第五十八話:絆
「ひでぇ……」
犠牲者の亡骸を見て、ガースキーはうめき声を上げる。
現場となったのは、とある路地だった。お使い帰りに襲われたらしい。まだ幼い少年は、磔刑のように路地の壁に鉄杭で縫いとめられていた。腹部を縦に切り裂かれ、腸をぶら下げた姿で、だ。
何よりおぞましいのは――「切開」が行なわれたとき、おそらくこの少年が、まだ生きていた事だろう。哀れな犠牲者の顔には、苦痛と恐怖で歪んだ死相が浮かべられていた。
磔にされた少年の頭上、薄汚れた壁に記された血文字は――『諦めろ、服従しろ、さもなくば死を与えよう』。忌々しい悪魔からのメッセージだ。
これで――犠牲者は四人目だった。
二人目は、ギルドと付き合いのあった商人の細君。一日の仕事を終え、家に帰った商人が見たのは、部屋で綺麗に「解体」された妻の姿と、壁に血で記された『恐れよ、崇めよ、さすれば許しを与えよう』という一文だった。
三人目は、ギルドが経営していた娼館の娼婦。切り刻まれた死体と共に残されたメッセージは『跪け、頭を垂れろ、さすれば救いを与えよう』。
そして――四人目として、ギルドでも古株だったメンバーの息子が殺された。
「ガルシア……」
亡骸の前で、呆然と佇んでいる男に、トニーが気遣わしげに声をかけた。
男はのろのろと振り向き、トニーとガースキーの姿を見ると――次の瞬間、虚ろだった瞳に激情の焔が燃え上がった。
突然の殺気に、思わずガースキーは身構えた。トニーの手も、腰におさめられた鋼鉄製の打棒へと伸びている。
永遠にも思えた沈黙の後――ガルシアは視線を逸らした。殺気が霧散し、ガースキーは安堵で深々と息を吐く。
「……すまねぇ、トニー」
視線を逸らしたまま、ガルシアが口を開いた。
「お前が悪いわけじゃないの判ってる。悪いのは、俺の息子を殺したのは、《百鬼夜行》って連中だってことも。でもお前を見たらさ、思っちまったんだ。お前が連中に逆らわなければ、連中に従う道を選んで居れば、俺の息子は死ななかったんじゃないかって」
ガルシアの言葉に、トニーは激痛に耐えるかのように表情を歪めた。
「……奴らには必ず報いは受けさせる。必ずだ」
はは、と力なく笑った。
「それで、俺の息子が戻ってくるわけじゃない」
トニーもガースキーも、それ以上何かを言う事はできなかった。
遺体の片づけを部下に任せ、トニーとガースキーは屋敷に戻った。
――ガルシアは、まだあの場に留まっているのだろうか。
この四日間で、《百鬼夜行》が彼らのギルドに与えた被害は大きい。もちろん、これまでも抗争で多くの犠牲者が出てはいた。一日で何人も死者が出る事も、決して珍しい事ではなかった。そういう意味で、「一日につき一人を殺す」というソラトの宣言は、脅しとしては充分とはいえない。
だが問題は――それが人々に知れ渡っている事だった。
《百鬼夜行》が《アルダートン一家》に服従を求めた事、それをトニーが跳ね除けた事――その代償として、次々とギルドに関わる人間が殺されている事。その全てが、ギルドとギルドに関わる人間の間に広まっている。
人の口に戸口は立てられないというが――おそらく、《百鬼夜行》があえて広めている。
話を聞いた人間は、次は自分では無いか、あるいは自分に近しい人間では無いかと脅えていた。同時に、ギルド内で、トニーを非難する声が大きくなっていた。《百鬼夜行》に従うべきではないかという声も。
犯罪に脅える人々が犯罪者ではなく、それを取り締まる体制側を非難する事は――そう珍しい事ではない。
人は不安や怒りを、ただ抱え込むことは出来ず――ぶつける先を必要する。そして、ぶつける相手が見当たらない、あるいは何らかの理由でぶつける事ができない場合、それが理不尽であっても、何か他の存在をはけ口にしようとする。
一向に尻尾をつかませない《百鬼夜行》への憤りを――人々はトニーへ向けようとし始めていた。
「……なあ、トニー。ここらで手打ちにするつもりはねぇのか?」
「手打ち?」
「だから、連中との取引に乗るってことさ」
「ふざけるなよ、ガースキー」
ガースキーの言葉に、トニーは怒りを露わにした。
「縄張りを明け渡すって事は、そこに住んでる仲間を差し出すって事だぞ。お前は仲間を金で売ろうってのか?」
