造をしているからだ。
「そこで俺は思ったわけだ――上が入れ替わっても、下の奴らは気が付かないじゃないかってさ」
メンバーが知っているんのは、自分の上司と自分の部下だけ。もっと上、もっと下で働いているのが誰なのか、何が起きているのか、知る手段が存在しない。
「連絡役を情報を吐かせるだけ吐かせて殺す。そしてその下のやつらに、『俺は連絡役の上司だ。連絡役は死んだ。これからは俺が連絡役だ』と伝える。符丁さえ知っていれば、下の奴らは疑わない。いや、どうでもいいんだろうな。結局、奴らにとって連絡役は仕事と報酬を持ってくるだけの存在だ。その二つが与えられてれば、上が誰だろうが知ったことじゃないんだよ」
ひとり殺せば、その下を全て支配下に置く事ができる。上を辿れば、そこから更に支配を広げることが出来る。そしてサブナクがカイムを同類だと知ったように、『横』のメンバーを知るケースも皆無では無い。そういった僅かなつながりを辿りながら、俺は乗っ取りを行なった。
なかなか地道な作業だったが――幸いなことに、カイムの上役がかなり上の《世代》だったらしく、比較的早く乗っ取りを済ませることが出来た。
「そんなわけで――今やあんたのギルドは殆ど俺に乗っ取られてるわけだ。残念だったな?」
種明かしを終えて、俺はケタケタと笑う。ケタケタと笑って――老人に背を向けた。
「――と、いうわけで俺は帰る」
「何……!?」
てっきり『最後の仕上げ』として殺されると思っていたのだろう。何もせずに帰ろうとする俺に、モルダーは驚きを露わにした。
「言ったろ? 組織はもう俺のものだ。あんたはもう《短剣と外套》の主じゃない」
部下の指示に使う符丁は全て変更したし、老人の正体を知る直属の部下は殺してしまった。もう誰も老人を暗殺ギルドの長だと知るものは居ない。組織の秘匿性故に、誰も老人が主だと気付かない。
「だったら、恐れる要素など何も無い――アンタはもう、無力なジジィなんだよ」
侮蔑と嘲笑に、老人は――闇黒街で死の権化とすら称された暗殺ギルドの長だった男は身を震わせた。
「あっはっは。じゃあな、爺さん。長生きしろよ?」
ひらひらと手を振って、俺は歩き出す。
「――ふざけるなよ、小僧」
小さな、小さな声が、俺の耳に届いた。
地面を蹴るのが、気配だけで解る。微かに響く鞘走りの音から、老人が杖から刃を――仕込み杖を引き抜いたのだと察せられた。
そしてその直後、遠くから飛来した矢が、その頭蓋を打ち抜いた事も。
「あーあ」
振り返る事無く、俺は呟いた。
「せっかく長生きしろって言ってやったのに」
馬鹿なジジィだ。後ろから俺を切り殺そうとしなければ、付近で伏せていたエレンに狙撃されることも無かっただろうに。
俺は肩をすくめると、さっさと歩みを再開した。
「さてと、次で最後か……」
俺の小さな呟きは、風にまぎれて消えた。




