第七話:暴力による上下
武器屋の店員から聞きだしたのは、《首吊り兎》という名前の店だった。ここでは傷害や強盗は日常茶飯事であり、殺人ですら誰も騎士団に通報しないという物騒な場所らしい。
店員は俺に場所を教えるのを散々渋った。わりと本気で俺の心配をしてくれたようである。抱く機会があったら優しくしてやろう。
大きな音を立てて扉を開けた俺に、店中の視線が突き刺さる。居並ぶ客はどこからどうみてならず者、ごろつき、チンピラの類である。
「おい、ソラト。何するつもりなんだよ」
落ちつかなげなライオネルを無視して、ずかずかと店に入る。無言かつ無表情でエレンが後に続くと、ライオネルも諦めたらしく、大人しくついてきた。
「おいおい坊主。ここは子供がくるところじゃねぇぞ」
入り口の近くにいた無精髭の男が声を上げる。身体は大きくがっちりとしているが、面長の顔と垂れ目が、どこか愛嬌のようなものを醸し出している。
「ここは俺らみたいなろくでなしの、ささやかな憩いの場なわけよ。坊主がどこの誰だか知らねぇがよ。このまま回れ右して帰ってくれりゃ、世は事もなしってもんだ」
酒が入ってるらしい杯を呷り、忠告じみた口調で男は言う。ならず者のくせに見ず知らずの他人である俺の身を案じるとは、なかなか感心な男である。
「お前は止めといてやるよ」
「あん?」
「おい、ジェイク。そいつはテメェの知り合いかよ」
俺の言葉に、怪訝そうな顔をした男に、別な男が声をかける。剣山みたいな髪をした、小汚い男だ。
「そんな風に見えんなら、おめぇの目は節穴以下だわな」
ジェイクというらしい男が首を横に振ると、剣山がにやにやと笑う。
「じゃあ、そいつらがどんな目にあってもテメェにゃ関係ねぇよな? なあ?」
剣山の台詞に、ジェイクは顔をしかめた。
「おめぇよ。さっきから俺が、この坊主を怪我しないうちにお家に帰そうと、涙ぐましい努力をしてるのが見えねぇのか?」
「何も追い返すこたねぇだろうがよ。心配しなくっても、ちゃんと無事にお家に帰れるさぁ……懐の中身と、後ろのねぇちゃんを置いてってくれればよぉ」
勝手な台詞を吐き散らし、挙句の果てに下卑た目つきで俺の女を睨め回す。
こいつでいいや。
俺はこの男を生贄に選んだ。
「おい」
「あん?」
こちらを振り向いた男の顔を、俺は無造作に殴りつけた。
「へぶっ…!?」
這い蹲る男の顔面に靴底を叩き込み、顔を抑えて倒れたところを更に蹴りつける。起き上がろうと床に着いた手を蹴り払い、芋虫のように丸まった背中に踵を打ちつける。
蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。
不気味に沈黙した店内に、鈍い打撃音と、くぐもった悲鳴が響き渡る。一方的な暴力という甘美な行為に、いつしか俺の口元は釣りあがり、喜悦を浮かべていた。
ジェイクを初めとした店内の誰もが――ライオネルとエレンを含めて――ただ呆然と暴行を眺めていた。俺は男がもはや動くことも、声を出すこともしなくなるまで、暴力を振るうことを止めなかった。
「よく聞け、屑ども」
襤褸雑巾となった男の背中を踏みつけ、間抜け面を晒しているごろつき達に対して傲慢に言い放つ。
「お前らには二つ選択肢がある。這い蹲って俺の靴を舐めるか――」
言葉を切り、親指を立てた右手を突き出すと、くるりと指先を下に向けた。
「――泣いて御免なさいと言うまで痛めつけられてから、這い蹲って俺の靴を舐めるかだ。好きなほうを選ばせてやるよ」
俺がこの店に来たのは、手下を増やすためである。
通常、人手がほしければ賃金を払うなり何なりして人を雇うしかない。この世界には奴隷もいるらしいが、どちらにしろ手間と金がかかる。
だから俺は手っ取り早く、暴力で人を従えることにした。チンピラどもを叩きのめし、手下にするのである。この手の連中は、普段から暴力で上下関係を構築しているのでやりやすい。
