第五十二話:道具
崩れ落ちる相棒の姿に、鉄平はわなわなと身体を震わせた。
鉄平にとって、彰吾は無二の親友でもあった。現実では薄っぺらな関係しか築いてこなかった自分にとって、命すら預けられる相棒は、何事にも代えがたい存在だった。
友を奪われた怒りが、鉄平の脳髄を焼いた。
だが同時に――恐怖が、その身体を凍りつかせた。
彰吾の、相棒の――自分と同じプレイヤーの死は、彼にどうしようもないほどリアルに「死」を感じさせた。
この世界に来てから、鉄平は少なくない戦闘をこなしている。でもそれはゲームの延長で、圧倒的な力で敵を踏み潰すだけだった。そこで感じられる「死」は「相手の死」であって「自分の死」ではなかった。
ソラトに相対したとき、鉄平は初めて死を直視した。死と暴力の権化とでも言うべき黒髪の悪魔は、鉄平に死の恐怖を感じさせるには充分だった。
そしていざ――眼前に死を突きつけられた鉄平の身体は、脳との繋がりが断たれたかのごとく停止してしまっていた。
――ならず者の一人が、手にした弩を構えた。本来、室内で使うような武器ではないが、魔法による遠距離攻撃を得意とする鉄平に対抗するため、大慌てで装填したのだ。
そして矢が、放たれた。鎧すら貫通する威力を誇る矢は、凍りついたように動かない鉄平の肩に突き刺さり、貫通し――もぎ取った。
「――がああああああああああああ!」
痛みが、鉄平を現実へと引き戻す。命中の衝撃で転倒した鉄平は、激痛で床を転がり、傷口から溢れる血で己を汚すことになった。
「腕が……腕がぁ!」
痛みと喪失感に、鉄平は悲鳴を零す。右腕が、完全に千切れていた。この世界では、回復魔法でも肉体の欠損は戻らない。ステータス画面が開かない今、スキルの再設定も不可能だ。
鉄平は戦闘の主軸である《ヒート・レイ》の発動条件を、「右手の指鉄砲」という動作に設定していた。その右手を失った以上、鉄平の戦闘力は大幅に低下したといえる。
「ちく、しょう……」
痛みに呻く鉄平の視界に、血で汚れた長靴が踏み下された。長靴からはむき出しの、健康的な足が伸び、その上には小柄ながらも豊満な身体、そして目も見張るような美貌が乗っている。
「はは、無様だね」
鉄平を見下ろし、見下しながら、美貌の少女は嗤う。残虐で、酷薄で、悪意に満ちた表情を浮かべる天使は、その靴底で鉄平の頭を踏みつけた。
「あの魔法、腕がなくなったら使えないんだろ? ソラトも役立たずはいらないだろうし、お前もここで殺しとこうか?」
焼けるような痛みに蝕まれながらも――鉄平は皮肉げに口の端を吊り上げた。
「役に立たない道具は、ゴミだもんね?」
「……役立たずは……いらない……か……」
少女の言葉を聞いて、鉄平の口許に皮肉っぽい笑みが浮かんだ。それを見た少女が、深いげに眉を寄せる。
「あん?」
「つまり……お前も……役に立たなくなったら……捨てられるって、ことだ……役に立たない道具は、ゴミだもんな……」
少女は、目を見開いた。鉄平の負け惜しみは、奇しくも少女の痛いところを突いたようだった。
「違う! そんな事ない!」
怒りと、それとは別の何かが混ざった――鬼気迫る表情で、少女が叫ぶ。
少女は手にした鉈を振り上げると、それを鉄平の足に突き刺した。新たな傷に、焼けるような痛みが走るが、もはや鉄平は、それに反応することすら出来なくなっていた。
「ア、アタシは違う! アタシは道具じゃない! アタシは、ソラトの仲間だ!《NES》の時からの仲なんだ! お前や、NPCどもとは違うんだよ!」
「NPCに、NESね……お前もやっぱりプレイヤーだったか……くそ、戦力差有りすぎだろ……」
今更の事実に、鉄平は弱々しい笑みを浮かべた。PCが三人。しかもNPKが二人にPvPのチャンプだ。幾らなんでも理不尽すぎる。
「それにしても……仲間……仲間ねぇ……奴が、仲間なんて欲しがるタマかよ……あの野郎にとって、人間なんて全部道具なんだ……」
『人に価値があるとしたら、それは自分にとっての利用価値だけ――』かつて傲慢に言い放った少年を思い浮かべ、鉄平は確信と共に断言する。
PCもNPCも、人も亜人も、敵と味方すら、あの男には関係ない。全てが道具。全てが玩具。壊れるまで弄び、壊れたら捨てる。ただそれだけ。
この少女すらも――「モノ」に過ぎない。
「違う!」
少女の口から、悲痛な叫びが零れる。
少女は天使のような美貌を歪め、悪鬼のごとき形相で――大鉈が振り上げた。それを霞み始めた視界に納めながら、鉄平は「ああ、自分は死ぬのだな」と理解した。あれほど死が怖かったはずなのに、今は不思議と冷静だった。
「アタシは違う!」
少女の叫びと共に、死が鉄平の頭へと振り下ろされる。鋼の刃は鉄平の頭蓋を砕き、その中身をあっけなく粉砕した。
「違う! 違う! 違う!」
否定が繰り返されるたび、鉄平の身体が跳ねる。既に命が失われた身体を、力任せに振り下ろされる大鉈が、挽肉へと変えていく。狂ったように大鉈を振るう少女を、部下達が脅えたように見つめていた。
やがて少女の動きが、止まる。小柄な身体から、虚脱したように力が抜けた。ゴトリと鈍い音を立てて、血に染まった鉈が床に落ちる。
「違う……違うよね、ソラト……」
少女の呟きに答える者は、誰も居なかった。




