第五十七話:一日一殺
《獣王》と《楽団》の抗争はガースキーの耳にも届いていた。その結果が《楽団》の勝利に終わった事も、《楽団》に赤い外套の集団――《百鬼夜行》が組していた事も。
「どうする、トニー」
知らせを受けたガースキーは、親友でありギルドの長である《伊達男》トニーに問いかけた。
「連中が《楽団》と手を組んでるとなると、正面からの喧嘩は分が悪いぜ――絡め手だけじゃなく、殴り合いでも勝ち目が無いって事になる」
絡め手――《百鬼夜行》の仕掛ける圧力は、《アルダートン一家》の収入をじわじわと削り取っていた。もちろん、すぐにどうこうなるものではないが……改善の兆しも無い以上、このままではギルドの維持も出来なくなるだろう。
とんとん、と椅子の肘掛を指で叩いていたトニーは、しばらくしてから口を開いた。
「――《バグウェルの短剣と外套》。それと、《十と四の腕》に連絡を取れ」
「……手を組むのか?」
「あまり仲良くしたい連中ではないがな。だが、そんな事を言っている場合でも無い」
王都闇黒街において、五つの犯罪ギルドによる協力体制――《夜会》が成立していたのは、その戦力が拮抗していたからだ。少なくとも、お互いが「迂闊に抗争はできない相手」と認識していたからこそ、大規模な抗争にはならなかった。
しかし――《楽団》が《獣王》を下し、五大ギルドが四大ギルドへと変わった。同時に、その四つのギルドでは《楽団》が戦力という面で頭一つ抜けていることを証明してしまった。
そうなれば、残った三つのギルドは面白くない。まして、《楽団》は《獣王》の縄張りも押さえるのだ。資金面でも規模を大きくするだろう。生まれてしまった差は時間と共に大きくなり、やがては《楽団》がこの街を支配する事になる。
それを防ぐためにも――対《楽団》で同盟を組むのは、むしろ自然な流れだ。
《アルダートン一家》、《バグウェルの短剣と外套》そして《十と四の腕》による、新たな《夜会》の結成。トニーはその音頭を取ろうというわけだ。
「それと――《百鬼夜行》の頭について、何としてでも情報を集めろ」
トニーが付け加えた言葉に、ガースキーは眉を顰めた。
「そりゃ、連中についてはずっと調べてるさ。だが、成果に関しちゃさっぱりだ。どこにヤサがあるかもわからねぇ。あの交渉役の女だって、組織に関しちゃ完全にだんまりだ」
「ところが居るのさ。情報を持っている奴が」
言って、トニーはにやりと笑った。
「クラリッサだよ。手を組んだという事は、《百鬼夜行》についてある程度の情報を持ってるって事だ」
《楽団》の指揮者、クラリッサは傲慢でこそ無いが、誇りの無い女でもなかった。《楽団》が《百鬼夜行》に顎で使われているとは思えない。ならば、最低でも五分の同盟を組んでいるはずで――クラリッサは《百鬼夜行》のボスと顔を合わせている可能性が高い。
「しかし、《楽団》が同盟者を裏切るか?」
「《獣王》の縄張りは、《楽団》と《百鬼夜行》で山分けだろう」
うっすらと――好戦的な笑みを浮かべながら、トニーは続けた。
「だったら《百鬼夜行》が消えたほうが、取り分が増える。クラリッサはそう判断するさ」
彼の言葉に納得して、ガースキーは頷いた。
「判った。さっそく、《楽団》に探りを入れて――」
「その必要は無い」
言葉を遮るように、がちゃりと音を立てて扉が開いた。
入ってきたのは――まだ若い、黒髪の少年だった。美貌と言って良い顔立ちに、その見目のよさを台無しにする、にやにやとした嫌な笑みを浮かべている。
「始めましてだな、《伊達男》。俺が《百鬼夜行》の主、ソラトだ」
ずかずかと部屋に踏み込んできた少年はそう名乗った。その言葉が意味する事を理解するのに、トニーもガースキーも、随分な時間をかけてしまった。