真正面から喧嘩を売られたごろつき達は、その事実を理解するのにしばしの時間を必要とした。そして理解出来た順に激怒した。座ってた者は椅子を蹴って立ち上がり、なかには早くも刃物を抜いているものまでいる。
「おいおいおいおいおい! 何いきなり騒ぎ起こしてんだよ!」
唖然としていたライオネルが我に返り、悲鳴じみた叫びを上げる。
「馬鹿だなお前。俺みたいないたいけな子供がこんなゴミ溜に来たら、騒ぎが起こるに決まってんだろうが」
というかお前は盗賊だろう。なに常識人みたいな台詞を吐いてやがる。
「俺が言ってるのは! 何でわざわざ騒ぎが起こるようなところにきて、しかも自分で率先して騒ぎを起こしてんのかって事だよ!」
「そのほうが面白いから」
俺の端的な回答に、ライオネルは言葉を失い、阿呆のように口を開閉させた。
「不敬ですよ、ライオネル。それがなんであれ、ソラト様のご意思に従うのが私達の勤めはず」
エレンがナイフを引き抜きながらライオネルを嗜める。俺の忠実な下僕であることを選んだ彼女は、俺の決定に背くことも、不満を述べることもない。
「くそ、やるしかねぇのかよ……」
ようやく諦めたライオネルが、腰の剣を抜いた。
「ざれてんじゃねぇぞコラァ! テメェ、こんなことして唯で済むと思ってんのか!? ああん!?」
近くにいたごろつきの一人が罵声を上げた。その台詞を「どうぞ私からお願いします」と解釈した俺は、メンチを切りまくる男のこめかみに強烈なハイキックを叩き込んだ。男は横に吹っ飛ばされ、汚い床を転がった。
一時期格闘系のVRGをやりこんでいたおかげで、俺は体術に関して多少以上の心得がある。それに《ソラト》の超人的なステータスが加われば、街のチンピラ程度が何人集まっても怖くはない。
「テメェ、よくも――」
この期に及んで手ではなく口を動かした馬鹿二号の腹を爪先で抉る。膝を付いたところで頭部に踵を落す。馬鹿二号は鈍い音と共に床に口付け、そして動かなくなった。
「ぶっ、ぶっ、ぶっ、ぶっ殺せぇ!」
誰かが怒声だか悲鳴だかを上げる。次々と襲い掛かってくるチンピラ共を殴り、蹴り、投げ飛ばす。殺しはしないし、重傷も負わせない。こいつらには馬車馬のように働いてもらうのだ。壊したら使えない。
一番初めの剣山を容赦なく壊したのは、俺に逆らった末路を示して馬鹿どもを萎縮させるためである。事実、客の全てが俺に立ち向かってきたのではなく、半数ほどは顔を青ざめさせて事の推移を見守っている。
俺ではなくライオネルやエレンに向かっていくもの者もいたが、長剣を振り回すライオネルには迂闊に近づけない。エレンもその影に隠れつつ、ナイフ片手にうまく立ち回っているようだ。
「……ジェイク。姉御を呼んで来い」
あらかた片付けたころ、奥のカウンターにいた、体格のいい、赤茶髪の男が口を開いた。
「おいおいブラン。お前、姉御に全部押し付けようってのかよ?」
初めに俺に声をかけてきた無精髭の男、ジェイクは騒ぎに加わる事無く、テーブルに尻を載せて見物していた。この状況で飄々とした態度を崩さないあたり、なかなか肝の据わった男である。
「うるせぇ! いいから姉御を呼んで来い!」
「その必要は無いよ。もう来たから」
その声は、カウンターの脇、二階へ続く階段から聞こえてきた。この酒場は、よくある宿との一体型のようだ。もっとも、二階は主に商売女と過ごすために使われているようだったが。
『姉御』という言葉のイメージに反して、姿を現したのはまだ若い――おそらく、自分より年下であろう少女だった。黄金色の髪と、雪のような白い肌。顔立ちは幼さが残るものの、既に充分以上に美しい。背は低いが、胸元は大きく膨らんでいた。
装いは質素な、しかもサイズの合っていない男物の服だったが――腰には大きなベルトが巻かれ、不釣合いな長剣がぶら下げられていた。
