第五十話:残虐な天使
「つまんなぁい」
血の池と化した室内で、シュトリはそう呟いた。
真っ白な肌と金糸の髪を備え、神が手づから造形したかのような美貌を誇る天使は、テーブルに腰掛け、退屈そうに手にした大鉈を弄んでいた。鉈はべったりと赤い液体で汚れており――彼女の足もとには哀れな犠牲者が、挽肉となって散らばっていた。
周囲ではジェイク、ブランを初めとした手下達が、黙々と店内を――死体の懐を含めて――漁っている。彼らは手に武器を携え、まだ息がある者を見つけては止めを刺していた。
ソラトがシュトリとその部下に割り振った役割は『火事場泥棒』だった。《楽団》は《獣王》の拠点を攻撃し、メンバーを殺害しているが、略奪は行なっていない。だから、ソラトは残された金品の回収をシュトリ達に命じた。嵐が過ぎ、動くものが居なくなった戦場から、悠々と金目の物を頂こうというわけだ。
戦闘の負担は《楽団》に押し付け、自分たちはハゲタカよろしく死体を漁る――まさしく下種の発想だった。
しかし、シュトリはソラトの命令に疑問を抱くことはなかった。それどころか「流石はソラト」と感心したくらいである。程度の差こそあれ、彼女もソラトと同じく、他者を踏みつける事に罪悪感を持たない人種だった。
しかし、
「つまんない、つまんない、つまんない、つまんなぁい! あーもう、イライラする!」
天使の呟きは時間と共に声量を増し、やがてはヒステリックな叫びへと変わった。大鉈がガンガンとテーブルに突き立てられ、その表面に傷を刻んでいく。
彼女の声に答える者は居ない。配下のならず者達は、自分たちの上司が感情的で、しかも短気であることを理解していた。そして、下手に宥めると自分にその矛先が向きかねない事も。だからシュトリは独り、益々苛立ちを募らせるのだった。
「ソラトのばかぁ! 何で一緒に連れてってくれないのよぉ!」
シュトリの苛立ちの原因は、愛してやまない少年に別行動を命じられたからだった。もちろん、彼に逆らうつもりなんて――考えるのも恐ろしい――無い。無いが、かといって不満が無いわけでもない。
現在、ソラトは獣人に組するプレイヤーと会っている。叩きのめして、手下にするためだ。
もし拒否すれば、ソラトは容赦なく彼らを殺すだろう――少なくとも、シュトリはそう認識していた。だから当然、自分も一緒に行くものだと思ってた。何しろ自分はソラトと同じNPK、プレイヤー殺しの専門家である。プレイヤーと戦うなら、この上ない戦力なハズだ。
しかし蓋を開けてみれば、ソラトは自分に供を求めず、代わりに死体漁りを命じていた。到底納得できるものではない。
「カイムは連れてった癖に……」
何よりシュトリが納得がいかないのは――自分は別行動なのに、カイムはソラトの傍にいる事だった。
シュトリはカイムが余り好きではない。それは多分、彼女が自分より大人で、頭が回るからだ。綺麗な黒髪、凛とした美貌、落ち着いた態度――シュトリにはカイムが、自分が欲しいものを全部持っているように見えた。
何より、カイムは「良い奴」だった。知り合ってからずっと、彼女が自分を気にかけてくれているのは知っていた。それは同じく異世界から来たプレイヤー、という連帯感なのかもしれないし、自分たち三人で、彼女が一番年上という意識から来る責任感なのかも知れない。でもシュトリはカイムに優しくされると、無性にイライラして、惨めな気分になるのだ。
そんなカイムを、ソラトは自分より重用している気がする。今回のように、何かあったときソラトが傍に置くのはカイムで、自分は手下を率いての別行動が多い。それが益々、シュトリの嫉妬をかきたてるのだ。
――実のところ、ソラトがカイムを傍に置くのは、彼女が「善人」だからである。
自分が悪事を命じても、カイムは拒むかもしれない。だから護衛という役割を割り振ることにしたのだ。いくらカイムでも自分に降りかかる火の粉は払うし、善良な彼女はソラトを見捨てる事も無い。護衛にはうってつけ――というか護衛くらいしか任せられないからこそ、カイムはソラトの側近なのだ。