「何も取って食われるわけじゃねぇ」
友の怒りを受け流すように、ガースキーは肩をすくめた。
「そりゃ金は取られるさ。あれこれと無理も押し付けられるかも知れねぇ。だが、何も明日の飯まで取り上げられるわけじゃねえさ」
「そんな保証がどこにある!」
保証なんて、無いのが当たり前だろ――ガースキーは冷めた思考の中でそう呟いた。
資金面の悪化。人的被害。そして内部分裂の危機。既にギルドはガタガタで、このままでは崩壊は確実だ。だったら《百鬼夜行》に従ってでも生き残る道を選ぶべきだ。
まずは明日を手に入れないと話に成らない。例えそれが、何の保証の無い明日であっても。
それを、トニーは理解していない。
いや、彼は信じているのだ――自分達は、この苦難を乗り越えられると。
「……正直、この喧嘩は分が悪い。だが、だからといって退けるわけもねぇ。俺達は、仲間の生活を背負ってるんだ」
そう、仲間の生活を背負ってるのさ――胸中で呟き、ガースキーは嘆息した。その言葉の意味にどうしようもない溝を感じながら。
「もう一度だけ聞くぜ、トニー。とことんやりあう気なんだな?」
「無論だ」
「そうか。なら、俺からは何もいわねぇ」
言葉の届かぬ友に、ガースキーは哀しそうに微笑んだ。
「さよならだ、トニー」
同時、ガースキーは懐からナイフを引き抜いた。
「――!?」
最小限の動きから繰り出される突きを、トニーは身を捻って回避した。喉を狙ったナイフは、僅かに首筋を裂くに留まる。
それで充分だった。
「ガースキー! 気でも違っ――」
台詞の途中で――トニーは膝から崩れ落ちるようにして床へと倒れこむ。
「な……!?」
「無駄だよ、トニー。毒が塗ってあるんだ」
倒れたまま、身体を痙攣させるトニーを見下ろしながら、どこか申し訳なさそうにガースキーは続ける。
「苦しいか? 楽に死ねるヤツって注文つけたんだけどな……嫌な連中だよ、やっぱ」
ナイフに塗られた毒は、《百鬼夜行》から受け取ったものだった。友を手にかける覚悟は決めたが、だからといって苦しませるつもりも無い。かすっただけで即死させるだけの猛毒を要求したのだが――あの小僧はわざと苦痛が長く続く薬を用意したに違いなかった。
「ガースキー……何故……」
「これが最善だからさ、トニー」
答えながら、ガースキーは懐から葉巻を取り出した。机に置いていた燭台へ顔を近付け、火を移す。
「なあ、トニー。俺達はずっと一緒だったよな。路地裏でゴミを漁ってた頃から、俺はお前についてきた……でもそれは結局、自分が生き残るのに、それが一番良かったからなんだよ。そりゃ義理も有る。恩もある。情だってあらぁな。でも、根っこにあるのはそれなんだ……俺に限った話じゃないと思うぜ。《アルダートン一家》は、あくまでギルド――お互いの利益を守るための組織なんだ。お前は最後まで、解ってなかったみたいだけど」
ああ、愚かなトニー。義理と人情を重んじたトニー。
彼の間違いは、仲間もそうだと思いこんでいたこと。皆が堅い結束で結ばれていると信じていた。どんな困難が立ちふさがろうと、どんな悲劇が襲い掛かろうと、皆で立ち向かえば乗り越えられると信じていた。
確かに結束はあったのだ。ただ、その理由が人それぞれだと理解できなかった。誰もが綺麗なもののために、命を賭けられるわけではないのだと解っていなかった。
「俺達は《百鬼夜行》に勝てない。恭順しか、生き残る道は無いんだ。そして頭を下げるなら、早いほうがいい。抵抗すれば抵抗するだけ、後の立場が悪くなるからな――そして、お前が判断を間違って、ギルドの不利益になるんなら、俺はお前を排除しなけりゃならないんだ、トニー。でないと、本当にギルドは離散しちまうから」
「……そう、か。それが、お前の、答えか」
そう呟いて、トニーは口をつぐんだ。
沈黙したトニーの脇に、ガースキーは膝をつき――首筋にナイフを落とした。
……トニーは彼を裏切り者を罵ることも、恨み言を言うこともなかった。
「最後まで格好付けやがって」
親友の亡骸に、ガースキーは吐き捨てた。彼のそんなところが大嫌いだった。彼が格好つけるせいで、苦労するのはいつも自分だった……昔から、ずっと。
「何やってんだろうな、俺……」
ガースキーの呟きは、部屋に虚しく響いて、消えた。