「姉御!」
およそ、ならず者に慕われるような人間には見えない。しかし彼女がならず者達の上役で間違いないようだった。
「人が寝てるときにギャーギャー騒ぎやがって……テメェら全員、後で半殺しにしてやっからな」
少女が心底不機嫌そうに吐き捨てると、ブランとその仲間らしき連中は身を震わせた。よほど彼女を恐れているようだ。
「で? この騒ぎの原因はどこの馬鹿?」
「俺だよ。可愛いお嬢ちゃん」
俺が笑顔で手を振ってやると、少女は心底不快そうに顔を顰めた。
「アンタ、いったい何をしたのさ?」
「この野郎が、いきなり仕掛けてきやがったんです。ジーンを滅茶苦茶にやった挙句、俺らに喧嘩売ってきやがりました」
少女の問いに、俺ではなくブランが答えた。俺が壊した剣山頭はジーンというらしい。
ジーンは俺に散々暴行を受けた上に、乱闘中に他のごろつきに踏みつけられたらしく、更に悲惨な状況になっていた。果たして息があるかどうかも怪しい。死んでも別にかまわないが。
「治療師のとこ連れてってやんな。運がよければ助かるだろ」
どうでも良さそうに、少女が手を振る。部下が死に掛けていることを気にした様子はない。しかし、面子がつぶされたのは気に入らないようだった。俺を見る少女の目に、残忍な光が宿る。
「で、アンタは何か言うことあるかい? 命乞いとか、遺言とかさ」
「いいや。どっちも言うより聞くほうが好きでね」
「は、じゃあ言わせてみなよ。色男」
少女は凶暴に笑うと、階段を蹴った。一番上から飛び降りたにもかかわらず、危なげなく着地する。
「ぶっ殺してやるよ」
「やってみな」
剣を引き抜き構える少女を、指で招いて挑発してやる。それが勘に触ったのか、少女は碧眼を鋭くし、
――俺が瞠目するほどの速さで突っ込んできた。
「――!?」
「っらぁ!」
予想よりはるかに速く重い一撃を、俺は咄嗟に引き抜いた短剣で受け止める。金属のぶつかる耳障りな音が響き、火花が散った。
「ちっ……」
「りゃあああああ!」
思わず舌打ちをこぼす俺に、少女の追撃が襲い掛かる。その小さな手に余るような長剣を自在に操り、苛烈な剣技で俺の命を奪いにくる。
嵐のような連撃を、短剣で受け、弾き、凌ぐ。
強い。
少女は俺と同レベル以上の動きをしている。その力量は領主の兵士やごろつき達とは格が違った。
予想外の事態に、俺は内心で焦りを浮べた。得た情報から判断する限り、俺はこの世界の人間の限界を遥に超えた力をもっているハズなのである。なのに、目の前の少女は俺と同等、あるいはそれ以上の力を振るっているのだ。
だが――少女の表情は、俺以上に余裕が無かった。
「なんだよ、なんで死なないんだよ!」
少女の顔には露骨に苛立ちが浮かんでいる。押しているのは、むしろ少女の方だ。焦る理由など無いのに、どうも様子がおかしい。
ひょっとして、と俺にある考えが浮かぶ。
「クッソ! 死ね死ね死ね死ね死ね!」
少女の太刀筋が荒くなる。その間隙をついて、俺は反撃に移る。
横薙ぎの一撃を跳躍して回避。天井の梁を左手で掴み、ぶら下がると、そのまま腰の捻りを使った蹴りを叩き込む。
《ソラト》の超人的な握力が可能にした軽業じみた一撃を、少女は前方の床に転がるようにしてやり過ごす。
少女が立ち上がるのと、俺が床に降り立つのはほぼ同時だった。一瞬背中合わせになった俺達は、同時に振り向きざまの一撃を放ち、一際大きい火花を咲かせた。
「いい加減うっぜえんだよ! お前!」
少女が罵声と共に、鍔競り合った剣を押し込んでくる。その勢いに逆らうことなく後方に跳躍し、同時に左手で引き抜いたスローイング・ダガーを投げ放った。至近距離から放たれたダガーを、少女は驚嘆すべき反応速度で身を捩り、回避して見せた。
だが、完全に避けることは出来なかった。ダガーは少女の顔を掠め、頬を浅く切り裂く。
