第四十七話:痛みと憎悪
グレイブが閃き、二人の獣人を同時に薙ぎ払った。血と内臓を撒き散らし、人が瞬く間に肉塊へと変わる。
「大丈夫かい? ソラト」
全ての獣人達を片づけたカイムが、気遣わしげに訊ねてくる。二十を超える敵を相手取ったというのに、彼女は汗一つかいていなかった。
《黄金宮》のチャンピオンであるのカイムの得意分野は一対一。多数相手は専門外のはずだが――その戦いに危うさは感じられなかった。つくづく頼りになる女である。
「大丈夫じゃない。痛いし熱いし最悪だ」
忌々しげに答えながら、俺は焼け焦げた外套を毟り取った。下に着ていた黒革の鎧も、大分焦げてしまっている。
もっと性能のいい防具が欲しい。特に魔法防御力の高い品が。俺は防御より回避を重視する軽戦士だが、広範囲を攻撃する魔法は回避が難しい。それなりに魔法防御力は上げているが、防具による補助は必須だろう。
己を焼いた炎の感触を思い出し、俺は顔を歪めた。《自己再生》で既に傷は癒えたとはいえ、傷を負ったという事実が、負傷した記憶が消える訳ではない。
無くなったはずの痛みは違和感を生み、不快感をもたらす。《幻痛》(ファントムペイン)は俺がNES時代に散々利用した手口であることを考えれば、なかなか皮肉が効いていた。
だから俺は、手を伸ばしてカイムを抱き寄せた。
「ちょ、ソラト!?」
驚愕と抗議の声を無視して、首筋に頬を摺り寄せ、舌を這わせる。柔らかな感触と甘い匂いが、不快感をぬぐい去っていく。
ぐりぐりと顔をこすり付ける俺に、カイムも諦めたのか――ため息一つついてから、俺の頭を抱くと、優しく髪を撫でた。その感触に、俺は目を細める。
「彼らを、追わなくて良いのかい?」
「ああ」
彼女を離さぬまま、俺は嗤った。
「どの道、《獣王》は今日で終わりだ。頼る場所がなくなれば、考えも変わるだろうさ」
あの二人――彰吾と鉄平といったか――を手駒にすることを、俺はまだ諦めては居なかった。
今後の事を考えれば、戦力は多いほうがいい。まして、それが一騎当千の強さを誇るプレイヤーなら尚更だ。
「逃げて、生きて、たっぷりと恐怖を噛み締めればいい。俺を恐れれば恐れるほど、心が折れやすくなるからな」
だから俺は奴らを追いつめる。どうしようもない絶望へと突き落とし、それから手を差し伸べてやろう。俺の前に膝を着かせ、靴の裏を舐めさせてやる。
だが、彼らを屈服させたいと思うと同時――俺には「そうならなければいい」という矛盾した願いもあった。
以前、バスカヴィル伯爵との戦いで、俺は「痛み」に不慣れだったが故に恥辱を味わう羽目になった。味わった事の無い苦痛に対して俺は脅え、怯んだ。
だが今回、火炎に焼かれた俺が感じたのは――恐怖ではなく、真っ黒な炎のような、激しい憎悪だった。
痛ければ痛いほど、辛ければ辛いほど、黒い炎は燃え上がる。俺をこんな目に会わせた奴を殺せと、億千万の苦痛を味合わせてやれと叫ぶのだ。
だから、あの二人のプレイヤーが、俺の思い通りにならなければいいと思う。
――ああ、お願いだから逆らってくれ。拒み、抗い、そして俺に殺されろ。
暗い思考を巡らせながら、俺はカイムの身体を離した。もう、身体を蝕む不快感は消えていた。
「さて、そろそろ行くか。既に、《楽団》の連中も動いてる頃だろうしな」
まさに今――王都にある《獣王》の拠点が《楽団》によって襲撃されているはずだった。だから交渉の名目で、二人のプレイヤーを足止めしてやったのだ。プレイヤーを欠いた《獣王》に勝てるならそれで良し。苦戦するようなら助けてやればいい。
今や《楽団》は同盟者。恩を売っておくに越したことは無い。
部下を従え、店を出ようとして――俺はふと振り返り、付け加えた。
「ああ、それと――それを持って帰るぞ」
そう言って指し示したのは、床に転がる銀色の狼だった。




