第五十六話:愛の形
シュトリは脅えていた。かつて《NES》で数々のプレイヤーを殺めたNPKであり、犯罪ギルド《百鬼夜行》の幹部である少女が、子犬のように震えていた。
少女が脅える原因は――彼女の目の前、長椅子に腰掛けた、一人の少年だ。
「さて、シュトリ。俺は今とても機嫌が悪い。何故か分かるか?」
言葉とは裏腹に、ソラトの声音は平坦で、気だるげですらあった。しかし、それが逆に彼の怒りを表しているようで、シュトリは身をすくませる。
シュトリはソラトに思いを寄せると同時、どうしようもなく彼の事を恐れていた。ソラトは残忍で、冷酷で、非道だ。彼の逆鱗に触れれば、何をされるか判らない。
そのソラトから叱責を受けるとなれば――シュトリは身も凍るような思いだった。
答を返せずにいるシュトリに、ソラトは長椅子から立ち上がり、歩み寄ると――拳を握り、彼女の頬を殴りつけた。
小柄な身体は床に叩きつけられ、口内に血の味が広がる。ソラトの一撃は無造作なものだったし、シュトリはプレイヤーとして高い防御力を誇る。ダメージそのものは大きくない。
だが、己が殴られた――ソラトが自分を殴ったのだという事実が、シュトリに衝撃を与えていた。
「それはな。俺がギルドに引き入れようとしていたプレイヤーを、お前が殺してしまったからだ」
床に倒れた少女に蹴りを入れながら、ソラトは吐き捨てる。
「馬鹿かお前は。殺したら使えないじゃないか。せっかく人が苦労して駒にしようとしていたのに、台無しにしやがって」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
良かれと思ってやった――とは主張できなかった。シュトリは感情的な行動で、彰吾の思い人を殺し、敵対を決定的にした挙句に殺してしまった。
鉄平も右腕を失ったとは言え、魔法の詠唱は可能だった。確かに戦力は低下していたが、利用価値はまだあった。それを勝手な判断で殺してしまったのだから、叱責を受けるのも当然だろう。
幾度となく靴底をたたきつけるソラトに、シュトリは芋虫のように身を丸め、暴力の嵐が過ぎ去るのを耐えるしかなかった。
彼女の脳裏に――自分が殺したプレイヤーの言葉がちらついた。
ソラトにとって、人は全て道具に過ぎない。
そして役に立たない道具は――ゴミでしかない。
「――ソラト! やりすぎだ!」
暴行を続けるソラトに、黒髪の乙女――カイムが悲鳴じみた静止の声を上げる。
「なんだ。何か文句があるのか? カイム」
「……判ってるだろう? これまでの様子を見る限り、あの二人を懐柔出来た可能性は低い」
冷たい視線を向けるソラトに、カイムは言葉を選ぶように、続ける。
「味方にならないなら、彼らは敵だ。そうなれば、シュトリは強敵を二人も討ち取ったとも言えるんだ。確かに君の意向を無視したのは彼女に非があるけど、あまり責めることもないんじゃないかな」
「ふん……」
カイムの言葉に、黒髪の暴君はつまらなそうに鼻を鳴らすと――長椅子へと戻った。無言で腕を掲げると、エレンがその手に酒杯を差し出す。
シュトリは恐る恐る身体を起こすと、口元の血をぬぐった。
ソラトが部下の諌言を受け入れるのは珍しい――それとも、相手がカイムだからだろうか。
ズキリと傷に痛みが走り、シュトリは顔をしかめた。
カイムの出した助け舟はありがたかったが、同時に屈辱でもあった。まるでカイムが、自分より上位に居るように思えてしまうからだ。
彼女が純粋に善意で自分を庇ったことはわかっているが――それでも素直に感謝する事は出来なかった。
「……まあいいか」
酒杯を飲み干したソラトは、一転してけろりとした表情でそう呟いた。その顔に、先ほどまでの怒りは無い。
「惜しい事は惜しいが、別に奴らの懐柔は必須事項じゃないしな。他は上手く行ったことだし、今宵は素直に勝利を喜んでおこう」
どうやら彼の中で、今回の件は既に済んだことになったようだ。これ以上の叱責を受けることはなさそうだと、シュトリは内心で胸を撫で下ろす。