ようやく思考が追いついたとき――ガースキーが取った行動は席を立ち、罵声を上げる事だった。
「この野郎、ふざけ――」
怒鳴り声が形になる前に――目の前に刃があった。
「――特技は暗殺。趣味は悪い事全般だ。よろしくな?」
いつの間にか、少年は――ソラトは武器を抜いていた。右手の短剣をトニーに、左手のナイフをガースキーに突きつけている。
その早業に、二人は絶句した。武器を抜く動きが、まったく見えなかった。
硬直する二人に――ソラトはにたりと笑うと、あっさりと武器を納めた。そして勝手に椅子に座ると手を広げ、まるで自分の部屋であるかのように、二人に着席を勧める。
「まあ、座れよ、せっかく会えたんだから、少し話をしようじゃないか。俺のことを知りたかったんだろう? 相互理解には話し合いが必要不可欠だ。なあ?」
ソラトの言葉に、トニーとガースキーは視線を交し合った。
相手は憎き《百鬼夜行》の主だ。この場で締め殺してしまいたいのが本音だが――今しがた、相手の腕前を見たところだ。正直、やりあって勝てる保証は無い。
そして――《百鬼夜行》に関して、少しでも情報が欲しかったのは事実。向こうが話し合いを望むなら、好都合といえるかもしれない。
だから二人は静かに頷き――腰を下ろした。このときになって初めて、ガースキーはこの少年が、《百鬼夜行》の交渉役、イザベラにつき従っていた小姓だと気が付いた。そして、少年も「ガースキーが気が付いたことに」気が付いたのだろう。一瞬ガースキーに向いた視線に、嘲りの色が浮かぶ。
二人が腰を下ろしたことに、少年は満足げに頷き、口火を切った。
「さて、今日俺が来たのはね。伝えたい事があったんだ」
「伝えたい事、だと?」
「ああ――俺は君達《アルダートン一家》に対して、誠実に交渉してきたつもりだ。しかしながら、君たちの返事は芳しくない。だから、俺は方針を変えることにした」
少年はにたりと笑い――指を一本、立てた。
「一人だ」
立てた指を振りながら、少年が続ける。
「《アルダートン一家》が俺に跪くまで、一日につき一人、誰かを殺す。それはギルドのメンバーかもしれないし、あるいはその家族かもしれない。お前達に場所代を収める店の従業員かもしれないし、取引をしている商人かもしれない」
少年の言葉の意味を咀嚼したトニーは、顔を蒼白にし――次に、憤怒で赤く染めた。
「貴様……俺がそんな真似を許すとでも思うか!?」
「お前に、許してもらうことなんか無い」
トニーの怒気に、少年はぞっとするような冷めた声で応じた。にやにや笑いは引っ込められ、代わりに冷たく無機質な瞳が、二人を貫いていた。
呼吸が、止まった。まるで氷の刃を心臓につきたてられたかのようだった。トニーもガースキーも、荒事には慣れっこで、殺気も殺意も馴染み深いもののはずだった。
それでも二人は――たった一人の、まだ幼いとすらいえる年頃の少年に、脅えた。
「確かに伝えたぞ。俺は帰る」
用は済んだとばかりに、既に二人への関心をなくしたかのように、少年は立ち上がる。
二人の肺が呼吸を再開したのは、少年がドアの向こうに消えてからだった。
「――待ちやがれ!」
ガースキーは弾かれたように立ち上がると、ドアを蹴破らんばかりに廊下へと飛び出した。
「――!?」
そして絶句した。部屋の目の前、壁にもたれかかるように、血塗れになった男が座り込んでいたからだ。
男は見知った顔だった。ギルドのメンバーで、この屋敷を警備していたうちの一人のはずだった。廊下に他に人影は無く、少年は霞か幽鬼のように消えていた。
壁には黒ずんだ血で、太陽の図柄と――文字が記されていた。
『まずは一人目。良い返事を期待している』




