第五十五話:殺戮の余韻
俺がバスカヴィル家の屋敷で一番気に入っているのは、風呂があることだった。
人並みに綺麗好きな俺なので、濡らした布で身体を拭うだけの生活など我慢がならない。当然のようにシュトリやカイムも入浴を好むので、バスカヴィル家の入浴場は連日のように使用されている
もちろん、電気やガスの湯沸しなどないので、風呂を入れるのには尋常でない手間は掛かるが――別に働くのは俺ではない。賭場や高利貸しで手に入れた奴隷たちだ。
湯浴みを済ませ、返り血を落とした俺は、酒杯を片手に長椅子に身を投げ出した。心地よい疲労感が身を包んでいるが、気分は高揚しており眠気は無い。
ベガ・ベルンガを仕留めた後、俺は《百鬼夜行》を率いて、《獣王の血脈》の残党を散々追い回した。逃げ惑う敵を切り殺し、逃げ込んだ隠れ家を撃滅し、屍の山を築いたのだ。
目論見が上手く行った事、そして思う様人を殺したことで、俺はご機嫌だった。冷たい酒を呷ると、空になった杯にエレンがすかさず新たな酒を注ぐ。
「ソラト、ちゃんと髪を拭かないと風邪を引くよ」
同じく風呂から上がったカイムが、己の髪を拭いながら部屋に入ってくる。風呂上りという事もあり、服装はいつもの着物ではなく浴衣である。
「ほっとけ」
この程度で風邪など引かない。引いたとしても、状態異常を回復する類のポーションが、この世界では病の類にも効果があると確認済みだ。
「だめだって、ほら」
俺の言葉を無視して、カイムはタオルを俺の頭に被せ、髪を拭き始める。タオルの柔らかさと、カイムの優しい手つきが悪くなかったので、俺はされるがままになっていた。
「大将は死に、拠点の殆どが壊滅。これで《獣王》はお仕舞いだ」
カイムに髪を拭われながら、俺は歌うように呟いた。
「寄る辺を無くした獣人達を、今度は俺達が導こうじゃないか――なあ、ヴォル・ヴォルト?」
視線を横に滑らせれば、後ろ手に手枷を填められた銀狼の姿があった。
ヴォル・ヴォルト。《獣王》のプレイヤーと交渉していたときに、横槍を入れてきた――俺が呼び寄せたのだが――獣人である。酒場で叩きのめした後、捕らえて連れてきていたのだ。
「お前にはベガ・ベルンガに代わって、獣人達を纏める新しいリーダーになってもらう。精々俺に尽くす事だ」
《獣王の血脈》が壊滅したと言っても、壊れたのはあくまで組織としての機能だけ。
その庇護下にあった獣人達は健在だ。そして俺は、彼らを放置するつもりはさらさら無かった。いつか火種になりかねないし、何よりもったいない。
しかし、獣人達が望むのは、あくまで獣人によるコミュニティだ。そこに俺が君臨するのは難しい。少なくとも、代表者は獣人で無ければならないだろう。その点、《獣王》ナンバー・ツーだったヴォル・ヴォルトは適任だ。
「……ふざけるな。誰が、お前などに従うものか」
ヴォル・ヴォルトは擦れた声でそう答え、憎悪の篭った瞳で俺を睨み上げた。例え床に這い蹲らせられても、心は折れていないと言わんばかりである。
「まあ、そう言うと思ったよ」
苦笑雑じりにそう呟き、俺は杯をエレンに預けて立ち上がる。
億劫さを堪えてヴォル・ヴォルトに歩み寄ると――問答無用で蹴りつけた。決して小柄とは言えぬヴォル・ヴォルトの体が一瞬浮き上がり、分厚い絨毯で覆われた床を転がる。
「勘違いするな。俺はお願いしてるんじゃないんだよ」
蹴り足を戻しながら、俺は傲慢に告げる。
「お前に許された選択肢は二つ。大人しく俺に従うか、無駄な抵抗をしてから俺に従うか。それだけだ」
ヴォル・ヴォルトには死すら許さない。死んだら使えないからだ。
薬物と拷問の併用によって、「逆らう」という意思そのものを刈り取ることは不可能じゃない。さして時間も掛からぬうちに、この狼は俺の従順な犬になるだろう。
「牢に入れておけ。目隠しと耳栓を忘れるな」
「へい」
部下達に引きずられるようにして、狼は部屋から連れ出された。
バスカヴィル伯爵の屋敷に牢屋などない。だが、俺は地下の倉庫を改造して牢屋代わりにしてあった。
目隠しと耳栓をつけるのは、拷問の一種だ。人間の精神という奴は、目も見えない、何も聞こえない状態に耐えられるようには出来てない。そのまま長時間放置すれば、発狂する危険すらある。完全に狂ってしまうと使い物にならないので、様子を見て開放せねばならないだろうが。
俺は鼻を鳴らし、再度長椅子に身を預ける。
「縄張りに関しては《楽団》と協議が必要だな……イザベラ、犬が使い物になるまで、交渉はお前がやれ」
「またぁ?」
執務机に寄りかかり、勝手に俺の酒を舐めていたイザベラが不満げな声を上げていた。
「それがお前の仕事だろう。ある程度は譲ってしまって構わない。今は俺と組んでいる事が得だと思わせておけ」
俺は王都の闇黒街を支配すべく、《夜会》のギルドと抗争しているが、それは効率よく金を手に入れるための手段に過ぎない。その金すらも、目的を果たすための道具に過ぎない
今後のことを考えれば、縄張りよりも《楽団》の戦力、そしてクラリッサの指揮能力の方が重要だ。プレゼントくらいは贈ってやろう。
「……さて、あとは二人のプレイヤーだな」
二人のプレイヤーを思い出し、俺は薄く笑う。《獣王》の庇護を失った二人は、所詮は個人に過ぎない。屈服させるのは難しくないだろう。
「尾行していた連中から報告は?」
「それが……」
エレンの報告に、俺は盛大に顔を顰めた。