少女は目を見開いて硬直し、恐る恐るといった様子で顔に手を当てた。
「……て、」
手についた赤い血を見た少女は醜く顔を歪め、激昂する。
「てめぇぇぇぇ! よくもあたしに傷を付けやがったなぁ! NPCの分際でぇ! 殺す! 殺してやる……!」
その台詞に含まれた単語に、俺は確信した。
「やっぱりな。プレイヤーだろ、お前」
その身にそぐわぬほど高い戦闘力。戦い方は知っていても、戦いそのものには慣れていない不自然さ。何より己が傷つくことにまったく慣れていないこと。
それは俺と同じ――《NES》のプレイヤーとしての特徴だ。ひょっとしたらと思っていたが、少女が口にしたNPCという単語で推測は確信へと変わる。
俺の言葉に、少女がぴくりと反応した。
「そうか、アンタもプレイヤーだったのか……なるほど、そりゃ強いわけだ。強いわけだよね……仲間に会えて嬉しいなぁ」
少女の顔から怒りが消え、代わりにとろけるような笑みが浮かんだ。
その笑顔は天使のように愛らしく――しかし狂気を孕んでいた。
「でも残念。今更許してなんてあげない。だってアンタ、私のこと傷つけたんだもん。許せないよ。殺す。絶対殺す。それが同じプレイヤーでも」
笑顔はそのままに、憎悪を吐き散らかす少女に、俺は悪辣な笑みを返した。
「そりゃ残念だ。でも大丈夫。俺はお前を殺さないから。手足を切り落として、芋虫みたいにしてから犯してやる。お前の口癖が『お願いだから殺してください、ソラト様』になるまで嬲ってやるよ」
俺は嬉々として、少女のものよりも遥かに悪意に満ちた台詞を口にしていた。
そうだ。プレイヤーだから何だってんだ? むしろ、あの平和な世界の住人をいたぶれるというのは、この上なく楽しそうだ。なにしろ向こうじゃ、法律という檻に阻まれて、せっかくの獲物に手出しが出来なかったんだから。
何もためらう理由なんかない。だって俺はPKなんだから。プレイヤーを殺すなんて、今まで散々やってきたじゃあないか……。
「ソ、ラ、ト?」
しかし少女は俺が語った彼女の未来よりも、俺の名前に反応した。
「ねえ、アンタ今、ソラトって言った? NPKの?」
NPK――《ノートリアス・プレイヤーキラー》というのは、運営によって選抜された特殊なPKのことだ。PK数など特定の条件を満たしたキャラクターに、運営から特殊クエストの案内が来る。それをクリアすれば《ノートリアス・プレイヤーキラー》としてキャラクター名が公表されるのだ。
NPKを初めにPKK――PKをPKすること――したプレイヤーには、莫大な報酬が支払われる。つまり、NPKとは《NES》における賞金首なのだ。
そのため他のプレイヤーから付け狙われることになるのだが、その代わりNPKには専用アイテムなど様々な特典がある。
一歩間違えればPKを助長しかねないシステムだが、方針としてPKを許している以上、それを使ってゲームを盛り上げるのは決して間違いではないと思う。
俺のPCはNPKに名を連ねており、《NES》のプレイヤーである少女が俺の名前を知っていても不思議ではない。
「いかにも俺がソラト様だ。命乞いの類はいつでも受け付けてるぜ。聞くだけ聞いて殺すけど」
宝石のような、大きく美しい瞳から、一筋の透明な液体が流れ落ちた。
長剣が床に落ち、渇いた音を立てる。少女は愛らしい顔をクシャリと歪め、引き結んだ唇から嗚咽が漏れる。
「ソラト、ソラトぉ!」
まるでダムが決壊するように、ボロボロと涙がこぼれ落ちていく。少女は涙と鼻水で顔をドロドロにしながら、俺の名前を呼ぶ。
「アタシだよぉ! シュトリだよぉ!」
少女の名乗りに、流石の俺も驚愕した。
その名は俺と同じく、《ノートリアス・プレイヤーキラー》の一人に数えられるPKの名であり――俺にとっては極めて珍しい、知人と言っていい間柄のPCの名前だったからである。