同時に――彼にとっては自分の命も「まあいいか」で済ませてしまえるものなのではないかと、不安になった。
「……幾らなんでも、あれは酷いよ、ソラト」
「うん?」
カイムの言葉に、俺は小首をかしげた。
既にシュトリは下がらせ、エレンも新たな酒を取りに行かせている。部屋に居るのは、俺とカイムだけだ。
彼女の表情は、硬い。どうもカイムは、俺がシュトリに与えた罰について、不満に思っているらしい。珍しく、俺を非難するような口調になっている。
「……私が見る限り、君は彼女をとても可愛がっていたように思う。なのに、どうして急に、ああも厳しく罰したのかな」
カイムの問いに、俺は皮肉げに唇を歪めた。
「躾だよ、躾」
実のところ、二人のプレイヤーの死は、さほど重要な問題ではなかった。問題は「シュトリが俺の意思を無視して二人を殺した」という点にある。
シュトリは強い。何しろNPKだ。唯でさえ異常な戦闘能力を持つプレイヤーの中でも、その戦闘力は群を抜いている。
だから俺は彼女に手を差し伸べた。異世界に迷い込み、不安に押しつぶされそうだった少女を慰め、傍らに置いた。柔らかな寝床、上等な食事、金にも不自由させていない。この半年の間、シュトリにとって俺は良い「飼い主」だったはずだ。
だが、飴を与えるだけでは躾にならない。たまには鞭を入れねば、言う事をきかなくなる。そうなれば戦闘力が高いだけに、逆に危険になる。俺に対して反旗を翻すとまでは行かなくても、勝手な行動を取られては、計画を乱すイレギュラーになりかねない。
俺の返答に――カイムは益々表情を厳しくした。
「……なあ、ソラト。君にとって、彼女は何なんだい?」
きっとカイムの問いには――「お前にとって、自分は何だ」という問いでもあったと思う。仲間か、それともただの道具か。
「君は――彼女をどう思ってるんだい?」
重ねられた質問に、俺は――にやりと笑った。
「好きだぞ?」
「え?」
自分で訊いたくせに、俺の答えにカイムは何か不思議なものでも見たかのような顔をした。
「今、なんて?」
「だから、俺はシュトリを好ましく思ってると言ったのさ」
どうも俺は雑食というか、異性に対して好みらしい好みを持っていない。ただ、向こうの世界に居たときは、いわゆる「良い子」――たとえば、同じクラスの藤堂のような――を苦手としていた。それは俺自身が嘘つきで、自分を偽って生きていたからだ。だから周囲に良い顔をしている人間を見ると、何か裏があるのではないかと思えて仕方が無かった。
その点、シュトリのようなタイプは感情表現がストレートで、嫌悪も好意も隠さない。だからこちらも、安心して接する事ができる。そのシュトリがああも露骨に好意を示し、懐いてくるのだ。可愛くないわけが無いだろう。まして彼女は、かなり見目が良い。それで何も思わないほど、俺は枯れても無いし無機質でもない。
だが。
「なら――」
「『ならば何故』ってか?」
彼女の言葉を先取りして――俺は嗤う。
「なあ、カイム――抱きしめてキスをするのも、罵って殴りつけるのも、自分の感情をぶつけるという点に変わりは無いと思わないか?」
世の中には居るのだ。例え愛しい相手でも――いや、愛しい相手だから苦しめてみたいと思う人種が。好意と悪意が矛盾せず、愛撫と暴力が同じ価値を持つ人間が。
「俺はシュトリの事も、お前の事も――とても大切に思っているよ」
俺は立ち上がると、絶句するカイムを残して部屋を出た。
廊下を歩きながら、シュトリを殴ったときの感触と悲鳴を思い出し――俺はうっすらと笑みを浮かべた。
実のところ、確かにシュトリに叱責は必要だったが、あそこまで激しい暴力を振るうつもりは無かった。やりすぎてしまったのは、単純に俺が興奮して、つい止まらなくなっただけだ。
愛しい少女が脅える姿は――とても甘美な味がしたのだ。
「……でもまぁ、フォローはしておくか」
躾には鞭が必要だが、鞭を打ちすぎて憎まれても本末転倒だ。今度デートにでも連れてって、思い切り愛でてやろう。
そんな事を考えながら、俺は寝室へと向かった。