逆に――シュトリに対して、ソラトは安心して悪事を命じる事ができる。どんな非道な行いも彼女は躊躇わず、拒まない。だから自分の目が行き届かない仕事は、シュトリに任せる。
つまり、別行動は信頼の証とも言えるのだが――そこらへんの機微に、シュトリは気付かない。
と――
「姉御! 生存者がいやした!」
略奪の指揮を取っていたブランが、シュトリに声をかけてくる。
「はぁ? さっさと殺しちまえよ。グズグズしてるとオメーも殺すぞ」
不機嫌なシュトリは、当然のように苛立ちを部下にぶつけた。
もし死に損ないが居たら、全員殺すように命じていた。騒ぎを聞きつけてやって来た野次馬も、《獣王》の救援も、全て始末した。
「いえ……それが女のガキなんす。『金目のもの』に含めやすか?」
そういった彼の背後から、他の部下が少女の腕を掴み、引きずるようにして連れて来た。捕らわれの少女は恐怖に身を震わせ、目には涙を浮かべている。
子供、それも女は奴隷として高く売れる。だからブランはシュトリにお伺いを立てたのだ。シュトリは舌打ちし、テーブルから飛び降りる。
「ふうん」
床に降りたシュトリは、少女に顔を近付け、じろじろと観察する。その視線は人を見る目ではなく、モノを見る目だった。
少女には、猫の耳と尻尾が生えていた。獣人である。まだ十歳にもならないような子供だが、見目は悪くない。
「そうね。連れてこっか。ソラトがペットとして欲しがるかもしれないし……」
ソラトは珍しいものが大好きだ。そして何より強欲だ。ちょっとでも関心を惹かれるものは、手に入れずには居られない性分である。
そんなソラトのことだから、向こうの世界に存在しなかった生き物――獣人やエルフには強い関心を示していた。
今は勢力拡大を第一にしているが、落ち着けば新しい玩具を欲しがるに違いない。そこでシュトリがこの獣人を差し出せば、ソラトの中で彼女の評価は鰻上り。実に良い考えだ、とシュトリは自画自賛する。
だが、子供とはいえ女をソラトに近づけるのは面白くない。カイムを筆頭に、ただでさえライバルが多いのだ。自ら競争相手を増やすのは、馬鹿馬鹿しいといえるだろう。
「たすけ、て、ショウ、ゴ……」
どうしたものか、と悩むシュトリの耳に、少女の口から漏れた言葉が届いた。
「ショウゴって確か……《獣王》に協力してるプレイヤーの名前だっけ?」
一度だけ見たことのある肥満体のプレイヤーを思い出し、シュトリはにやーっと笑みを浮かべた。それは彼女が愛する少年が浮かべるものに良く似た、悪意に満ちた笑みだった。
「知り合いなら、人質になるよね?」
ソラトはプレイヤーを仲間に引き込みたがってる。だったら人質は交渉材料として有用なはずだ。
「なんなかったら、売り飛ばせばいいし」
非情な台詞を口にしながら、シュトリは手を伸ばして少女の顎をつかみ上げた。唐突に掴まれてパニックになったのか、それともささやかな反抗か、少女は顔を振ってシュトリの手を振りほどくと――小さな歯をむき出し、噛み付いた。
「痛っ」
子供の顎の力など、大したものではない。ましてシュトリはプレイヤーだ。その肌は少女らしい柔らかさと裏腹に、高い防御力を備えている。彼女の手にはうっすら歯形が付いただけで、血も出ていない。
しかし――短気なシュトリが激昂するには、充分だった。
「このガキィ!」
怒りで顔をゆがめたシュトリは、平手で少女の顔を殴りつけた。それは反射的な行動で、さして力が込められていたわけでもない。
問題は――彼女がプレイヤーであり、この世界では常人を遥かに超える怪力を誇ることであった。
シュトリの平手は――あっさりと少女の首を圧し折ったのである。
「あ、殺しちゃった」
だらりと、あらぬ方向に首を曲げた少女を見て、シュトリは我に返る。そして「しまった」と胸中で呟いた。
殺してしまっては、人質としては使えない。それに流石のソラトも、死体には興味を示さないだろう。とてもじゃないが、貢物にはなりそうもない。
「……ま、いっか。元々予定には無かったことだし」
ソラトには黙っておこう。そう彼女が決意したとき――店の扉が、開いた。